Interview | KUANG PROGRAM


また前に進まなければ

 2012年から、ソウルのアンダーグラウンド・シーンで最も大胆な音楽を作っている2人組のバンド・KUANG PROGRAMが今年6月、初の日本ツアーを行う。これまで数多くの国外アーティストのゲスト・バンドを務めただけでなく、3枚のフル・アルバムをリリースしてきた彼らの活動の変化をタイムラインに沿って見てみようと思う。KUANG PROGRAMを活動当初からずっと追っていた筆者(Park Daham | Helicopter Records)が、その中心人物・Choi Taehyun(최태현, チェ・テヒョン)に取材した。2010年代ソウルのアンダーグラウンドから現在までをまとめた、このインタビューをチェックしてください。

取材・文 | Park Daham | 2024年4月
協力 | パンス


――初めて観たのは、トゥリバン(*1)でKUANG PROGRAM以前にChoi Taehyunとして活動していた頃ですが、その当時もPCやギターを使って演奏していたのを覚えています。のちにEP(『This is the end of us』2012)に収録される「Robinson Crusoe」などを歌っていた記憶がありますが、当時どんな音楽を演奏していたのか話してもらえますか?

 「最初はソロで、クラシック・ギターに紙テープで適当に貼り付けたiPod nanoでトラックを再生しながら演奏していました。ました。“Robinson Crusoe”はかなり初期のソロ曲で、バンド音楽(バンド編成)に対する私たちの熱望が込められている曲です。しかし当時の私はひとりでした。“Who Cares”や“Red Blue Green”、そして『This is the end of us』に含まれていた音楽はすべてソロ曲から始まりました。部屋の隅でギターを弾きながら作った曲たちで、自らに対する自壊感、赦し、愛、懐かしさ、破壊、ふわふわした感覚について歌いました」
*1: 弘益大周辺にあったカルグッス屋のトゥリバンは2009年12月、近隣地域の開発を施工する建設会社側の用役(ヨンヨク = ヤクザ / チンピラ)によって追い出されたが、用役が設置した鉄製の垣根を解き、撤去反対の座り込みを始めた。状況を聞いた音楽家たちが、社長夫婦と連帯するために2010年2月から毎週土曜日にトゥリバンで「土曜自立音楽会」というタイトルのでライヴを企画し、Choi Taehyunもこの音楽会にPark Dahamの企画で参加した。トゥリバンの活動についてはドキュメンタリー映画『パーティー51』(2013, チョン・ヨンテク監督)でも確認できる。

KUANG PROGRAM
2011年に初めてトゥリバンでライヴを行った際のフライヤー。

――最初はドラマーのKim Younghoon(김영훈, キム・ヨンフン)(*2)を迎え入れて、Choi Taehyun + Kim Younghoonとして活動したのち、KUANG PROGRAMという名前になったんですね。バンドとして活動しなければならないと決心した理由は何ですか? そしてバンドを2人組で結成したのはなぜでしょうか?
 「ソロ以前にも、他の人たちとバンドを組もうと準備してライヴをやったたことがありました。でも気持ちや状況が合わず、むしろひとりでやったほうがいいと思ったので、曲を作って弘大クラブ・オーディションに参加しました。そうしてソロ活動を始めた後、トゥリバンでのライヴを起点に私の作る音楽が意味のある空間で適切に受け入れられたと思えて嬉しかったです。自然にもっとしっかりやってみたいという欲が出てきて、ライヴに最大の効果を与えることができるのは、やはりドラムではないかという単純な考えで、ドラマーのKim Younghoonに一緒に演奏しようと提案しました。最初はチームの名前を決めるのがとても負担で、それぞれの名前で“Kim Younghoon + Kim Younghoon”として始め、2人での活動が続く中で、友達の助けを借りて“KUANG PROGRAM”という名前に決めることになりました。この時点では、2人組で活動し続けるという考えはまったくありませんでした」
*2: Choi Taehyunと一緒にバンドを始めたドラマー。以後シンガー・ソングライターLang Lee(이랑, イ・ラン)のバンドでドラマーとしても活動している。

KUANG PROGRAM
左がKim Younghoon。1期KUANG PROGRAM。
KUANG PROGRAM
1期KUANG PROGRAMのパフォーマンス。

