Interview | DEAFHEAVEN | Kerry McCoy


感性、強い思い、ロマンティシズム

 George ClarkeとKerry McCoyによって2010年に結成されて以来、ポスト・ブラック、ブラックゲイズなどと呼ばれるブラックメタルを発展させた新しい感覚の音楽を作り出してきたDEAFHEAVEN。ロック・スター的な華を持つフロントマンのClarkeとは対照的に、いかにもナードっぽい眼鏡ルックスで、ステージ上ではMorrisseyやエモ系のバンドのTシャツを着てみせているMcCoyの存在が当初から気になっていたので、10月にEMPERORと共に来日した際、満を持してインタビューを申し込んだ。

 UNIFORMのTシャツ(『Perfect World』のカヴァー・アートになっている十字架と鎌を組み合わせたMark McCoyデザインのロゴ)を着たMcCoyは、自身の生い立ち、音楽嗜好、Clarkeとのパートナーシップなどについて、にこやかに語ってくれた。


取材・文 | 鈴木喜之 | 2019年11月
通訳 | 網田有紀子


――10歳くらいからギターを弾き始めたそうですが、どういった音楽環境に育ったのですか?

 「うん、僕がギターを始めたのは10歳か11歳くらいだった。父親は地元の新聞に書いている音楽ジャーナリストで、すごく文化的な人だったから、レコードや本をたくさん持っていたし、アートや古い映画なんかも大好きでね。僕は小さい頃から、その影響下で育ってきたんだ。ギターを弾き始めたのは父のほうがちょっと先で、僕が始めたのは両親が離婚した直後くらいだったけど、父がやっていたからっていうのがそもそもの理由。音楽環境はというと、いつもジャズとか、1970年代のポップスとか、Bob Dylan、PINK FLOYD、それにザディコや、クラシックまで、とにかくいろんな音楽が周りにあったよ。例外はヒップホップと、モダンなトップ40もので、それは父親が嫌いだったから。とにかく古いものが好きだったんだよね。母はフルートを吹いていて、その影響もあったけど、父からの影響の方が大きかった」

――お母さんはクラシックをやっていたんですか?
 「そう、父がクラシックに興味を持っていたのもそれがきっかけだった。両親がまだ一緒にいた頃はカトリックの教会に通っていて、母はそこでフルートを吹いていたんだ」

――あなたもクラシック・ギターを弾いたりしました?
 「いや、僕がギターを始めたのは父がやってたから。父はただBob Dylanの曲を弾きたかっただけで(笑)、すごくシンプルだった。だから僕も最初はそういうのを弾いてたけど、そこから自分の道を行くようになったんだ」

――じゃあ最初は「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」なんかを弾いてみたり?
 「そう、僕が最初に覚えたのは……AMERICAっていうバンド知ってる?『名前のない馬(A Horse With No Name)』が初めて弾けるようになった曲だよ。それからJimi Hendrixを練習するようになった。オルタネイティヴ・ミュージックやパンク、メタルに入れ込むようになる前のことだね。それから初期のオルタネイティヴ・ロックをよく聴くようになったんだ。THIRD EYE BLINDとか」

――では、そのオルタネイティヴ・ロックとの出会いというのはどういうものだったのか教えてください。
 「最初は……何があったんだっけ、たしか6年か7年生の頃、周りのみんながMISFITSを聴いていたんだ。当時はAT THE DRIVE-INの『Relationship of Command』がリリースされて、AFIも流行ってた。北カリフォルニアだったからさ。で、僕はその3枚のアルバムを同時に買ったんだ。MISFITSの『Collection II』と、『Relationship of Command』と、AFIの『The Art of Drowning』。その3つのアルバムが始まりだった。当時はTHE OFFSPRINGとかGREEN DAYとかも人気があったけど、僕はそっちには行かなかったんだ」

Kerry McCoy
Kerry McCoy

――最初に組んだバンドではどういう音楽をやっていましたか?
 「最初のバンドは、なんというか……ミクスチャーだった。SLAYERと、LEFTOVER CRACKみたいなスカ、あとMISFITS的な要素もあったけど、すごくヒドいやつね(笑)。言っちゃえばパンク寄りだったかな」

