Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 田舎へ引っ越してきてから入社したラジオ局を辞め、フリーランスとして仕事を始めて数ヶ月が経つけれど、まだ動きは非常に緩やかである。切り崩している貯金ももうすぐ尽きてしまいそうなので、夜はスナックで働き始めた。台湾に住んでいた頃はバーで働いていたので、手慣れたものだと思ったけれど、スナックは別物だった。

 勤務するスナックは求職サイトで見つけた。応募するとスナックのママからすぐに返信が返ってきて、次の日にお店で面接することになった。面接のため紺色のワンピースを着てスナックへ向かうと、薄暗い照明の中、真っ黒なバーカウンターとボックス席がこぢんまりとした店内に並んでいた。ぶっきらぼうなママと仕事の内容について少し話をすると、すぐに採用となった。スナックで働くことは人生でやってみたいことのひとつだったので嬉しかった。

 スナックで働く女になる。まず服装から整えたいと思い、メルカリでキャバ嬢が着るようなドレスを探した。スカートはタイトで短く、装飾はキラキラひらひらしている、普段着ることがないようなものばかり買い込んだ。ひとまず着てみれば日常生活から切り離されて舞台に上がるような気分になり、なかなか頼もしい。

 出勤1日目。働き始めてすぐに気付いたのは、このお店はスナックというより、お客さんの横の席に座って接客をするクラブだということ。そしてもうひとつ、自分の手際がとても悪いということ。伝票の書きかたもわからない、お客が来たときにおしぼりを渡すのも忘れてしまう、自分がお酒を飲み始めれば周りに気が配れなくなり、お客を放置。とんでもない出来である。徐々に慣れていくしかないと前向きに考える。

 わたしはたわいもない会話をするのが苦手である。お客が楽しそうに、今日食べたKFCが出来たてで美味しかったんだよねぇ、熱い油が滴ってさ、揚げたてなんて珍しいよねぇ、と嬉しそうに喋っているのを見て感銘を受ける。毎日身近で起きる小さな発見なんて、わたしはすぐに忘れてしまう。日々の小さな喜びや驚きのかけらを丁寧に掬い上げている人たちはとても楽しそうだ。でもそんな明るい会話だけで埋め尽くされるわけでもなく、人の悪口、セクハラやパワハラ発言、全てが水商売の世界の労働者であるわたしにのしかかってくる。

 わたしはきっと、フェミニストである。フェミニストであるという自覚を持っているわたしが、水商売という世界に飛び込んだ。そこは、性的搾取という概念が取り巻くところである。アメリカの文化人類学者アン・アリソンは、1981年に自ら六本木の高級クラブにホステスとして在籍してフィールドワークを行い、1994年にナイトクラブについてのエスノグラフィ『Nightwork』を出版している。その著書から「ホステスが客の男性のマスキュリニティを保証し、男性同士の絆の補強に一役買う存在として描かれている」とある学報には記されていた。クラブで働き始めてから1ヶ月経ち、わたしもそれを痛感している。男が喜びそうなキャバ嬢っぽい服装というテンプレにしっかり自分をはめ込んで出勤しているし、わたし宛に投げかけられるミソジニーじみた暴言の後に巻き起こる男たちの笑いから生まれる一体感はクラブでは日常茶飯事だし、男である意識を増長させ、誇らしく思えるように会話を誘導していくわたしもいる。お金という対価の代わりに、わたしは忌み嫌う男たちのマスキュリニティを加速させている。しかし違う見かたをすれば、女性という存在なしに彼らは男性としての存在を誇示できる術を持っていないという、かわいそうな生き物なのかもしれない。この話については、また続きを書きたいと思っている。

 高校生の頃から海外へ逃亡したり、いきなり台湾へ移り住んだり、突然結婚してアブダビに住んだりと、いろいろなところへ飛び込んできたけれど、今回もまたよいしょと田舎のクラブへ飛び込んでみて、自分の正体は明かすことなく俯瞰から楽しんでいる自分がいる。これもわたしなりのフィールドワークになりそうな予感がする。

01 | 05 | 07
正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。