Interview | 浮


日記をつけるみたいに、自分の言葉がそれぞれにあるといい

 米山ミサが浮(ぶい)として歌を始めたのはほんの4年前。それまで音だけが傍にあったわけじゃなくて、浮を形成してきた多くのものは、料理や人や場所だった。そんな日常から生み出されてきた音楽が、2019年に1stアルバム『三度見る』(2019, FABIENNE)としてかたちになり、2022年11月1日には2ndアルバム『あかるいくらい』(Sweet Dreams Press)として発表された。

 浮を見ていると、素直であること、一生懸命であること、誠実であること、そんな真摯な言葉が浮かんでくる。様々なチャンスのタイミングを逃さないまっすぐさと勢いと、タイミングが向こうからやってくる天性の引力と。そんな浮の視線を見つめるのはあまりにもまぶしくて、陰でずっとその姿を見ていきたいと思わせる。歌を歌っていなくてもきっと、浮は浮であって人を惹き付け続けるし、広がっていくだろう。


 新作は、ここまで生きてきた浮の生き様そのもののような、情緒的で、言葉ひとつひとつにも、ちゃんと切ない呼吸も混じってる。いいアルバムだな~人間っだなあ~って思わず声に出したくなる。いいことばっかりじゃないよな。でもさ、がんばろーぜ、みたいな。このインタビューにはそんな、誰もが勇気をもらえるような、強い意味が込められていると思う。


取材・文 | 鷹取 愛 | 2022年12月
撮影 | 星野佑奈
協力 | キチム (Thanks to 原田奈々)


――2ndアルバム『あかるいくらい』のリリースおめでとうございます。今、アルバムの内容について、いろんな場所でお話しする機会も多いと思うので、今日は私が一番聞きたい浮ちゃんの周りの人物たちのことをたくさん聞こうと思います。よろしくお願いします。

 「お願いします」

――昨日、浮ちゃんといつ出会ったか考えてたんだけど、最初に会ったのっていつだったっけ?
 「いつだろう。イベントで、やまのはくん(kiQ)とか、里枝さん(白と枝)とかがいたときかな?」

――そうだ! 水道橋の「インド富士子 / ムンド不二」が、オープン前に試食会を開いたときの呑み会で出会ったんだ。
 「あ、そうだ!」

――もともと浮ちゃんのことを知ってはいたけど、やまのはくんが連れてきてくれて。2021年の夏の終わりだから出会ってまだ1年半ちょっとか……。浮ちゃんが音楽始めたのって何年前?
 「2018年なので4年経ちました」

――それまでは飲食を生業にしてたんだっけ?
 「それまでは、料理の専門学校に通っていました。本当はお菓子をやりたくて、調理学校の製菓コースを選択していたんですけど、いろいろあって中退して。そのままレストランで働きながら、細々と音楽は続けていて」

――地元はどこだっけ?
 「茅ヶ崎です」

――海の近くの人だ。
 「わりと近いです。音楽は藤沢でずっとやっていて。先輩とかがバリバリのバンドやっている人たちだったから、高校から音楽の繋がりがあったので、そこからちょっと歌い始めたりしたのが楽しくなってきて。弾き語りを始めたっていう感じです」

浮 | Photo ©星野佑奈

――軽音部では何のパートをやってたの?
 「軽音部ではずっとベース。みんな女の子で、私がベースでバンドをやっていたんですけど、ギター・ヴォーカルが抜けて歌う人がいなくなったから、私がベース・ヴォーカルになって。全部コピーです。オリジナルを作ったりはしないから」

――何のコピー・バンドだったの?
 「ふたつバンドを組んでいて。高校の軽音部のバンドと、校外で別の高校の友達と組んだバンド。外のバンドはTHE BEATLESとかTHE SPECIALSとか。UKロックみたいなのが好きだったりしたので。軽音部のほうは自分の好きな曲を洋楽メインでやっていて、BEN FOLDS FIVEとかをやっていました。お兄ちゃんが音楽好きで、高校くらいからそういうのを聴いていて」

――そういう人が周りにいたんだね。
 「わりとコアな音楽好きの高校生が周りに多くて。私の通っていた高校じゃなくて、兄が通っていた高校の音楽部がそういう感じ。なぜかモッズが流行っていて、Vespaを改造してモッズ・コートを着て走り回ってるみたいな」

