情報によって時間と空間の制限を超える
取材・文・撮影 | SAI (Ms.Machine) | 2021年6月
――自己紹介をお願いします。
「野中モモと申します。東京に生まれ、東京で育ち、途中5~6年ロンドンに住んでいたこともあります。今は戻ってきて、フリーランスで英日の翻訳とライターの仕事をしています。Lilmagという、ジンと呼ばれるような自主出版物のオンライン・ショップとか、それにまつわるイベントの運営とか、そういった自主的な表現 / コミュニケーションの振興活動的なことをやってきました」
――翻訳家のかたにお話を訊くのが初めてなのもあって、どのような経緯でその職に就いたのかに興味があります。どんな学校に通われていたのか、なぜその学科を選んだのか知りたいです。
「パンクスの“大学なんて行かなくても実地で学んで頭がいい”というストリートワイズな在りかたへの憧れがあって、学歴のことはあまり積極的には言わないようにしてきたんです。学校なんてろくでもないし信用ならない、という気持ちがある。けど、最近は“良い学校に行けるなら行っておいたほうがいい”と言うのも意味あるな、と思っていて。学術会議の任命拒否問題にしても、国が教育に予算を割かないことにしても、最近は本当に学問がなめられている感が強いじゃないですか。教育には明らかに力がある。それ故に、医大の入試で女性や年齢のいっている人を切るとか、東京の公立高校の受験で男子のほうが入り易いとか、不公平な構造が維持されているので。勉強は向き不向きがあるけど、勉強したいな、おもしろいな、って思えて、したかったら誰でもできるような環境が作れらなくちゃいけないと思いますね。私の場合は、とにかく編集者になりたかったので、日本の大学では社会学を専攻しました。横断的にいろんなことを勉強できるかな、と思って。特に文学が好きとかアートが好きとか絞れずに、社会学科みたいな。複合的なアプローチみたいなものに興味があったんでしょうね」
――日本の大学を卒業した後、ロンドンの大学院に通っていらっしゃいましたよね。ロンドンでの学校のお話をききたいです。
「私が通っていた頃から20年も経っているから、今はまた事情が変わっているかもしれませんが、イギリスの大学院は日本の大学院とはちょっと違って、いろんなルートから入り易かったんですね。私は普段“社会人”という言葉を使わないようにしているんですけど、いわゆる社会人学生向けにたくさんコースが設定されていた。日本では大学院って、“アカデミアで生きていくぞ”っていう人が行くもの、みたいな印象があるじゃないですか。イギリスの場合、一旦働いてみてから大学に戻ってくるとか、これまでやってきたこととは違う専門分野をやってみるとか、様々なバックグラウンドの人が集まってきていました。まず日本の横並びの新卒採用 / リクルーティングのシステムが異常なんだと思うんですけど。そこから違うので。日本も、学びたい人が学び易い制度を作らないといけないんじゃないかって思います」
――ロンドンの学校は4年だったんですか?
「2年学校に通って、あとは働いていました」
――イギリスの大学院って通常2年なんでしょうか?
「1年で完結するコースに2種類行きました。学士を取ったのとは別の分野の修士に進みたい人のためのコースっていうのがあって、まずそれに1年行っていました。美術史で修士を取っているんです、一応」
――モモさんが以前インタビューしていた映像作家の石原 海ちゃんも、イギリスの学校に通っていますよね。好きなアーティストが拠点をヨーロッパにすることが多いので、憧れがあります。「都内からロンドンに上京」という言葉がモモさんの著作にありましたが、私も東京で生まれ育ったので共感しました。
「そうですね。自分が生まれ育った土地を一度離れてみるのは、新しい土地について知るのと同時に、生まれ育った土地がどんな場所だったのか気づくこともできますから、発見が多い。すごく良い経験になると思いますよ」
――翻訳家になった経緯を教えてください。
「在学中にちょくちょく翻訳の仕事とか、ライターの仕事とかを受けはしていて。個人サイトをやっていたので、それを見た編集者さんからお話をいただいて、初の訳書が2005年に出ました」
――翻訳家になる一般的なルートを知らず申し訳ないのですが、モモさんのルートは一般的ではないのでしょうか?
「翻訳家もライターもたくさんいて、いろんなケースがあると思いますね。“スタンダードはこう”っていうのはないんじゃないかな。出版翻訳なら、トライアルっていうコンテスト的なもので能力を認められて仕事をもらうルートもありますし、レジュメを出版社に出して企画が通れば本になることもあるでしょう。手間とお金をかければ、自分で版権を取って出すことだってできますしね」
――モモさんの翻訳している作品は“痛み”について書いている作家が多いと感じたのですが、翻訳する書籍はご自身で選ぶんでしょうか?