――KUANG PROGRAMの名前の由来について説明してください。
 「ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984)というサイバーパンク小説に“クァン”(*3)という名前の、 システムが気づかないように非常にゆっくりと侵入するウイルス・プログラムが登場します。ここで出てきた“クァン”を使ってみるのはどうかと、友達に勧められました。あとになって責任感で本を読んでみると、このプログラムと主人公がマトリックスでひとつになる描写が、KUANG PROGRAMの音楽によく合う部分があって、そんな偶然が不思議でした」
*3: Kuang Grade Mark Eleven, 広級マーク十一 | 劇中に登場する遅効性アイスブレーカ(クラッキング・ソフトウェア)

――とにかく当時は、404、BAMSEOM PIRATES(밤섬해적단, バムソム海賊団)(*4)、무키무키만만수(ムキムキマンマンス)(*5)など、2人組の珍しいバンドが多かった(*6)のですが、KUANG PROGRAMは独特の雰囲気がありました。韓国ではなかなか探しにくい音楽だと思いましたが、どんな背景を持っているのか気になります。大きく影響を受けた韓国や海外の音楽があるのでしょうか?
 「最初に大きな影響を受けたミュージシャンは、やはりAmature Amplifier(*7)です。クラシック・ギター、たった2つのコード、膨大なストローキング、少年の欲望についての歌まで。初めてライヴを観たのは私が17歳だったときで、彼はホットパンツにサングラス、かつらの上に帽子という姿で……うーん…… なんだか過剰に突拍子もない人なのかと思いました。ところが歌が始まった瞬間、彼の魅力にすっかりハマってしまいました。私がひとりで始めることができたのは、当時それを受け入れられたというインスピレーション(?)または勇気です。別の国内の音楽家だと、UHUHBOO PROJECTを小学校時代から楽しんできました。妙に落ち込んだ歌詞の影響を受けたようです (そういえばこちらも2人組ですね)。海外の音楽は、普通にみんなが好きなロックバンドを楽しんでいました。NIRVANA、SONIC YOUTH、FUGAZI、JOY DIVISION、CAN、THE WHITE STRIPES、RADIOHEAD、RED HOT CHILI PEPPERS、PERE UBU、Captain Beefheart、SILVER APPLESなど、それほど特別なものはありません」
*4: ソウルを基盤に活動する2人組グラインドコアで、トゥリバンと連帯した主要バンドのひとつ。過激な音楽スタイルと素晴らしいブラック・ユーモアに満ちた歌詞で多くの人に愛された。
*5: 2012年にデビューし、2013年に解散した2人組のインディ・グループ。破格の音楽スタイルによって多くの人に衝撃を与えた。
*6: Kim Oki、CADEJOも他のインタビューで語っているが、2010年代ソウルのインディ音楽シーンには、テクニックよりも様々なことを試みる新しいミュージシャンたちが多数生まれた。
*7: 1974年大邱生まれの音楽家・Hahn Vad(한받, ハン・バッ)のアコースティック・ギター・プロジェクトの活動名がAmature Amplifier。ダンス音楽プロジェクトでの活動名はYamagata Tweakster。トゥリバンに連帯した音楽家のひとり。現在まで着実に社会運動に関わりながら活動している。KUANG PROGRAMは2012年の全国ツアーのために制作したCD-RでAmature Amplifierの曲「金字塔」をカヴァーしている。

――最初のアルバムの話をしてみましょう。『You Or Me』は2013年に発売されました。それ以前にEP『This is the end of us』をリリースしたこともありましたが、結成から2年を経ての初フル・アルバムです。覚えている当時のことを教えてください。
 「約1~2年間ライヴで演奏していた曲を記録し、バンドがライヴで見せるエネルギーをそのまま伝えたいという気持ちが大きかったです。ポップな部分が多かったアルバムなので、緻密で正確に録音 / 編集することに集中しました。そんな中、“Whatch”と“緑色の光 녹색빛”は、発売前に何度もライヴで演奏した他の曲とは異なり、アルバムを準備しながら新しく作った曲です。KUANG PROGRAMの次の歩みにヒントを与えられる曲を収録したかったのです。そういう意味で“緑色の光”の最後の歌詞は“우.리.만.날.준.비.속.으.로...(私たちが出会う準備中)”となりました」