――そういう時代と、土地柄もあったのかな(笑)。
 「そうかもしれない(笑)。それで、音楽はやりながら、料理をメインにしていきたいと思っていたので、料理に関することではできないことをなくしたいと思って。いろんなジャンルの飲食店で働いたりしました。最終的にはお菓子で自分のお店を持ちたいと思っていて、それは今も思ってるんですけど」

――浮ちゃんが働いている場所、前にもいくつか聞いたことがあるけど。けっこうキャッチーな場所にいつもいるな、と思っていて。それぞれ働くきっかけとかがあったの?
 「あまり履歴書を送って面接してバイトを始めるっていうのをやったことがなくて、働きたいと思っていたら自然とそういう流れになったところもあります。(現在バイトをしている)日記屋・月日は面接をして入ったんですけど、面接まで漕ぎ着けるのに友達が仲介してくれたりして」

――月日は、自分の楽曲に「つきひ」という曲がまずあって、その後に同じ名前のお店を見つけて、働くことになったんだもんね。
 「働き始めるのにけっこう自然な流れが多くて。おもしろそう、って思ったところしか働いたことがないかも」

――それが自然とやって来るってすごいことだよね。今ライヴもめちゃくちゃやりまくってるじゃん。側から見てると、ライヴで出会った人たち全部繋がって行って、毎回浮ちゃんの仲間になっていくっていうか、応援する人になっていってる気がしてさ。それが+(プラス)で広がってくんじゃなくて×(カケル)で広がっていってさ、どんどん倍になっていくっていうか。今は音だけど、聞いていると、飲食のときもそんな感じがしていて。なんか常に人が周りにいると感じてる。
 「たしかにそうかも。広がりかたは変わっていないかもしれないですね」

――ここまでに大きい出会いで、印象に残ったものはある?
 「かなり遡るんですけど、高校に入学するときに、中学の友達がひとりもいないところにどうしても入りたくて。小中がだいたい同じメンバーで繰り上がるとこだったから。小中であまりうまくいかなかったので、心機一転で鎌倉の高校に行って軽音部に入ったんですけど、そこの先輩が移動式映画館をやっているWAWA CINEMA(輪輪シネマ)っていう団体が茅ヶ崎にあるって話していて。最近は、映画上映に限らず空間演出などもしている団体なんですけど。その上映会があるから行くんだ、って言うから私も行きたいですってついて行きました。家をそのままギャラリーにしたみたいなスペースに、布団とかクッションとかがあって、本当にリラックスしながら家で観ているように映画を観よう、みたいな企画で。なんか、それを手伝いたくなって、そこに入れてもらったんです。当時その人たちは、今の自分と同じか、もうちょっと歳上くらいだったんですけど、そこに高校生の自分を入れてもらって」

――すごい!今、何歳だっけ?
 「26歳です」

――10歳くらい下の高校生を招き入れるってけっこうすごいことだね。
 「自分だったら怖いです。お酒も出すイベントとか、泊まりのイベントとかもあったし、よく入れてくれたな、と思うんですけど。それが全ての始まりだったな、って思うところがあって」

――それが高1とかだったらめちゃくちゃ衝撃的な出来事だね。
 「そうなんです。それでイベントとかのお手伝いをさせてもらって。4、5年やったかな。20歳過ぎまで。自然とその団体は空間演出とかVJとかがメインになってきて、自分も専門学校に通い始めたりしていたので、あまり手伝わなくなったんですけど、すごくいろんなイベントを手伝いに行かせてもらっていたので、そういうことをこれからもやりたいと思って」

――何かを自分が企画して人を呼びたいということ?
 「イベントに行くんじゃなく、携わりたいというか。そういう気持ちがありつつ、移動式映画館の人の紹介で、ずっと憧れていた鎌倉のレストランに入れることになって」

――その繋がりだったんだね。
 「高校生のときから料理の専門学校に行くって決めていたから、何かひとつに絞らないといけないんだと思って」

――絞らないといけないと思ったのか。まあそうだよね……。
 「思ってました。それで、本当は大学に行ったほうがいいんだろうな、と思いつつ、料理をやるぞって。そしたら専門学校があまりにも軍隊みたいなところで。いかに上司の圧に耐え、いかに上司に気に入られるか、みたいな……」

