Interview | GOFISH


自分から歩き出さないと成立しない

 2003年に1stアルバム『Songs For A Leap Year』をリリースして以降、その歌世界をマイペースに磨き上げてきたテライショウタのソロ・プロジェクト、GOFISH。通算7作目となる新作『GOFISH』は、前作『光の速さで佇んで』(2021)以降取り組んできたバンド・スタイルでの作品となった。

 潮田雄一(g)、中山 努(pf)、元山ツトム(pedal steel)、墓場戯太郎(b)、藤巻鉄郎(dr)、そしてコーラスの井手健介と浮。彼らの奏でる緩やかなバンド・アンサンブルに抱かれながら、テライは日常の中にかすかな希望を見出すような言葉を綴っていく。決して派手さはないものの、その歌は聴くもののなかに温かな火を灯すような力を持っている。


 20年を超えるキャリアを通し、テライはいったい何を歌ってきたのだろうか。そして、7作目にして初めてセルフタイトルが掲げられた新作『GOFISH』で彼は何を描き出そうとしているのだろうか。愛知在住のテライにオンライン・インタヴューを試みた。


取材・文 | 大石 始 | 2024年6月
撮影 | 三田村 亮


――以前から曲作りに関するショウタさんの考えかたについてじっくり話を聞きたいと思っていたので、今回はその点について掘り下げていきたいと思っています。早速なんですが、普段どのように曲を作っていらっしゃるんですか。

 「曲によってバラバラで、これというメソッドのようなものはないんですよ。曲によっては(アイディアが)ふっと降りてくることもありますし」

――「よし作るぞ」とギターを構えてから作ることよりも、歩いているときにメロディや言葉が浮かんでくることのほうが多いんですか?
 「どちらかというとそのほうが多いですね。思い浮かんだことをメモしたりヴォイスメモに残したりしているんですけど、そういう蓄積はもう一生かかっても完成できないくらい溜まっています」

――コロナ禍ではSNSに弾き語りの新曲をどんどんアップしていましたよね。曲のアイディアは毎日のように出てくるものなんですか。
 「そうでもないんですよ。あのときはちょっとゾーンに入っていた感じがあって、毎日のように曲を上げていました。コロナ禍でどこにも行けないし、SNSがあるんだからみんな発信するのかと思っていたんですけど、意外に誰もやらなくて。だったら自分で毎日(歌を)上げようと思ってやり始めました。鼻歌みたいなものでしたけど、あの頃作っていた曲が不思議とピュアなものだったので、今回はそこからも何曲か入っています」

――ショウタさんにとって曲を書くという行為は日々の暮らしの一部のような感覚なんでしょうか。
 「ちょっと違う気もしますね。自分の場合、感情が動いたときに曲ができることが多いので。日常の営みの延長として音楽を作っているというよりは、たまにしかつけない日記みたいなものというか。日常といえば日常なんですけど、毎日つけるものではなくて」

――「感情が動いたときに曲ができる」というのは、例えばどういうときなんでしょうか。
 「一番わかりやすく言えば、素晴らしい音楽を聴いたり映画を観たりしたときは心が動きますよね。あるいは今まで行ったことのない場所に行ったり初めて出会った人に衝撃を受けたり。そういうときに曲が浮かぶことが多いんですよ」

――『ミュージックマガジン』2024年6月号に掲載された松永良平さんのインタヴューでは「僕はずっと自分のことしか歌ってないんです」と発言されていましたよね。
 「そうですね。自分にはコンプレックスがたくさんあるし、生きていると辛いことも多いし、生きづらい気持ちになることも多いんですけど、音楽でそうした気持ちをなんとかしたくて。だから、自分を救うために音楽を作っているというか。でも、そこに共感してくれる人は少なからずいるんだろうなという気持ちもあって……それはもう希望的観測でしかないんですけど。音楽を作ることによって、それを聴いてくれた人と接することができて、現在地と違う場所で新しい関係性が生まれる。その喜びもあります」

――昨日、「肺」(2018年作『燐光』収録曲)のMVを観ていたんですけど、コロナ期間中、あの曲によって救われたというコメントを何人かのかたがコメントしていました。個人的にはここ数年パレスチナで起きていることもあって命について考えさせられることが多いんですけど、肺は正常に血液に酸素を送って 息をとめて 息をというあの曲のフレーズによってたしかに救われるような感覚があるんですよね。
 「ありがとうございます。当時何人かにそう言ってもらったんですけど、あのサビの部分は、夢で聴こえたメロディそのままなんですよ。目が覚めて忘れないように慌ててギターを抱えて歌ったものがああいう歌詞になりました」

