たくさんの人を巻き込んで、世界が変化していくところを体感してほしい
なおHiiT FACTORYは、単独公演「YOU & I」を5月17日(土)に東京・渋谷 WOMB LOUNGEにて開催予定。
取材 | 南波一海 | 2025年3月
序文・撮影 | 久保田千史
――HiiT FACTORYの新曲「Never let it go」を中西圭三さんが手掛けられたと聞いて驚きました。どのような経緯で制作することになったのでしょうか。
N 「突然でしたね。僕のところにメールで問い合わせがありました。ただ、そこから時間が少し空いてしまったんですね。というのも、僕が病気になってしまって(*)。それで、最初にお声掛けいただいてからしばらくしてお会いできたという感じです」
* 2024年11月に自身のXにて顔面神経麻痺(ベル麻痺)中等症と報告。
――HiiT FACTORYの存在についてはどう思われましたか。
N 「90年代をそのままやっていきたいんだということで作品を聴かせていただきましたけど、本当に当時の音を表現されていたので、なるほどと(笑)。そういうニーズがそこに存在しているんだなというのは驚きでしたよね。海外のシーンでもそうですけど、過去のサウンドを表現していく流れはありますし、もっと前のシティポップは再評価されているので、僕らが時代の只中にいた90年代当時の音楽の価値の見直しもあるのかなと感じました」
――HiiT FACTORYのみなさんは世代的に90年代はリアルタイムではありませんが、中西さんについてはご存知でしたか。
A 「それはもちろんです」
Y 「私は2、3歳くらいのときに“ぼよよん行進曲”で(はいだ)しょうこお姉さんや(三谷)たくみお姉さんの歌声を聴いていて、それが中西さんの曲だとは知らずに育ってきて。あとになっていろんな発見があって、こんなにすごいかただったんだという驚きが大きかったです」
R 「私は90年代コンセプトをやるということで調べたりしていく中でZOOさんの曲がすごく好きになりましたし、ブラックビスケッツの“タイミング ~Timing~”も以前から好きだったので、中西さんの作品を聴いたりしていたんです。そうしたらあとになって今回のお話があったので驚きました。私たちのスタイリストさんもファンだというお話を聞いていたので、もう大興奮です。ありがとうございますという感じでした」
――Reyunaさんはさすが90sファンですね。
R 「HiiT FACTORYでこういう系統の楽曲がやっとできるんだという嬉しさもありました。ニュー・ジャック・スウィングはあまりやってこなかったので、新しい挑戦ができるという期待も高まりました」
――中西さんへのオファーとしてはやはり90年代当時に作られていたような音楽を、ということだったのでしょうか。
N 「はい。まんま90年代がやりたいということでしたので、じゃあ、あの頃のワクワクした気持ちにどうやって戻れるかというのを考えて。今の気持ちではなく当時の気持ちで作れるかどうかという不安は若干ありましたけど、逆にそう言ってもらえたことで余計なことを考えずにシンプルに取り組めた気がします。唯一考えないといけなかったのは、グループの構成としてラップを入れるということですね。当時のZOOは、“Native”のリミックスでラップのゲストを呼ぶということはありましたけど、構成として最初からしっかりラップの入った曲というのは90年代の僕らの頭にはなかったので、さぁどうしようと。でも結局は、当時、頭の中に浮かべていた、大きなホールでパフォーマンスすることを夢見ながら人を巻き込んで作っていくテンションに戻れればいいのかなという感覚で作りました」
――30年前と同じ感覚を呼び起こすというのはできるものなのでしょうか。
N 「僕も難しいんじゃないかなと思ったんですよ。でも、特に無理はなかったですね。ありのままでいいんじゃない?って。90年代はいつも、もうやったよね、という気持ちが強かったんです。同じことはまたやっちゃいけないよね、って禁じ手として封印していくんですよ」
――その感覚はリスナーとしてもわかります。
N 「新しいことを求めすぎていたし、ずっと変わらなきゃいけないというマインドで何かを探していたんだけど、今回はそうじゃなくて、あれでいいんだと(笑)。本来の自分が持っているもの……なんならそこしかないくらいのところをね」
K 「コアの部分だよね」
N 「そうそう、自分のコアを正直に認めきったところで、それをやっていいんですよって自分を許すような感覚でそのまま出したので、全く無理がなかったんですね」