「痛み……」
――例えばルピ・クーアさんの『ミルクとはちみつ』(アダチプレス)や、ロクサーヌ・ゲイさんの著作は決してハッピーな話ではないので、気になりました。
「めちゃめちゃ辛いよね。現代社会に生きる経験を書くと辛くならざるを得ないというか……。そこから目をそらさずに自分の経験を対象化することで、書く喜びや生命力も感じさせる優れた作家ですよね。私が特に辛い話が好きというわけでは決してないです。翻訳させてもらえてすごく光栄だけど、作業中はその世界に入り込んでしまうから精神的な負担も大きかったですね。思い出すと胃が痛くなります」
――編集者さんに“この作品を翻訳してください”と依頼されるのでしょうか?
「自分でおもしろいと思った本を提案することもありますけど、“こういうの興味ありますか?”って声をかけていただくことも多いです。Twitterで紹介していた本を編集者さんが見て“詳しく教えてください”みたいなふうに話が進んだりもします」
――ちなみに『バッド・フェミニスト』(亜紀書房)で知られているロクサーヌ・ゲイさんの作品はどういう経緯で翻訳することになったのでしょうか?
「あれはもともとすごい話題作で、興味あります!とアピールしていたら声をかけてもらえたんです。だからやっぱり、“興味があるものの近くにいると良いですよ”と言いたいですね。自分は何が好きとか、こんなことをやってみたいとかは、口に出しておいたほうがチャンスはやってくるんじゃないかな。自分が何をやりたいのかわからないことも多いと思うんですけど、そのときはやりたくないことから逃げる」
――それは大事ですね。最近もそういうことがあったのでとても沁みます。
「今なんて、生きているだけで精一杯で、何がやりたいとか考えられない人が多いと思うんですよ。そういうときにも、なるべく嫌じゃない方向に進んで、ほんの少しでも興味や意欲が湧いたらそれを大事にしてほしい。これは自分に言い聞かせているんですけど。とりあえず何かやってみると、“こっちがいいな”とか、“違うな”とか、見えてきたりするから。でも、何もやらないことを肯定したい思いもあるんですよ。変なことをやるくらいなら、何もしないほうがいいっていう気持ちもすごくよくわかります。SNSでみんなが楽しそうに有益なことをしているのを見て、とにかく常に何かアクションを起こしていないと忘れられてしまうんじゃないか、みたいに気を病んでしまうサイクルには抗いたい。でも、そこで薄っぺらい人たちへの反感とか慎重さから好奇心を押さえつけてしまうのも良くないと思うんです。だから、軽い気持ちでいろいろ手を出してみるのもいいのではないかな、と思いますね」
――翻訳家としてのやりがいについて教えてください。
「翻訳はすごく辛いけど、おもしろいんですよね。自分からは決して出てこない発想を、うまく言葉にできたときは気持ちいい。そんなこと滅多にないですけど。やりがいとしてはやっぱり、人と人の間に立って伝えられること。誰かと誰かを繋ぐ仕事であり、こんな人が世の中にいるんだよ、こういう世界の見かた、考えかたがあるんだよ、というのを伝達する郵便配達員のような、出会いと発見を促す仕事ですから、手応えがありますね。情報によって、今いる時間と空間の制限を超える……とか言うとすごくロマンチックですけど、人が楽しい時間を過ごしたり、変わったりすることに貢献できる可能性のある、いい仕事だと思います」
――翻訳家は語学に携わる職業というイメージが強いのですが、モモさんのお話を聞くと、たしかに読者と作家・作品をつなぐ架け橋のような意味合いも大きいですね。
「ライターとしては“私はこう考えている”とか“これが好き”とかをはっきりさせておきたいと思うんですけど、翻訳家としては透明な存在になりたいんですね。私を感じさせたくないので、別のペンネームにしておけばよかったかな、と思うことも多いです。“私のことは嫌いでも著者のことは嫌いにならないでください”も、“著者の言っていることが嫌いでも私のことは嫌いにならないでください”も、両方あるんですよ。翻訳って、決して100点満点は取れないんですよね。“絶対にこれ”っていうのはないから、“すいません、すいません”って思いながらやっています」
――著書で編集者を目指していたと書いていらっしゃいましたが、10~20代の頃から“自分の好きなものを世の中に伝える”という思いが一貫していてすごいです。逆に辛いことも知りたいです。
「それはやっぱり……最低賃金以下で辛い、みたいな。お金にならなくて辛い」
――なるほど、そうですよね……。考えてみれば時給制ではないですし……。
