Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 4月頭に泣く泣くインボイス登録をしたりと仕事環境を整えた途端、依頼がぽいぽい入ってきたので、ゴールデンウィーク中はほぼ家にこもって作業をしていた。与えられたタスクをこなすのは目的までの道筋が明確なのでとっつきやすい。でも、ゼロから何かを作り出すというのは難儀である。この連載を書くのにもしばらく机の前でう~んと唸ってしまっている。

 昨晩は自宅で作業するのに飽きてしまって実家へ戻ってきた。何かいいネタが転がっていないだろうかと書斎を物色していたら、幼い頃好きだった北 杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズ、遠藤周作の「故里庵先生」シリーズが並べられていた。これらシリーズは真面目なんて削ぎ落としたおじさんのしょうもない小話ばかりで、大の大人がおばかな茶目っ気を持ち合わせているのは素晴らしいことだと幼心に感心していた。北 杜夫と遠藤周作は仲良しだったので、文章の中にお互いがちょいちょい小突き合うかたちで登場してくるのが嬉しかった。そういば数年前、当時7歳だった姪っ子・あーたんが、好きな芸能人はサンドウィッチマンと所ジョージとヒロミだと言っていた。あーたんもわたしと似たようなことをこのお三方に見出したのかもしれない。ちなみに、あーたんはサンドウィッチマンにファンレターを送ったことがあって、ふたりのふざけているところがだいすきです、と書いていた(ちなみに伊達氏から2年越しでお返事が届いていました、素晴らしすぎる)。

 ふと、遠藤周作が書いた本のどれかに、岡山県の美星町から眺める星が町の名の通り美しいと記されていたのを思い出した。曖昧な記憶だけれども。ここから美星町までは車で2時間半ほどだしいつか行こうと意気込んでいたけれど、未だ叶えられぬままである。美星町の夜空はどれほど美しいのだろうか。そんなことを考えていたら、アメリカの田舎町で草原を舞う無数のホタルに遭遇したことを思い出したので書き始めてみた。あれがたぶん、人生で見た中で一番美しい景色だったと思う。なんていうホタルの種類だったのか調べようとしたら、アメリカ在住の人が似たような体験を綴っているブログを見つけてしまった。同じような光景を目の当たりにした人がいるのかと感動しつつも、これは世に出せないなぁとボツにしてしまった。

 ちょうど数日前、家の窓を全開にしていたらウグイスの鳴き声が聞こえた。今年初めてだった。家に閉じこもっていても風情が自然の流れとともに感じられるこの土地は、虫が多すぎるだの文句を垂れながらもなんだかんだ好きである。今の時期に強く香る鮮やかな新緑やウグイスの鳴き声はスノードームに閉じ込めたいくらい愛おしい。前に、ライターの高岡さんがおすすめしてくれた『平安京 音の宇宙 サウンドスケープへの旅』(中川 真 著/平凡社)は、古典に出てくる音の背景を掬い取り、平安京にある鐘の位置などから実際その時代に存在していた音の環境について記されたもので、覗き込めばその自然や町のすがたまで見えてくるような、まさにスノードームのような本だった。

 今朝、実家は山の谷間にあるのにまだウグイスの声が聞こえてこないのに気づいた。それを父に伝えると、ウグイスは雛の生存率が低い上に縄張り意識が強いと教えてくれた(よく知っているねぇと感心したけれど、たまたま見ていたテレビ番組から仕入れた情報らしい)。ここらのウグイスの世界で何か変化があったのだろうか。わたしはウグイスのさえずりは好きなのに、その生態については全く知らない。自然のいいとこ取りばかりしている。父が、庭先にあるヤマボウシに花が咲いたのには気付いたか聞いてきた。わたしはヤマボウシがどれなのかわからない。その後気になったので、ヤマボウシの木を見てみようと庭に出てみた。緑の葉っぱを蓄えているだけで花なんて付いていない。咲いてないじゃんと言うと、2階に行って上から見てみろと言われた。素直に2階の窓から木を見下ろすと、4枚の花びらを広げた白い花がふたつだけ咲いていた。ほんとうに微かな開花だった。

 ウグイスは一夫多妻制らしい。生存率が低いがゆえの生き残りのためである。ちょうどさっき、おもちのお尻あたりの毛が伸びていたので庭先に座ってバリカンで刈っていたら、ウグイスの鳴く声が聞こえた。わたしが軽々しく風情なんて呼ぶものを紐解いていくと辿り着く、生命の葛藤の声なのかもしれない。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。