Review | Bob Dylan『ソングの哲学』


文・写真 | コバヤシトシマサ

 Bob Dylanはポピュラー・ソングに爆発を引き起こした張本人だ。それは詩的な、あるいは哲学的な爆発だった。彼が「ノーベル文学賞」を受賞しているという事実を考慮に入れるなら、その仕事はごく一般的な意味での偉業といっていい。そしてこの“ごく一般的な意味での偉業”は、そのあまりに平板な形容と同様、いまでは単なる史実のひとつのように扱われている。実際のところ現在のBob Dylanは、ポピュラー・ソングにおける偉大な功労者であり、いわばブロンズ像のような存在だ。Bob Dylan、生けるブロンズ像。

 1960年代から70年代にかけてのDylanの作品は、言葉とイメージとが溢れ出して止まることがない。風景の描写があり、ストーリーの説明があり、人物と会話、啓示と言葉遊びに満ちている。喚きたてるようなトーキング・ブルース調で矢継ぎ早に語られるいくつもの神話。そう、彼の歌は今ではほとんど神話の一種だ。聞きとれない英語をどうにか聞きかじり、訳詞を読みながら何度も繰り返しその世界を反芻してきた自分のような人間にも、その尋常でない様子は十分に理解できる。驚くべきことに彼は3つの特別な歌、「It’' Alright, Ma (I'm Only Bleeding)」「Mr. Tambourine Man」「Love Minus Zero / No Limit」を同じ1965年に書いている。なんということか。とくに「Love Minus Zero / No Limit」の最初の4小節、silenceとviolenceとで韻を踏むという一見ありきたりな手法が、奇跡的なマジックのような効果をもたらすこのヴァースには惚れ惚れしてしまう。黒のスーツにサングラス、あのアイコニックなスタイルの彼にそりゃみんな夢中になったわけだ。

My love, She speaks like silence.
Without ideals or violence.

――Bob Dylan「Love Minus Zero / No Limit」(1965)

 こんなことを言うと熱心なファンに叱られるかもしれないけれども、Bob Dylanが真に革新的な仕事をしたのはおよそ10年とちょっとくらいだろうか。アルバムで言うと『The Freewheelin'(フリーホィーリン)』(1962)から『Blood On The Tracks(血の轍)』(1975)くらいまで。その期間がポピュラー・ソングの爆発としての彼のピークだと自分は考える。ちなみにKendrick Lamarのキャリアは最初のリリースから数えて現在で13年くらい。言葉を使ってポップ・ミュージックに革命を起こすという意味でふたりは似ているところがあるけれども、Kendrick Lamarはこの先どんなキャリアを歩むだろうか。

 ところで自分はなにも、Bob Dylanがピークを過ぎたロートルだと言いたいわけではない。むしろ全く逆に、ある種のピークを終えた後も彼が作品を作り続けていること、いまもそれを世界中で演奏していること。自分も歳を取ったからか、その事実に強く惹かれる。老いてなおDylanは活発になっている。本業である歌だけではなく、絵画や彫刻も制作しているそうな。いったい何が老齢のディランをそうさせるのだろう。「大工が家を作り、スシ職人がスシを握る。自分の場合は歌を作っているわけだ」彼に尋ねたなら、きっとそんな風に嘯くだろうか。

Photo ©コバヤシトシマサ

 本書『ソングの哲学』(2023, 岩波書店)は、そんなDylanが『ボブ・ディラン自伝』(2015, SBクリエイティブ)以来18年ぶりに発表した著作だ。古今のポピュラー・ソングを1曲ずつ取り上げ、その歴史的背景やトリビアを披露したり、あるいは彼なりの解釈を試みたり、あるいは詩的な注釈を加えてみせる。そうすることで他人の“ソング”に別のストーリーを添えている。要するに他人の歌を借りて自分の創作をしたような読み物。中でも彼が施す詩的な注釈が特に素晴らしい。ここでは引用も抜き書きも控えるが、一点だけ。Little Richardの「Long Tall Sally(のっぽのサリー)」(1956)について。THE BEATLESのカヴァーでも有名なこの曲に、Dylanはごく短い詩的な注釈を加えている。世界が洪水で破滅する前に生きていた巨人族のひとりである"Long" Tall Sallyという身の丈3m半の大女から始まり、自らを“小さな”と称する"Little" Richardという名のシンガーへと至るアナザー・ストーリー。それはもはやDylanの詩であり、つまり彼は他人の歌を借りて、それを光らせ、飛翔させ、雲の向こうへと飛び立たせている。

 かつてBob Dylanが作ってきた偉大な歌の数々は、実のところほとんどフォークやブルースの形式を借りたものだ。彼の音楽はサウンド的にはそれほど革新的とはいえない。そしてファンにはよく知られるように、彼の歌の内容もまた伝統的なフォークやブルースから借りてきたものが多い。ここでちょっとしたトリビアを紹介すると、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは一度だけDylanの言葉を引用したことがある。Dylanの3枚目のアルバム『The Times They Are A Changin'(時代は変わる)』(1964)のジャケットに記載された「十一のあらましの墓碑銘」と題された詩のなかの一節。