――当時っぽさを決める要素はいくつかあると思うのですが、それは音色、曲の構造、歌詞の英語と日本語の混ぜかたなどに出るのでしょうか。
N 「全部そうだと思います。ZOOの頃は佐藤ありすさんに歌詞を書いてもらっていたんですけど、今回は“ぼよよん行進曲”も一緒に作った田角有里と夫婦でやろうということで、ありすさんが導き出してくれたスタイルやニュアンスを踏襲するような部分はどこかにあったと思います。サウンドは小西くんなので、自分がやりたいようにやって、あとは小西くんにもやりたいようにしてもらいました」
K 「まんま当時の音です(笑)」
N 「鍵盤の音を煌びやかにしたいとは話したね」
K 「“キラキラにしてもいいかな……でも放っておいてもそうなるか”って言ってたよね(笑)。エレピとピアノが混ざった音とか、JAM & LEWISがよくやっていたようなスライドさせるベースとか、当時の小技がいろいろあるんですよ」
N 「あとは跳ねたリズム。真新しかったんですよね」
K 「当時ワクワクしたのは、Bobby Brownが流行って、ニュー・ジャック・スウィングが日本に入ってきて、圭三さんや僕らであれを日本のポップスとして落とし込もうとしていたんです。圭三さんが言っていたのは、ニュー・ジャック・スウィングはインドアなイメージがあるけど、ZOOさんはアウトドアなイメージとダンス・ミュージックが合わさっているのも特徴だと」
N 「僕らが志向していたもうひとつのサウンドとして、西海岸のイメージがあったんです。あの青空のイメージと跳ねているリズムが合体してZOOの“Native”が生まれたんですね。あれは化学反応だったというか、“リゾート感のあるダンス・ミュージック”というものが期せずして生まれたところもありました」
K 「その延長線上にあるのが圭三さんの作った“Choo Choo TRAIN”で、フィリー・ソウルがベースだけどスキー場の音楽という」
N 「そうそう、リゾート感のあるダンス・ミュージックというコンセプトを認めてくれる人がいて、ZOOでスキー・リゾートに行くというのをコマーシャルでやりたい、ひいては“Native”を作った人に新曲を作ってほしいということになったんです。そこは僕らが見出した独自の世界観なんだろうなと」
K 「そうして跳ねたリズムで青空が見えるような多幸感のあるようなサウンドができていったんですよね」
N 「今回、そういった自分たちのカラーを思いきり出そうということで、共通項として導き出された答えが“Never let it go”なんじゃないかなと思います」
K 「でも、曲を作ってくれという普通の発注だったらこれにはなってないよね?」
N 「90年代で、と指定してくれたからだよね」
K 「当時の圭三さんの新作やシングルだったらどう作るかなって考えて、圭三さんが歌ってもおかしくないようなアレンジにしました」
――その楽曲を受け取ったHiiT FACTORYのみなさんは率直にどう感じましたか。
R 「90sスタイルの音楽をやっている私たちのことをサポートしてもらっているような歌だなと思いました。特定の誰かというより不特定多数のみんなに響くような歌詞ですし、それを私たちが届けられるのは幸せなことだと思います。自分たちも歌いながら幸せになれるだろうなと思って、聴きながら泣いちゃいました」
Y 「Reyunaの好きなジャンルの曲だよね。デモの時点で中西さんのコーラスがすごかったです」
N 「いやいや」
Y 「音の響きを大切にされた英語の仮歌だったんですけど、今までのHiiT FACTORYにはない色のグルーヴ感だったので、これをライヴでパフォーマンスできるのは楽しみだなと思いました」
A 「楽しみ。みんなで歌ってひとつになれそうな楽曲だよね」
Y 「そういえば先日、DJイベントに出させていただいたときに、HiiT FACTORYのスタッフさんに次は中西さんみたいな曲をやってほしいと言ってきたファンのかたがいらっしゃったみたいで」
――なんと!予言者現る(笑)。HiiT FACTORYの傾向からその方向もあり得ると思ったんでしょうね。
Y 「レコーディング中、その人の願いが叶っちゃったじゃんって話してました(笑)」
――Reyunaさんは今回、どんなラップにしようと思いましたか。
R 「いつもは歌の部分の歌詞に似た雰囲気のものを書くんですけど、今回はもう少し自分の思いを入れたいなと思いながら歌詞をよく読んだんです。私が響いた部分は“信じて 迷う日々も全部”というところで、私は迷う自分に罪悪感を感じるのがイヤなんですね。でも、そのフレーズを見て、迷うこともちゃんと受け止めなきゃいけないよなって思って、みんなにも伝えたいけど、自分を支えられるようなラップを書きました。とはいえ自分の色を出し過ぎたくはないので、ラップが入ってきても雰囲気がガラッと変わらないような塩梅を考えながら書きました」
