磁場を動かすパンクの遺伝子
本稿では、当時のパンク / ニューウェイヴに魅せられ、自身の表現形態にもリアルタイムでは経験し得なかった者ならではの考察と憧憬 / 幻想を投影しているアライケンゴ(Catastrophe Ballet, 童子, 珠鬼)が、安田監督と対面。監督の目とレンズが触れたありのままについて語らいます。
取材 | アライケンゴ (Catastrophe Ballet, 童子, 珠鬼) | 2025年1月
序文 | 久保田千史
――どうぞよろしくお願いします。当時をご存知のかたと会うといつも自然とピリッとするというか、ちょっと緊張して眠れなかったんですけれども……
「え、いくつ?」
――27になります。だいぶ薹が立ってきているような感じですが。
「27で?」
――青焼きをいただいて『パンクス 青の時代』を読ませていただいたんですけど、こういう話を読むたびに、自分は若さを無駄にしたような気がします。
「いつ頃から始めたの?」
――バンド始めたのは20歳を超えてからでした。
「どういう入口だった?」
――洋楽を意識したのは父親が持ってたPINK FLOYDのレコードとかでした。
「ああ、そっち系の入りかたなんだ」
――監督は音楽への入口としてはお兄さんの影響が大きかったと、本の冒頭にありましたね。
「兄貴がたぶん君の親父さんと同じ世代で、ロックを幅広く節操なく聴くタイプでハードロックとかを聴いていたから、俺も中学の同級生と一緒になって聴いてたの。KISSとかQUEENとかDEEP PURPLEとか、お約束のやつをね。初めて観た外タレのライヴって武道館のKISSだったんだよ。初来日のときの。そうしたらその同級生が、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ | 秋田書店)っていう漫画の“きんどーちゃん”っていう主人公がパンク・ロックの格好をして“ウワー”って騒ぎ立てているのを、年賀状に描いて送ってきて。“これからはパンクだ。もうハードロックは古い”って言うわけ。それで“なんだパンクってのは”ってなって兄貴に聞いたら、雑誌に載っているSEX PISTOLSを見せてくれたのが最初かな。ピストルズってヴィジュアルと名前がもうすごかったから。それで、しばらくしたら兄貴がピストルズの輸入盤を買ってきてくれた。そこからだね」
――なるほど。
「本にも書いたけど、それからパンクっていう音楽をいろいろを聴くようになって、日本にもそういうバンドはないのか?って探したら、東京ロッカーズの人たちがパンクっていう名前を掲げてLOFT(東京・新宿)とかでライブをやっていた。それでパンクを観に行った。でもまあ、あまりおもしろく感じなかった」
――「ハードロックは終わりだ!」みたいな気持ちにはならなかった?
「ピンとこなかったんだよね。パンクはもっと刺激的なものだと思って行ったんだけど。あの当時って、たぶんTHE STRANGLERSが初来日した頃だったと思うんだけど、みんなね、パンクっぽくないのよ。ファッションが。誰も革ジャン着たり鋲を打ったりとかしていないし、まだみんな黒いコート着てんの。黒いパンツで細いブーツみたいなの履いて。髪は立ててたけど、Dr.Martens履いてる人もいなかったし。音自体も、なんかいまいちズドンと入ってくるようなインパクトはなかった。要は文学臭があるっていうか、アカデミックな感じがある、頭のいい人たちがやってんだろうなっていう感じで、なんかイマイチ刺さらなかった。FRICTIONも音はすごくかっこいいんだけど、歌詞とか歌の入れかたがテクノポップっぽく感じたんだ。でもピストルズとかはヴォーカルが、歌とか歌詞の内容がすごかったから。そういうのを期待していたら、違ったんだよね。その後に、本にも書いたけど、アナーキーをたまたま発売日にレコード屋で聴いて、こっちのほうがよっぽどパンクだと思ったわけ。それから町蔵のINUとか、SSとか、AUNT SALLYとか“関西NO WAVE”を知ったんだけど、彼らのほうが全然パンクだと思った。東京よりは関西勢のパンクのほうがぶっ飛んでるなと。特にINUは衝撃的だったね、(町田)町蔵って同い歳だったし。そうこうしているうちにハードコアが出てきた。ハードコア勢は全部同世代なんだよね。横山(SAKEVI)も、GAUZEのShinとか、BAKI(THE EXECUTE)とかラフィン(LAUGHIN' NOSE)のCharmyとか、THE COMESのMinoru君とかもみんな同い歳かひとつ違いとかで。だから同世代がやっているっていうことでそっちに惹かれたんじゃないかね」

