文・撮影 | 小嶋まり
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今回も、とりとめのない日記を。
オラファー・エリアソンの展示が終盤に近いということで、駆け込みで観に行った。入ってすぐあたりに、「終わりなき研究」(A harmonious cycle of interconnected nows, 2005)というハーモノグラフを用いた作品があった。そのコンセプトとかよりも、装置に取り付けられたリサージュ曲線を延々と滑らかに描き出すペンがとても気になってしまった。その軽やかに動き回るペンのメーカーを探ろうと、必死でブレないようにズームアップ写真を撮っていたら、向かいにいたおじさんもわたしと全く同じことをしているのに気付いた。仲間がいる、嬉しいな、と思い一緒に来ていた恋人に報告しようとしたら、少し離れたところにいた恋人も全く同じことをしていた。
そのあと、あのペン、ネットで買おうかなんて話しながら恋人と代官山の蔦屋へ向かった。ぶらぶらあてもなく本を眺めたあとに2階にあるバーに入ってお酒を頼んだ。ふたりで静かなところへ行って、特に会話もせずに過ごす時間が好きだ。一緒にいたとしても、本を読んだり日記を書いたり、各々が好きなことをして過ごせるのは心地いい。ふと読書を止めた恋人にiPadを渡すと、イラスト制作アプリで絵を描き始めた。それを気付かれぬようチラチラ眺めながら酒を飲む。そしてそのうち、手持ち無沙汰だったわたしも日記を書き始めた。
人が何かに没頭している姿を眺めるのが好きである。幼い頃、わたしの父はとある資格を取るため脱サラして1日8時間くらい、書斎に籠って勉強していた。毎朝出勤していた父が常に家にいるのが嬉しかったけれど、6人家族を抱えて無職になった父は必死である。書斎で一心不乱に本を読む、ノートを取る、問題を解く。父のそばから離れたくないわたしと兄は、勉強に没頭する父の横に静かに座って様子を伺う。そのうち、父の集中力が感染するかのように、わたしたちも無言でお絵描きに没頭し始める。共有する時間と空間のなかでも、その寡黙で孤高な見えない波紋に取り込まれ、穏やかな孤独にありつく。
バーで日記を書きながら、そういえば本屋の1階に文房具屋さんがあったなと思い出し、トイレついでに立ち寄ってみると、展示で装置に取り付けられていたペンがちょうど残り2本売られていた。すぐさま買ってバーに戻り、恋人にプレゼントした。そして早速、ふたりでノートを開いてペンを走らせ、こりゃ調子いいねぇなんて盛り上がった。
ちょうど今、自分はなんて試し書きしたのだろうとノートを見返してみたら、「予想通り滑らかで脳内がペン先に直結してるみたいだ」と書いてあった。ただでさえ雑な速筆で字が汚いのに、悪筆に拍車がかかるささやかな武器を手に入れてしまったけれど、田舎の古民家で1人で過ごす夜に日記を書くのが楽しみになった。ひとりぼっちの孤独も楽しめるようになる武器である。
ちなみに、この脳内直結ペンは、Rotringのティッキー・グラフィックでした。ぜひお試しあれ。