――そうだったんですか。それは知りませんでした。
 「あのフレーズもあとから“これってどういう意味なんだろう?”と自分で分析したんですよ。世の中には自分で自分の命を断つ人もいるわけですけど、何も意識しなくても呼吸はするし、血液は身体の中を流れている。あなたの意志とは関係なく、生きようとしている身体が存在しているわけですよね。呼吸はあたりまえにするけれど、息を止めるということは自分の意志でしかできないじゃないですか。そう考えると、息を止めることのほうが生きるという感覚に近いところにあるのかなと思って」

――ショウタさんの歌には情景描写がよく出てきますよね。その中で「世界をどう見つめるか」というショウタさんの視点が浮き彫りになっていくような感覚もあります。
 「風景以外に何を言えるんだという気持ちがあるんですよ。情景さえ描写できれば、(聴く側は)その中でいろんな思いを巡らしてくれるんじゃないかなと。自分の主張を声高に言うよりは、僕が提示した描写の中で、みんながそれぞれの考えかたを持ってくれたらいいんじゃないか、そう思ってるんです」

――以前のインタヴューでは日本のフォーク・シンガー、それこそURCのシンガーからの影響にも触れていましたよね。そうしたフォーク・シンガーから影響を受けている部分もあるのでしょうか。
 「あると思います。日本のフォークについてもそれほどコアに掘り下げているわけじゃないんですけど、好きなシンガーはたくさんいますね。遠藤賢司さん、高田 渡さん、友部正人さんとか。あと、URCじゃないけど、オクノ修さん。オクノさんの歌詞は本当に素晴らしいと思います」

――YouTubeではフィールド・レコーディングを交えた野外での演奏動画がアップされていますが、あのシリーズはどのような経緯で始まったんでしょうか。
 「のうしんとうというバンドでギターを弾いている生稲智康くんという友達がいるんですけど、彼が『カセットデンスケ』というSonyのポータブル・テープレコーダーを持っていて、その音がまたいいんですよ。最初はそれで録音をしていたんですけど、映像があったほうがいいなと思って。映像をやってる三浦知也くんを誘ってYouTubeに上げ始めたんです。基本的には未発表の曲を上げて、それを聴いてもらおうと」

――あのシリーズ、おもしろいですよね。
 「そうですか、ありがとうございます。再生回数はあまりいってないんですけど(笑)」

――あれを観ていると、ショウタさんの歌がいかに日常と響き合うものなのか、すごく伝わってくるんですよね。風景と溶け合うというか。
 「そうですね。最近、歌や言葉もまた生活の中にあるものだと意識するようになりました。もうちょっと若いときは高い精神性みたいなものを求めていましたけど、結局日常に戻りましたね」

――新作『GOFISH』について伺いたいのですが、バンドとの録音作品としては2022年の『光の速さで佇んで』に続いて2作目になりますよね。
 「そうですね。バンド・メンバーとはそこまで頻繁にスタジオに入っているわけでもないので、ほどよい距離感でやっている感じです。みんな音楽の基礎体力が備わっているので、本当に安心してやらせてもらっています」

――バンドセットのライヴを何度か拝見してるんですが、そのたびに本当に奇跡的なバランスで成り立っているバンドだなと驚かされます。ショウタさんがイメージしている理想のバンド像とはどのようなものなのでしょうか。
 「このバンドに関してはオーソドックスなものをやりたいという思いで、このメンバーになったところはあるんですよ。シンプルにいえば、THE BANDとかNEIL YOUNG & CRAZY HORSEみたいな感じというか。アンサンブルがカチッと決まってるのか決まってないのかわからないくらいの感じ。(ギターの)潮田くんには好きに弾いてもらいたいと思っているんですけど、彼自身いくところはいって引くところは引くバランスがあるので安心して任せられるし、藤巻くんのドラムは僕のタイム感を尊重してくれているのを常に感じます。戯太郎くんのベースは軽快だけど重さにもかなり拘っているバランス感覚が異質で、中山さんのピアノはアメリカン・ルーツ・ミュージックに根差したアレンジもありつつ、僕が言うのもおこがましいですが少年のような青さも残っているのが素敵です。ペダルスティールのモツさんもルーツ・ミュージック的なメソッドとやんちゃでフリーなプレイもできる特異な人ですし、コーラスの井手くんと浮ちゃんに関してはコーラスをしてもらってることが申し訳ないくらいふたりとも才能の塊です。もちろんこのバンドだからこそやれることもあるんだけど、ここぞというときにできたらいいかなっていう気持ちもあって。ひとりでもやりたいし、他の人ともやりたい。そこらへんはなるべく自由にやっていければと思っています」

