Column「HiiT FACTORY論考」


文 | つやちゃん

 リヴァイヴァル最終回!

 筆者が、ダンス / ヴォーカル・グループHiiT FACTORYを初めて聴いたときに感じた率直な感想だ。1990年代~00年代の再流行が次々と起きてきた昨今のカルチャーシーンにおいて、彼女たちの登場には、リヴァイヴァルもついにここまで来たかと驚きを禁じ得なかった。身も蓋もないパロディ、徹底した模倣。今が一体いつの時代か分からなくなるような時間軸の捻じれを引き起こすグループ、それがHiiT FACTORYなのだ。

 2023年に彼女たちがデビューした際、まず注目されたのは制作陣だった。メイン・コンポーザーは、なんと90年代当時から小室哲哉に師事し、TKサウンドを知り尽くす石坂翔太。冗談のような本当の話だ。その後も、PAMELAHの小澤正澄やSOUL'd OUTのShinnosuke、さらにm.o.v.eのmotsuといった面々が制作に関与し、その「マジ」なスタンスに少し恐ろしくなってくる。そう、HiiT FACTORYはマジすぎてちょっとこわい。「あの頃」の音楽を標榜しているのはわかるが、その方法がやたらと徹底されていて、狂気じみているのだ。そもそもリヴァイヴァルというのはイコール再解釈なわけで、基本的には今の視点で過去の作品を捉え直す試みであるはず。しかし、彼女たちが志向しているのはあの時代の冷凍保存されたJ-POPをそのまま温めて解凍するような行為であり、楽曲もMVも、avexやGIZA作品をそっくりそのまま想起させるような徹底ぶりに衝撃を受けた。それはグループ結成当初からのコンセプトだったようで、実際のやり取りは以下の運営陣 / 制作陣へのインタビューにも表れている。

水江文人(マネージメント) 「小室さんのイメージでやりたいと伝えて、石坂さんが“それを現代風にアレンジして……”みたいなことを言ったときに、“いやいやそうじゃなくて、まんまやりたいんです”っていう話をしました」
横山佑輝(ディレクター) 「そうしたら、“まんまでいいのね?それだったら片目つぶってもできるわ”みたいな(笑)」
石坂翔太 「90年代を今風にリヴァイヴァルというかリニューアルしてかっこよくするという発注はけっこうあるんですけど、この打ち合わせのときは“そんなことはしなくていいんです。そのままで”って言われたのは覚えてます。逆におもしろいと思いました」
水江文人 「“実機があるんで引っ張り出してきます!”って(笑)」
石坂翔太 「実機で作りましたね。打ち合わせの時間が短かかったのは、それだけ発注が明確でわかりやすかったということに集約されているのかな、と思います」

――Interview | HiiT FACTORY「やることはひとつ」 | 取材・南波一海(2023年5月)

 上記の会話から分かるのは、HiiT FACTORYが当初から「再解釈」ではなく「そのまま」を徹底する方向性を掲げていたということ。そもそもグループ名自体が小室哲哉のソロ・アルバム『Hit Factory』を想起させるし、何よりその徹底ぶりはアートワークや映像に表れている。チープなCG、荒い画質。MVは4:3の画角で制作され、公式チャンネルにアップされた「スポットCM集」はかつて土曜の深夜にCDTVで流れていたCMを彷彿とさせるトーン & マナーで、否が応でも観る者のノスタルジーを喚起する。さらにスタイリングも、いわゆるNewJeans以降の洗練されたY2K再解釈ではなく、サイジングやアイテム選びなどすべてが正真正銘そのままのY2K。率直に言って、2025年の今見ると、随分とチープに感じられる。ただ、それらは、たとえばラッパー / プロデューサーの田島ハルコが試みるようなヴェイパーウェイヴ的チープさとも異なっていると思う。なぜならHiiT FACTORYの場合、そこに批評的なメタ視線は一切存在せず、真正面からベタで塗りつぶすようなかたちで全てが再現されているからだ。そう、彼女たちの表現は、ベタベタな手つきで90年代J-POPをやるという情熱だけで成り立っている。これは、とんでもなくすごいことではないだろうか。

 なぜなら、従来、リヴァイヴァルとは「過去をそのままやる」のではなく「過去を今の感覚で読み替える」行為だから。そこには、現代的な美学や価値観、たとえばジェンダー意識やミーム感覚、スタイリングの更新などが必然的に入り込む。言い換えれば、どんなに「懐かしさ」を打ち出しても、そこには必ず「今っぽさ」が入り混じる。たとえばシティポップ・リヴァイヴァルにしろY2Kファッション・ブームにしろ、それらは再解釈のうえでの享楽であり、批評性やユーモアを伴う「引用」だった。