浮 | Photo ©星野佑奈

――社会だったのか。
 「社会を教えられる場所で、料理楽しくない……ってなっちゃって。でも、バイトをしているレストランはすごく楽しかったから、そこがあるからいいやと思ってたんですけど、そこはそこでプロフェッショナルなところで。ある程度経験がないと力になれない場所だと感じていたので、もうちょっと専門的なことをしてまた戻ってこようと思って。それで、一緒に働いていた人の紹介でお菓子屋さんで働いたり」

――それも紹介なんだね。
 「全部紹介です。そんな感じで、苦手なことをしらみつぶしにやろうと思って、お菓子屋さん、コーヒー屋さん、パン屋さんとか、いろんなところで働きました」

――それは全部できる人ですね。
 「わりとそうなれてきたかな、と思ったんですけど、それも途中で音楽になっちゃってるから、中途半端なんです」

――でも、全部音楽に繋がってない?今までやってきたこと。
 「そうなんですよね。料理の道では鎌倉のレストランで5年くらい働かせてもらって。だいたいターニングポイントになったようなところは5年ずつ働いているんですよ。他にも5年働いたところがあって、表参道にあったCOMMUNE246っていうスペースと、原宿のVACANTのひとつ隣の通りにあった、IKI-BAっていうカフェ。最初は友達と散歩していて偶然見つけたんですけど、なんだここは、ここで働きたい、って」

――(笑)。何歳のとき?
 「それも19歳のとき。まだ神奈川に住んでいて、実家にいたんですけど、働かせてくださいって何回も言いに行って、働かせてもらえるようになって。そこから5年間、COMMUNE246とIKI-BAのふたつで働いていました」

――その頃の時代のさ、あのへんの楽しい大人たちとの出会いが、今の浮ちゃんの周りに繋がっている気がするね。
 「そうなんです。良い人にもたくさん会ったし、苦手な人にもいっぱい会ったけど、自分が苦手だと思う人と会っていても、隣にいる人たちがその人の良いところをいっぱい教えてくれたりして」

――えー。泣ける。
 「自分の苦手とか嫌いっていう第一印象を、良い意味で疑えるようになった。人の見かたが変わったし、人としてすごく大事なことを教わったような。みんなこう、完璧じゃないからこそ、認め合うというか。そんな大袈裟なことではなく……なんか、そこにいることがあたりまえにできたというか」

――ちょっとだけ年齢が上の20代後半とか30代とかだよね?どうしようもない大人もきっといっぱいいたよね(笑)。
 「いっぱいいました(笑)。でも、みんな一緒に遊んでいたから」

浮 | Photo ©星野佑奈

――その5年間の途中から、音楽の活動が始まったんだよね?
 「そうです。IKI-BAで働き始めたときは、“料理やってます”っていう感じで入って。その頃、自分が歌っていた地元のバンドが解散したんですけど、歌を続けたいっていう気持ちになって。それでひとりでギターで練習していたら、それもIKI-BAの人たちがすごく応援してくれて。“青山ファーマーズマーケット”とかで、“マイク持ってくから歌いなよ”って。流しみたいな感じで」

――ほんと流しだね(笑)。最初から“浮”名義で始めたの?
 「最初は“米山ミサ”でやっていたんですけど。“浮”にすることにして。“イベントあるから歌ってみたら”っていう感じで、流しの歌唄いを始めました」

――そのとき、良い感触みたいなのはあった?
 「もう誰も見てないし、見ないだろうと思っていたから、とりあえず一生懸命歌って、それがあたりまえだし、そのほうが良いと思ってたから。歌えるんだったら歌おうと思って。何も考えずにやっていたら、“いいじゃん、好きだよ”って。本当に親視点というか、応援してくれる周りの人たちがたくさんいて、優しくしてもらって。それでだんだん調子に乗って、やってみよっか、って」

――いいねえ。めちゃめちゃ周りだね。
 「そう、ほんとにそう」

――最初のファーマーズマーケットで歌ったときは自分の曲もあった?
 「自分の曲もやってました」

――それは料理を生業にしていたときに作った曲?
 「そうです。日記を書くみたいに、家の時間で、落ち込んだりしたときに書いた文章を歌にしてみようかな、って。一種の自分の癒しみたいな」