N 「素晴らしい入れかたをしてくれたと思います。歌詞の話で言うと、2番は90年代そのものというより90年代を俯瞰で見たかたちになっていて。バブル期で浮かれていた人よりも、今の人のほうが誠実に生きているかもね、という内容になっているんですよね。だからいまReyunaさんがおっしゃってくれたように、今の人なりに自分を優しく受け入れて一歩踏み出そうという気持ちになれる、2025年らしさもかたちになっているのかなとは思います」
――Airuさんは今回のレコーディング、いかがでしたか。
A 「私は中西さんの作られるような系統の曲……裏取りのリズムが得意ではなくて、デモをめちゃくちゃ聴きまくって、ReyunaやYuzukaに教えてもらいながら練習して挑みました。今までにはない緊張感がありました。これで合っているのだろうかって」
N 「練習の成果が思いきり出てましたよ。違和感を感じるようなことは全然なかったです」
K 「むしろリズム感いいんだなと思って聴いてましたよ」
A 「ああ、ずっと心配だったのでよかったです(笑)。あとは英語の発音が苦手なので、“C'mon!”の言いかたとかを褒めていただけたのも安心しました」
K 「すごくスムーズに終わったよね」
N 「全部で4本くらいしか録っていない中からテイクをセレクトして、それでまとまっちゃって」
K 「画的にはレコーディングが途中で止まって、壁を向いて泣くくらいのシーンがあったほうがおもしろかったのかもしれないですけど(笑)、そんなこともなく」
A 「逆に楽しくディレクションしていただいていたので、泣くのとは真逆の気持ちになれました(笑)」
N 「Airuさんはシンガーとして素晴らしかったと思います。デモは僕が自分で歌ったんですけど、年相応に遅れていくんですね(笑)。歌をこう乗せたいんだけど、このデモで伝わるかなと思っていたんですけど、そこはきっちりハメてくれて。僕がこうしたいんだろうなというところまで汲んでくれました(笑)」
K 「当時の人たちにこういうスタイルの楽曲を提供したりしたんですよね。そのときに上手に歌うかたもいたけど、乗りかたが違うかもなというかたも結構いたんです。でも、Airuさんは当たり前のようにこのリズムに乗って歌っていた印象でした」
N 「そうそう。不安を一切感じることはなかったです。バッチリでした」
A 「ありがとうございます!わかりやすく教えていただいて、こうやって歌ったらいいんだ、こういうニュアンスで作られたんだとわかって勉強にもなりました」
N 「場面によってリズムを細かく刻みたいところと大きく取りたいところがあるんですけど、そのニュアンスの説明を少ししたくらいで、ほとんどできてましたね」
K 「落ちサビを優しく歌ってみて、とかね」
N 「イメージした以上のものができたと思ってます」
A 「終わったものをフルで聴いてみたら鳥肌が立ちました。自分の声ではあるんですけど、歌いかたを変えてみたりもしたので、HiiTに新しい風が吹いたなと」
Y 「曲の最後にコーラスがあるんですけど、メンバーと中西さんの4人で1本のマイクに向かって歌ったんです。それをできたこと自体が楽しかったですし、完成したものを聴いて、曲が終盤に向かっていくときの盛り上がりかたが尋常じゃないなと思いました。どんどん気持ちが昂っていく曲だと思うので、早くリリースされてほしいなと思ってます」
N 「ライヴでやれたら楽しいよね」
K 「曲が浸透して、最後の部分をみんなで歌ったりできたら、さらに気持ち良いシーンになるだろうね」
――この取材の雰囲気からも穏やかな空気でレコーディングを終えたのだろうなと伝わります。
K 「ヒリヒリした現場もあるでしょうけど、僕らはいつもこんな感じでやってますね」
Y 「おふたりの雰囲気が柔らかくて、阿吽の呼吸で進んでいくので、それに身を任せていたらいつの間にか終わってました」
K 「ただ、昔の圭三さんはスイッチが入ったらすごくて。中野サンプラザ(東京・中野 | 2023年閉館)のライヴのときに僕はPA席のところにいたんですけど、盛り上がっていく中で(マイクを外して)“もうこんなのいらない!”とか言って地声で歌い出したんです(笑)。オケも出してるのに、PA席まで地声が聞こえてきたんですね。バケモンだなこの人、と驚きましたよ」
――すさまじいエピソードですね。
N 「盛り上がっていると、こっちも同じだけ返したくなるんですよね。でも、決して真似しないでください(笑)」