そうとも俺は思考の盗人
でも魂の売人じゃないぜ 念のため

――『現代思想 5月臨時増刊号 総特集ボブ・ディラン』(2010, 青土社) | 市田良彦「代書人ボブあるいは〈誤訳〉」より

 もともと盗っ人だったDylanは、本書でもまた本歌取りの一環を振る舞っているのだ。もっとも当人はその魂までは売り払っていないと弁解しているわけだが。

 本書、実は図版もかなりおもしろい。Elvis Presleyやアインシュタインの珍しい写真なども含む。この本はアメリカ史を綴ったヴィジュアル・ブックでもあり、かの国の文化を爆発させたBob Dylan当人によるアメリカン・ゴシック横断ツアーでもある。

Photo ©コバヤシトシマサ

■ 2023年4月25日(火)発売
ボブ・ディラン 著・文 / 佐藤良明 翻訳
『ソングの哲学』

岩波書店 | 3,800円 + 税
A5変型判 | 350頁
ISBN 978-4-00-023746-8

ディランが66の曲を選びポピュラー音楽の奥義を明かす。詞の世界に「きみ」を導く抒情的散文、社会や制度に切り込む精緻な楽曲分析、約150点の豊富な図版──突っ走る詩人/世界的な文学者による音楽批評の到達点。神秘的にして闊達自在、辛辣にして深遠。アメリカの内奥に分け入り、うたのなかに存在の意味、時の超越を透かし見る。

目次
デトロイト・シティ ── ボビー・ベア
パンプ・イット・アップ ── エルヴィス・コステロ
ウィズアウト・ア・ソング ── ペリー・コモ
この悪の園から連れ出してくれ ── ジミー・ウェイジズ
そこにグラスがある ── ウェブ・ピアス
放浪ジプシーのウィリーと俺 ── ビリー・ジョー・シェイヴァー
トゥッティ・フルッティ ── リトル・リチャード
マネー・ハニー ── エルヴィス・プレスリー
マイ・ジェネレーション ── ザ・フー
ジェシー・ジェイムズ ── ハリー・マクリントック
プア・リトル・フール ── リッキー・ネルソン
パンチョとレフティ ── ウィリー・ネルソン&マール・ハガード
ザ・プリテンダー ── ジャクソン・ブラウン
マック・ザ・ナイフ ── ボビー・ダーリン
ウィッフェンプーフ・ソング ── ビング・クロスビー
ユー・ドント・ノウ・ミー ── エディ・アーノルド
膨れ上がる混乱 ── テンプテーションズ
ポイズン・ラヴ ── ジョニーとジャック
ビヨンド・ザ・シー ── ボビー・ダーリン
オン・ザ・ロード・アゲン ── ウィリー・ネルソン1
二人の絆 ── ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ
泣いた白いちぎれ雲 ── ジョニー・レイ
エル・パソ ── マーティ・ロビンズ
ネリー・ワズ・ア・レディー ── アルヴィン・ヤングブラッド・ハート
別れないのが安上がり ── ジョニー・テイラー
アイ・ガット・ア・ウーマン ── レイ・チャールズ
CIAマン ── ザ・ファッグス
君住む街角 ── ヴィック・ダモーン
トラッキン ── グレイトフル・デッド
ルビー,怒ったのか? ── オズボーン・ブラザーズ
オールド・バイオリン ── ジョニー・ペイチェック
ヴォラーレ ── ドメニコ・モドゥーニョ
ロンドン・コーリング ── ザ・クラッシュ
ユア・チーティン・ハート ── ハンク・ウィリアムズ with ドリフティング・カウボーイズ
ブルー・バイユー ── ロイ・オービソン
ミッドナイト・ライダー ── オールマン・ブラザーズ・バンド
ブルー・スエード・シューズ ── カール・パーキンス
マイ・プレイヤー ── ザ・プラターズ
ダーティ・ライフ・アンド・タイムズ ── ウォーレン・ジヴォン
もう痛まない ── ジョン・トルーデル
キー・トゥ・ザ・ハイウェイ ── リトル・ウォルター
みんな慈悲を叫び求める ── モーズ・アリソン
黒い戦争 ── エドウィン・スター
ビッグ・リバー ── ジョニー・キャッシュ&ザ・テネシー・トゥー
フィール・ソー・グッド ── ソニー・バージェス
ブルー・ムーン ── ディーン・マーティン
悲しきジプシー ── シェール
俺のフライパンはいつも料理と油だらけ── アンクル・デイヴ・メイコン
恋のゲーム ── トミー・エドワーズ
ある女 ── アーニー・ケイドー
俺はいつもイカレていた ── ウェイロン・ジェニングス
魔女のささやき ── イーグルス
ビッグ・ボス・マン ── ジミー・リード
のっぽのサリー ── リトル・リチャード
老いて迷惑なばかり ── チャーリー・プール
ブラック・マジック・ウーマン ── サンタナ
フバェニックスに着くころに ── ジミー・ウェッブ
家へおいでよ ── ローズマリー・クルーニー
銃は街に持っていかずに ── ジョニー・キャッシュ
降っても晴れても ── ジュディ・ガーランド
悲しき願い ── ニーナ・シモン
夜のストレンジャー ── フランク・シナトラ
ラスヴェガス万才 ── エルヴィス・プレスリー
サタデイ・ナイト・アット・ザ・ムーヴィーズ ── ザ・ドリフターズ
腰まで泥まみれ ── ピート・シーガー
どこなのか,いつなのか ── ディオン

Photo ©コバヤシトシマサコバヤシトシマサ Toshimasa Kobayashi
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会社員(システムエンジニア)。