Interview + Column「証言構成: 今そこにいるNEW MANUKE」


文・取材 | oboco

※ 文中の発言は2025年9~11月の間に行われた筆者によるインタビューを基にしている。
取材協力: 杉本喜則 (HOPKEN) / 植松幸太 (Leftbrain) / BIOMAN / 福本直美 (タコラ) / bonnounomukuro

 2025年11月22日に開催された「MIDI_sai 25 Years Re:Rave」。このパーティは、大阪を拠点とするDJのKA4Uによりオーガナイズされている「MIDI_sai」が、今年で25周年を迎えたタイミングで国内外から所縁深いDJやアーティストを招聘、大阪の北加賀屋 Club Daphniaで3フロアを使用し、15:00から翌朝6:00まで18時間ぶっ通しで行われた。私はその中でDJ自炊とのコンビ・慈母子として、Daphniaの裏庭(庭があるクラブ!)に造られた「Open_air」フロアにて、オープニングの時間帯に架空のラジオ番組という設定で1時間程度お喋りを交えながらB2BでDJをした。一応番組テーマを「MIDI_saiの25年間を振り返る」とし、KA4Uから貸し出された過去25年分のフライヤーを基に進行した。ほぼ全回分のフライヤーを残している物持ちの良さに感嘆しつつ、2000年代初頭のフライヤーに、DISTEST(以下 D)がDJとしてすでにラインナップされているのを確認した。

D 「(“MIDI_sai”にDJとして参加したのは)ほんまの初回からではないけど、ほぼ最初からやったと思う。人前でDJみたいなことするの自体は18歳くらい、高校生のときから始めてる。一番最初は、自分の兄貴が松屋町でGPODっていう場所をやっていて。そこはもともと玩具問屋の使わんくなった建物丸ごとを、文化事業かなんかの一環で破格の条件で貸し出していて、“Ebora of Gabba”のメンバーの人とかも使ってた。そこのパーティに遊びに行ったりしている流れでDJをやり始めた。KA4U君もGPODに遊びに来ていて知り合った」

 この日DISTESTはメイン・フロア「MIDI_floor」で21:00からの出番。普通のパーティならオープンしたての時間帯だが、この規格外のパーティというかレイヴにおいては、何度かある内のピークタイムである。そこを受け持つということは、オーガナイザーとしてのKA4Uからの確かな信頼の証である。実際、エレクトロを基調にしつつ、国産ベースラップ・クラシックなどを織り交ぜ、多動性のうるさ方が集うフロアを真顔で失禁バウンスさせていた。

D 「自分はどうかっていうのは置いといて、いつもきれいにミックスし続けるっていうか、毎回きっちり事務仕事みたいに盛り上げるようなDJよりも、やる度にどうなるかわからんような、ほんまにボロボロで全然あかんときもあるDJのほうが好きなのは確か」

 ここで時間は巻き戻る(リ・ワイ~ンド!)。開場前の午後2:00過ぎ、DJ自炊と共に私はDaphniaに到着した。今なおアナログ盤を中心にDJをする我々に、北加賀屋駅からDaphniaまでの距離は過酷である。外ではすでにガレージにシステムを組んで作られたフロア(ガレージがあるクラブ!)「SAI_room」に出演するneco眠るのメンバーが、リハを終えてダラダラしていた。その中に私は栗原(ペダル | 以下 K)の姿を確認した。そう、私は栗原にラジオ・コーナーへのゲスト出演の約束をしていたのだ……。そこではたと気づいた。そういえば、今日はNEW MANUKEのメンバーが同じ場に2人いる日なのだ。

 NEW MANUKEは2009年に関西で結成された、栗原ペダル荒木優光DISTESTのトリオによる音楽グループである。彼らは主にサンプラーを中心とした電子楽器を用いて演奏をする。しかし、テクノやハウス、ヒップホップというような、ダンスに特化した音楽ではない。かといって、ドローンやアンビエント、はたまたハーシュノイズといったような、リスニングから感性に訴えかけるものでもない。あと、唄わないし、ラップもしない。だが、そのどれもの要素がある。反復するドラムはあるし、フィードバック・ノイズも乱れ飛ぶ。ライヴ演奏ではマイクを持つし、少しだがギターも弾く。だが、リズムやメロディは信用していない様子だし、ハーモニーなんてどこ吹く風である。BPMは速くもなく、遅くもない。展開するかと思えば、急に終わるし、とにかく落ち着かない音楽だ。音楽。そう、いろいろあるけど、とりあえず、音楽ではある。
NEW MANUKE
L to R | DISTEST, 荒木優光, 栗原ペダル