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EP『This is the end of us』発売ライヴのフライヤー。
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1集『You Or Me』のカヴァー・アート。
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1集発売ライヴのポスター。

――KUANG PROGRAMの音楽の特徴のひとつとして、宣言するように叫ぶ歌詞が記憶に残りますが、歌詞のために多くのメモを取るそうですね。その中から選んだ単語を歌詞として人々に伝えると聞いています。主にどのような単語が選択しますか? KUANG PROGRAMが考える“歌”とは何ですか?
 「歌に対する考えは変化し続けています。当初は私の不安な未来、同じようなあなたの状況、私たち全員が置かれている文化的状態に関心が強く、それらを直接的で簡潔な言葉で歌いました。私の頭の中はいつもめちゃくちゃです。そんな汚れた状態の中から単語がどんどん出てくるので、いつも精製するという感じで選んでいたと思います。誰もが自分の汚れは隠したがるからです。以来、ますます歌詞は消えて、一連の状況をパフォーマンスと音で表現する方法に関心が生じました。だからといって初期の頃の関心事が消えたわけではなく、そのようなテーマを歌詞ではなく、音楽のかたちに変換して聞かせる方向に努力していましたね。まれなことですが、大衆音楽が文化的トラウマを解消または同調する方法という面では、歌がまだ有効なものではないかと考えることもあります。そんな曲を私は歌えないようですが」

――Kim Younghoonとの活動が2013年に終わり、2014年からはBAMSEOM PIRATESのKwon Yongman(권용만, クォン・ヨンマン)と活動することになります。そのきっかけを教えてください。
 「ドラマーのKim Younghoonが軍隊に行って、私も2013年に入隊しましたが、いろいろな事情によって軍隊から離れました。ひとりでどのように活動すればよいのか悩んでいたのですが、ついにKUANG PROGRAMとしてのライヴのオファーが入ってきました。かなり大きな規模の公演からのオファーで、断りたくなかったので、誰と一緒にやればいいのか悩んだ末にKwon Yongmanに連絡してみました。個人的には、KUANG PROGRAMがこれからもっと歪んでほしいと思っていました。また、私自身がBAMSEOM PIRATESのファンでもあり、愉快でユニークなドラミング・スタイルを持つ意外な人物と一緒になればかなり楽しいと思いました」

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左がBAMSEOM PIRATESのKwon Yongman。2期KUANG PROGRAM。
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2期KUANG PROGRAMのパフォーマンス。

――2014年にソロEPを発表します。このときからKUANG PROGRAMのバンド・サウンドとははっきり変わる部分があると思われます。ソロ活動についての説明をお願いします。
 「軍隊に行く日程がわかるようになり、もともとは除隊後に計画していたことを早く始めることになりました。2013年頃から即興音楽とノイズ演奏への関心が生じ始め、それが反映された音楽をソロで発表しました。ひとつのトラックの中で即興性がポップな部分に昇華できるかといった問題や、意味を言葉で伝えないヴォーカルに対して悩み始めた時期です。2014年に発売したKUANG PROGRAMの『Flames, Dreams, Laughter』は、ソロでの試みと既存のKUANG PROGRAMのスタイルが混ざった最初のアルバムです」

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『Flames, Dreams, Laughter』のプロモーション・フライヤー。