――セラピーみたいな。日記みたいに文章を書いて、でもなんでそれに音を付けようと思ったの?
 「厳密に言うと、落ち込んで、ふとそのピークが過ぎたときに言葉が出てきて、その言葉を曲にすると、後から聴いたときに立ち直りかたを教えてもらえるようなものになっていて。それの繰り返しで曲ができていったので、自分のためにやっているっていう感じでした」

――今も同じ作りかたをしている?
 「今も、歌詞はだいたいそういう作りかた。でも、余裕も出てきたから、やってみたいことをかたちにしたり、俳句を作ってそこから歌にしたりとか。遊びもでるようになって」
 
――めっちゃ余裕だ(笑)。なんか1stアルバム(『三度見る』2019, FABIENNE)よりさ、2ndアルバムのほうが大人っぽいと言うか、歌詞も夜っぽいというか。お酒とかを飲むようになったからというのもあるのかな。1stのほうがもう少し幼い感じがする。Saboten Neon Houseの伊佐(郷平)さんとのツイン・ヴォーカルの曲(『風はながれて』)とか、シャッフルでダラダラ聴いていたときに、別の人の曲が入ったと思ったら浮ちゃんで。別の人が歌ってるのかな?と思うくらい、声も違うと思った。あと、いろいろな歌の表現ができる人なんだな、って。
 「たしかに、1stは自分の周りの殻が厚かったっていうのもあるし、すごく周りに甘えてました。その殻に閉じこもっている感じもあったし。何もやりかたがわからなかったから、バンド・アレンジとかもバンド任せで。音のひとつひとつに、2ndほど自分の意志がこもってないっていう状態で。あと、1stを出した頃、自分の働いている場所とか遊んでいるところには優しい人がいたけど、自分のパーソナル・スペースには当時付き合っていた人とか、友達とか、優しくし合える人があまりいなかったというか。わからなかったんですよ。人と人がどうやって一緒にいればいいのか。2ndを出すまでの間に、ちゃんと人を大事にしたいという気持ちを教えてもらえたし、人にそうしてもらったから、やりかたもわかるし。なんか精神的に成長した感じは自分の中にあって」

――2ndは今までの浮ちゃんの集大成で、大事な人が集まったっていう感じがするよね。
 「うん。時間が経つと、ずっと見守っていてくれたんだな、ってわかる人もいました。ちょっと周りを見渡す余裕ができて、自分も方々へ行くようになって、活動範囲も増えて。落ち込んでいたら誰かに助けてもらおうと思ってたけど、今までの自分は。少しずつ自分でなんとかできるようになっているんじゃないかなあ」

――前に浮ちゃんがTwitterでさ、リリースしてから『あかるいくらい』を聴けなかったけど、聴けるようになったって書いていて。それ読んだ後にまたすぐ聴いたの。そしたらなんかすごく苦しくなったりして(笑)。勝手に感情移入しちゃうっていうか。自分も然りなんだけど、老若男女、浮ちゃんに関わっているみんなが、家族みたいにどっぷりと浮ちゃんを大事に思うような魅力があるっていうか。このアルバムのメンバーを見ても、本当に心から家族みたいに近くにいる人たちで作っているのがわかるから。それは浮ちゃんのここまでの5年の話を聞いて、しっくりきたし、改めてわかった。また今は次の5年が始まっている?
 「そんな気がします。やっぱり2019年にショウタさん(テライショウタ | GOFISH)と福田さん(福田教雄 | Sweet Dreams Press)と出会ったのが大きいです」

――どんな出会いだったの?
 「COMMUNEで働いてるときに、イ・ランさんとか、井手健介さんとかの曲を、そこにいる人たちに教えてもらって、なんとなくその周辺の人たちの存在とか、Sweet Dreams Pressのことは気になっていたんですよ。当時付き合っていた人が住んでいた家の階下がスタジオ35分(東京・中野)で、ギャラリーと居酒屋が一緒になってるおもしろい場所だから、そこもずっと気になっていて。それで35分に、GOFISHが来るって聞いて“それって、Sweet Dreams Pressだよね!”ってなって。仕事が入っていたから、ライヴには間に合わなかったんですけど、上に住んでいた人と一緒に覗いてみたら、打ち上げしていて楽しそうだったから、“行ってみよう”ってなって。酒さん(酒 航太 | スタジオ35分店主)が彼のことは知っていたので、“彼は歌を歌っているんだよ”ってショウタさんに紹介してくれて。彼も“彼女も歌ってるんです”って紹介してくれたんです。ちょっと酔っ払っていて、ギターを回して歌おうっていうことになって、みんなで歌って。なんか本当に楽しくて。その夜が。最高!って。それからすぐ、その彼と石垣島に3ヶ月くらい住んたんですけど、帰ってきた頃にGOFISHのアルバムのコーラスに誘っていただいたんです。それも自分の大きな分岐点だった気がします」

