間違いを認識して、理解する
取材・文 | 久保田千史 | 2020年10月
翻訳 | 小嶋真理 Mari Kojima (gallomo co., ltd.)
――近年、着々と喫煙に対する風当たりが強くなっていますが、葉巻は今も嗜んでいらっしゃいますか?ベルリンの喫煙環境はどんな感じなのでしょうか。
「ここベルリンや、他のヨーロッパ各国は、数年前から公共の場での喫煙が規制されているけれど、喫煙所や屋外なら吸っても大丈夫。僕は自宅テラスのプライベートな環境でしか葉巻を吸わないから、あまり関係ないけどね。葉巻に中毒性はないし、味とリラックスできるかどうかが問題だから、雨が降っているときなんかは吸わないよ」
――新作『Fading』の基になっているアイディア“記憶の喪失”は、煙がアトモスフィアに霧散してゆくようなイメージがあります。記憶はアイデンティティと密接に結びついている、というかアイデンティティそのものと言って差し支えないと思うので、その喪失に恐怖を感じる人もいるでしょう。差し支えなければ、Betkeさんが認知症のお母様を見ていて受け止めたという、“人生が始まったばかりのような感じ”について、詳しく教えていただけますか?
「母の病気自体がアルバム制作のきっかけになったわけではないし、母を失ったことを乗り越えて、自分自身を癒すために『Fading』を作ったわけでもないことは、明確にしておくね。母の認知症を機に考えるようになったのは、長い人生をかけて知識を蓄積してゆく意味や、それを失ったらどうするのか、ということ。HDDのフルフォーマットに似ているけど、残念ながら100%削除されるわけではないんだよね。いくつかの残された記憶は、コンテクストから外れてループして、それ以上は先に進まない」
――記憶は、現実には再現不可能なものでもあります。今年再びリイシューされた初期3部作からの引用は、その象徴として『Fading』に用いられているように感じました。実際、元来再現が不可能な作品であった上に、機材も壊れてしまったんですよね?
「僕は逆に、記憶は間違いなく再現性があるものだと思うよ。記憶のすべてを失うということはないから。大部分が脳内で、他の記憶の裏に隠されているにすぎない。問題は時間だよね。時を経ると、間違って思い出したり、他の記憶と混同したり。それは、現実の誤認に繋がるよね。実際はどうだったのか、っていう。『Fading』の制作にあたって僕は、3部作から、修復する価値があると思った要素を、当初とは異なる文脈で選んで使ってみた。たぶん、自分自身から失われるその記憶を、守るために。当時、僕の4-Poleフィルターが壊れていたのは間違いないけれど、何を忘れるでもなく、常に新しい組み合わせのリズムを創り出していたよ」
――3部作当時に使っていた機材とその現在について教えてください。
「3部作のときには、かなり限られた機材しか使わなかった。持っていたのはRolandのSpace Echo、ミキシングボード、MiniMoog、Waldorfの4-PoleとMicroWave。正直言って理想的だったよ。使える楽器の選択肢に惑わされることなく、音楽そのものに集中できたから。フィルター以外は、今も僕のスタジオにある。4-Poleは箱に入ってるよ」
――『Fading』はどんな機材を中心に、どんなプロセスで作られたのでしょうか。
「今でもMiniMoogとTR-808(Roland)をよく使うんだ。あとはミキシングボードと、古いシンセサイザー、モジュラー・システム。ほとんどがアナログの機材だよ。作業の流れは、20年前からかなり一貫してる。インスピレーションが必要なんだけど、それはイメージだったり、音、リズム、ベースラインだったり。だいたい最初の音は削除して、他の要素に置き換えることが多いかな。僕の作曲プロセスは、“作曲して、削除して、作曲して、掃除して、作曲して、どこかに流れ着くかもな~”っていう感じ。運が良ければね」
――カヴァーに使用されているTVのグリッチの写真も、再現が不可能なものですよね(非常に厳密には可能なのかもしれませんが)。そこにBetkeさんが3部作を見出したというのは、ノスタルジーには思えません。むしろ、その不可能性を強調しているというか。“人生が始まったばかりのような感じ”に繋がる気もします。Betkeさんに必ず付随する“3部作像”にちょっとうんざりしているとか、ありますか?