「うん、資料も買わなきゃいけないし、これで暮らしていけるわけがないんですよね。90年代の、出版がもっと景気が良かった時代なら生きていけたんでしょうけど。現在はとても辛い状況です。消費税10%というのが信じられないですよね。翻訳料より多いお金を税金として持っていかれているという。あり得ないと思いますね」
――翻訳料金は作品1本の単価で決まるのではないのですね。
「いろんなケースがあります。たいていは、まず初版の印税何%かをいただけて、重版がかかったらさらに追加、というかたちですけど、買い切りの場合もあります。引き受けた時点で思っていたよりだいぶ少ない金額しか受け取っていない仕事もありましたね。電子書籍の印税が、どうみても中間業者に抜かれすぎに見えることも。報酬が支払われるまで、本が出てから半年かかったりもするし」
――シビアな世界ですね……。
「シビアですよ~。かといって、過去に問題の多い家族経営の中小企業で社員をやって身体を壊した経験から、自分に会社勤めができるとはとても思えない。福利厚生が整っていて、社員教育をする余裕のある会社に入れていたら、ちゃんとやっていけてたんだろうか……」
――オンライン・ショップ「Lilmag」はどういった経緯で始めようと思われたのでしょうか。
「なんだかんだ今も大きいテレビ局や出版社の経営陣は圧倒的に男性多数です。世の中で大きな資本を投下されるメディアは、男性の承認を得ないと企画が通らないことが多い。そういう世の中において、これからの未来を作っていくような刺激的な視点というのは、最初は自主的な発信から出てくるという確信があるので、常にそこは見ていたいという気持ちがあって」
――なるほど。DIYで発信していこうというスタンスはRiot Grrrlにも通じますね。
「ロンドンから戻ってきたときに、商業出版では今のところ成り立たないけど、すごく深くて鋭いものを作っている人たちがいるのがわかったので、それを紹介したいと思ったんですよ。Irregular Rhythm Asylumの成田(圭祐)さんとか、DIRTYさん(西山敦子 | C.I.P. Books)含むTEAM KATHYの面々とか、ばるぼらさんとか。雑誌も作りたかったんだけど、自分で企画を立てて、原稿依頼して、みたいな体力がなかったので、すでにみんなが各々でやりたいようにやっているものを集めた場を作るという。ウェブマガジン的な発想もありますよね」
――そういう意味では編集みたいな行為ですね。
「そうですね。編集です。『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)にも書いたんですけど、業界人が“お店作りは編集だ”とか言ってるのを“ケッ”と思っていたのに、それは本当にそうだったね、っていう(笑)」
――モモさんのいつかのツイートで、Forestlimit(東京・幡ヶ谷)についてつぶやいていたのを覚えています。「トーキョー ノーザンライツ フェスティバル」のスタッフでもある熊澤隆仁さんというかたもForestで出会ったので、自分の中では文化人が行くハコなのかな……と思っているのですが、どんなイベントに行っていましたか?
「そんなにしょっちゅう夜遊びしてるわけじゃなくて、何度か行ったことがあるぐらいなんですけど、“K/A/T/O MASSACRE”ですかね。加藤さんはまじですごい」
――加藤さんは各所でそう言われてますよね。パワーがある。
「加藤さんはすごいですよね。やっぱり、毎週パーティをオーガナイズするってすごくないですか? “多くの人に受け入れられる過程で角が丸く削られてしまう前の輝き”を大切にしていますよね。そういうことに気づくのって、心が敏感で柔らかくないとできないじゃないですか。それを続けていらっしゃるから。そういう人たちこそが文化を豊かにしていると思うので、クールジャパン機構とかが、偉い人たちの接待とか空虚なことにお金を使っているのを見ると頭にきますね(笑)」
――(笑)。怒りは重要ですよね。モモさんのような上の世代のかたが怒っているのを見ると「怒っていいんだ!」という気持ちになります。では最後に、読者のかたにメッセージをお願いします。
「世の中は放っておくと富める者がより富む流れに乗ってしまうものなので、そこにちょっとした小石を投げ入れて、ノイズを起こすようなことをしてほしいですね。あまりオリジナリティとか、質の高さとか、周りにどう思われるかとかを気にしすぎることなく。何か始めたいとか、やりたいという気持ちはとても尊いものですから、そういうものに恵まれたときにはそれを活かしてほしいです。そして私のインタビューを読んでくださるような物好きな人には、元気でハッピーな日々を送ってほしいので、幸せを願っています」
Lilmag Store | http://lilmag.org/