D 「(NEW MANUKEの演奏は)曲やから決まりごとがあって、全員それを頼りに演奏してる。電子楽器中心やけど、シーケンス含めて全員MIDI(ケーブルを繋いで)同期はしていないから、耳で合わせながらやってる。意識としては3人がそれぞれ個別で演奏していて、たまたま合っているように聴こえるっていう状態にしようとするのがマヌケなんやと思う。もちろん、さっき言ったように、シーケンス・パターン含めて耳で合わせながら、音のきっかけで曲を展開させてる。ズレる前提で。やから、録音物でもDAWの波形編集だけではマヌケの音楽にはならない。それは絶対そう」
K 「(宅録で作った曲のアイディア・スケッチが)ある程度固まったら、それを基にスタジオに入って演ってみるんやけど、当然多重録音の波形編集で作られている曲なので、人力で完璧な再現はできない。でも、どうにかしてやる上で無理をしたり、ごまかしたりすることになって、それで実質、即興性が出てくるわけなんやけど。そこをしっかり聴き分けて、想定していなかった動きとか響きの良かった部分を記憶しておいて、意図的に繰り返す。具体的にどういうことかというと、いい音が出たときのエフェクターのツマミの位置とか、押し間違えたりズレたりしておもしろかったら、それを曲として正しいと捉えて今後はそうやっていくとか」

NEW MANUKE

D 「ドラムマシンとかサンプラーっていう電子楽器を使ったり、構成している要素としては打ち込みのダンス・ミュージックと同じやけど、テクノとかのマナーじゃない、そこまでシーケンスでかっちりしないようにしてる。そこがロック的なダイナミズムっていうか、オルタナ感が出てるとこかな。まあ、整理したらおもしろくなくなる音楽やね」

 3人はNEW MANUKE以外でも、それぞれの活動を並行している。栗原は即興演奏から歌ものまで、数多くのユニットやバンドでの活動経歴があり、近年は主にバンド・neco眠るのギター奏者として活躍している。荒木はアーティストとして、音響を扱ったインスタレーション作品や、舞台作品などを国内外問わずに創作活動を行っている。そして、DISTESTはベテランと言って差し支えないキャリアを持つ、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックのDJだ。こうして書き連ねると、全員が音楽(もしくは音)関係ではあるが、プロフィールをぱっと見ただけでは、ほとんど接点を見出すのが難しいグループである。

K 「もともと知り合ったんは京都造形(京都造形芸術大学 | 現・京都芸術大学)の学生時代やから、付き合い自体は20年以上になるかな。その頃から近しいところで活動はしていて、時々それが交わることはあって、徐々にかたちを成していった」
D 「(自分は)京都造形大の専門学校のほう。ペダルと荒木くんは大学のほうに行っていて、それが同じ時期やったっていう繋がりやね。(京都市左京区)北白川の通りで、向かい合って校舎がある。授業とかは別々やけど、同じエリアにあるから、仲良くなって一緒に学内イベントやったりもしてた。(その頃は)もう“MIDI_sai”も始まってたくらいやわ」