「このアートワークは、失敗や壊れた機材が僕の作品にとってどれだけ重要かを本質的に表していると思うんだ。もちろんノスタルジーとかレトロとかじゃないよ。間違いを認識して、理解することは、思いがけない結果をアートや音楽にもたらすよね。3部作は壊れたフィルターが基になっているから、僕の作品において失敗がいかに大事かわかるでしょ。たしかに、僕の作品を3部作に限定しようとする人たちがいるのには、ちょっとうんざりする。レコードを作る度に、音楽的な言語を拡張して、どんどん先に進みたいって、常に考えているから。今年は3部作の20周年だから、いろんなところで目にする機会があるかもしれないけど、自分で祝ったりはしないよ。お祝いは周りの人たちがしてくれてる」
――Pole作品に通底する要素のひとつに“ダブ”があります。前作『Wald』では顕著でしたが、『Fading』でもPoleサウンドの要になっていますよね。そこには、単なるテクスチャではなく、本当に好きで聴いていないと伝えられないムードがあると思うのです。ダブとの出会いや、Poleのファンにおすすめしたいレゲエ / ダブの作品を教えてください。
「ダブの要素は僕にとってすごく重要。全作品でダブのメソッドを使っているから。リヴァーブとディレイを使って、ヘヴィなベースラインを強調しながら空間を作る。低音と空間にずっと興味があったから、作曲にダブを用いるようになったのは自然な流れだったんだと思うな。ベルリンに引っ越してきたばかりの頃はそんなにダブ野郎じゃなかったんだけど、どんどん好きになっちゃって。レゲエやダブの音楽をコピーしようとしているわけではなくて、スタイルや手法に興味があるんだ。素晴らしいダブのレコードはたくさんあるから、ひとつだけおすすめするのは難しいなあ。でも、Horace Andy、Augustus Pablo、The Scientist、Lee PerryやGregory Isaacを聴いたら、さらに深く掘り下げてゆくべきだと思うよ。すごく広大なんだ」
――でも、Betkeさんのルーツはヒップホップなんですよね?今でも808を使っているのは、それを忘れないためなのでしょうか。
「今でも808を使っているのは、音が最高だからだよ。ヒップホップもダブみたいにベースラインはヘヴィだけど、最も影響を受けたっていう感じではないかな。僕はアヴァンギャルド・ジャズもヒップホップやダブと同じように聴くし、ある種のロックやノイエ・ドイチェ・ヴェレもそう。良い音楽であれば、どんなジャンルでも心を開いて聴いてみるのが大切だと思うよ」
――“Betke”名義でのテクノ / ハウス作品はもう作らないのですか?
「現時点では正直、ないかな。でも、わからないよ」
――~scapeは、クローズしてからちょうど10年経ちますよね。たのしみにできるアニヴァーサリー企画などはありますか?
「ないない。~scapeは歴史になって、今は活動していないんだから、それを祝うつもりはないよ」
――Betkeさんはマスタリング・エンジニアとしても引く手数多です。これまでScape Masteringで手がけた中で、印象深かった作品を教えてください。20年その仕事を続ける間に、世の音楽そのものやエンジニアリングはどのように変化してきたと思いますか?
「マスタリング・エンジニアとしては1997年から働いているけれど、たくさんのおもしろい音楽に出会うことができたから、印象深い作品は挙げればきりがないよ。この20年の変化として言えるのは、1990年代の音楽は、今よりラウドでもベーシーでもなかったということ。ラウドネス戦争は本当に好きになれないな。ラウド過ぎるレコードは、聴いていると疲れちゃう」
――今後控えているおもしろいプロジェクトがあれば、差し支えない範囲で教えてください!
「今は、いつものようにマスタリング・スタジオで仕事しているけど、2021年初頭にリリースする予定で自分の新作12”も作っているよ。たくさんの音楽に取り組んでる。ライヴが再会できる方法を、早くみんなで見つけなきゃね。僕の音楽を好きでいてくれる人のためにライヴができないのは、本当に寂しい。良くなるほうに、期待しようよ」
■ 2020年11月6日(金)発売
Pole
『Fading』
国内流通仕様CD TRCI-68 2,300円 + 税
[収録曲]
01. Drifting
02. Tangente
03. Erinnerung
04. Traum
05. Tölpel
06. Röschen
07. Nebelkrähe
08. Fading