誰も傷つけたくないし、嫌われたくもない
取材・文 | 岡村詩野 | 2022年2月
撮影 | ヤスダ彩
――今は大阪ですか?
「そうです。基本的に大阪にいます」
――今作のレコーディングも?
「そうですね。“低い飛行機”っていう曲だけ別の場所なんですけど、他は大阪のLubLabというスタジオで録音しました。“低い飛行機”は曽我部(恵一)さんを大阪にお招きしてプロデュースしていただきました。参加してくれたミュージシャンのかたがたはこれまでライヴとかでも一緒にやってもらってきた人たちが中心なんですけど、いずれにしても、ちゃんとしたスタジオでレコーディングするのは今回が初めてでした」
――関西の親しい仲間との制作にこだわりたかった?
「いや、そうでもないんです。正直、仲良い人がそんなにいるわけでもなくて(笑)。だから、一度サポートしてくれたりで、すごく良かったら、もう絶対に離さない!って感じ(笑)。特にドラムのたなよーさん(田中陽一郎)がとても良くしてくださっていて、私のことも理解してくれているので、たなよーさんが良いって言ってくれる人に声をかけさせていただいているところもあります。ただ、どのかたと一緒にやらせてもらっても、新しい音を取り入れたいと思っているし、楽しくできるので、そこは極端にはこだわっていないんですよね」
――去年は元バレーボウイズのシュウタネギも参加したEP『モモイロペリカンと遊んだ日』が大きな起点になり、ターニングポイントになったような1年だったと思います。人脈の広がりもありましたね。
「そうですね。ちょうど『モモイロ~』の頃に映画(『愛なのに』)の話をいただいたんですね。そこから始まって、映画の公開に合わせて自分の活動も乗っかっていけたらな、っていう感じでアルバムの制作が始まったんです。でも、ゆっくり曲を作っている時間がなくて、すでにある曲に新しいものを加えて、っていう感じでした。正直、自分ひとりで全部やらなきゃいけなかったら、たぶんアルバムはまだ作っていなかったです(笑)。ペース早いな、って思っていたので。でも、今のスタッフたちと去年の夏にはもう一緒に動き出していたので、それならがんばってみようかな、これに乗っかっていける自分がいるならやってみよう!って感じでした」
――曲を作るのは時間かかるほうですか?
「んーー、どうだろう。曲は普段から作ろう、っていう感じではないんです。曲を作る時間を意識的に設ける感じ。1日1時間とか、向き合う時間を作ったりして作業をします。ただ、普段からポンと出てきた言葉はスマホとかでメモしていて。それを曲に結びつけていくような流れなんです。だから、よし!ってなったら曲のイメージはわりと固まっていきますね」
――例えば今回のアルバムだと、どの曲がそうしたメモから生まれましたか?
「だいたいどの曲もそうなんです。特にサビの部分とかはメモした言葉を使っていて。“低い飛行機”だと“きみと雷を見た午後~”とかがそうですね。“あたたかい光”だと“仕事だるそうな君に胸キュン~”とか。メモ部分をサビにもっていきたいというか、中心にしたいんです。そこから全体を考えたり作ったりする感じですね。ギターを持ちながらメロディと言葉を一緒に考えていきます」
――そういう作りかたって、J-POPのフォーミュラと作りかたを受け継いでいる印象があります。とりわけ90年代のJ-POPのヒット曲ってサビが強烈にキャッチーだったり、サビのフレーズや歌詞がとにかくまず耳に残ったりしますよね。そうしたポップなフックありきの曲の良さを感じるのですが、そこは意識的なのでしょうか?それとも独自のスタイル、新しい感覚で作っている実感の方が強いのでしょうか?
「昔、曲を作り始めた頃、あまり何も意識せずに作ると、サビがなくて全然キャッチーじゃなかったんです。あまりよくわからずに作っていたんだと思うんですけど、それをお母さんとかに“全然キャッチーじゃないね”って指摘されたり(笑)。自分でも最初は、そういうのできないのかな?って思っていたんですけど、多くの人に自分の曲を聴かせたい、たくさんの人に届ける、という感覚が生まれてからは、少しずつ変化してきました。今回のアルバムの曲もそうなんですけど。だから、潜在的にというよりは、サビの部分はかなり意識して作っています」
――それは、みらんさん自身がそういうJ-POPを聴いてきた体験によって得たものでしょうか?
