文・撮影 | 小嶋まり
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朝4時半に目が覚めた。
昨晩はなぜか手作りのポテトサラダが無性に食べたくなったので、母にお願いして作ってもらった。実家でご馳走になり、そのまま客間で寝てしまった。
5月末のこの時間、外はもうすでにうすら明るい。縁側に囲まれた客間のカーテンと障子をすべて開け放つ。細かい小雨が降っているのかいないのか分からないような、冴えない天気で湿度が漂っている。おもちが布団の上でまだ眠っていたので、わたしもまた横になる。庭の生い茂った緑が視界に入り、まるで森の中で寝そべっているような気分になった。人も自然もまだ目が開き切らない薄暗い空気の中、庭か家の中なのか分からない曖昧な境界線を見つけたようだった。
最近忙しくなり、気付けば仕事のことで頭がいっぱいになってしまい、書き物だったり久々に写真を撮ったりすることは後回しになってしまっていた。忙しいというのはただの言い訳で、要領が悪かったりサボっているだけなのかもしれないけれど、毎日食べたり税金を納めたりして、生きていかなくては。
今までの人生、仕事とやりたいことはわりと明確に線引きをしてきた。やりたいことで大成できるほどの意地や才能のなさを受け入れながらも、できる限りの労働をこなして生活を維持する。大河の流れに憧れながらも、この夜明け一帯に漂う細かい水粒のひとつひとつの主張のなさに紛れ込む。ジレンマを抱えたままの分離。その狭間に存在する自己主張と社会性というふたつのアルターエゴを同時にあやすのはなかなか大変だ。
境界線が溶けてしまった空間で寝そべりながら、とことん棲み分けてきた癖を手放して、全てをひとつの人生として受け入れてしまえばいいんだろうなとぼんやりと考える。割り切っているつもりで見ぬふりをしてきた感情や、異物として取り除いていた理不尽も、好奇心という欲張りな口でひとつの胃袋に収めてしまえば、この先を照らす糧になるのかもしれない。
起き上がって、なかなか書き終わらない小説に手を付けた。4、5行だけ書かれたメモのような文書ファイルがフォルダ内にびっしりと並んでいる。万年ひとりよがりのロマンティシズムに深く沈み込まずに、たまにはブイのようにぷかぷかと浮かび、広々とした表面をひとつの景色として眺めてみたいなぁなんて思う。