Interview | iida reo


怪我して、汚れても、笑っていて | 後編

 前編のインタビューを録り終えた数分後くらいに「歌詞にしたって信じてもらえないから」と堰を切るように話し始めたreoさんの言葉が忘れられず、そしてまだ質問したいことがたくさんあったので、別日に再度、個別でインタビューさせていただくこととなった。

 ファンの悩みを聞いたり、コロナウイルスの影響で家がなくなったファンたちの家を一緒に探したりといった彼の行動からは、ラッパー、ミュージシャンであるという肩書きを超え、自分の生活や人生をかけて人を助けよう、関わろうとしているんだなと感じた。歌詞に滲み出てはいるが、そういう人柄に惹かれてファンになったリスナーも多いのではないだろうか。


 本インタビューで「箱庭」の話を聞いた後に「載せたくない部分があったりしたら言ってくださいね」と伝えた際、「自分と同じような立場の子が今いたらその子のためになるかもしれないから、ぼかさなくていいと思ってます」と言った彼の目はひたすらに真っ直ぐだった。


取材・文・撮影 | SAI (Ms.Machine) | 2020年9月

前編 | 後編

――プロフィールに“八王子の団地出身”と書いていることが多いですが、曲名や歌詞でも使っている単語ですよね。reoさんのバックグラウンドを知るキーワードだと思っています。住んでいらっしゃった団地について聞かせてください。
 「出身が八王子なんですけど、たしか八王子の中で一番犯罪率が高くて治安が悪い地域で。なんだろ、普通に暴力とか窃盗があって、外国人のコミュニティがいっぱいある地域。ブラジル、フィリピン、韓国……いろんなコミュニティがあって、その中で固まることが多い。自分もその外国人のコミュニティに所属していました。外国人の教会とかもあって。そうですね……暴力です。moreruっていうバンドのみちるくんも同じ地域の出身なんですけど、“あの公園覚えてる?”って言えば“ボコボコにされる公園でしょ”ってなります。“俺もボコボコにされた”って。あと、けっこう自殺が多い。普通に通学してるときに、救急車が来て泣いてる家族とか、ちっちゃい頃からよく見かけましたね。山も高いから一年中暗いというか。若い子だったら、ヤンキーになるか、ひきこもるか、自殺するか、って言われてて。本当に耐えきれなくなったら、ひきこもるか、暴力でどうにかするか。死ぬか。なんすよ。自分は別にヤンキーでもナードでもなかったんで、まあ両方のデメリットが来るって感じです。たぶん」

――1st EPのタイトル『箱庭』について教えてください。どうしてこのタイトルをつけようと思ったのですか?
 「中学のときに、自殺未遂と、人を暴力で半殺しにしちゃって、まあそれで、いわゆるスクール・カウンセラーみたいなのあるじゃないですか。授業の3、4時間目のときは自分だけが別の部屋に行って。そこで箱庭っていうのをやるんですよ。砂が入っている箱の中に人形を置いて、精神状態を見るのを数年間ほぼ毎日。そこでの期間がすごく印象的で。めちゃくちゃ静かなんすよ。音がほとんど聞こえなくて。オルゴールだけはあって、オルゴール巻いて音を鳴らしながら、テーブルにいっぱい動物とか人間とか飛行機とか、いろんなものがあって。それを箱の中に置いて、砂に模様を描いたり。先生みたいな人が見て、“主人公は誰?あなたはどれ?”みたいな。“今日はこういう気分なんだね”って話したり。そういう、内側を見つめる期間がすごく長くて」

iida reo | Photo ©SAI

――そうなんですね。私も大学の時の授業でやったことがあります。それがけっこう印象的だったのでお聞きしました。たぶん、もう箱庭の写真は消しちゃったんですけど、自分の作品に使いたいなって思っていた時期もあって。
 「そうです、それです。……外は暴力じゃないですか。暴力とか死がまとわりつく場所だけど、そこだけは安全というか。心が静かになる場所。すげー印象的で」

――半殺しって……喧嘩したんですか?
 「えっと、中学のときに、ある出来事があって喋れなくなっちゃったんですよ。声が出なくなって。それのせいでからかわれるターゲットにされたり、複数人に公園や路上でボコボコにされたり。嫌で悔しくても、複数相手だと勝てない。グループの子がひとりでいたときに、そこに向かって走っていって、学校がコンクリートの坂なんですけど、走ってる勢いでそいつの頭持って下のコンクリートに打ち付けて。そこから馬乗りしてボコボコにしたんですけど。最初、その子は“やめろよ”ってけっこう強気で言うんですけど、止めないで殺す段階まで行くと表情変わるんですよ。“こいつ、殺す気なんだ”って。急に顔が変わって泣き始めて。“殺さないでくれ”って。そのときに、みんな同じなんだって思った。ここまですれば、みんなどっちにしろ同じだなって。それが見つかったのと、自殺未遂があっての“箱庭”です」