――そういった当時のライヴの様子やポートレート、エフェメラなど、『パンクス 青の時代』には視覚的な資料も豊富に掲載されていて、読むだけでなく観る分にも非常に楽しめる作りになっていると思います。ところで、ひとつ目を引いた写真があって……。「事件を起こした出演予定バンドのメンバーをライヴ会場で視察する刑事」とは一体どういう……
「このときはライヴが始まる前に警察沙汰になって捕まった奴がいたんだよ。誰とは言わないけど(笑)。日曜の昼間からのイベントで、そもそも数人しか客のいないライヴだったんだけど、捕まえた警察関係者が3人くらい様子を見に来て。人がいないから余計目立つのよ。モヒカンの隣に刑事がいる対比がおもしろいでしょ。スーツを着た刑事が、日曜の昼間から職務中なのにビール飲みながら。パンクスの煽りに手を挙げたりしてたよ。“ヘーイ”つって」
――ある意味平和なワンシーンですね(笑)。
「まあ『パンクス 青の時代』にはハードコアやG.I.S.M.のことはけっこう書いたけど、基本的には俺が映像として関わっていたから書いているわけで、他のMVやライブ撮影とか映画の話も書いてある。だからハードコア・パンクの話だけをしたくて書いたわけじゃないし、80年代だけを書きたくて書いたわけでもない。ましてやタブロイド的な、2ちゃんねる的なことが書きたいわけじゃ全然ない。もちろん、そういう話はもう1冊書けるくらいいっぱい見てるけど。でもそんなのはただのゴシップ、都市伝説の事実であって、自分の映像やクリエイティヴとは関係がないし、それが好きな人は他でいくらでも探してくれって思う。この本を描いたのは、みんないっぱい死んじゃったから。コロナ禍を経てバタバタ死んじゃって、自分もいい歳だし。例えば本に書いた、横山がG.I.S.M.で暴力を止めるっきっかけになった話とかは、俺が残さないとたぶん誰も知らないで終わる話だよね。実際そこからG.I.S.M.の音やパフォーマンスが変わってるのとかっておもしろいじゃない。そういうことはちゃんと残しておきたいなって思って本にまとめたんだよね」
――実際、読み進めるにつれて、横山さんのファッションがミリタントなものから、ストリート風のスタイルへ変化していくのがかなり印象的でした。また安田監督から横山さんへの呼称も「横山さん」から「横山」へ変化していますよね。
「だって、会っていきなり“横山さあ”なんて言ったらぶっ飛ばされちゃうでしょ(笑)。当時よく彼の家に通っていて、ずっと“さん”付けで呼んでいたら、あるとき”タメだから、横山でいいよ。さん付けはやめろよ”って言われたからやめた。横山のスタイルについては俺が彼の代弁をするわけにはいかないけど、俺が見ていた感じでは、彼の意識の変化に合わせてスタイルも変わっていたんじゃないかと思う。彼はすごくいろいろな音楽に精通していたし、ファッションのことにも敏感で、新しいものを取り入れていたから。それこそスケシン(SKATE THING)もよく彼の家に行っていたみたいだし。ストリート系のスタイルへの変化は、そのへんがきっかけだったんじゃないかな。アーティスティックな活動をしていたわけだし、そういう人脈の影響もあって、ストリート系のほうへいったんじゃないかなと思う」
――しかしそれとは別にサウンドやパフォーマンスにおいては一貫した思想があったということでしょうか。
「サウンドっていうよりは、G.I.S.M.という存在や横山自身のパフォーマンスの在りかたにね。内田が作ってきた音、曲に対して、横山がどうこう言うっていうことはほぼなかったんだよ。俺が見ている限りでは。『soniCRIME TheRapy』というアルバムは別にしてね。変な話だけど、今振り返れば内田の楽曲があった上での横山のパフォーマンスがG.I.S.M.だっていうことはわかる。だって両方ともハイクオリティなエンターテインメントだから。ポップな曲と、キャッチーなメロディで。でも当時は、後ろに流れているのが別にガムランでも演歌でも、横山が歌っていれば全部G.I.S.M.だなって俺は思ってた。後ろがいなくても成立する、それくらい強烈なものだったから。でもそれを逆に内田の個性で、メロディアスな曲にあのデスヴォイスで叫ぶっていう組み合わせが抜群におもしろかった。まあ初期は曲もDISCHARGEみたいな感じで、横山の歌も全部アドリブで、それもものすごかったけどね。だって『DETESTation』のレコーディングが終わった時点でみんな20歳とか21歳だから、すごい才能だよね」
――当時のジャパコアの音って、僕は大好きなんですが、とても良い音とは言えない不思議なプロダクションのものが多いですよね。