――バンドに参加した流れで、Sweet Dreams Pressからアルバムを出そうってなったの?
 「そのときはまだ。ショウタさんと一緒に作った曲があって、それを“録れたらいいね”って話してはいたんですけど、本当はアルバムを出したくてタイミングを見計らっていて。自分でタイミングを作るというよりは、流れに任せようという感じ。福田さんに出会う前からSweet Dreams Pressから出したかったし。そのうちに晴れたら空に豆まいて(東京・代官山)でGOFISHと浮で対バンしたんですけど、(GOFISHでドラムを叩いていた)藤巻(鉄郎)さんがすごくて、“わー、見つけたー”と思って。その頃、今までとは少し違う、ミュージシャンとの繋がりができ始めた頃だったから、藤巻さんのドラムを初めて見て、潮田(雄一)さんのギターもすごいとか、とにかく感動していて。その年の年末にGOFISHのライヴを観に行ったときに、酔っ払った勢いでショウタさんと藤巻さんに“Sweet Dreams Pressから出したいんです”って言ったら、ショウタさんが“じゃあ面接始めます。なんで出したいんですか?”って」

――やばい!酔っ払いながら?
 「そう。それで説明したら、“合格です!”って言ってもらえて」

――福田さんの許可なく(笑)。
 「藤巻さんもやりますって言ってくれて。合格もらって自信がついたので、福田さんを呼び出して相談させてもらって、決まってたっていう感じです。それが2021年の春くらい」

――アルバムを出したのは2022年11月だけど、ゆっくり時間をかけて録ったりしていたの?
 「わりとスピーディに進みました。4月頃にベースは誰にしましょうかっていう話になって、服部(将典)さんを紹介してもらいました」

――最高。
 「最高なんです。顔合わせは日本橋の呑み屋だったんですけど、服部さんが在籍するNRQを聴いて、顔写真とかを見ていて、真面目そうだし、しっかりしてそうって思っていたんですけど、少し怖くて。でも、会って話したら、思ったよりも柔らかい人だなって思って。“前のバンド編成があるのに、なんで今のこの編成にしたいのか”っていうのを、服部さんに説明したんですよ。そしたら“僕、キュンとしました”って言ってくれて」

浮 | Photo ©星野佑奈

――(笑)。めっちゃいい話。
 「服部さんおもしろい人だな、って」

――どんな説得をしたの?
 「前のバンドのメンバーは年齢が近くて大好きで、よく会って遊ぶ人たちで、“楽しい”の中から始まったメンバーだったから、何も嫌なところはなかったけど、自分のやりたい音楽が、いわゆるバンド・アレンジではないってっていうことに気が付いて。リファレンスでこういう曲にしたいとか、既存のジャンルとか、そういう風に自分の曲を説明することにちょっと違和感があって。もっとこう、自然の音とか、楽器の音の中にもいろんな音があるっていうこととか、バンド・アレンジじゃなくて、それぞれの音があってアンサンブルになる、みたいなことをやりたいと思っていたから。3人が思い思いの音を出せば、もうちょっとおもしろいことになるんじゃないかと思って。前のバンド・メンバーとは違うことをやりたいからお誘いしたい、みたいなことを説明しました」