 よくある話と言えばそうなのだが、よくよく考えると25年の付き合いである。その頃に生まれてもいない者がいるであろう場所で、まだ変わらず一緒に何かやっているのだ。

K 「2000年代の最初くらいかな。ちょうど新世界 BRIDGE(2007年閉店)を内橋和久さんが始めたくらいで、梅田哲也くんに誘われて遊びに行って。そこからいろいろ繋がってった。(その頃は)自分でも何をやっているのかあまりよくわかっていないっていうことも多かったし、BRIDGEのそういう即興演奏の場ではぶっちゃけ浮いてたかも。(BRIDGEは)ゴリゴリのインプロだけの場所っていうことは全然なくて。間口は広く、みんな行ってたし使ってた感じやね。まあ同時期に(オシリ)ペンペンズとかあふりらんぽ、ZUINOSINとか、自分と同い歳くらいのバンドもめっちゃやってたし、“裸電球の夜”とか“MIDI_sai”とかのクラブで活動してた人たちもたまに出てた」
D 「“裸電球の夜”はOVe-NaXxとかOORUTAICHIとかが出ていて、ライヴが中心のイベントやった。“MIDI_sai”とは姉妹兄弟パーティみたいなもん。どっちも難波 ロケッツ(2016年閉店)でやってた」

 そういった老若男女昼夜硬軟入り交じった環境下で、栗原とDISTESTは、その時代の裏オールスター(?)とも言われるジャンク・オルタナ・バンドEXEDEXEX(エグゼドエグゼクス)を結成する。

D 「そのときは、ほんまに誰もがいろいろやるっていう感じやって。やる場所もいっぱいあるし、やらざるえない状態。そういう空気があって、とにかく周りの皆もなんか常にやってた」
K 「エグゼドはDODDODOとかすーちゃん(鈴木裕之)とかとやっていたバンド。森くん(森 雄大 | neco眠る)も参加してた。だからNEW MANUKE結成するきっかけといえるし、neco眠るに加入するきっかけにもなってる」

 午後10時過ぎ、ちょうどDISTETの裏でやっていたDODDODOのライヴを見逃してしまった。いや、少し観たかも。この時点でタイムテーブルも40分ズレというような話を耳にしたような記憶も…。ともかく、人も場もそんな状態になりつつある時、フロアで荒木(以下 A)と出くわした。そう、この日はNEW MANUKEのメンバーが3人揃ったのだ。ライヴはしないのだが。

A 「大学を卒業して、就職するでもなくそのまま京都に残って、大学で助手のバイトとか演劇の音響さんとかして食いつないでた。そういう頃にペダルくんも京都住んでいて。ペダルくんは在学中からいろいろな人との音楽活動が盛んになって、Shex(TECHNOMAN)とニュー新世界、マイクロふとしとかいっぱいやっていて。僕もそのライヴとかを観たりして、ペダルくんとは在学中以上に仲良くなって。そんで、しょっちゅう一緒に家で音楽聴いたり。吞みながら、ふざけたテーマでセッションとかよくやってた。電子音歌舞伎とか」
K 「ほんまにその頃(2000年代半ば)は2~3年の間にいろいろあってんけど。ひとつ、今まで振り返っていた流れとは別で、Shexとの出会いっていうのが俺にとって重要で。Shexもそのとき京都住んでいて、初めてあいつの家に行ったら、天井くらいまであるCDの山が部屋にあって衝撃を受けて。その時代に出てきてたIDMとかエレクトロニカとか、祖先的な電子音楽にもめちゃくちゃ詳しくて。とにかく暇あったら遊びに行っておすすめの音楽を聴かせてもらってた。ディっさん(DISTEST)とは(もともと友達やったけど)エグゼドでの演奏活動を通して意気投合して、ちょっと2人でスタジオ入って音出してみようってなって。そのきっかけはBLACK DICEが好きっていうところが大きかった」
D 「BLACK DICEとかアメリカのああいうオルタナなバンドにめっちゃ反応していたのが、自分以外ではあまりいなくて。話しできるんが“裸電球”とか“MIDI_sai”周りではペダルくらいやったと思う。初期のLIGHTNING BOLTとかBLACK DICEが活動していたFort Thunder(ロードアイランド・プロヴィデンス)っていう、何かの廃工場を丸ごと、スタジオとかライヴ・スペースで使いつつ寝泊まりとかもしていたところを探訪するビデオを一緒に観て盛り上がってた」
K 「それで実際ディっさんと2人で(演奏を)やってみたら、俺はかなり手応えを感じて」
D 「Fort Thunderでやっているようなバンドは覆面とか変な恰好で演奏していて、見た目のジャンクさがかっこよかった。こいつら、そもそも売れる気ないやんっていう」