――なるほど……。reoさんとお話していて、好きなアーティストがJOY DIVISIONとSIGUR RÓSというのが印象的でした。
 「はい。もう、その2つがトップで。SIGUR RÓSは、ヒップホップとかのCDをTSUTAYAなんかでレンタルしていた15歳の頃に、『Takk…』のジャケを見てかっけーって思って借りちゃったんですよ。ヒップホップ関係なしに。聴いたらすごくかっこよくて、これなんだろう?って、ネットで検索して。それからずっと好きです。SIGUR RÓSのMVで、老人が子供みたいにはしゃいでるのがあって、その曲を葬式で流したいって、ずっと言ってます。本当、それが人生で一番好きな曲」

――路地裏……みたいな名前のブログを読んでポストパンク・バンドを知った、みたいなお話もしていましたよね。
 「『路地裏音楽戦争』ですね。音楽ブログ。推してるバンドとか、これからくるバンドとか書いてあって。16歳の頃にそれを見ていろんなバンドを知って。ceroとかPsysalia psysalis psycheとかLillies and Remainsも書かれてたかな。今だったら売れてるバンドが紹介されていて、そこでポストパンクやオルタナ、シューゲイズとか知ったっすね。カッコいいなって。ポストパンクっていうか、JOY DIVISIONが好きだったっていうのが強いですね。なんだろ、ああいう音で、綺麗な歌詞書いて。ライヴの映像を観たときに、スッゲー感情むき出しなんだ、すごいなーって思って、本当好きで。なんか、ポストパンク好きなのとかは、たぶん、聴いたことがない感じだから好きなんだと思います。ドラムは打ち込みみたいな音だし、ギターはわけわかんない……暗いし、ベースもわけわかんない……。ヴォーカルは巧いのかよくわかんない低い声で。オリジナルだなって。オリジナルだけど魂むき出しなのがすげー好き。他の人もそうなんですけど、ジャンルとか関係なしに、むき出しの人が好きで。そこはたぶん、影響というか……あるんだと思います」

――今まで、感動したライヴや曲ってありますか?
 「感動……一番感動したライヴは、映像ですけど、bloodthirsty butchers。北海道のエモとかハードコアのバンドなんですけど、『7月』っていう曲があって。ばか長いんですよ。一曲で7分以上ある曲なんですけど、感情むき出しなんですよ。歌ってるところがすごく少ないんですけど、ギターで表現してる。気持ちを。わ、すげー、ってなって……。それが一番感動したライヴ」

――前編であまりヒップホップのお話をされていなかったので聞きたいです。いつ頃からどういうきっかけで好きになったんですか?
 「ヒップホップは小学校の頃ですね。でも、ストレートなヒップホップじゃないんですよ。ヒップホップって、ブーンバップみたいなシンプルなのあるじゃないすか。あれじゃなくて、いわゆるサウス、ウェッサイっていう、電子音が多いヒップホップがあって。それを聴いてました。それもあってトラップとか素直に聴けたのかも」

――お父さんのヒップホップのCDが家にあったんですか?
 「たぶん、母親かな。母親が買ったCDとか、お店で流したものとか。最初に聴いてツボ入ったのは、Mystikalっていうラッパーで。部屋にあったCDを流したら、汚ったないダミ声で、聴いたことないリズムでラップしていて、何これ?って。歌詞の内容も腰振れケツ振れ。歌詞カード見たら、こんな汚いこと言ってるんだ、みたいな。銃のこととか。聞いたことないフレーズばっか使ってて。それが音楽として衝撃で。音楽でこんなことしていいんだ、って思って。それでPetey PabloやST. LUNATICS、CHICO & COOLWADDAとかを聴き始めました。みんな歌詞でリアルに実体験のことを歌っているが衝撃的で、好きになって。親に頼んで借りたりして聴いてました。小4か小5のときにパソコンが手に入って、YouTubeとかで聴くようになったんですけど、中3まで日本語のヒップホップは知らなかった。本当に、日本語でラップしてんの自分だけだと思ってたっす。日本語ラップも調べたり、CDを借りてみたりしたんですけど、なんか自分の知ってるヒップホップではなかった。ディスとかじゃなくて、自分の知ってるものとは全然違って、全然ツボんなかった。18歳になって、やっといろんな人と触れ合って、日本語ラップを覚えてきたって感じ」