「そうですね、インディの音楽よりメジャーな音楽を聴いてきたと思います。特にスピッツや斉藤和義さんとか奥田民生さんとか……。親が聴いていたんですよね。最近だとあいみょんとか藤井 風とか聴いています。あと、中学の頃はK-POPにハマっていました」
――そういうアーティストの曲って、自主的に聴こうとしなくても自然と耳に入ってくるものだったりしますよね。気がついたら耳に残る音楽としてのポップス。みらんさんの作品にはそういうありかたをひとつ着地点とさせているような気もします。
「そうですね。メジャーに寄りすぎるのもなあ、って思うんですけど、パッと聴いて耳に残る言葉やフレーズを入れるのが好きなんだと思います。そういう音楽はJ-POPに多いですよね」
――そうした大衆的な音楽の良さに惹かれる理由はどういうところにあるのでしょう?
「すごく自分は平和主義だと思うんですけど、偏るのがあまり好きじゃないというか。みんなが共通していいな、って思えるものがあったら、そこに平和な空間が現れるんじゃないかな?って思うんです。“あの人のあの曲いいよね!”っていうような感覚で誰もがひとつになれることを想像していると、ほっこりできるんですよね(笑)。今の時代の、このギスギスしている状況に、私が突っ込んでいくようなことはしたくなくて。それとは違うところで私の音楽が鳴っていればいいな、って」
――立ち入ったことを伺いますが、みらんさんは在日韓国人4世だと聞いています。日本における民族的マイノリティであるという立場や自身のルーツと、そうした“みんなが音楽でひとつになれれば”という願いとは無関係ではないような気がするのですが、実際にはそこに紐づく思いはありますか?
「そうですね。私の平和主義っていうのはそこから来ているところもあって。あまり気にせず手を繋げばいいのになって思うんです。でも、なかなかそうはいかないっていうのもありますよね。私はそういうのもわかっているつもりですけど、そこに踏み込む勇気も特になくて……。でも、たしかに私は当事者ではあるんですけど、どんな状況でも、どんな場合でも、誰もが何らかの当事者になるわけじゃないですか。そういう意味では同じですよね。みんな同じ。そういうのを気にせず、関係なく表現できるのが音楽の良さじゃないかな?って思うんです。というか、そもそもそういう落差のある状況に対して戦う気力もあまりない(笑)。目を瞑りたくはないんですけど、意見を交換したり、ぶつかることは体力を使うので、そういう人たち……、平和を乱すような、手を繋げないような人たちを置いていく、みたいな感じかな」
――歌詞を見ても、ギリギリのところを探っている印象があります。深く示唆したり扇動したりせず、かと言っていやらしく匂わすようなこともせず、凛として自分の思いだけを清々しく伝えている。その純潔さが好感度の高さにも現れていると思うんですけど、だからといって優等生的な音楽じゃないんですよね。ポップスとしてストレートなありかたを貫く中に、純度の高いものであろうとする自分の意志を込めている。
「ありがとうございます。誰も傷つけたくないし、私自身嫌われたくもないんです。たしかに、そういう思いがギリギリのところを探っている言葉に出ているのかもしれないですね。だから平和でありたいと思うのかもしれない」
――一方で、「そこで僕はミルクを思い浮かべて」などは、フリッパーズ・ギターや小沢健二へのオマージュのような歌詞になっている。純粋に音楽好きの側面が邪気なく表現されていますね。
「これは本当にそうですね(笑)。オマージュかどうかはわからないんですけど、ただただオザケンとフリッパーズが好きでよく聴いているから、自分の中から自然と出たんですよね。ギュッと短い時間にできた曲です。さっきもお話したメモの中に、この曲のタイトルが先にあって。そこから一気に。90年代のオザケンは、もう神がかりすぎて危険!みたいな。危なさが魅力なんじゃないかな?って。YouTubeとかで昔の映像を観ると、すごい。自分がそれを引き継げるとは思わないけど、あの危なさは憧れもするし、でもかなわないな、って思ったりもしますね」
――当時の小沢健二は、音楽的なイディオムが豊富な楽曲の中に、意図的にわかりやすさ、キャッチーさを同居させていましたよね。歌いかたも歌詞もあえて話し言葉の軽さを出したりしていました。みらんさんの作品も、あそこまで意識的かどうかはわからないですけど、わかりやすさにフォーカスさせている印象があります。