NEW MANUKE

A 「(自分が途中から加入した)流れとしては、ペダルくんとディっさん2人体制のNEW MANUKEが何回かライヴをやっていて。ディっさんはタンテで、ペダルくんは今のマヌケの原型っぽい機材でシーケンスを繰り返したり頭出ししたりっていうセッションみたいな。それがカッコよかって、めっちゃいいなとか言っていたら、後日“荒木くんも入ってもらえないか”と。話を聞いてみると、ペダルくんとディっさんの2人でスタジオに入っても、だいたい酒を吞み始めてグダグダになって、時間切れでほとんど前に進まない状況っていうことになっているみたいで。でも、ペダルくんとしては、けっこうおもしろくなる気がしていてなんとかしたいっていうのと、2人だとユニット感あって、バンドにしたいねん、っていうことで僕が入ることに」
K 「実際バンドで激しい演奏をしてお客さんとかとグチャグチャになったりするのは楽しいし、音自体を突き詰めるような即興演奏も気が合う人たちとやっていていろいろ得るものも多かったけど、どこかで共通認識の上でやるルールっていうか、楽しみかたも含めて、ある程度決まった型みたいなんを感じてしまう。それは電子音楽とかダンス・ミュージックに対してもあって」
A 「ペダルくんは、最初に聴いたソロのギター・インプロのときにカッコつけてない!のにめっちゃいいっていうのでショックを受けて。自分の中でこういう音楽をやる上ではカッコつけるのが前提っていう印象があったけど、そうじゃなくていいんやって演奏を聴いて思えた。それ以降、出す音を超リスペクトしてる。ディッさんも、とにかくDJがやばいやばいと方々から聞こえてきて、DJやっているのも聴いたら、マジですごくて叫んだ」

 開始から9時間を超して、既に日を跨ぎ、さすがに疲れてきたので、出演者の楽屋で一息つこうと入ってみたら、そこは実質ただの物置だった。事前にDJ自炊から「KA4U君がいつでも休めるスペースを用意してるみたいやし、横になって寝られるから」と聞いていたのだが……。いや、よく見たら部屋の中央に畳が二畳だけ敷かれてて、そこにゴミと吸い殻だらけのテーブルがあり、栗原もいた。なにやら、すごくカンフー・スターのサモ・ハン・キンポーに似た人と話していて、「山で虫の声がエレクトロニカみたいに聴こえた」とか言っていた。私はそこに腰を下ろした。そして、しばらく気を失った。

K 「(NEW MANUKEの活動をし始めて)今まで繋がりのあった友達に呼んでもらって、わりと頻繁に(ライヴを)やってた。でも正直、同世代の親しい人たちでも、マヌケの演奏を観てもあんまりピンときてへんなっていうのはなんとなく感じてた。それはさっきも言ったように、NEW MANUKEっていうのは即興でもロック・バンドでもダンス・ミュージックでもない、今まで属していたゾーンから外れるっていうのでやってるから当然なんやけど」
A 「(NEW MANUKEは)音のふざけ合いっていうか、笑かし合いの要素はあるかも。僕がライヴでマイク使って“イヤオ~”とか“カモーン!”とか叫ぶのも、最初はスタジオで急にやったらダサすぎて全員ウケて。人前でやるときは、どれだけ力を込めてヘボい感触の音が出せるかとか、すごいデカい音で“ポワワワ~ン”みたいなのを理想としているかな。マヌケはまずそこを共有できるメンバーやなと思ってる」
K 「サイケ感は大切にしてる。最近はあまり日本ではサイケなバンドとかライヴ・シーンで目立って出てこんよな。自分でもハッピーとかバッドとかではなく、日常の小さなサイケ体験を拡張することは意識してる。なんか、たまに水を出しっぱなしとか」

 クソ寒いのに汗だくで目が覚めた。15分くらいしか経っていないが、めちゃくちゃ体が痛い。変なところで変な体勢で寝たから。かなり頭も痛い。だから、もっと深く横になりたい。もはや、フロアは踊るよりもウロウロしてる時間の方が長い。途中で植松さん(植松幸太 | Leftbrain | 京都・錦林車庫前 | 以下 U)に会った。彼も京都から来たのにニヤニヤして佇んでいるだけで、何しに来たのだろう。ソファが充実しているラウンジになんとか辿り着いたら、物販コーナーでNEW MANUKEの初アルバム作『SOUR VALLEY』が先行発売されていた!そうか、これを売りに来たのか。