――メタルの要素が増えたのはどういう感じで?
 「当時のバンドのドラマーからの影響だった。自分は兄弟の一番上で、いろいろ教えてくれる兄とかはいなかったから、僕が出会ったメタルと言えばラジオで聴けるようなもの、例えばKOЯNとかSLIPKNOTとかで、僕の好みじゃなかったんだ。ドラマーがSLAYERの話を振ってきたから、僕が“メタルは好きじゃないんだ”って言ったら、“いや、これは好きになるよ!”って『Reign In Blood』を貸してくれた。聴いてみたらびっくりして。“なんだよ、メタルなのにすごく速いし、DEAD KENNEDYSのステッカーを貼ってるメンバーがいる!”って(笑)。それからはメタルでもクールなバンドがいるんだとわかって、METALLICAとかそういうのも聴くようになったんだ」

――リアルタイムのニューメタルがダメで、スラッシュに刺激を受けたというのは面白いですね。では次に、George Clarkeとの出会いについて教えてもらえますか?
 「僕が高校生の頃、人気者とは無縁の奴らが集まった小さなグループがあってね。Georgeは1学期のはじめ、11月くらいにベイカーズフィールドから転校してきたんだ。あいつはSLAYERのTシャツを着ていて、僕はDEAD KENNEDYSのパッチを付けていた。SLAYERは僕が大好きなメタル・バンドで、あいつはDEAD KENNEDYSが大好きだったから、“SLAYERのTシャツかっこいいじゃん”って僕が言ったら、向こうも“DEAD KENNEDYSのパッチかっこいいじゃん”ってなって、それで友達になったんだよ。たしか2人とも14歳だったと思う」

――そこから意気投合して、やがてバンド結成に至るわけですけども、今改めて振り返ってみて、どういうところが彼とはうまくいったのだと思いますか?
 「それはすごくいい質問。そうだね、Georgeと僕はすぐ友達になった。あまり知られてないけど、あいつはものすごく面白い奴なんだ。僕たちのユーモアのセンスは、何ていうか……2人一緒になると、特に14歳の頃なんて、2人ともびっくりするくらい幼稚だった(笑)。あいつは超やる気がある奴だし、2人ともクールな音楽が好きで、あいつは僕が知らなかった音楽を知っていて、僕はあいつが知らなかった音楽を知っていたから、そうやって2人でいるとすごく楽しくて、ずっと笑いっぱなしで。そうだ、高校の頃によく思ってたのは、あいつと知り会った人は誰でも、一緒にいたがるようになるってこと。みんなあいつとつるみたがるんだ。言ってみれば、嫌われ者の間での人気者というか、負け犬に人気があるタイプというか(笑)。とにかく僕たちはすごく仲のいい友達だった。考えてみると変な感じがするよ、14歳の自分に今の状況を見せたら驚くと思うけど……こんなにうまくいっている理由としては、音楽をやりたい、バンドをやりたいっていう意欲の強さが2人とも同じだからだろうな。それは簡単なことじゃなくて、今はメンバーが揃ってるけど、これまでメンバー・チェンジが何度もあったのはそこが理由だった。特に初期の頃は、しばらくすると、もうやりたくないって言われることが多かったからね。僕たちは2人とも常にやる気があって、あいつは僕がやりたくないことや、できないことをうまくやれるし、僕にはあいつができない、やりたくないことでもできることがたくさんある。だから、すごく合ってるんだ。これまでずっと仲良くやってきたし、その関係は子供の頃から変わらず続いていて、いつも冗談言って笑ってばかり。そんな感じだね」

――その、お互いに教え合ったという音楽をいくつか具体的に挙げてもらえますか。
 「うん。すごくいい例としては、仲良くなり始めた頃、放課後あいつの家へ行ったとき、DEICIDEの『Once Upon The Cross』のライヴ・ビデオを見せてもらったんだ。僕はそこで初めてDEICIDEを知って、衝撃を受けた。逆に、あいつの16歳の誕生日には僕がTHE SMITHSのベスト盤をあげたりした。そのふたつが僕たちの関係を完璧に表わしていると思う。あいつは昔からずっと本気でクレイジーなエクストリーム・メタルに入れ込んでいて、僕の方はもっとインディ・ロックに入れ込んできた。それでいて2人の好みが一致するところもあって、THE POSTAL SERVICEとかそういうのは2人とも大好きだし、そういう細かいところが合ったりする。あらゆる音楽を聴くのが、僕たちにとって自然なことなんだよ。2人ともラップがずっと好きだし。それが自然なことだったけど、振り返ってみると、変わってるって言われることが多かった。“こんな音楽をやってるのに、Kanye Westとかそういうのも好きなんだね”って。そこが僕たち2人の一番合ってるところなんだと思う。感性とか、思いの強さとか、そこにロマンティシズムが加わってるところとか」