――キュンとしました(笑)。それが現在の浮と港(浮 + 藤巻鉄郎 + 服部将典)になっていくんだね。なんか歳上の大人2人と浮ちゃんっていう編成もめちゃくちゃいいな、って思っていて。背中で包んでいる感じのバンドだよね。すごく大好きです。
 「それで、リリースまで録る日程も決まっていたんですけど、その前に浮と港で何回かライヴをやろうという話になって。最初のなってるハウス(東京・入谷)が決まって、夏くらいに大城 真さん(夏の大△ | BasicFunction)に七針(東京・八丁堀)で録ってもらって。そこまでトントントンって進んでいたんですけど、ちょうど大城さんが忙しい時期になってしまって、自分たちの思っているスケジュールでは進まないっていうことがわかってきて。それでも、やり続けてくれてたんですけど。どうしても、最初の頃より、ライヴをやっていくとどんどん良くなってきてしまって。バンドの音のまとまりとか、アレンジもそうだし。良くなっていくのと裏腹に、録ったのは最初のほうなので、その初期衝動的な良さがあるかと言われたら、そこまで打ち解けられてもいなかったから、そのときの苦味みたいなのも残っちゃうと思ったら、ちょっと出せないと思ったんです。それで録り直すことを相談して、受け入れてもらって。宇波 拓さんにお願いすることにして、録り終えたのが今年の夏。ミックスに3ヶ月くらいかけて、マスタリングが10月頭に終わって、最後の最後もスピーディで2022年の11月1日のリリースになりました」

――今回それぞれの曲で、京都のたゆたうのイガキアキコちゃんや、森ゆにちゃんなども参加しているけど、どういうきっかけでこのメンバーに決まったの?
 「白と枝の里枝さんとショウタさんは、もともと関わってもらわないわけにはいかないと思っていました。“つきひ”のピアノは誰かに弾いてほしいと思っていたので、お会いしたことはなかったんですけど、ずっと好きだった森ゆにさんにメールして。イガキさんは、今年のはじめくらいに京都でライヴをやったときに共演して初めて会って。浮の曲を“こんな曲です”って一度弾いただけで、なんの説明もなしに何曲も合わせてくれたんです」

――アッコちゃんできそう(笑)。すごいヴァイオリニストだよね。
 「それですごく感動して、大好きになっちゃって。録り直すことが決まったときに、イガキさんの音が絶対入ってほしいと思って、お願いしました」

――コーラスで参加している白と枝ちゃんとはいつ知り合ったの?
 「2019年の3月くらいに、下北沢のmona recordでの対バンで一緒になって。白と枝っていう名前だけで、けっこうグッときて、友達になりたいと思っていたら、里枝さんは弾き語りじゃないバンド形態のときの浮を知っていてくれたんです。バンドの動画を観てくれていたらしくて」

――2人はずっと敬語で喋るし、“さん”付けだよね(笑)。
 「そうなんです。お互いずっと敬語なんですけど、ライヴの日に一緒にご飯を食べに行って話したら、地元が近くて。里枝さんは私の2つ上なんですけど、里枝さんの妹が私の高校の同級生だったんです。そういうこともあって、どんどん遊ぶようになって今に至ります」

――最初にライヴで歌を聞いたときから最高!ってなった感じなの?
 「なりました!ギターがすごく巧くて、上がり下がりが難しいメロディと難しいギターをすごく軽やかに歌うなー、素敵だなーって」

――白と枝ちゃんの演奏って潔いよね。
 「そうですね。それで、里枝さんと2人でライヴをやりたくなって、吉祥寺のBAOBABというころでやった私の企画に呼んだときに“一緒に歌いますか?”ってカヴァーを1曲やったんですよ。そのときに声がすごく合うんじゃないかと思って。その後、里枝さんと一緒に歌いたい曲を1曲作ったんですけど、歌詞は松井亜衣さんが書いてくれて。その曲ができて、ユニットやりましょうっていうことになって、“ゆうれい”になった感じです」

――3人でゆうれいなんだもんね。松井亜衣さんが言葉をやるっていうのはどんな流れだったの?
 「もともと亜衣さんのパートナーと仲が良かったんです。その頃、亜衣さんは福岡にいたんですけど、今度上京してくるから紹介しますって言われて。その後mona recordで会って、その時に亜衣さんが自分の詩を好きに使ってくださいって手紙に書いて渡してくれたんですよ。それがすごく良い詩だな、と思って。そこからちょこちょこ詩を送ってくれるようになって、その中のひとつを私が歌にして弾いていたら、里枝さんと歌いたくなって。そういう感じでゆうれいが始まりました」

――“歌ってください”って歌詞を渡される経験ってすごいね。
 「びっくりしたし、嬉しかったです」

――ユニット名はなんでゆうれいになったの?
 「あまり考えずに決めたんですけど。ピンときて。“ゆうれい、いいんじゃないですか”、“いいですね”、みたいな感じです」