K 「(2010年代半ば頃は)個人的にはneco眠るに加入したり、結婚して東京に引っ越したりっていう、けっこう大きい出来事があった。マヌケ自体は途切れることなく活動はしていて、最初の頃より出るイベントが若干多様化したというか」
A 「近年は全員住んでいるところがバラバラの三都物語状態なんで、物理的にそうそう3人で集まれなくて。基本的に音を出すのは京都の僕の作業場やから、ペダルくんが関西に帰ってきたタイミングで集まるとなると、神戸のディっさんはそれに合わせるのもなかなか大変やろうし」
K 「マヌケメンバー3人とも末っ子やから、めちゃくちゃマイペースでわがまま。これはNEW MANUKEにおいて重要な事実」
D 「(アルバムはA & Rの)植松くんに言われて、引っ張ってもらってできた。環境整えて、お膳立てしてもらって」
U 「そもそも僕がマヌケの存在を知ったのは、2015年に大阪で日野くん(日野浩志郎 | goat)がやった“ベストフレンズ”っていう大きいイベントで、そのときライヴは観られなかったんだけど。そのあと2016年に京都で外をやるために引っ越してきて、初めて出町柳のソクラテスでライヴを観てすごい良かったんです」
K 「(2010年代には)関西も新しい世代が入り交じってきていて。自分より若い人とかと共演することも増えてきてた。その中に日野くんがいて。同じイベントで出たときに、マヌケのライヴが終わったら話しかけられて。“すごく良かった、BLACK DICEだね!”って。いやぁズバリ言うねぇ!と思ったけど、はっきりと肯定的な反応やったから、すごく嬉しくて覚えてる」
U 「(初めてNEW MANUKEのライヴを観て)そこからアルバム制作に至るまでの流れを思い出すために、制作に関するやりとりのメールを掘り返したら、2019年に荒木さんへ“NEW MANUKEのアルバムをHEADZ / UNKNOWNMIXから出しましょう”ってオファーしていました」
A 「その時点でもう全員バラバラの場所に住んでいて、それぞれ子を授かっていて簡単には動けないし、集まってやる録音作業は年に数度チャンスがあるかっていう感じになってた。だから新曲もなかなか……っていう状態やったね」
U 「そこらへんの事情がまだ僕もあまりわかっていなくて。マヌケのみんなと徐々に交流していくうちに、これはこっちも動かないとまずいと。メンバーに話を訊くと、顔を突き合わせてスタジオで粘って(曲を)作り上げていくのが肝だということで」

NEW MANUKE

A 「俺がマヌケ入って初期の頃とかは、ペダルくんがスタジオですごくシンプルなシーケンス・パターンを鳴らして、“これになんか荒木くん乗せられる?思いつく?”って笑ってない眼で、じっと見てくる。鍛えられましたね、あれは。やらんとずーっとバックで電子音がループで鳴り続けるっていう。地獄」
U 「(そういう性質の人たちなので)外の空いている期間をスタジオとして使って、マヌケのアルバム録音合宿をすることになりました。もともと外は上階にゲスト出演したアーティストが泊まれるようになっていて、ちょうどよかった。それが2023年ですね」
D 「マヌケに関しては、とにかくメンバーが集まらんとできないし進まないっていう」
U 「合宿も結局3回やってます。最初の合宿は5日間だったんですが、メンバーが3人揃ったのは正味で2日間くらいで。ディっさんは仕事の都合で途中参加で、荒木さんもご家族がコロナになって強制離脱して」
A 「そのときは1曲も完成までいかなかった。“サンバ”と“キューバ”っていう、仮タイトルの状態のループ素材が残ったくらい。全員でそれを聴いて“いろいろやったけど、普通にこれサンバやな~”ってゲラゲラ笑ってた。“キューバ”はなんかキューバのギター音楽をサンプリングして単純にループしてるだけとかやったかな」