――なるほど。そうやって2人で始めた音楽が、“おや?このバンドのブラックメタルはちょっと違うぞ”ということで注目を浴びたわけですけど、ブラックメタルを素材にして、何か違う自分たちのオリジナルを作り出してやろうという考えは、当初どれくらい意識的だったのでしょう?
 「少しはあったかな。ある意味、自分たちではブラック・メタルをやっているとは考えてないというか。やっぱりブラック・メタルをやるとなると、ある種の重みがあるわけで、例えばサウンドはこうじゃなきゃいけないとか、独特のヴァイブとか、ニヒリズムとか、皮肉なところがあったりするわけだけど、そういうのは僕たちの音楽にはないと思うからね。このバンドを始めたときは、正直なところ、言ってみれば周りのみんなと同じで、友達がみんなALCESTとかAMESOEURSとかLANTLÔSとかCOLDWORLDとか、そういうバンドを聴いていて、ポスト・ブラックメタルとかブラックゲイズみたいなことが言われ始めるようになった頃だったから、僕たちも“いいじゃん、こういうのやろうよ”って感じだった。それでオークランドでライヴをやるようになって、ホールフーズでバイトしながら大学にも行って、楽しくやってたんだ。そんなわけで、僕たちの音楽を聴いてから、そういうバンドのことを知った人も多かったみたいだから、関連付けられたところもあったんだろうけど、それはポジティヴなことで……だから、うん、意図的ではなかったかな。初めは、ブラックメタルというものの端っこをほんのちょっとかじって、自分たち独自のヴァージョンでやってみようとしていたんだと思う」

――そうやって作った作品が、Pitchfork Mediaなどから絶賛されたときにはどんな気持ちでしたか?
 「正直に言うと、周りがそれについて騒いでいたとき、そんなにスゴいことだとはわからなかったんだ(笑)。みんなは“おい、これってスゴいことだぞ、出世するぞ”とか言ってたけど、僕は“そうなんだ?”って感じで。僕自身としては、バンドを始めた頃に掲げていたゴールと言えば、サンフランシスコの小さなクラブでショウをやったり、オークランドでハウス・ショウをやったり、もしツアーに出られたらいいな、とか、そうしながら学校に行って、いつか高校の先生にでもなれたらいいなっていうくらいだった。だから自分たちの音楽を気に入ってくれる人がひとりでもいて、それでどうにかなるんなら、それだけで最高!って感じだったんだよ(笑)。Pitchforkがビッグなウェブサイトだってことくらいはわかったから、大勢の人が見ているのはスゴいことだと思ったけど、いろんなバンドがこのサイトで良いレヴューをもらって出世したってことまでは、人から聞くまで知らなかった。だから当時は“スゲーじゃん、ちょっとしたいいことだね”って感じだったけど、 今よくよく考えてみるとクレイジーだよね(笑)」

――その後はどんどん活躍しているわけですけれども、所謂メタル・フェスに出ることもあるし、今日の対バンも、なかなかおっかなそうな人たちだったりするじゃないですか。そういう環境に置かれて、居心地が不思議な感じというか、浮いているような気持ちになったりすることってやっぱりあったりするんでしょうか?
 「EMPERORに関しては、怖いことは全くないよ。犯罪を犯したメンバーはもうバンドにいないんじゃなかったっけ?まあ、たしかにブラックメタルには危険なところもあって、本当に怖いことが伴ったりもするけど、ただ音楽を作るのが好きで、日本までツアーして、自分たちの音楽を愛している5人組っていうのは、複雑なことじゃないからさ。うん、僕たちはどこへ行っても大抵は居心地が悪いことはないと思う。自分たちが違和感を覚えるようなことは、しないようにしてるしね。メンバーの中にレイプ犯がいるようなバンドとは一緒にツアーなんかしないし、ファシストも避けるようにしてる。EMPERORのオープニングを務められるのはすごく光栄なことで、彼らには複雑な歴史があるわけだけど、実際に彼らを知った今は、どういう人たちなのかを間近で見て、本当に安全だと感じるよ。今の彼らは世界に悪をもたらそうとしているわけじゃなくて(笑)、ただ音楽をやりたいだけなんだから」