「まあね。でも、そこに関しても横山は相当緻密に意識してコントロールしようとしていたと思う。『soniCRIME TheRapy』の頃なんて、高いクオリティでハードコアの音を録音する技術はすでにあったし、そういうエンジニアもいた。でも彼はそういうのを嫌がって、あえて音域を狭めて宅録みたいな音にしろってこだわってたからね。そもそも“良い音ってなんだ”っていう話で、音楽マニアの人たちがいいスピーカーで聴くための音なんか何も必要ない。いかに刺激的で、自分たちのひとつひとつの音が相手の脳に突き刺さるか、嫌悪感や、同時に高揚感を呼び起こすことができるかっていうことを突き詰めていたから。彼らには何か比較対象と自分を比べて、自分たちがどうあるべきかなんていう意識はなかった。ただ自分がやりたいことをどう露出するかが目的だったわけで、“こうやったらおもしろいだろう”っていう話だけしていた。『ガスバーナー・パニック』(1986)の映像だって1台のカメラでワンカットじゃん。普通、誰もそんなの発売しないでしょ(笑)。横山がステージを降りたら俺も付いていっちゃうし、カメラ1台しかないのに。でもその臨場感のあるリアリティこそがG.I.S.M.だったし、それを“おもしれぇじゃん。出そう”って言えるのが一番すごいところだよね。ヴィデオを出すってなったら、普通の作りかただと、ライヴも複数台カメラでちゃんと撮って、オフステージのドキュメンタリーも入れて、音質はできるだけクリアにバランスを良くして……ってやりたくなる。でもそういう世間的な基準は一切関係ない。金がかかってなかろうが画質が悪かろうが関係ない。表現は本来もっと自由なはずなのに、周りと比較して、善し悪しのジャッジメントをそこに依存させることほどバカらしいことはないわけ」

――『DETESTation』のジャケットが内田さんだということは今回初めて知りまして、他にもビラのアジ文なども書かれていたのは正直意外でした。
「まあ俺は内田とはあまり深く喋ったことがないんだけど、内田も横山も大学の芸術学部かなんかでインテリだったし、物事を本質的に見るみたいなところが優れていたから話が合ったんじゃないのかな。俺も最初はデザインは横山がやっているものだとばかり思って聞いたら、“ああ、内田の作ったアレだろ”って言っていて驚いたよ。まあとにかく2人ともクレバーだった。そうじゃなきゃバンドがああいう風にはならないよね」
――同時期には「ハードコア四天王」って呼ばれる存在があったわけですけど、例えばTHE EXECUTEは個人的に好きなバンドですが、あまり情報が残っていませんね。
「すごい硬派だったよ(笑)。当時いわゆるハードコア四天王(G.I.S.M., GAUZE, THE COMES, THE EXECUTE)が同世代くらいで、THE CLAYとかL.S.D.はちょっと若い世代っていうイメージだった。EXECUTEはとてもストイックだと思ったよ。余計なMCとか一切しないし、ダラダラした雰囲気もないし、メディア露出も自らはしない、でも演奏力という点では群を抜いて高くてカッコよかった。本に書いた鹿鳴館(東京・目黒)のライヴのときなんかは、GAUZEだと客はバカ乗りするんだけど、THE EXECUTEのときはもうみんな黙って観ちゃうみたいな感じになって。大阪のバンドの奴が“あんなええライヴなのに、なんでみんな踊らんのやろ”って言ってたな。でもあの頃は本当にどのバンドもみんなカッコよかったよ。客もおもしろかったし。自分はハードコア自体にはあまり造詣が深くないし、同時代性を感じていたわけでもないけど、やっぱり場としてのエネルギー体には興味があった。横山は特にそうだけど、圧倒的な人はやっぱり撮っていて楽しいわけよ。何が起こるかわからないから。それはメチャクチャすることを正当化しているわけじゃなくてね。本に書いてある、石井聰亙(岳龍)監督とハナタラシを観に行ったとき、山塚(アイ)が火炎瓶を仕込んでいたエピソードを以前ネットに書いたら、“爆弾を作ってるヤツを放置したら死人が出るのに、それを見て見ぬふりとかコイツらみんな狂ってる”って言われて。でも実際に狂ってるから(笑)。頭がおかしいんだから。それが正しいとかって言いたいわけじゃなくて、ただあった事実を書いているだけなんだ。でもおもしろい、それが(笑)。『ちょっとの雨ならがまん』って観た?」
――実はまだ……。恐縮ながら今回インタビューにあたってどこかで観られないかと探したんですけど、いただいたいたゲラを読んで「あっ、ネットには載せないことにしてるんだな」と。
