文・撮影 | 小嶋まり
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父が高熱を出して入院した。最近、近所にある神社のお手伝いをするのが趣味のようになっていたけれど、寒い中朝から神社の庭掃除に精を出したのが体に響いたらしい。
父が入院してすぐ、わたしの家のストーブの灯油が切れてしまった。いつも父が灯油を持ってきてくれていたので、何をどうしていいのかわからなかった。近くのガソリン・スタンドに行けばいいんだけれど、ポリタンクが見つからない。結局、母が実家にある余りを持ってきてくれた。
こちらにUターンしてきてから、わたしはかろうじて健在の、70歳を優に超えている両親に頼りっぱなしである。田舎は手間のかかることが多い。自治会のあれこれも両親に任せっきり、庭の手入れもわたしが出かけたり昼寝なんてしている間に両親がしてくれている。両親に甘えきりで、わたしはいったいいつまで子供のような素振りをしているんだろうか。
父のお見舞いに行くと、ベッドの背もたれに寄りかかって本を読んでいた。元気そうだったけれど、こう改めてまじまじと父を見てみると、どこからどう見ても立派なおじいちゃんになってしまっている。髪の毛はないし、シミだらけ。その上、病室を仕切るカーテンの淡い緑色が父の顔に反射して顔色が悪く見える。ふいに、祖母が亡くなる直前に入院していたのも同じ病院だったことを思い出した。病床に臥した祖母の青白い顔も、この淡い緑のせいでさらに青ざめて見えてしまっていた。死という現実を、このカーテンの淡い緑色がのっそりとじんわりと照らし出すようで心地悪かった。
老いとかその先にある死とかを考え思いふけっていたわたしに、父は嬉しそうにノートを見せてきた。「時代小説 入院ノート」と表紙に書いてある。物語でも書き始めたのかと思ったら、読んでいる本の感想、同室の患者さんたちの様子、病院食のメニューとかが記録されているただの日記だった。そして、退院したらやりたいこともしっかり書き連ねてあった。後ろ向きに考えていたわたしは、それを見てほっとした。その1週間後、父は無事退院した。
父の退院祝いの夕食をしようと母から連絡があったので実家まで行ってきた。ご飯を食べ終えると、往年の歌手が懐かしの名曲を歌う番組が始まった。父が画面を食い入るように見ていたかと思うと、テレビにあわせて歌い始めた。思い出の曲を懐かしそうに歌う父の姿を、ばれないようにこっそりスマホで録画した。こんな父を、あとどれくらい見ることができるのだろうか。
わたしももう41歳になる。こんなに成長しきっていても、心のどこかにまだまだ子供でいたいと願う甘えきったわたしがいる。問題なく退院し、やりたいこともまだまだたくさんある元気な父の姿に安心したけれど、肉体は限界がある。わたしはまだ、この先どうするかを思い描いているけれど、父はもう、平均寿命を目前にした歳である。きっと父は、残りをどうするかを考えている。
先日、久々にとある友人に電話をしたら、ちょうど今休職中で実家に戻り久々に母親と一緒に過ごしていると教えてくれた。家族や大切な人と一緒に過ごせることがわりと一番の幸せかもって気付いた、という彼女の言葉が突き刺さる。高校から一人で家を出てしまい、常に自分勝手に振る舞い、自分のことだけを優先してきたけれど、ようやく辿り着いた家族と一緒に過ごせる時間、大切にしたい。