NEW MANUKE

U 「できた音を聴いて爆笑しつつ、正直シビれましたね……。彼らはここまでなのかと……。そういう感じなので、僕は録音担当以外にA & Rの重要な仕事として、雰囲気作りというか、合宿ヴァイブスを高めて持続させることを主にがんばりました。カレーを作ったりコーヒーを淹れたり、朝ごはんに赤ウインナーを毎日出したり。あと1日の終わりに行く居酒屋をリストアップしたり」
K 「けっこう植松くんはA & Rとしてできる男やから。ゲヘゲヘ笑ってるだけじゃない」
A 「僕、赤ウインナー好きっすからね」
U 「いつも赤ウィンナーを買っていたその店もこないだ潰れちゃって。(オファーからアルバム完成まで)歳月を経たのを感じました」

NEW MANUKE

 寝たり醒めたりで、結局なんだか急に元気が出てきたが、「MIDI_sai」のアニヴァーサリーも、いよいよ大詰め。メインフロアのKA4Uの極限レイヴ乱れ打ち。ガレージフロアの〆はAkio Nagaseによるアシッド & ブレイクスなプレイ。そんな贅沢な行き来をしていたら、いつの間にかもう朝になっていて、音は止まった。さっきまでレーザーの飛び交っていたフロアが、昨日来たときと同じ、スピーカーがあるただのガレージに戻った。

D 「(今まで印象的だったNEW MANUKEのライヴについて)うーん……。一番直近のDaphniaの周年で、ガレージのほうでやったやつかな。あれはなんか雰囲気が良かったっていうか、マヌケと場所がマッチしているように思った。殺風景なところで馴染んでた。出音はデカいけどカスカスな、まさにガレージな雰囲気。ガレージ・パンクとかの。ガラージじゃなくて。自分たちがダンス・ミュージックをやっているんじゃないのも含めて、しっくりきていたと思う」
A 「NEW MANUKEを続けるのって、やっぱりそんなに簡単なことではないんやけど、ライヴでもスタジオ作業でもこの3人で集まって、絶妙なバランスでずっとやれていること自体が自分にとってはすごくおもしろい。自分でソロの音響作品とか外注仕事ばかりやっていると、行き詰まったり苦しくなったりすることがよくある。でもそういう気分になっても、もう一方で好きにおもろさを追求しまくれるマヌケがあるっていうのは、自分の活動において大きいこと」
K 「(器楽奏者ではない非音楽家の)2人とグループとして腹を探りながら作曲したり録音したりっていうのは、普通のバンドと違うアプローチを常に考え続けざるを得ないわけで。だからNEW MANUKEの活動を継続すること、それ自体が即興演奏的な感覚の中にある」

 DJを終えたDISTESTはどこか上の空で、少し瘦せたように見えた。泣いていた。途中から来た荒木は、何度かフロアで見かけたが、だいたい直立不動だった。そういえば、栗原は冒頭にあった私たち慈母子のラジオ・タイムにゲストで出てもらうはずだったが、“(隣駅にある)スーパー銭湯に行きたいので……。いいタイミングで帰ってこられたら、よろしく”と言って去り、結局、間に合わなかった。代わりにその場にいた、おじまさん(おじまさいり aka くまちゃんシール)に出てもらいました。ありがとうございました!

 これが「MIDI_sai」で会ったNEW MANUKEだ。彼らはそれぞれの動きで、それぞれの時間を過ごし、それぞれ帰っていった。そういえば、NEW MANUKEって今まで「MIDI_sai」に出たことあるのかな。

D 「ない。残念ながら、うちらは(同期しない)NO MIDIグループなので……」

NEW MANUKE 'SOUR VALLEY'■ 2025年11月30日(日)発売
NEW MANUKE
『SOUR VALLEY』

LEFT4 | HEADZ270
CD 2,300円 + 税 | Vinyl 3,300円 + 税
https://leftbrain.bandcamp.com/album/sour-valley

[収録曲]
01. SPECIAL
02. OMAE CAN
03. 11 Lappy
04. POWER
05. Street Ocean
06. Fire communication
07. iPAD, LICK FINGER AND SWIPE, GRANDSON GETS ANGRY (live)