K 「今はこんなに穏やかですけど、ライヴで一緒になったりしたらそういう場面も見られるかもしれないです」
A 「えー!ご一緒したいです!」
N 「“Choo Choo TRAIN”が大ヒットしたという状態でZOOのコンサートが東京ベイNKホール(千葉・浦安 | 2005年閉館)であったんですね。僕はコーラスで参加したんですけど、“Choo Choo TRAIN”のイントロがかかった瞬間に会場がものすごく揺れたんです。自分の作った曲でこんなふうに盛り上がるのを目の当たりにしたのは初めてのことだったので、泣きそうになりました。それくらいのたまらない瞬間を表現する人として味わってほしいなと思うので、たくさんの人を巻き込んで、世界が変化していくところを体感してほしいですね。それがステージに立つ人の醍醐味というか、そうなったときの喜びってハンパないから、それを目指してやっていってほしいかなと思います」
――メールでの問い合わせから、ここまでの思いで曲を提供されるまでに至ったというのがすでに大きな関係性の変化だなと思います。
A 「本当に。まさか作っていただけるなんて思ってもみなかったので」
N 「喜んでもらえればそれに越したことはないですね」
――という感じで良い〆になったと思いますが、Reyunaさんがすごくメモを取られてますよね。中西さんに聞いてみたかったことはありますか?
R 「ええと、朝活をしていらっしゃるというのをインタビューで読みまして」
A 「Xで朝日の写真を上げてますよね」
N 「そうそう、朝が好きなんですよ。毎朝散歩に出かけていて。太陽が昇るときのパワーがすごくて、自分を許すという話が出ましたけど、そういう気持ちになるんですよね。朝起きたときに、生きているだけで幸せという気持ちになれるので、朝活を続けているんですよね。まぁ、これくらいの歳になると勝手に目覚めちゃうんですけど(笑)」
K 「昔から早かったよ(笑)。深夜にデモを送ると、圭三さんにとっては早朝みたいな感じだったりするんですよね」
N 「暗い時間に起きて、早く陽が昇らないかなって思ってますから(笑)」
R 「“Never let it go”の歌詞の冒頭が“眩しくて”なので、散歩されたりするときに思い付いたフレーズなのかなとか背景を想像してました」
N 「“あさペラ!”という朝をテーマにしたアカペラの曲を作ったりもしているので、そういう意味では朝モチーフも好きですね。朝のテンションを借りてメロディが生まれることもあります」
K 「アウトドアという話もありましたけど、そもそも風とか外の匂いが大好きなんだよね。圭三さんは一時期プロサンポリストって言ってたし」
N 「今日も五反田からここ(東京・渋谷の某スタジオ)まで歩いてきましたから。目黒川沿いを小1時間くらいですかね」
A 「すごい!私も散歩が好きなので、プロを目指そうかな(笑)。デモは散歩しながら聴いていたんですけど、めっちゃぴったりだったので、“Never let it go”がリリースされたら朝とか明るい時間に散歩しながら聴いてほしいです」
小西貴雄 Twitter | https://x.com/TakaoKonishi
HiiT FACTORY Official Site | https://www.hiitfactory.global/
Airu Twitter | https://x.com/hiit_airu
Reyuna Twitter | https://twitter.com/hiit_reyuna
Yuzuka Twitter | https://twitter.com/hiit_yuzuka
■ 2024年4月25日(金)発売
HiiT FACTORY
『Never let it go』
8cm CD 税込2,000円 | 数量限定生産
https://hiit-factory.stores.jp/
[収録曲]
01. Never let it go
作詞 中西圭三・田角有里・Reyuna | 作曲 中西圭三 | 編曲 小西貴雄
02. Parking of love
作詞 純・Reyuna | 作曲 東新レゾナント・石坂翔太 | 編曲 東新レゾナント
■ HiiT FACTORY solo show
"YOU & I"
2024年5月17日(土)
東京 渋谷 WOMB LOUNGE
開場 17:00 / 開演 18:00
前売 4,500円(税込 / 別途ドリンク代)
https://hiit-factory.stores.jp/items/67987a2e9dd5030260139cfc