――1集から続く、ミュージック・ビデオやジャケットといったヴィジュアルに対するセンスも印象的です。2集のアルバム・ショウケースは自動車を使って行い、3集は自宅で行いましたね。バンドの音楽と美的感覚に直接関わっています。アルバムのカヴァーからMV、イベントまで全般的に携わる理由は何ですか。
 「1集『You Or Me』は初めてのアルバムだから、どうしてもいろいろなことをしたい欲があって、バンドは当然MVがなければならないのではないかと考えていました。当時、超超超低予算ですがミュージックビデオを4本も作ってくれた周辺の美術家の友達にいつも感謝しています。それ以来、状況を一時的に規定し、もっと真剣に私の音楽を聴く方法がリリース時のライヴだと思いました。2集『Closed Eyes』には演奏不可能な曲が収録されていたので、ライヴよりアルバムの雰囲気をより的確に伝える方法に悩んだ結果、車の中でリスニング・イベントを開きました。人もまばらな大型映画館の駐車場に乗りつけたワゴン車。公共の場でありながら、同時に非常にプライベートな空間で小さなグループが何かよくわからないことをするというイメージです。2集にはそういう怪しい感じがありました。もちろん、カセットテープで発売したアルバムを車で聴いてみたいという考えもあって。しかも当時、私と私の友達は運転免許も自家用車も持っていなかったんです。3集『There is no more snow on the television』のときは極端に狭くて、本当にプライベートな空間を選びました。パンデミックが2年ほど続いた状況で、それが人々の間の距離の意味をまったく異なるものに変えてしまったので、私のライヴではみんながより親しみやすく、音も近くて大きく聴かせたかったのです(*8)
*8: 2集の発売イベントは、新村にある寂れたショッピングモールの駐車場に集まり、レンタルした16人乗りのワゴン車に参加者が乗った状態でアルバムを最初から最後までカーステレオで聴き、再生終了後にショッピングモールの駐車場を通過して入口で降ろしてもらう、というイベントだった。残念ながら雨天の最終日、帰路で事故が起きて収益金はすべて車の修理費となった。3集発売イベントはKUANG PROGRAMの演奏をChoi Taehyunの自宅で行った。コロナ禍で大きな空間でのイベントができない状況を逆に捉え、KUANG PROGRAMのプライベートな空間でイベントを開催するのはどうかと考えて企画された。

KUANG PROGRAM
2集音鑑会のフライヤー。
KUANG PROGRAM
このように車に乗り、2集を通しで聴くイベントでした。
KUANG PROGRAM
音楽が始まると布で車をすべて覆い、視界を隠してしまいました。
KUANG PROGRAM
自宅で敢行した3集発売イベント。

――2016年には日本ツアーが予定されていましたが、残念ながらキャンセルになりました。時系列では日本ツアーのキャンセル後に2集『Closed Eyes』が発表されます。1集から間違いなく変化した部分が多くなりました。バンド的な音楽からノーウェイヴや実験的な電子音楽に移行していきます。
 「実際、当時の私としては、ソロとKUANG PROGRAMをあまり区別していませんでした。KUANG PROGRAMの活動をする際に生じた疑問にソロ活動で答え、それが再びKUANG PROGRAMにフィードバックされる。その過程を繰り返してきました。2016年はライヴとレコーディングそれぞれの魅力を知り、また悩むようになった時期です。新しいドラマー・Kwon Yongmanとの即興のコラボレーションを録音し、それをひねり、変形させ、編集する方法で楽曲を制作しました。販売フォーマットをカセットテープに決めた後は、走る車の中でうっとりしながら、ふわふわと弾む音楽を作りたいとも考えました。このようにバンドの中で試したことと、メディアに対する考えを混ぜてみると、楽曲のグルーヴは消えてひどく繰り返されるビートとエフェクトされたリズムがめちゃくちゃになって“実験的”に聞こえるようになったのではないでしょうか」

――「100個のポストパンク・バンドがあるとしたら、100個のそれぞれ違うポストパンク・バンドがある」なんていう冗談があります。韓国のリスナーがよくKUANG PROGRAMの話をするときに“ポストパンク・バンド”と形容しますが、そう言われることについてどう思いますか?
 「ポストパンクというジャンルは、本当にどんな形式も受け入れられるんじゃないでしょうか。“ポスト”とはジャンルというより、ある種の動きのようです。どんどん進むやりかたで音楽を作って活動したいので、広い意味で“ポスト”パンクと呼ばれるのは歓迎です」