――今回は内田直之さんが録音とミックスをやってますよね。
 「Phewさんが以前『Five Finger Discount』(2010)という歌もののカヴァー・アルバムをリリースして、そのリリース・ライヴを名古屋のCLUB QUATTROでやったときにGOFISHがオープニング・アクトで出演したんですが、そのときのPAが内田さんで、それまでライヴハウスの出音で楽器の定位とかそこまで気にしたことはなかったんですけど、内田さんのPAは各楽器の定位にすごく拘っていて、バンドのアンサンブルが立体的に聴こえてきたんですね。もう10年以上前のライヴですけど、それが目から鱗で、とても感動したんですよ。それでここ何年か“橋の下世界音楽祭”(愛知・豊田)でPAをしてもらえる機会があって話もできるようになったので、思い切って今回録音をお願いしてみました。内田さんだったらGOFISHの音にどうアプローチしてくれるのかなという興味が大きかったです」

――実際にやってみて、いかがでした?
 「バンド・ファーストに作業を進めてくれるので、安心してやれました。あと、ラフミックスの段階ですでに音のバランスがかなり仕上がっていて驚きました。だいたいのラフミックスって簡単にバランスを取っただけなので、粗も聴こえてがっかりしてしまうんですよ。でも、内田さんの場合はそれがほとんどなかった。完成したものを聴いてもすごく繊細なタッチでアプローチをしてくれたことがわかって、すごく嬉しかったです。丁寧に作ってくれたんだろうなと」

――収録曲の中にはコロナ禍に作った曲も入ってるのでしょうか。
 「入ってますね。“肉球ダイアリー”もそうだし、“荒地にて”や“真顔”、“この窓は”もそうです。1曲目の“うれしいだけ”は昔作った曲です。曲自体はずいぶん前からあったんですけど、アレンジで悩んでいて。ある日ふとMartin DennyやTHE SUN RA ARKESTRAみたいなピアノの入ったアレンジのイメージが出てきて、バンド編成でようやく実現することができた。その意味では、今のバンドがあるからこそかたちになった曲だと思いますね」

GOFISH | Photo ©三田村 亮

――さっき「自分のことしか歌ってない」という話がありましたけど、「肉球ダイアリー」に関しては猫視点ですよね。
 「そうですね。自分の頭の中で想像したことを歌っているだけなんで、自分のことを歌ってるとも言えると思うんですけど。コロナ禍に毎日挙げていた時期の曲で、こういうアプローチの歌詞があってもいいのかなと思って。自分でもこの曲は気に入っています」

――ちなみに、猫を飼っていらっしゃるんですか?
 「2匹飼ってたんですけど、去年1匹亡くなっちゃって。コロナ禍は家の中にずっといたので、猫と対峙する時間が自然と増えたんですよね。その中でできた曲なんですよ」

――猫の存在が創作に与える影響はありますか?
 「間違いなくあると思いますね。僕も何曲か猫をモチーフにした曲を作っちゃってるんで、確実にあると思うんですけど……具体的には言い難いな。猫って自由だし、“これでいいんだ”と思えるところが大きいかもしれない。あとは無条件の奉仕の気持ちです」

――「この窓は」も素晴らしいですね。この曲はショウタさんとリスナーの関係性を表したものとも感じました。歌を通したコミュニケーションのありかたが描かれているのかな、と。
 「歌というより、人と人のコミュニケーションについて歌ってるのかもしれない。お互いの“窓”を通してお互いを認め合う、そういうことを歌おうとしているんだと思います」

――コミュニケーションのひとつの方法として歌と言葉があるという感覚?
 「うん、そうですね。以前はディスコミュニケーションについても歌ってきましたし、昔はそっちのほうが多かったと思うんですよ。昔は自分が孤独だと感じていたんですけど、年齢を重ねるうちに“そんなわけはない”と思うようになって。今も自分の中には孤独があるんですけど、自分から歩き出さないとコミュニケーションが成立しないわけで、考えかたが少し変わってきたんでしょうね」