――わかりました。さて、あなたはよくステージでMorrisseyとかAT THE DRIVE-INのTシャツを着ているじゃないですか。それはやっぱり、自分の出自はちょっと違うぞ、というのをステージで人々に示しているのかな?と思えたんですが、どうなんでしょう?
 「もしかしたら無意識にそうなのかもしれない。でも、このバンドを始めた頃に僕たちが決めていたのは、邪悪に見せる格好とか、クレイジーな扮装なんかはしないってことだった。オフステージでもオンステージでも、ありのままでいようって。どっちも同じなんだ。僕にとってはそれが、自分自身を表現する手段なんだよ。Georgeは芝居がかった感じで自己表現することもあるし、僕は僕なりの方法で自己表現してる。それが僕たちなんだ。ドレスアップすることはないし。だから、別に誰かに見せつけたいとか、そういうんじゃなくて、昨日の夜はFUGAZIのTシャツを着てたし、今日はThom Yorkeのを着ようと思ってるけど、だからって別に“これを見よ、メタルヘッドめ!”とかいうんじゃなくて(笑)、単に自分がクールだと思ってるだけなんだ。普段から着てるものだから着てるだけ。気に入ってもらえたらそれでいいし、そうじゃなくても別にいい」

――でも何か反響があるのでは? この人THE SMITHSのTシャツ着てるよ……とか。
 「うーん、ちょっとはあるかな。ネットで何か言われてるときもある。まあ、ネットではありとあらゆることが言われてるわけだけど、僕の場合は“クールなTシャツ!”くらいだよ。最近はサーフ・ブランドのTシャツをよく着てるんだけど、それも人によっては変だと思うよねえ(笑)」

――(笑)。DEAFHEAVENは、アルバムを重ねる度に、どんどん音楽性を進化させていますけど、今後はどうなっていきそうでしょうか?
 「これまでは、事前にいろいろと作り溜めて、今はこういう状態で、ここと、ここにいるんだと確認してからレコーディングしていたんだ。でも、去年『Ordinary Corrupt Human Love』をリリースしてからは、ずっと少しずつ取り組んでいるような感じ。だから、なんとなく次のレコードのことを考えてはいるんだけど、まだまとまり始めているくらいの段階でしかないんだよね」

――じゃあ、例えば今後のライヴではもっとキーボードが必要になるかも?とか考えたりしていますか?
 「そうだね。今回のアルバムで最初のUSツアーとヨーロッパ・ツアーをやったとき、『You Without End』を演奏したんだ。僕も他のメンバーもすごく気に入ってはいたんだけど、Georgeはやることがたくさんあって大変でさ(笑)。でも、今回みたいなサポート・アクトじゃなくて、もっと演奏時間が長いライヴならいいかもね。それにはいろいろプロセスが必要になるだろうけど、これから先は少しずつ増えていくんじゃないかと思う」

――ヒップホップも好きだそうですが、そういう要素が入ってきたりすることは、可能性としてどうでしょう?
 「トリップホップの要素は確実に次のアルバムに入ってくると思う。PORTISHEADとかMASSIVE ATTACKみたいなヴァイブがね。実際に誰かがラップするかどうかは微妙だけど(笑)、もっとアンビエントとかダウンテンポとか、クールなブレイクビーツとか、そういうのは入れてみたいと思ってる」

――なるほど。ところで、最新作の「Honeycomb」という曲は、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルが書いた実験的な小説『石蹴り遊び(Hopscotch)』を参考にしているそうですが、具体的にはどういうことなのでしょう?
 「そういう話は全部Georgeの専門分野だね。『Honeycomb』は、僕がクリーンになって最初に出来上がった曲だったと思う。僕は酒を飲んだりとか、そういうのを2017年にやめたんだ。アルバムを作っていた最中に全部やめることにした。そうしたら、クリエイティヴィティの爆発みたいなことが起きたんだよ。それで、ミドル・セクションにビッグなTHE BEATLESやOASISっぽいパートがあって、ソロがあって……みたいな、そういうアイディアが浮かんできて、それをみんなでまとめていった。オークランドの練習場所にアイディアを持っていったら、みんな盛り上がってくれて、すごく速く出来上がったんだ。たしかアルバムで最後に書いた曲だったんじゃないかと思う。とにかく、すごくいい気分だった。僕にとって特別な存在の曲だよ」

――それで先行シングルにしたんでしょうか?
 「いや~、その理由はよくわからない(笑)。僕は誇りに思ってる曲だけど。『Canary Yellow』もそうだし。『Canary Yellow』のほうががもっと好きかもしれない。どうして『Honeycomb』が1stシングルになったんだろう(笑)?Georgeとレーベルの人たちが決めたんだと思うけど」

