Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 暖かい陽射しが心地よい季節になった。道端にはオオイヌノフグリがぎっしりと咲いている。この冬は暖房をつけっぱなしにしたリビングのソファーで雑な睡眠をとっていたけれど、3月に入ってから寒さも緩いで暖房のない寝室でも眠れるようになった。冬に入ってから、特に2月は気分が落ち込んでしまい、4年間ほぼ毎日続けていた運動も途絶え、人と会うのも億劫になって家に引きこもっていた。食欲も失くなり、体重は不健康に落ちた。

 寒い朝、起きたらまず混乱する。こちらに越してきてから1年以上経っても、今までとは違う環境になかなか馴染めないと感じるときもあって、ここにいるべきか東京へ戻るべきか考えてしまう。いい加減自分の下した決断に自信を持ちたいところだけれど、刺激のない田舎の退屈さや不自由さにうんざりして、今まで持っていたものを全て手放したような気持ちになってしまうことが拭い切れない。それから1本タバコを吸う。何度も辞めようと思いながら辞められない癖。タバコを吸いながら、ヘイトや怒りで荒れ果てているTwitterのタイムラインを眺め、暗い話題にため息をつきながらお茶を淹れる。本当はコーヒーを飲みたいけれど、冷蔵庫に入っている珈琲豆がいつ買ったかわからないくらい古くなっている。そしてこの連載も、2月は一度も書けないままだった。

 負のほうへ片寄っている生活。このままではだめだと思い、朝早く実家に向かい、父が淹れるコーヒーを飲みに行くことにした。ずいぶん前に引退している父の朝は忙しい。まず目覚めたら、入念にストレッチをする。その後着替えて、書斎に向かう。そこで30分ほど書道をする。書道なんて習ったことのない父は書道入門の本を読みながら、新聞紙の上に文字を描く。ひらがなの〟を〝だったり〟わ〝だったり漢字の〟麦〝だったり、繰り返されるランダムな文字で紙面がびっしり埋め尽くされていく。それが終わると近所の神社で行事がある時に演奏する太鼓の練習を15分間。有志で始めたこの太鼓、神社に通い皆で演奏するのが父の最近の楽しみなのだ。その後は日本史の勉強。本を読みながら時系列に沿って出来事をまとめていく。それが1時間続く。一通り終わると、コーヒーを淹れる。しゃきしゃきとルーティーンをこなす父を観察しながら、わたしの堕落的な生活を変えなければと痛感した。

 その夜、遠距離恋愛中の恋人に電話をして、わたしの今の生活を変えなくちゃと話した。彼が、まず「足るを知る」が大事だねと言った。「何事に対しても、〟満足する〝という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」という老子の言葉。わたしが、今持っている全てを当たり前だと捉えて、満ち足りなさばかりに注視していたのはたしかである。今は、大盛り上がりするイベントで夜通し遊べるクラブなんて存在しない場所だけど、朝から美味しいコーヒーを淹れてくれる父がそばにいる。忘れていた乳がん検診の催促をしっかりしてくれる母もいるし、仕事の合間にぶーんと車を走らせお菓子片手にふらりと家に寄ってくれる友人のちえちゃんもいる。今までなかった支えがいつの間にかこちらで築き上げられている。そして離れていようが、メンタルをサポートしてくれる恋人と友人たちも、ありがたいことに存在している。わたし、自分勝手に自暴自棄になり、塞ぎ込んでいる場合ではないのである。

 今朝もコーヒーを飲みに実家へ向かった。父はいつも通り太鼓をぽこぽこ叩いていた。昼過ぎにはわたしの家にやってきて、庭にある畑にこれから綿を植えてみたいからと言って耕し始めた。わたしがここ1年、何か育てたいと言いながらも放置し、荒れ果ててしまっていた畑である。すぐそばにありながらも見過ごすことを優先してしまっていた生活の表れのようなものだなと感じた。そして今、ふきのとうやタラの芽が美味しい時期。せっかく旬の食材が楽しめる山と海に囲まれた土地にいるのに、それを楽しもうとする心さえも忘れかけてしまっていた。近々、友人たちを家に招いて、ふきのとうの天ぷらパーティをしなければな、とふと考える。

01 | 09 | 11
正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。