Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 1月末、珍しく雪がずっと降り続いていた。雪が積もってもコロナ療養中でも、飼い犬のおもちの散歩は行かなくてはならないけれど、全く苦痛ではなかった。日が沈んでから散歩に出る。かちりとした結晶のように細かく突き刺さるような空気が顔にあたって気持ち良い。平野にのっぺりと広がる雪が微かな光を反射して車道を明るく照らす。ここに引っ越してきてから未だ見たことのなかった景色が目の前に映し出され、新たな経験としてわたしの中に蓄積される。緩い積雪のように、平凡な町で起こる何気ない出来事が層となり、重なっていくのが楽しい。

 歩きながらポッドキャストでアラフォーの話題を聴いた。ふと、20歳頃に抱いていた40歳になったときの理想図を思い出す。キャリアを積んで、仕事で成功して、結婚をして、30代後半ではきっと子供も。今はそんな理想とはかけ離れた生活をしている。それに関して引け目を感じてはいないけれど、ひとつ後悔することがあるとすれば、根気強く物事を続けられなかったことだと思う。大学で学んだファッション・デザインは、コンペティションで賞を取ったりもしたけれど、結局キャリアとして続けることはなかった。東京で会社員になると同時に始めた写真も、いつの間にか遠のいていた。その頃のわたしは、生活の基盤の緩みを恐れ、社会で生きるべき姿というものに囚われていたと思う。肩書は、仕事のできる会社員がいい、でも、制作活動もしたい。なかなかバランスが取れないまま、自分の能力や才能を信じ切ることができず、生活が苦しくなることを嫌い、どっちつかずのままでいた。その状態が辛くなり始めた頃に突然台北へ移住したり、結婚してアブダビへ引っ越したり、現実逃避とも取れるような行動もした。中途半端で何も得ることができなかったということを、新たな場所で新たな自分に出会うことで補おうとした。でも結局、人間は変わらない。いつもどこか満たされない気持ちで毎日を過ごしていた。先を見据えて行動していた友人たちは自らの制作という名の下で生活している。彼女彼らの努力や才能が報われている現状がとても嬉しい反面、自分はなぜもやもやとした状況からなぜ抜け出せないのだろうと考えたりもする。わたしは要領の良い人間というものからは程遠いところにいる。

 40歳手前にして、もう会社員として生きていくのに限界を感じた。自分で動き出すしかない。そして、書き物に携わらせてもらう機会も増え、やりたいことも明確になってきた。この歳で駆け出しとなるのは遅すぎるのではないかと感じてしまうこともあったりするけれど、そんな古臭い考えかたに囚われているよりも、前に進んでいくほうが建設的である。「生まれて初めて、脇目も振らずにやってみるときなんじゃないの」という父の言葉にも後押しされている。

 自分の生きたい生きかたというのに辿り着くまでにずいぶん時間がかかった。辿り着いたのはいいけれど、経済面や仕事面の不安も抱えるのはたしかであるし、今となっては田舎に住むことに絡んでくるマイナス要素を感じることもある。理想というのは欲が塊のように膨らんでいく底知らずのものだ。もっと賢ければ、もっと器用であったら、もっと自尊心があれば、という呪縛からなかなか解き放たれることもない。そんな悩みを抱えている中、ユングの「人は光明に輝く人物を想像することによってではなく、闇を意識することによって教化されるのである One does not become enlightened by imagining figures of light, but by making
the darkness conscious
」という一文を見つけた。わたしが抱える負や葛藤も遺産。こんな困苦もわたしを奮い立たせる得体の知れないエネルギーなのかもしれない。

 昼過ぎに雪かきをしたのにもう新しい積雪で地面が覆われていた。この雪の層のようにわたしの過去とこれからも重なっていく。時折底のほうにあるカチカチに凝り固まった氷の層に足を取られながらも、ふっくらとした真っ白な新雪の軽やかさに心躍らせていきたい。

01 | 08 | 10
正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。