Interview | 佐藤 円 + YELLOWUHURU


予想できるものはつまらないから

 照明デザインをはじめ、展示空間、ダンス、インスタレーション、写真、映像などのライティングを手掛ける佐藤 円(さとう ひとし)。円さんの照明を初めて観たのはたぶん、2019年の蓮沼執太フィルの公演だった。そのあと大小問わずいろいろな会場で円さんの照明を目の当たりにすることになった。

 ある公演で、音と音にしかできない奇跡のような呼吸の瞬間があって、そのとき、一緒に光も呼吸した。息をするみたいに自然に。そのとき何か新しい感覚が身体に走るのを感じた。これまできっと、円さんによる照明で、多くの人が“不思議な光”を体験してきたと思う。記憶に残ってしまう光の造作人。本人は想像されることが嫌かもしれない、意図もないかもしれない。でも、音楽が好きでその場で光と空間を作っていることは真実だ。


 1月19日に、円さんの主催するイベント「Nothing Happened」が東京・渋谷 WWW Xにて開催された。円さんと関わりのある、加藤修平(NOT WONK, SADFRANK)、君島大空、塩塚モエカ(羊文学)、山田 碧(the hatch)、YELLOWUHURU(FLATTOP)が出演し、ライヴ・パフォーマンス、DJと共に、“光と影で音の情景を創造する”という内容だった。同公演に企画から携わっているYELLOWUHURUさん(以下 Y)も交え、円さん(以下 S)に話を聞いた。


取材・文 | 鷹取 愛 | 2024年2月
撮影 | 濵本 奏
佐藤 円 | Photo ©濵本 奏
佐藤 円

――それぞれ自己紹介をお願いします。
S 「佐藤 円、フリーター」
Y 「そこは照明でしょ」
S 「プロっていう感じではないかもしれない」

――でも、そろそろ照明さんって呼ばせてほしい(笑)。
S 「じゃあフリーの人」
Y 「鎌田です。YELLOWUHURUっていう名前でDJをやっていて、去年の夏頃までは、下北沢のSPREADっていうスペースで働いていたんですけど、今はDJを主に活動してます」

――ふたりの出会いを聞いてもいいですか?
S 「照明を始めて1年目くらいの頃、VACANT(東京・原宿 | 2019年に閉店)主催のイベントで照明をやらせてもらっていたときに、(小林)うてなちゃんの手伝いをやっていた鎌ちゃんが、うてなちゃんと来ていて。終わった後に話しかけてくれて、すごく業界っぽい人が話しかけてきたと思って。そこで連絡先を交換しました。そのときはVACANT周りの人くらいしか知り合いがいなかったんで。別の会場でやったこともなかったから、連絡先を交換し合うのが礼儀なんだろうと思ってました。連絡は来ないだろうな、と思っていたんですけど、連絡をくれて。それが最初ですね」
Y 「そうっすね。自分は最初、WWW(東京・渋谷)で5年ほど、2016年まで働いていて。DJをやる前に“FLATTOP”っていう自主イベントが始まって、その2回目にうてなに出てもらったのが初めての出会いでした。そこからうてなのソロを手伝ってほしいと言われて、1年間ほど手伝っていました。うてながVACANTで開催されたイベントに出演して、そのときにVACANT側として照明を担当してくれたのが円でした。その照明が印象的で声をかけました」

――VACANTで円さんの照明を見て、「これだ!」って思ったの?
Y 「WWWで働いているときに専属の照明としてやっていたかたが、それまで観てきたライヴ照明と違うアプローチをしていて、こういう見せかたもあるのかって思ったのが最初に照明を意識したきっかけでした。その観点で円の照明を初めて観て、あ!同じ感覚で話せそうだ!しかも同い歳!みたいにバチっときました」

YELLOWUHURU | Photo ©濵本 奏
YELLOWUHURU

――歳も近い、DIY的なメンバーとして集まったんだね。円さんは、最初はおもしろそうだからやってみようっていう感じだったの?
S 「そのときは、なんでもやりますみたいなノリだったから、仕事という感じでもなかったかも。知り合いもいなかったから」

――照明を始めたきっかけを聞いてもいいですか?
S 「普通にサラリーマンをやっていて、働きながら写真の学校に行っていたんですよ。貯めたお金で学費を払って2年通ってみたものの、ちょっと合わないと思って。でもとりあえず東京で暮らそうと思って、実家にいたから東京に出てきて。その専門学校で仲良くなったデザイン / パターン・コースの人とよく遊ぶようになったんですけど、その人の家で飲み会があって、そこによくいたのがVACANTにいた平松隼人さん(NEWSEE)。それで隼人さんと仲良くなって。照明とは別の仕事をしつつぶらぶらしながら、おもしろい仕事ないですか?って、会う人全員に言ってた。VACANTでお手伝いをする代わりにライヴを観させてもらったり。見た目に関する仕事がしたいです、全然なんでもやりますって言っていて、VACANTのライヴ写真を撮らせてもらったり。kimiちゃん(NEWSEE)に、“人手が足りないって言っている照明さんがいる”と聞いて、無理やりそのかたに連絡してアシスタントやりますって言ったけど、得体の知れない人だろうから、そのときはやんわりとした返事をもらったというか。まあしょうがないなと思いつつ、その後kimiちゃんと隼人さんと3人で旅行に行った夜の高速道路でやっぱりやろうと決めて、また無理に連絡して。必死さが伝わったのか、面接みたいなことをしてもらって、それから来てって言ってくれるようになりました」