「デジタルにさ、今の時代にヴィデオ化するとするじゃない?そうしたら絶対にデータ化されてYouTubeとかに載るじゃない。それは商品価値としてはもう終わりなわけでしょ?できればやっぱり、フィルムで、映画館で見て……何かをしながら観てほしくないわけ。正座して観てほしいわけ、映画は。好きな映画をドキドキして没入して観てほしいから、それにはやっぱり映画館で観るのが一番いい。だから、他では出してないっていうか。映画館までわざわざ来て、観てくれと。そこで縁がない人は、まあ、いいかっていう(笑)」

――音楽もそうですけど、全部ネットの上で一緒くたに一様に提示されて、観る人、聴く人がそれぞれ自分に合わせてただ選ぶだけみたいになっているのが今のスタンダードですけど。表現する側としてはなんか嫌だなと思いつつ、その恩恵に預かっているというアンビヴァレントな葛藤があるんですけれども。
「インターネットとかを含めて、デジタルが普及した今の状況って、それはそれで俺はけっこうピースフルな世界だなと思うわけ。みんなが平等だし、偉い人もそのへんの中学生も並列に並んで、玉石混淆しているっていうか。情報として非常に平等なウェブの中から何を選ぶかっていう話になるから、それはそれでみんなの意識がシフトした、いいことだなって思う。なんていうか、パンクが変わり続けていく中で、“ロックが終わって、パンクになりました、パンクが終わって、テクノがきました、ヒップホップが出ました”っていう状況で、自らのスタンスとしてパンクであり続けることを考え、一番革新的なパワーを持つパンクなものってなんだ?ってなったときに、YouTubeとかウェブっていうのはそれ自体がとてもパンクだな、って思うんだよね。既成概念を壊して、誰でも3コードでその日のうちに覚えて歌えるぜっていう感覚で、誰でも自分の番組が持てて、誰でも自分の曲を発信して。メディアとして、YouTubeとかがパンクの正当な継承者なんじゃないかって思う。パンクスとしてはね。でも作品は見てほしいし、ライヴもちゃんと観てくれって思うけど、ゴロゴロしながらとか、スマホ眺めながらとかだったら嫌なわけじゃない。ちゃんと向き合ってほしいし、自分も向き合いたい」
――G.I.S.M.とか、ハナタラシもそうですけど、彼らの存在って、今みたいに情報が一様になっちゃう世界では成立し得ない気がするというか。偏在性があって、まだ誰もが自由に発信できないような、情報が御しやすい時代において、SAKEVIさんや山塚さんはある種のメディア・コントロール戦略として取り組んでいたんじゃないかという印象がありますけど。
「うーん、インターネットがないから成立していたと言ってしまえばそれまでだけど、でもやっぱり、そう言ってもパンクに影響を受けた人の中で、似たようなことをやろうとしたバンドとかアーティストっていっぱいいると思う。でも、やっぱりハナタラシとG.I.S.M.はパフォーマンスや表現に向かう意識も才能も含めて圧倒的にエンターテインメントだったんだよ。だって音楽を知らなくてもおもしろいじゃん(笑)。みんなでジェットコースターに乗ればドキドキするし、っていうノリでライヴに行けたっていう。ツールとしてハードコアっていうジャンルをやっていたけど、別にハードコア・パンクをやろうと思ってやっていたわけじゃない。横山は自分のやりたいことと、パフォーミングアーツとして観客も巻き込んだ上で、非日常体験をどうやって現出させるか、それをすごく緻密にデザインして作っていたわけだよね。もちろん行き当たりばったりの、ある瞬間での圧倒的な存在感もあったけど。山塚だってすごく考えていただろうし。それは狙ってやっていることだから。それをさ、 例えば最近ライヴハウスで火つけて問題になった奴とかいるじゃない?若い子で。かたちやスタイルを真似て気合い入れてやればいいっていう話じゃないんだよ。DOMMUNEでJOJO広重さん(非常階段)たちとも話したけど、若い彼らと横山や山塚のどこが圧倒的に違うかっていうと、いつもある限界をギリギリ超えるか超えないかっていうところ、限界のもうひとつ上の臨界点を超え特異点に達することを常に意識してやっていた。やりすぎると死んじゃうわけじゃん。人を殺しちゃうとかさ、自分が死んじゃうとかっていうギリギリのところ。それを究極まで突き詰めて、結果的にエンターテインメントに昇華させたところが特別な才能だったと思うよね。若い子たちがそれを見て“おもしろいから火つけようぜ、破壊しようぜ”ってやっても、アマチュアの自己満足のレベルを決して超えないのよ。なんでかって言ったら、まったく自己を捨てないままで型だけ模倣してる。パフォーマンスに生命かけて臨界点ギリギリまで突き詰めて、追い込んではいないわけ。かたちから入って雰囲気だけブチ切れて、それっぽいことをやっているだけだから、そもそもの次元が違う。そういうのって観ていてイタいよね」