――あと、アルバムのタイトル『Ordinary Corrupt Human Love』は、グレアム・グリーンの『The End of Affair』という小説から採ったそうですね。これもGeorgeが付けたんだと思いますが、彼は文学青年みたいな感じなんですか?
 「うん。あいつはかなり本を読んでるよ。熱心な読書家だ。それに文章も書いてるし。だから、そういうのは全部あいつのディレクションで、歌詞やタイトルも全部あいつの世界。僕は音楽面のディレクターって感じかな、わかんないけど(笑)。僕もそういうことについて知りつつはあるけど、専門ではなくて……グレアム・グリーンの小説から採ったってことは知ってるよ(笑)」

――Georgeに勧められて読んで、面白かった本とかありますか?
 「(笑)。たくさん勧められたとは思うんだけど、実際に読んだものはないかもしれない……読まなきゃいけない本がたまってるんだよ。母も自分の好きな本を勧めてくるし、父もライターだからもちろんだし、たくさんありすぎて……だから答えはノーだよ(笑)」

――あなたは音楽のほうが好きなんですね。
 「本もよく読む方なんだけどね。例えばRADIOHEADのバイオグラフィとか、『Barbarian Days』っていうサーフィンの本も読んでる。でも僕は表面的な読書家で、Georgeなんて、ヴィクトリア時代の詩とかそういう本ばかり読んでるんだから(笑)」

――DEAFHEAVENが新しいブラックメタル、ポスト・ブラックとかブラックゲイズとか……まあ、あなたにとって名称はどうでもいいかもしれませんが、そう呼ばれる音楽を鳴らしたら、以降そんな感じのバンドがたくさん登場してきたように思えます。そうしたバンドについてはどのような感想を持っていますか?
 「みんなよくやってると思うよ。でも最近ポストブラックはあまり聴いてないんだ。バンドを始めた頃には確かに聴いてた時期もあったけどね。音楽にしろ、どんなアートにしろ、追求していく過程で常に前進しながら変わっていくもので、いろんな違ったものを探求し続けるわけだし、そうじゃないと停滞してつまらなくなってしまうよね。他のバンドがやっていることもクールだと思うよ。健闘を祈るというか……」

――わかりました。プロデューサーのJack Shirley(COMADRE)とずっと組んでいますけど、彼との共同作業はどういうところが良いですか?
 「Jackとはもう11年か12年くらいの付き合いになる。彼は本物のパンク・ガイで、僕たちがやりたいことを正確に理解していて、一緒にいて居心地がいいし、みんなにそう思わせる人だし……一緒にやりやすいのは、彼がすごくしっかりした労働倫理を持った人だからだね。常に時間に正確で、パンク的な倫理観も持っていて、超過請求されるような心配も全くないし、すごく良い人なんだ。それに、本当に良いアルバムを作れるんだよ。だから一緒にやり続けてるんだ」

――では最後に、作曲にはPCをどのくらい使いますか?
 「僕は、これまた恥ずかしいんだけど、使いはしても使い方をそれほどよくわかってるわけじゃなくて。他のメンバー、Shiv(Mehra)とかChris(Johnson / DOOMRIDERS)、Georgeもそうだけど、彼らが全部セットアップして、僕がやろうとしてることができるように手助けしてくれてるんだ。だから、少しは使ってるけど、もっとできるようになりたいと思う。自宅にはまだPCがないから、欲しいとは思ってるんだけど」

――ついでにもう1問、作曲の過程でGeorgeや他のメンバーとはどんなやりとりがあるのでしょう?
 「そこはすごく面白いんだよね。最近のプロセスとしては、言ってみれば、全員がそれぞれ作ってくる感じなんだ。Georgeがリフを作って、Shivもいろんなものを作ってくるし、Chrisもそう。そうやって全員が1ヶ所に集まって、自分で作ってきたものを見せ合い、それにあれこれ意見を出し合うっていうのをひとりずつやっていく。他のメンバーに助けられながら、それらが奇妙なかたちでまとまっていくんだよ。Georgeが“こういうのをやってみたらどうかな”とか“こうしたらもっと良くなると思うんだけど”という感じで進めながらインストゥルメンタルを完成させる。それからGeorgeがヴォーカルに取り掛かって、歌詞を書いて、タイトルを付けるっていう流れ。だからメンバー全員が関わっているんだけど、歌詞とかに関しては全部Georgeがやっているんだ」

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