文・撮影 | 小嶋まり
05
シカゴにある美大を卒業した後、ニューヨークに1年間住んでいた。
ニューヨークはあまり好きではなかった。仕事は寝る暇もないくらい忙しかったし、家賃は高いし、何かを成し遂げてやろうとギラギラしている人が多かった。大体そういう人たちは、出会う人が自分に有益かどうかを見極めて付き合い方を決めているようで、わたしは常に足元を見られているような気がしてビクビクしていた。そこまで何かになりたいという意欲をわたしは持ち合わせていなかったし、わたしは一体何者なのだろうかといつも自問自答していた。
働いていたギャラリーでとある男性に出会った。アーティストでそれなりに稼いでいて、素敵なアパートに住んでいた。出会ってすぐその人の家に入り浸るようになり、出会ってから2週間後にはプロポーズされ、一緒に住むことになった。6ヶ月後に結婚するから、とお互いの両親にも伝えた。
心から信頼できるような友人もいない、多忙で精神状態はやつれている、お金もない、そんなわたしにとって彼が全てになってしまった。一緒にいないと安心できない、1人で家に取り残されるのは嫌だ、いつもどこにいるか把握していたい。完全なる重い女にわたしはなっていた。何よりも、出会って2週間でプロポーズしてくるような男はうわついている。何もないからと言い、しょっちゅう女の子と飲みに出かけていた。信用しきれず泣きながら睡眠薬を飲んで眠る日々。わたしは、自分というものを完全に見失っていた。彼のやることが少しでも納得いかないと暴れて物を壊す。そんなわたしに優しく辛抱強く接してくれる彼にわたしは甘えきっていた。しかしそれは過度の依存だということは考えもしなかった。彼は、将来を見据えて、と広いアパートを借りてくれた。
ある日、彼がまた女の子と飲みに出かけた日に、むしゃくしゃしたわたしは庭に出て次の日に役所に提出する予定だった婚姻許可書に火をつけた。もう完全に終わらせてしまいたいと思いつつも、こんなものまた書き直せばいいし、と軽く考えている甘えがそこにあった。朝方帰ってきた彼に婚姻許可書を燃やしたと言うと、もう終わりにしようと言い、出て行ってしまった。そして、その日から帰ってこなくなった。電話にも出ない。彼が借りていたスタジオで寝泊まりしていたようだったので、そこへ向かってもドアすら開けてくれない。愛想を尽かされたわたしは発狂した。恐ろしいくらい何度も電話をかけたし、メールもした。でも彼は答えてはくれない。待っていても仕方がなかった。完全に気力を失いつつも、なんとか新しいロフトを見つけて家を出た。彼との新しいアパートの鍵は、汚い駐車場に投げ捨てた。
自分を見失うと他人までも見失うことになってしまう。そもそも浅はかな約束を信じたわたしが馬鹿だった。でも、もしかしてその約束を浅はかなものにしてしまったのはわたし自身なのかもしれない。その後、就労ビザが切れたので東京へ引っ越した。そこでも自分自身がなんなのかわからなくなり、恋愛に依存しては破滅させていった。わたしは異常だ、病気かもしれないと何度も思った。
年を重ねて落ち着いてきたけれど、未来あるものを破滅させてしまう厄介な癖はなかなか治らない。数年前にようやく精神科へ向かった。そこで気分循環性障害、そして境界性人格障害と診断された。今までうまくいかなかった理由がわかって安心した反面、自分は普通ではないという悲しみがわたしを襲った。どうにか普通になりたい、という思いがわたしの心をさらに暗くする。それからカウンセリングに通い、薬も処方してもらい、ずいぶんと症状は改善した。今は恋人と遠距離恋愛でも、連絡が取れなくても慌てふためくこともなくなった。
なんとか闇から抜け出したいと思っても、そこから抜け出すのには随分と時間がかかった。自覚してからありのままを受け入れるのにも時間がかかる。自分自身のありのままを受け入れたとしても、そのままのかたちではこの社会の中で生きられない。普通という枠からはみ出てしまった自分を、とんかちで叩いて引っ込めるような作業を毎日している。その中での唯一の救いは、いまだ繰り返される自分とは一体なんなんだろうという自問自答の中で、自分は何者でもない、何者でなくてもいい、という答えが、前よりもずっと明確になってきていることなんだと思う。