――そうですね。
「そういうものは自己満足で自己完結しているから影響力はないよね。エンターテインメントにはなりえない。自己の衝動をエンターテインメントに昇華するっていうのは、死とか破壊とかを含めて、本当にギリギリの臨界点までいくこと。その上で衝動は初めてエンターテインメントになる。それが一番重要だと思うし、それが一番おもしろいと思う。非日常のエンターテインメントというのかな。例えば、言葉にすると悪いけど、いろいろな自然災害が起きている。それって非日常の中にある“生きる、生きている”って強烈に実感する瞬間でもある。人間はその非日常を刺激に感じることができる気がする。小さい頃、台風や地震が来るとワクワクしたよね。不謹慎だけど。非日常の出来事が起こると、なぜかワクワクする。自然災害の前では僕らは、自分が考えてきた人生に対してのイメージとか先入観とか、常識的な発想とかっていうのがいかに役に立たないかっていうのを、身をもって知るわけ。あ、簡単に日常はなくなるんだなと。でも、そのときが一番生きていると感じている自分もいた。臨界点を体験したから。もちろんそれを求めているわけじゃないけど、自分がそのとき、パニックを起こす以上に、どこか非日常に対して“生”を感じている自分がいるのを見つけてしまったっていう感じ。こういう話をすると、災害になって喜んでんのかとか、被災した大勢の人の気持ちを考えろとか、コンプライアンスだとかっていう話になるわけじゃん。でもそれって、誰かに作られた倫理とかの話で、そんな話はしてないのよ。心は死ぬほど痛かったし、自分にできることを全力でやってる。コロナが収束してきたとき、良かったと思う反面、あれもう終わるのかと思った。これも亡くなったかたとか、病院で働く人からしたらふざけんなっていう話だけど。非日常的な空間の中において先が見えなくなって、じゃあこれからどうするんだとなったときに、いろいろなものの本質が見えるじゃないですか。それがおもしろいし、学びや発見になる。コロナも、みんなもっと早く終わると思っていたけど、数年続いたじゃないですか。それで最後にダラダラと終わりだしたときに、もう終わりかよと思っている自分がいたんだよ。でもまあ口には出せないよね、そんなこと」
――経験したことのない状況に対して、未知の不安と何か高揚感の混ざったような気持ちだったのを覚えています。
「だって、誰も明日がわからないっておもしろいよね。だからあえてその時期に映画も撮った。だから、何度も言うけど災害が良いっていうわけじゃない。でも、それとコンプライアンスとか正義とか本当は実在しないものをごっちゃにすると、いろんなことが見えなくなる。でもみんなそういう誰かが知らないうちに作った物差しで世の中を見ているんだよね。“それって人としてどうなの”って言って、常識を武器にした奴らが、正義を背負ってやってくるわけじゃない?今の時代。でも、ついこの間まで国を挙げて零戦に乗って爆弾を持って死ぬことを正義としていたわけじゃん。あのときは国全体がそうだったわけで。あれから何十年も経ってないよね。今の世の常識で、“私はこうしなければいけない”と僕らが思っていることは、本当にしなければならないのか、そもそも誰がそう決めたのか。いつおまえはそれを覚えたんだ?誰に習ったんだ?って思うわけよ。その常識と正義はどこから来たの?法律?それとも誰かに教わったの?って言うと、わりと曖昧な人が多い。そういう常識や正義に対しては常に疑って考えてる。あまり信用していないっていうか。だから娘にも、日本にいて法律は守らないと罰せられるけど、どの法律が守る価値があるかないかは、自分で考えたほうがいいよ、って教えている。そもそも全く信用していないから、国とか、法律自体を。それはもう物心ついたときから。でも国に対して全力でアンチの旗を掲げて、左翼的に体制を倒すとか全く思ってないんだよ。保守とか左翼っていう考え自体が常識の範疇で、便利に作られたものでしょう。もっと有効にシフトしていく答えは全く別の次元にあるはずだと思ってる。今は情報が多いだけに、何を選択するかっていうときには、“常識”とか“一般的な感覚”とか、外部の物差しをアテにしないほうがいいなって思う。そのジャッジメントにおいてね」

――そういったスタンスというのは、ご自身の中ではどのように辿り着いたのですか?