「私、子供が好きで。というか、子供に憧れがあるんです。なんなら子供に戻りたい(笑)。だから、子供でもわかる、楽しめる言葉や歌は大切だって思うし、『NHK みんなのうた』で私の曲が使われたらいいな、って思ったりもするし。『モモイロペリカン~』を出した時に対バンしたおとぎ話の有馬(和樹)さんも“どんどんわかりやすくなっていくといいね”って言ってくださって。言葉そのものはわかりやすくても、並べかたとかで工夫したり、遊んでみたりしたいんですよね。なるべく単純な言葉でどれだけおもしろくできるか?みたいなことを考えるのが好きなんです」
――「町中華の歌」という曲がありますが、これがまさにその真髄を表した曲だと思います。高級な中華料理店じゃなく、町の気軽な中華屋さんが好き、という。
「そうですね。ひとりで考えると暗い方向にいっちゃうので(笑)、なるべく楽しく曲作りをしているんです。そういう気持ちが町の中華屋さんが好き、というところに出ているのかもしれない。でも、すごく楽しいという感情の中に闇を入れるというか、ちょっと引っかからせたいというのが、どうしても出ちゃうんですよ。レコーディングのときにはクリアされているんですけど、ひとりで曲を作っているときには自然と出ちゃうかな。それが自分の癖なのかもしれないですけどね」
――ご本名の表記をそのままタイトルにした「美藍」という曲には、まさにその“闇”が出ていますよね。
「あれは唯一10代の頃に作った曲です。だいぶ昔に作った曲をバンド・サウンドでやってみたくて。今の自分じゃ絶対に作れない曲ですね。けっこう恥ずかしいって思いはあったんですけど、どんな曲でも出したら聴いてくれる人はいるって信じて今回のアルバムに入れたんです。10代の頃のあるお正月に作って、冬の靄がかかった白い感じをイメージしていて。そういうダイナミックさと重厚感をバンドで共有してレコーディングしました。レコーディング前は弾き語りの段階の音源しかメンバーには送っていないんですけど、それをスタジオで合わせたときにメンバーがみんないろいろ合わせてくれて。そこからイメージに合う方向になっていく感じでした」
――曽我部恵一さんがプロデュースした「低い飛行機」についてはどうですか?
「だいたいの感じはメンバーと作っていて、それを曽我部さんに送って。レコーディング当日に、録りながらいろいろ変えていったりしました。曽我部さんにはレコーディングの流れとかも含めて全体を引っ張ってもらいました。私はちゃんとしたスタジオでレコーディングするのが今回初めてだったので、すごく勉強になりましたね。そもそも曽我部さんのことは私が一方的に好きで名前を挙げて、そこから一緒にやらせてもらうことになったんです。曽我部さん、私の歌のことを、“蝶のように舞っている”って表現してくださっていて。すごくしっくりもきたし、嬉しかったです。だから今回のアルバムもまさに“舞っている”感じで歌いました。歌についてはそういうわけでだいぶ楽になりました。今まではいろいろ考えすぎていたんですけど、今回は軽やかに歌えましたね」
――ところで、以前、猫戦の美桜さんとのコラボレートによる“美桜 美藍”名義のシングル『개냥이 / 얼마?』も発表されていて、そちらは韓国語で歌っていましたよね。そうした民族的アイデンティティを生かした表現にもこれからまたトライしていくのでしょうか?
「そうですね。いろんな語学を勉強したいんです。語学というか、いろんな表現と言ったらいいのかな。実は韓国語はあまりできないんですよ。旅行で聞き取れる程度で、喋れないから、改めて話せるようになりたいと思っています。占い師のかたにイタリア語と韓国語が相性良いって言われたので(笑)、これから身につけて音楽や表現にも反映させていきたいです」
■ 2022年3月16日(水)発売
みらん
『Ducky』
CD PCD-94089 税込2,640円
[収録曲]
01. あたたかい光
02. ダッキーちゃん
03. 手紙の言葉
04. 低い飛行機
05. 美藍
06. そこで僕はミルクを思い浮かべて
07. 町中華の歌
08. ミラノサローネ
■ みらん
"Ducky" Release Tour
きみがあたらしいキスをしたから
| 2022年4月8日(金)
東京 新代田 FEVER
出演: みらん(Band Set) | Guest: ゆうらん船
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 3,500円 / 当日 4,000円(税込 / 別途ドリンク代)
| 2022年4月15日(金)
大阪 心斎橋 CONPASS
出演: みらん(Band Set) | Guest: TBA
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 3,500円 / 当日 4,000円(税込 / 別途ドリンク代)