――そう簡単に“ゆうれい、いいですね”ってならないかも(笑)。
 「たしかに……。今、ライヴはよくやるようになっていて、個人的にはゆうれいも意味を持ってやりたいと思っているんですけど、まだオリジナル曲が2曲しかないので、もうちょっとゆうれいの曲を作ってからまたライヴをやりたいと思っています」

――白と枝ちゃんは今回のアルバムにもコーラスとしてたくさん参加しているよね。
 「最初は“はるにれ”っていう、2人でハミングする曲だけにしようと思っていたんですけど、一度、里枝さんにライヴでコーラスをやってもらったら、自分の声を重ねることに逆に違和感を覚えてしまって。やっぱり自分の声に自分の声を重ねた音源って合うんですけど、作った音源になっちゃうから。今回は全部、仕切りも何にもない状態でまず一発録りだったので」

――バンド一発録りだったんだ!
 「そうなんです。モニター・スピーカーから普通に音を出しながら録ったんです。めっちゃ緊張してました」

――アルバムの1曲目、いつもスタートを押した後に、音鳴ってるかな?って、二度確認するくらい小っちゃく始まるじゃん。あれすごく、息も聞こえるみたいな現場感があって、いいなって思ってた。でも、毎回音鳴ってるかな?って確認する(笑)。
 「私も、友達のお店とかで聴こうよって流してくれるんですけど、絶対確認されます。これ流れてる?って(笑)」

――ジャケットの写真は、写真家の表 萌々花ちゃんが撮ってると思うんだけど、自分の写真を使うっていうのはどういう経緯だったの?
 「最初は1stのグラフィックをやってくれた子に次も頼もうと思っていたんですけど、福田さんが“写真がいいんじゃない”って言ってくださって。“自分の写真だけは勘弁してください”って言ってたんですけど、その頃ちょうど、ももちゃんが独立して、すごく遊ぶようになったんです。遊んだり、一緒に旅もするようになって」

――2人を見ていると、一心同体な感じがする。
 「なんかすごく、ももちゃんは特別な存在なんです、自分の中で。写真を載せるとか、ジャケットにするのは抵抗があった、たしかに流れとして、ももちゃんに頼むっていうのが一番自然かな、と思ったし、一緒に作品を作りたいと思って」

――このアルバムの中にいてほしいよね。
 「そう、いてほしいと思って。だから、結果これしかなかった」

――ももちゃんとの出会いはいつくらい?
 「2019年くらい。共通の知り合いがいて、その子を通してももちゃんが私の写真撮りたいって言ってくれて。それで一度吉祥寺で会ったら、最初はかしこまっていたんですよ。次は2人で会いましょうかっていうことになったんですけど、会った瞬間に“ヤッホー、ミサちゃん”って、急に親しみやすくなって、こっちだったんだ、って(笑)。すごくかわいくて素敵な人だなって思いました。でもその頃はアシスタントに付いていたからすごく忙しそうで、すれ違いが多かったんですけど、ちょこちょこ会えるときに会ってはいて。それで去年独立したときから、本当に解放された嬉しそうな顔になっていて、自分もそれを見て嬉しくて。じゃあ何か一緒にやろうよって。そういう話ができる友達です」

浮 | Photo ©星野佑奈

――今のももちゃんは、やりたい、行きたい、みたいなことが常に明確にある感じだよね。なんかふたりは一緒に成長している感がすごくあるな、って思ってた。それぞれ進んでいるふたりだし、双子みたいだなって。
 「“姉妹ですか?”ってよく言われます。髪型も似てるし」

――なくてはならない存在だね。
 「そうですね」

――今回、パッケージの装丁を横山 雄くんがやることになったのはどういうきっかけだったの?
 「遡ることになるんですけど、山田俊二さんの『閉店後のカフェ』(2019)のCDをたまたまInstagramで見つけて、この装丁すごい、いいなー、羨ましいと思って。その後にスタジオ35分に行くようになってから、常連だっていうすごいベロベロの人と仲良くなったんですけど、“俺ピアノやってるんだよね~”って話していて。“ピアノやってるんですか?”って意外に思うくらい酔っ払ってる状態しか知らなかったんですけど、“35分にCDあるよ”って言われて見てみたら、“このジャケットの人なんですか~!”ってなったんですよ。そのCDについてできる限り調べて、横山さんがデザインをやってるのがわかってから、横山さんのことが忘れられなくて、今年の夏の終わりくらいに、CDの装丁どうする?って話していたときに、“横山さんに頼んでみたいです”って言ったら、福田さんが連絡してくれたんです。そうしたら、浮を知っていてくださって、しかも“やる”って言っていただいて。だから突然始まった繋がりではあるんですけど、自分以上にこだわってくれているんじゃないか?っていうやりとりを積み重ねて、お互いここに向かう力の強さっていうのがあったので、横山さんに頼むのも必然だったんじゃないかって思います」