 けれども、HiiT FACTORYは違う。彼女たちは「今の空気を混ぜてうまく料理する」という戦略を一切採らない。むしろ、その“混入”を徹底的に拒むのだ。音の質感、MVの画角、スタイリング、言葉遣い……すべてにおいて「90年代のまま」を再現する。その姿勢は、一見すると模倣の域を出ないようにも見えるが、じつはそれ自体が強い意志と高度な困難を伴う実践ではないだろうか。通常、アーティストが制作すれば、どんなに意識しても“今っぽさ”はにじみ出るものだ。録音環境、身体の動き、カメラワーク、流通経路、消費され方……そのすべてが2020年代的であることから逃れられない。当時を知る石坂翔太が当時の機材を使って当時のようにアレンジをしても、やはりどこかで今っぽさは紛れ込んでしまうだろう。しかしHiiT FACTORYは、その“にじみ”すら削ぎ落としていく。これは模倣を過剰に徹底することで初めて可能になる行為であり、現代性を抑えるためにこそ現代的な技術が要るという逆説的状況を体現しているとも言える。

 このような彼女たちの姿勢は、いわゆるポストモダン的なメタ視点やアイロニー、あるいは懐古への距離感を完全に拒絶している。HiiT FACTORYの表現には、「懐かしさをネタにする」「過去をズラして見せる」といった批評的スタンスが一切ない。代わりにあるのは、懐かしさそのものを懐かしさとして提示するという、原理的なベタさだ。これはポストモダンの先で生まれた、批評を超えるベタの強度であり、むしろ脱メタ / 脱距離の実践とも言える。つまり、再解釈を拒み、徹底的な“そのまま”をやるというHiiT FACTORYの姿勢は、模倣の先に新しい創造があることを証明しているとも言えよう。それは、模倣の正確さがオリジナルを凌駕するという意味ではなく、模倣の徹底が新たなリアリティを生成するという構造。もはや何がオリジナルで、何がコピーなのかすら意味をなさなくなっている状況なのだ。

 彼女たちの作品を聴いていると時空が歪んでしまい、気が付けばタイムマシンの瞬間移動に巻き込まれてしまうが、そういった時空を超える旅を楽しむ中で筆者が特に気に入ったのは、最新EP『NOVA』に収録されている「Crazy More Strange」だった。イントロ、メロ、ラップ、ダンサブルなビート、全てがTKプロデュースでしかないシグネチャーが詰まっており、globeとTRFを 掛け合わせたような世界観にくらくらする。MVではLOVE BOATのTシャツを着たメンバーが海辺でやりきれない待ちきれない いつまで経っても来ない未来 大人の都合 造られた街でもとわけのわからない歌詞を歌うわけだから、これはもう、完全なる1995年である。ちょうど30年に渡る時代のトリップに、混乱しつつも胸が熱くなってしまう。

 motsuが参加する威勢の良い「I.C.Q.」から、甘酸っぱいメロディに高揚するしかない「Dive into the sky」への流れが秀逸なEP『MYTH』を聴いていると、やはりリヴァイヴァルの最終回だという認識を強くする。HiiT FACTORYは、「再解釈なきリヴァイヴァル」という極北を体現することによって、ポストモダン的文脈における模倣と創造の関係を裏返しにしてみせた。批評や距離、メタ視点を排し、ベタをベタのままやり切るという態度が、ひるがえって新たな文化的真正性を獲得するという発見。その姿勢は、ポスト・ポストモダン的とも言うべき、極めて現代的な実験だ。「最終回」を迎える覚悟がある者だけが、この音楽を聴く資格がある。すべてを終わらせに来た3人組――彼女たちは、過去を演じることで未来を穿つ。その矛盾を、本気でやりきるのがHiiT FACTORYなのだ。

HiiT FACTORY Official Site | https://www.hiitfactory.global/
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文筆家。寄稿やインタビューに加え、メディアでの企画プロデュース、アーティストやブランドのコンセプトメイキングなど多数。著書に、女性ラッパーの功績に光を当てた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)、21世紀のしゃべりの変化を論じた『スピード・バイブス・パンチライン ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(アルテスパブリッシング)、監修に『オルタナティブR&Bディスクガイド』(DU BOOKS)など。インディペンデント・アーティストの活動をサポートするコミュニティ<一般社団法人 B-Side Incubator>理事。