「元はやっぱりパンク・ロックから受けた影響が大きかったところから、自分でいろいろなことをこの歳までやってきた中で、意識の変化があって……。例えば、愛があるじゃないですか。破壊があるじゃないですか。人間は善悪の二面性があるとかよく言うじゃない。これって二面性じゃなくて、もともと同じもので、ずーっとあるバランスで釣り合うように“ある”んじゃないのかなって最近思う。愛っていうと、創造と破壊で言ったら創造だと思うじゃないですか、ピースフルな愛。その反面に破壊とか殺しがある。最初はそんなイメージで思っていたんだけど。この歳まで生きて思うのは、破壊と創造の両方あって初めて愛と言うのだと。殺人も誕生も、戦争も平和も、相反するふたつをひとつにしたものを愛って言うんだなって最近思うようなってきた。だから分けること自体もおかしいっていう。俺の周りにも“それは違うよ、ふざけんじゃねえよ”って奴いるじゃないですか。そういう人に出会っても“あ、これアリなんだな”って思うようになってきた。そもそもそいつのほうが正しくないって言えるほどのものを自分の中に持っていないし。もちろん自分は破壊とか、いわゆる非人道的な、他人の何かを攻撃するようなことはやらないようにしていると思うけど、でも、そんな破壊行為でさえ、生命が存在するためには必須なんじゃないかなって感じることがある。神に創られているからとか、そういう話ではないよ」
――ええ、もちろん。
「もともと、映画を撮りたいとか絵を描きたい、ジャンルで言うと文系の出じゃないですか。物事の捉えかたもそう。でも40代後半から古典物理とか量子力学とか学んでそれが好きになったんですよ。そのほうが物事の本質を捉えやすいっていうか。だから物差しとして文系と理系の両方一緒にあったらもっとおもしろいと思って勉強するようになって、感情や常識に流されずに物事をより冷静に考えるようになってきた。科学に置き換えたり、原子に置き換えたりして考えてみたりする。人間の感覚だけで見ると単に好き嫌いの選択になっちゃうから。例えば、世界ってミクロ / マクロだと思うから、ざっくり言うと細胞も人間も宇宙も同じようなシステムとバランスで構成されていると思うんだよね。だから身体の細胞の中にはさ、身体を安定させようとする細胞と、古いものを破壊して新しいものを取り入れようとする細胞があって、そういう働きで人間は日々、新陳代謝を起こしながら生きていく、続いていくわけじゃないですか。この構図を人間同士とか、社会に置き換えてみたりするわけ。そうすると好き嫌いとは別の判断方法が生まれてくる。“このクソみてえなサラリーマンどもは何も考えねえでただただ消費して、機械のように働いてみっともねえな”って、ありがちなパンクに染まっていた時代なら言っていたとするよね、攻撃対象として。でもそれは、安定を維持する細胞で身体には必須で大切な細胞、俺とは単なる役割の違いなんだよね。だから“この人たちはこういう仕事の細胞なんだな”って思うようになる。そこで、自分の働きとは違うけど、相手の行動を否定することはなくなるわけだ。そういう意味で、新しく生まれるために自らを殺していくような殺人細胞もあるだろうなと思う。危険分子だからそいつを取り除いてなくせばいいかといえばそうじゃない。そいつを切っても、別の安定するための細胞が生物学的に相転移を起こして、破壊する細胞にひっくり返るだけだったりする。だから、自分にとって面倒でもそんなに嫌な存在だと思わなくなってきて、わりと誰でも愛おしくなってきた。好き嫌いで見なくなったから。昔はさ、都合で見るじゃん。“なんでコイツこういうのわかんねえんだろう”とかさ。でもそれはわからないんだよね。そもそも役割が違うし」
――ありがとうございます。
「“ありがとうございます”って(笑)」
――自分の父親は生物の教師をやっていて、動的平衡とか、壊れながら創られるっていう観念がある種の世の中の理として、幼い頃から自分の中に織り込まれてきたと感じます。生きるという仕事は、そういう世界の中で自分の在りかたを闘い続けることだと。公務員なのに随分パンクな発想だなって昔は思ってましたけど、今となっては自分自身のパンクネスとして引き受けつつあるというか。近い話だと思うんですけど。
「同じだよね。それで何か、音楽でも、パンクでも、ジャンルを持って型を持ってくるとさ、パンクの中自体で安定しようとする細胞と、それを破壊して新しいことしようとする細胞が生まれるわけじゃない。俺は自分がどちらかっていうと安定する細胞よりは、体質として流動的に変化していくことを望む細胞だとよく理解しているんで。だからさっきみたいなこと言うんだよね。“コロナもうちょっと続かねえかな”とかね。新しい、何か変化が起きているところを好んで、それを拡大して、さらに全体に影響を及ぼせるようなことを考えて創ることにとても意義を感じている。善し悪しはわからんよ。でもいつもそういうことばっかり考えてる。どうやったらおもしろいか」

――そういう考えかたは、今でも当時でも、誰かと共有されたりしているんですか?
