Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 継続できる力に憧れている節がある。ひとつのことを執念深く続け、血となり肉となり、それが対価となって生活の基盤になっている友人が周りにたくさんいる。情熱であったり才能であったり、自分にはこれしかないという信念であったり、人それぞれの継続の秘訣というものはあると思う。片やわたしは、継続することができない人間である。自分にはこれしかないというものをついに見い出したという気持ちになっても、なかなか維持することができない。思い切った転職だらけで職種もバラバラ、今もスタート地点をうろうろしている。

 先日、料理店を営む友人と話をした。探究心があり、とてもおいしい料理を作る人で、これからも培った技術を活かしてお店を継続させていくのだろうと思っていたら、近々シェフとは別の方向へ進みたいと話していた。作り手としての彼が主役であるところから、お酒や食材のキュレーション的なところを手がけてみたいらしく、どちらかというと裏方という役割へと向かっていくようである。料理を作ることをやめても悔いはないし、毎日来客数を想定して食材を買っても予想が外れれば廃棄が出てしまうのがなによりも悔しいと言っていた。続けることによって生まれてきた視点である。付随して生まれてくるもの、それを育てるのもまた一理ある。1本の強い枝も、広々と分岐していく枝も、どちらも美しさがある。

 継続が苦手なわたしなのだが、ランニングだけはここ5年間続けている。好きでやっているというより、サボると罪悪感に駆られてしまうのが嫌で走っている。そしてこのささやかな継続は、自己肯定感の低いわたしにとって唯一自分自身を手放しで褒めてあげられるものになった。

 お昼頃、知らない携帯番号から電話がかかってきた。無視していたらショートメールが入っていた。町内会のかたからだった。巷の話では小嶋さんがランニングに勤しんでられるようなので、町内運動会の1500m走に参加されませんか?という内容だった。ボロボロのTシャツにピッタピタのスパッツを履いてひっそりと走り回っている姿はご近所のみなさんにしっかり目撃されており、どうやらわたしはマラソン大会などに参加している人物だと思われているらしい。用事もあるので丁重にお断りした。サボると気持ち悪いからというわたしの単純な継続の真意は、誰も知る由がないし、わたしも他者に対しては同じである。そういえば、高校でソフトテニスを始めて6ヶ月足らずで全国大会ベスト8入りしたという人に会った。しばらくは練習に没頭していたけれど、周りの期待やらをよそにサクッと辞め、その後はボクシングを始めて大会でも良い結果を出すようになったけれど、そちらもサクッと辞めてしまったらしい。フォレスト・ガンプみたいだと思った。結局、各々の決断は各々の物差し次第である。わたしの気まぐれな物差しを背負いながらわたしの美学みたいなものが計れるようなればまぁいいか、と気ままなところに落ち着いたのであった。

01 | 28 | 30
正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。