文・撮影 | 小嶋まり
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小説家のニコルソン・ベイカーは、どんな状態でも毎日の習慣に役立つ方法として、午後からはサンダルを履いて裏庭で作業をしようとか、新鮮に感じられることを取り入れているらしい。その工夫に感化されて、わたしも作業部屋から離れて仕事をしてみようと、自習机から海を見渡せる図書館へ行ってみた。
到着するなり、この猛暑の中エアコンが故障中だと知る。修理完了は11月予定と張り紙がしてある。今は8月半ば、当分先の話だ。財政難なんだろうか。クーラー代わりに設置された巨大な扇風機からは、生ぬるい風が放出されているだけだった。
最近忙しくなり、気付けば仕事のことで頭がいっぱいになってしまい、書き物だったり久々に写真を撮ったりすることは後回しになってしまっていた。忙しいというのはただの言い訳で、要領が悪かったりサボっているだけなのかもしれないけれど、毎日食べたり税金を納めたりして、生きていかなくては。
先日、ちょっとした事故で数日間大事を取ったせいで、仕事が溜まっている。けれど、蒸し暑さでぼーっとしてしまい、一向に捗らない。じっとしていられず、ふらふらと本棚を眺めたり、カウンターに置かれた地元の情報誌なんかを手に取ったりした。その中の大学の公開講座のチラシに目がとまり、何か惹かれるものはないかと探してみた。
わたしは、何を学びたいのだろう。これでいいのだろうかと、自分の現状の答え合わせばかりして、余白がない状態になっている気がする。「家庭菜園」という講座は気になった。田舎暮らしを始めた頃、庭を野菜とハーブでいっぱいにするぞ!と意気込んでいたのに、今や雑草に埋もれ、ひょろっとしたリンゴの木が2本立っているだけである。ちなみに品種は、やたら大きな実が生る『世界一』というやつで、夢だけはどでかく描いてしまった。
窓から入り込む潮風のせいか、手がベタつく。何度もトイレで手を洗うついでに、生まれて初めてホワイトニングをしたばかりの歯を鏡で隅々まで見つめていた。クリニックのスタッフさんに、1回で5トーンも明るくなりましたよ!と言われ、ほんとかいなと思っていたけれど、たしかに白くなっている気がする。
老化なり劣化なりは避けて通れない。先日、姉と更年期障害の話になった。身体もボロが出るし、変なところで怒りのスイッチが入ったりして大変になるぞと脅された。すでにスイッチがバグっているわたしは、現在42歳。数年後、いったいどうなってしまうのか。とりあえず、改善できるところは抗ってみよう。
起この海辺には、たまにイルカが現れるらしい。先日東京からこちらにたまたま訪れていた友人が、この海でイルカを見かけたと言っていた。よくあることかと聞かれたけれど、滅多にないことだと返した。イルカは幸せの象徴。友人は引きが強い。
わたしもイルカを探そうと、時々水平線に視線を這わせてみるが、やってくる気配はない。気付けば、iPhoneのインカメで白くなった歯を何度も眺めているだけだった。病み上がりのクタクタの身体に、白くなった歯だけが唯一の救いである。
作業に戻って集中しようとすれば、隣の人たちが気になる。折れてしまうくらいの前屈みで真剣に本を読んでいたおじいさんがいた。何を読んでいるのかちらっと覗くと、世界地図を熱心に眺めている。ささやかな救いの場所が、そこにもあるのだろうか。