――全部偶然のような必然が集まってるね。横山くんとみんなで呑んでいると、最後に浮ちゃんの曲を何も言わずに流していて、みんなに聴かせてる(笑)。めちゃくちゃこの作品を愛している感じだったよ。良い大人にね、これからもたくさん出会うんだろうね。大事な人が増えていきますね。
 「でも、やっとそういう人が見つかったっていうか、自分の家族みたいな存在の人たちに出会えて、安心しました」

――安心して音楽を作れるね。でも、困難もあったらおもしろいね。楽しさの中だけじゃ不安もあるね。
 「そうなんです。それは苦手なんです。いつも、どこに行っても仲良くなりすぎちゃって。自分だけ抜けるみたいなことも多くて。でも、今一緒にやっている人たちは、ヒリヒリ感もあるし、馴れ合いでは絶対ないから。やれることがあると思います」

浮 | Photo ©星野佑奈

――そうだね、そこまでまずはやってみてだね。見える世界はどうなるかな。今すごい瞬間のときだ。最後に、これからやってみたいことはありますか?
 「なんかもっと、自分の歌が特別なものじゃないように、今そう見られているかはわからないですけど、人前に出て歌を唄うことが、特別なことじゃなく思われるようになってほしいというか。私が曲を作って唄うように、ひとりひとりが、何かを通して自分を投影するものがあったり、それを使って人に自分を知ってもらったり。そうじゃなくても、日記をつけるみたいに、自分の言葉がそれぞれにあるといいな、と思っていて。自分はこういうふうにやってるよ、っていう提案をしていきたい」

――なんか浮ちゃんのいろんな時系列を見るとさ、全然歌だけじゃない世界で生きてきてさ、偶然歌だっただけでさ。浮ちゃんが今話してたような、そういうことへの気づきを、みんなに伝えていくことは今もしていて。いっぱいライヴに出ることとか、まずきっかけをいっぱいくれてるからさ。浮ちゃんの歌を聴いて、そういう感じが伝わる人が毎回増えてゆく気がするから、超普及活動してると思う。今浮ちゃんは場やきっかけを作っている気がしてる。すごいです。
 「うんうん、嬉しいですね」

――はい、そんな感じで、みんなで一緒にがんばっていこう~。
 「はい、がんばります」

――引き続き、浮ちゃんのお菓子も食べたいので、活動やってほしい。
 「やります!」

――それでは今日はありがとうございました。
 「ありがとうございました。お疲れ様でした」

浮 'あかるいくらい'■ 2021年11月1日(火)発売

『あかるいくらい』

CD SDCD-053 2,800円 + 税

[収録曲]
01. とげぬき
02. あかるいくらい
03. 薄暮は時を
04. 大汽
05. 石の浜
06. 魚
07. はるにれ
08. 治る
09. 愛が生まれる
10. つきひ
11. 湯気
12. 祝福

浮『あかるいくらい』アルバム・リリース・ライブ浮『あかるいくらい』アルバム・リリース・ライブ
https://www-shibuya.jp/schedule/015037.php

2023年1月9日(月・祝)
東京 渋谷 WWW
開場 17:30 / 開演 18:00

前売 3,500円 / 当日 4,000円(税込 / 別途ドリンク代)
e+ | ローソン(L 74248)

出演
浮と港 (米山ミサ + 藤巻鉄郎 + 服部将典)
ゲスト | イガキアキコ (vn) / 森ゆに (pf) / 白と枝 (cho) / テライショウタ GOFISH (vo, g)

※ お問い合わせ: WWW 03-5458-7685

キチム Official Site

〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町2-14-7 吉祥ビルB1F

土日月・祝日 12:00–18:00 (LO 17:30)

※ イベントなどにより営業時間が変更となる場合がございます(「今週の予定」参照)。
※ カフェ / ショップへのご入店はラストオーダー(L.O.)の時間まで可。