――2014年から活動していたKwon Yongmanが2017年に活動を止め、2019年からはSeo Kyeongsoo(서경수, ソ・ギョンス)(*9)との活動を始めます。当時のことを思い出すのですが、私が彼をドラマーに推薦しました。KUANG PROGRAMは事実上1人のバンドですが、その中でドラムがどのように作用するのか、毎回気になっていました。
 「どんな要素がKUANG PROGRAMを作るのか、なぜKUANG PROGRAMはロックバンドなのか、いつも悩んでいます。明らかなことは、私がKUANG PROGRAMの音楽を作るとき、ドラムが非常に重要な要素だという点です。私は今まで活動を共にしてきたドラマーたちの演奏方式にとても大きな影響を受けました。ドラマーそれぞれのジャンル的特性、さらにはドラマーたちの性格も私が作った音楽に入っています。過去のドラマーと作った曲を現在のドラマーと演奏すると、ぎこちないながらもおもしろい状態になることが多いです。そういう緊張を、新しい曲を作る材料として使ったりもします。アルバム自体には、演奏されたドラムの音を直接入れないことが多いのですが。彼がライヴではこの曲をどのように演奏するか、どれだけ異なる変奏にするか、いつも一緒に活動しているドラマーに期待するでしょう。言うなれば、ドラムがないと、私はKUANG PROGRAMの音楽を全く作れないような気分です」
*9: Kim Okiの活動初期から共にに活動していたドラマー。現在はバンド・MANDONGのドラマーとして活動しており、「봉식통신판매(ボンシク通信販売) | -BTP Records」というレーベルを運営し、自身や友人の音楽をリリースしている。筆者の記憶では、初めて見たときから”この人は何か違う!”という印象が強い人物だったが、機会があってKUANG PROGRAMのドラマーに推薦することになり、その後一緒に活動中。

KUANG PROGRAM
右がSeo Kyeongsoo。3期KUANG PROGRAM。

――一度のキャンセルを乗り越えて開催される日本ツアーについて、簡単に一言お願いします。どんなことが楽しみですか。
 「とても期待していた初の海外ツアーのスケジュールがキャンセルになって、すごくがっかりした記憶があります。天変地異が起きない限りは、今度こそ必ず行きますね。今回のツアーの中で、ソウルに続いて再び会うことになる音楽家たちと、新しく会うことになる音楽家たちへの期待が一番大きいです。旅行ではなくライヴのために日本を訪問するのは今回が初めてです。日本のアンダーグラウンド・シーンがKUANG PROGRAMの音楽をどのように受け入れるか知りたいし、そこで向き合う空間、人々、音楽から良い影響をたくさん得て帰ってくることができると思います。そのエネルギーと共に、私はまた前に進まなければなりません」

KUANG PROGRAM Official Site | http://www.kuangprogram.net/

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024| 2024年6月29日(土)
東京 下北沢 SPREAD
開場 18:00 / 開演 18:30
前売 2,500円 / 当日 3,000円(税込 / 別途ドリンク代)
U25 2,000円(税込 / 別途ドリンク代)
| 予約

[出演]
iVy / KUANG PROGRAM / Pot-Pourri / SOM4LI

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024| 2024年6月30日(日)
"nurse green vol.43"
愛知 名古屋 KDハポン
開場 18:00 / 開演 18:30
2,400円(税込 / 別途ドリンク代)

[出演]
6eyes / THE ACT WE ACT / apöpa / KUANG PROGRAM

※ お問い合わせ: kdjapon@gmail.com

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024| 2024年7月2日(火)
長野 松本 Give me little more.
開場 19:00 / 開演 19:30
前売 2,500円 / 当日 3,000円(税込 / 別途ドリンク代)
予約
give.melittlemore@gmail.com

[出演]
燧音 (清岡秀哉 + 宮本善太郎) / KUANG PROGRAM / KUDO AIKO

| 2024年7月3日(水)
"K/A/T/O MASSACRE vol.483"
東京 幡ヶ谷 Forestlimit
18:30-
当日2,300円(税込 / 別途ドリンク代)
Twitch | Suggested Fee 1,500円-

[出演]
| Special Guest: KUANG PROGRAM / Madteo
| Live: 酩酊麻痺 / suwaWander
| DJ: DJ yesyes aka Park Daham / 6cm / viceman

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024| 7月4日(木)
大阪 難波 BEARS
開場 18:30 / 開演 18:30
前売 2,300円 / 当日 2,800円(税込)

[出演]
| Live: odd eyes / KUANG PROGRAM / タンツボユニット
| 場内音楽: 珍庫唱片

KUANG PROGRAM Japan Tour 2024| 7月5日(金)
京都 錦林車庫前
18:00-
予約 2,500円 / 当日 3,000円(税込)

[出演]
| Live: KUANG PROGRAM / 空間現代 / 山本精一
| DJ: whatman