Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 結婚してアブダビと東京を行き来していた頃、代々木八幡にあるマンスリー・マンションを借りていた。マンションはゴタゴタした狭い住宅街にあって落ち着かない場所だったけれど、近くにこぢんまりとした公園があって、そこでパンを食べながらぼーっとするのが好きだった。

 ある日、マンションのエントランスのガラス扉に、葉っぱをテープで引っ付けていろいろな柄が施されていることに気付いた。まるで子供が思いのまま貼り付けたような、無邪気なアートがとても愛らしかった。数日おきに葉っぱの種類や柄は新しく変わった。紫陽花の花で飾られている日もあった。単身赴任者しか住んでいないこのマンションで、一体誰がこの小さな展示をしているのだろうか。

 早朝にエントランス先にあるゴミ置き場に向かっているとき、その作者を発見した。50歳くらいの、マンションの用務員さんだった。ビニール袋の中の葉っぱを大事そうに取り出して、ガラス扉に丁寧にテープで貼り付ける。真剣にその作業を繰り返していた。わたしは用務員さんに、とても素敵ですね、毎日見るのを楽しみにしています、と伝えると、用務員さんは嬉しそうに、ありがとうございます、と言った。

 その日から用務員さんに会うと挨拶をして、少しずつ話をするようになった。話といってもただの雑談で、今日はどこへ行くんですか、とか、天気が午後から悪くなりそうですね、とか、たわいもない内容だった。お互いを詮索するような質問もせず、とても気が楽だった。

 アブダビに戻る日が近くなり、退去に向けて部屋を片し始めた。2ヶ月の滞在でもいらないものはどんどん出てくる。それらをまとめてゴミ置き場に向かうと、用務員さんがいた。ずいぶんゴミが出ましたね、と言われたので、もうすぐマンションから出るんですよと伝えた。用務員さんは、そうですか、寂しくなりますね、と言ってくれた。

 アブダビに戻る数日前、ガラス扉に葉っぱを貼り付けている用務員さんにバッタリ会った。おはようございます、と挨拶すると、ちょっとお時間よろしいですか、と聞かれた。近所のコンビニへ向かうだけだったので、いいですよ、と言って2人で花壇の縁に腰掛けた。

 こんなことを人にお話しすることはないのですが、と用務員さんは話し始める。
用務員さんは、大学時代にひどい鬱になってしまい、何も手につかなくなってしまった。それから治療してずいぶん良くなり、素敵な女性にも出会って結婚したけれど、いろいろとゴタゴタがあり、また鬱になってしまった。でも奥さんが支えてくれてずいぶん良くなったけれど、それから生活というのが、生きることというのが、よくわからなくなってしまった。この前、葉っぱで模様を作っている姿を目撃されてしまって、挙動不審な人だと思われるのをすごく心配したけれど、逆に褒めてくれて、本当に嬉しかった。実は、生きることがよくわからなくなってしまったときから絵を描くことを始めて、それが今の生き甲斐になっている。たまたまひっそりと始めたガラス扉の葉っぱのコラージュを喜んで見てくれる人がいるというのを知れたのは、本当に嬉しい出来事だった。

 ありがとうございます。と最後に用務員さんは言った。わたしは、これからも絵を描き続けてくださいねと伝えた。わたしがそんなことを伝えなくても、きっと用務員さんは絵を描き続けるだろうけれど。

 あれから5年近く経っても、いまだに用務員さんのことを思い出す。まだあのマンションのガラス扉は葉っぱで飾られているのだろうか。わたしも、生きるということは何なのかよくわからない。衝動に駆られながら失敗したり、嬉しかったり、ほんの小さなことで幸せだと感じたりしている。用務員さんも、得体の知れない“生きる”という道を辿りながら、幸せだな、と感じることがたくさんあってほしいと心から願っている。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。