――10代の頃の音楽体験のお話を聞きたいです。
 「とりあえず15歳のときに、地元でラップできる場所ないかな、って探したんですよ。クラブとか。めちゃくちゃ探したら、なんかレーベルがあって。ヒップホップの。そこに連絡したら、“一度会ってみるか?”っていうことになったんですよ。八王子で。会って、“どういう音楽好き?”みたいな話をして。“入ったら無料で音楽できるし、こういうこともできるからぜひやろうよ”みたいな感じになったんすけど、そのときに“僕たちがレーベルで推してるアーティストなんだ”って観せてくれたMCバトルかな?動画が自分の中ですごくダサくて。今はぜんぜんMCバトルとか偏見もなんもないんすけど、すごくダサくて。急に入りたくなくなっちゃって。どうしよう、入りたくない、でもラップしたい、音楽やりたい、みたいな。それから16歳で高校に入って、音楽はやりたいな、どうしよう、みたいなときに、学校の部活紹介あるじゃないですか。それで軽音部がライヴをやっていて。なんか、パンク系のコピーだったんですけど。俺は正直クラってなかったんすけど、前の席のアベって子がすごい衝撃を受けてて。“カッコいい!バンド!俺もやりたい”みたいな。前はアベ、自分はイイダで、後ろの席はイチカワって子だったんですけど、アベくんとイチカワくんは小中高と学校が一緒らしくて、“イチカワ!俺とやろうよバンド!”みたいなのに挟まれて、“おまえも一緒にやんない?”っていうことになって。やることないし、やるか、みたいな感じでバンドを始めて。ベースとキーボードを覚えて、やっているうちにポストパンクとか、ハードコアとかにいろんなジャンルを知って、おもしろくなった。ヒップホップとロックが混ざったミクスチャーとかも好きになってきて、うわ、おもしれーって。高校1年生のときに軽音部の顧問の先生が“reo、センスあるから作曲できるよ。してみたら”って作曲の本を貸してくれたんですよ。だからオリジナルの曲を1曲書いたんですけど、それが評価良くて。“オリジナルですごくない?”みたいな。それで自分で作曲して、ヴォーカルに歌わせるってスタイルになって、オリジナルの曲でライヴハウスに出るようになったんですけど、ギターが下手だから弾いてほしいフレーズが弾けなくて。どうしようもないな……ってなってるときに、tado(yuta)さんが……」

iida reo | Photo ©SAI

――あ、前編のインタビューのときにtadoさん(“iida reo”のギタリスト)との出会いのお話していましたよね。そこで出会うんですね。
 「はい。バンドのメンバーに“なんか知り合いで巧い奴いないの?”って聞いたら、“tadoって奴がいる。そいつは巧い”って。それからtadoさんと、ああでもない、こうでもないってしながら曲を作って、それをバンドに弾かせるっていうのから始まったんですよ。意味わかんないですよね。自分がベースとキーボードで作ったコードとか展開とかフレーズとかを、tadoさんが“ギターこうしたらおもしろいんじゃない?”って弾かせるんですよ。ギターの子たちに」

――tadoさんがギターを弾いていたわけじゃなかったんですね。
 「そうですね。でもほとんど弾けないから、けっこう散々な結果が多くて。そんな感じでずっとライヴをやってました。そこからだんだんハードコアの人たち、ミクスチャーの人たちと関わるようになって、18歳のときにヒップホップやってる子たちにもだんだん近づいていったって感じです」

――18歳って高校卒業したときくらいですか?
 「高校を卒業する数ヶ月前から。みんな就職とか進学とかするんですけど、自分はなにもしたくなさすぎて。紙に“作曲家に弟子入り”って適当なこと書いたら、先生に呼び出されて。“ふざけるな。ちゃんとやれよ”みたいな。でも俺は“音楽で飯食うんだ”って」

前編 | 後編

iida reo Twitter | https://twitter.com/iida_reo

iida reo '箱庭'■ 2020年5月16日(土)発売
iida reo
『箱庭』

https://linkco.re/R7NH8B6B

[収録曲]
01. 道徳
02. 棺桶
03. 最期
04. 青い咳をする