「『ちょっとの雨ならがまん』を一緒に作った唐原(理恵)さんとかもそうだし、本に出てくる町蔵バンドの川上(啓之)君なんかもそう、今、鹿児島で一緒にフェスを創っている野間太一とか、それこそG.I.S.M.の横山はそういう話にすごく造詣が深かった。ステージ上は別にして、2人で対峙していると非常にクレバーな人なので、もう永遠にそういう話をしていたよね。そもそもインターネットがない時代だったから、どこからこういう情報を得たのかな、っていう。やっぱり大抵は読書なんだけどね。パンクがどうこうっていうよりかは、世界とか社会とか、人間とか戦争とか宗教のありかたをとても良く考えていたし、知っていた。その上でそういうものをこのジャケットに盛り込んでこうなってんだよとか、ここのこれに置いているのはこういう意味なんだよって、適当に置いているものはないわけ。全部ひとつひとつに意味を持たせてG.I.S.M.のヴィジュアル・デザインもやっているし、そういうことは徹底しているし……まあそれはどんなアーティストでもそうでしょ?」
――そう思います。
「君だって何かをやるときに、他人に伝わるかは別として、向かい合ってひとつひとつに自分の意味をキッチリ置いてデザインしていくわけじゃないですか。そこがしっくりこないと納得がいかない。選択肢を探りながらどれがベストかとやり続けるわけだし」
――G.I.S.M.のアートワークにはかなり戦闘的なモチーフが多いですよね。今もウクライナ、ガザと激しい戦闘、虐殺が起きているわけですけど、戦争もある種エンターテインメント的な側面が強いと思っています。露悪の極み、人間の獣性の著しい顕れであるエクストリームな状況が情報として日常を席巻していますが、そんなときに激しい音楽にできることは如何ばかりかと思ってしまうのですが。
「そこで問題なのは規模じゃないよ。意識の差だと思う。G.I.S.M.で言えば、横山だったら、大きな規模の何かがあったとしても、それに対抗すべく大きな何かを作ろうとはしないと思う。実は人間の個が持つエネルギーや意識の具現化の強度っていうのは、あまり規模や大きさに関係ないんだよね。もちろん影響力も。でも相手の大きさを観察した時点で、自分の意志とエネルギーが相対して小さくなっちゃうわけ。相手と自分のやろうとしていることが同種であったときに、比較を始めるとエネルギーの持つ方向性が本質からブレてくるんだよ。破壊ではなく相手との調和に向かってしまう。そうするともう影響力はなくなってくる。だからそこを一切ブレずに限界ギリギリまで突き詰めてやり続けると、G.I.S.M.みたいな無限パワーのエンターテインメントが成立する。そのとき、観客はそれらがライヴハウスなのに、世界で起っている戦争と同等の質量だって感じるんだよ。観た人は“ファッションだけあんなゲリラみたいなカッコして”って言わないの。だって、本物と同じだから(笑)」

――今現在新しいと感じるもの、文化、音楽はありますか?
「いや、もちろんライヴは仕事でもたくさん観ているし、ライヴハウスもよく行くけど、たぶん何かを語るほど追いきれていないと思うな。でも若い人、20代の子たちとライヴハウスとかで一緒にものを作ったりするのはずっと続いていて、彼らと話していると新しいなと思う。考えかたが、やっぱりみんなすごくクールだよね。だから政治でもさ、政治家のジジイたちがいっぱいいるわけじゃない。それが全部死んだら……さっきの生物学的相転移の話も含めりゃまた同じかもしれないけど、でもいい加減死んだほうがいいわけじゃないですか。辞めてくれれば死ななくてもいいんだけど。本当に60歳以上って、指導者にはほぼいらないような気がするんだよな。まあ、その話は置いておくとしても、もう一部の人たちが意識的にもかなりシフトしていると思うのよ」
――シフトしている?