――なるほど。
 「孤独は辛いものではあるけれど、ある意味、優しくて温かい場所でもある。コミュニケーションを取るほうが大変なこともありますからね。とはいえ、コミュニケーションを取ることで人生は続いていくので、そのせめぎ合いをずっと観察しているのかもしれない」

GOFISH | Photo ©三田村 亮

――今回のアルバムにはそうしたコミュニケーションに対する考えかたが、どこか温かくて光をまとったものとして描かれているように感じました。
 「ああ、そうですか」

――たとえば「真顔」という曲では、沈みゆく舟信じるものを求め彷徨いというワードがある中で、せめて、話しをしようという一節がありますよね。「世界は明るい」というような表現ではなく、「せめて、話しをしよう」という慎ましい希望の描き方に、社会と世界に対するショウタさんのまなざしが見えるように思えました。
 「たしかに昔だったらこの言い回しはしていないだろうなと思いますね。自分の中ではこの曲に出てくる“沈みゆく舟を岸辺に集まったみんなで見ている”というフレーズの中の“みんなで見ている”という部分が重要だと思っているんですよ。それぞれいろんなことを考えているんだけど、見ているものは一緒っていう、ギリギリのところでの共感みたいなことを意識していました。この曲もコロナ禍で書いたものですね」

――コロナ禍に書かれた歌が今回の作品の軸になってるわけですね。
 「そうですね。あれ以降、自分も変わったと思いますし……何が変わったかと聞かれるとわからないんですけど、たしかに光のほうを向くようになったと思います。今回のジャケットは松井一平くんが描いてくれたんですけど、見えないところに光源があることがわかる絵になっていて、松井くんもわかってくれたんだと思いました」

――そういうアルバムに『GOFISH』というセルフタイトルをつけたのはなぜだったんでしょうか。
 「案はいろいろあったんですけど、1曲1曲込められているものも違うし、それを総括する言葉が見つからなかったんですよね。これはもう“何も思いつきません”と白旗を上げる意味で『GOFISH』というタイトルにするしかないかなと。敗北宣言みたいなものです(笑)。結果、それでよかったのかなと思ってます」

――最後に収められている「嘘とギター」も名曲だと思うんですが、この曲では優柔不断な天使が耳元で囁く その引き金を引くのを躊躇えってというフレーズが繰り返されますね。この言葉はどこから出てきたのでしょうか。
 「銃を撃つとき、少しでもためらいの時間があるとこちらが撃たれてしまうというじゃないですか。でも、人間を人間たらしめているものって、ためらいにあるんじゃないかと思うんです。直情的で動物的な感覚で人を殺せる人もいるのかもしれないけど、人間だからこそためらうんだと思うし……自分もすごく優柔不断だし。迷うことって人間の特権だと思うんですよ。それは豊かさにも繋がっていると思うし、戦争はそれを奪うことでもある。そういう気持ちがあって、このフレーズが出てきたんだと思います。だから、自分にとって“嘘とギター”は反戦の歌でもあるんですよ」

アルバム『GOFISH』単独リリース・ライブGOFISH
アルバム『GOFISH』単独リリース・ライブ
https://www-shibuya.jp/schedule/017901.php

2024年8月29日(木)
東京 渋谷 WWW
開場 18:30 / 開演 19:30

前売 3,800円(税込 / 別途ドリンク代)
一般発売: 2024年5月15日(水)20:00-
e+

[出演]
GOFISH
vo, ag テライショウタ / g 潮田雄一() / pf 中山 努 / pedal steel 元山ツトム / b 墓場戯太郎 / dr 藤巻鉄郎 / cho 井手健介 / cho 浮

[PA]
内田直之

主催: WWW
協力: Sweet Dreams Press

※ お問い合わせ: WWW 03-5458-7685

GOFISH 'GOFISH'■ 2024年5月15日(水)発売
GOFISH
『GOFISH』

CD SDCD-058 2,600円 + 税
https://1link.jp/sdcd058_gofish

[収録曲]
01. うれしいだけ
02. 果てしない路
03. この窓は
04. けもの
05. 肉球ダイアリー
06. サンシャイン
07. 真顔
08. 荒地にて
09. メロディ
10. 嘘とギター