「さっき言ったようなミクロ / マクロ観で言えば、人間って自分の中にないものは作れないと思うから。一緒に悪いことしようぜってつるんでも、絶対悪いことができないクラスメイトっていたじゃない?あれはさ、そいつの中にないんだよね。悪いことをするっていう考えそのものが。ないから出てこない。“なんでわかんねえんだよ”って言っても、ないものはないんだよ。自分にあってもその人にはないわけ。その逆で、コンピューターを人間が作ったとしたら、自分の中にコンピューターと同じシステムがあるんだよ。だからかたちにできる。人間が発明するものは、人間の身体とか脳とか意識も含めて、その体の中に同じ構造のものが全部あると思うわけ。だからインターネットやクラウドも同じだと思う。みんなで考えた情報や知識が、とある場所に保存してあっていつでも自由に引き出せるっていうのは、人間の身体の中にも、あるいはアカシックレコードというかたちで宇宙的にも、システムとしておそらくあるんだろうと思う。本にも書いたけど、そういう意味では、インターネットがあること自体、実はすでにアセンション(人類の次元上昇)は一度終わっていて、それにみんな気付かないくらい自然にシフトしたんだと思う。ネットやスマホをいじっているうちに。うちの甥っ子とか、小さい頃から普通にスマホをこうやって、なにかっていうとすぐ調べる、いわば知識をダウンロードしているわけじゃないですか。昔俺らが図書館に行ったり、人から口伝で聞いて知ったりしたことを。もちろん体験から得た学びや智恵と、単に見て得た情報とでは質量と有効性がまたちょっと異なる気がするけど。でも少なくとも人間という生物の情報形態としては、明らかにシフトしていると思うわけ」
――人間の在りかたそのものが新しくなっていると?
「うーん……。一方で俺らはやっぱほら、まだ昭和の人間だから原始人だよね。いまだに根性論で物を言うし(笑)。でも根性論って、人間のエネルギーの集約力っていうか、意志の集束力だと思うんだよね。意志の質量が高ければ高いほど、物事を具現化できるし、そこに注目した“細胞”たちが群がるように集まってくる。その動きがもっと大きな全体へ波及したら、グルーヴになったり、エンターテインメントになったり、ムーヴメントになったりするんじゃないかなと思う。それをいろんなところで起こしていくのがパンクだと思うな。パンクの影響を受けた人がファッションの世界にいたり、アートの世界にいたり、フードの世界にいたりして、それぞれの意味において自分のパンク・スタイルでやっているわけじゃないですか。それぞれのポジションの中で、パンクに影響を受けた細胞としてそれぞれの場で磁場を動かしてアクションを起こしていく。そういう人たちを、俺はパンクの遺伝子だと思う」
■ 2025年2月7日(金)発売
安田潤司 文・著
『パンクス 青の時代』
DU BOOKS | 2,600円 + 税
四六変形判 | 360頁
ISBN 978-4-86647-237-9
『ちょっとの雨ならがまん』監督 安田潤司の自伝的エッセイ。
パンクシーンの最重要記憶と記録、ついに解禁!!!
1981年、突如産声を上げた日本のハードコアパンクは、GAUZE、G.I.S.M.、THE COMES、THE EXECUTEを中心に広がり、THE STALIN、町田町蔵、ZELDA、じゃがたら、などと共に、シーンを席巻していった……。
[主な内容]
初めてのハードコアパンク / アナーキー / 麻薬と買春の街で見た映画『狂い咲きサンダーロード』 / 下北沢五番街レコード / GISM BARMY ARMY / 横山SAKEVI / 法政大学学生会館ホール 東京バトルデイズ1 / PUNKS 5DAYS池袋文芸坐ル・ピリエ / 記憶喪失 東京バトルデイズ2 / ラフィンノーズ ソノシートばら撒き / ハナタラシ / ガスバーナーパニック / BEAST ARTS発足「黙示録 Apocalypse 666」 / 飴屋法水 x 横山SAKEVI / MASAMI 追悼GIG / DJ KRUSHとTOKYO DEEP / +R GISM 永久凍結 / Ustreamとライブ配信 / 2011年3月11日 / 烈波壊虐音群突入911 / くそったれの世界
ほか