――そこが照明としてのスタートだったのか。どうやって自分の仕事に繋がっていったの?
S 「取れるんだったら勝手に仕事取ってきていいよって言われてたので。勝手に取ってきて。それが今に至るみたいな感じかもしれない」

――飲み会とかで仕事取ってたの?
S 「逆ナンとかしましたね。クラブで話しかけたり。“VACANTとかで照明やってるんですけど”って言って。それでVACANTで企画をやってくれた人が、その後WWWでのワンマンまで呼んでくれて、WWWとの繋がりができた」

――掴む力があるんだと思う。
S 「そのときは、“円くんが何人かいるってみんな言ってるで”って言われていました。ライヴをめっちゃ観に行っていたから。手伝いをする代わりにライヴを観に行って、そのまま打ち上げの最後までいる人」
Y 「照明をやりたいと思って照明になったんじゃないんだ」
S 「なんでもよかった。決めないと何にもならないと思って。本当になんでもよかったです」

Photo ©濵本 奏

――音楽に関わりたいって言ってたの?
S 「それは言ってなかったですね。なんか、難しそうだなって思ってました。でも、結果的にはよかったのかな。続いてるし」

――今まで一緒にやってきた人たちを大事にしている気がする。一緒に進んで大きくなったなあって思う人もいる?
S 「思わないかも。思わないは嘘なんですけど、一緒にやってきた人たち自体がすごいから。鎌ちゃんとかは一緒にやってきましたけど」
Y 「基本は照明は、ある程度大箱になると大きい会社の人が入るので。そこから独立した人とかはいるけど、円ちゃんは、そもそも照明の専門学校に行っていないっていう」

――現場現場でなんとかやってきたって感じか。
S 「怒られながら。サンダルで行って怒られたり」

――やば(笑)。
Y 「誰に怒られるの?」
S 「管理のかたに」

――それはそうだね、機材が足に落ちたりしたら、普通に危ないよね(笑)。自分にとってきっかけになった人はいる?
S 「何人かいますね。でもそんなに大きいところでやるイメージは持っていなくて。音楽とは別の分野の人が参加している飲み会で昔、“じゃあ将来武道館とかでやるんだ”って言われて、絶対やらないと思いますって答えたら、“何を目標にやっているんだ”みたいなことを言われたことがあって。たぶんこの感じだったらやらないだろうなって思っていたけど、ずっと呼んでくれるチームもいて。ZeppやSTUDIO COAST(東京・新木場 | 2022年閉店)でもやるとは思っていなかったですね。LIQUIDROOM(東京・恵比寿)でもけっこうキツいと思っていたので」
Y 「大きい会場だと、単純に演出が増えるから?」
S 「照明会社にいたわけじゃないから、段取り、予算感とか、そういうことを誰かに教えてもらえるわけじゃなかったから」

――大きい会場と小さい会場、両方楽しさはあると思うけど、光を操る規模としても大きい会場のほうが楽しい?
S 「あまり大きさは関係ないのかも、ってずっと思っていて」

――できることは全然違うのかな。
S 「でも変わらない気もしますね。大きいからどうこうっていう話でもない気がします」

――「Nothing Happened」での新境地はあった?円さんが決めた構成とかもあったの?
S 「最初とサビとしたところ、終わりかたは決めていて、あとはみんなに相談しながら」

「Nothing Happened」
「Nothing Happened」フライヤー | デザイン: まつばやし

――あの公演はどういうきっかけでやることになったの?
S 「自分で個展をやろうか、みたいなのはずっと思っていて、鎌ちゃんとも喋っていて。SPREADの立ち上げのタイミングで、SPREADでやるのもいいかもって話していたりもしたけど、結局やらず。何年も経って、今やろうってなったんだよね」
Y 「展示をやりたいっていうのは聞いていて。それが一度なくなって落ち着いた後に、DJを20人集めてやりたいみたいなのが具体的に出てきたんだよね。公演に変わった。それで、やるならWWWにしようかっていう話になって、共通の知人で店長の笹倉(和広)さんに一度日程とかも含めて話してみよう、ってなった感じっすね」

――そこから照明をメインにしようって変わっていったんだ。
S 「照明がメインとは考えていなかったから、それは本当に失敗したと思って。公演をやろうとなったときに、誰が主催者なのかがわからないから、照明の人がやりますっていうふうにリリースしたほうがいいということなって、“照明の”イベントみたいになっちゃいました。普段みたいにセットリストがあるとできないことも増えるので、楽曲にとらわれず、音楽の内容はみんなで話してもらいつつ。構成は自分が決めて、5分間くらいサビとしたところがあるんですけど、そういう決まりごとは決めて。ひとりずつ増えていって、最後は一緒に演奏するっていうのは決めていたり、みんな器用な人たちだったので、大丈夫だろうみたいな。照明はぶっちゃけどうでもいいみたいな感じでした」

――演出を全部やっていたらすごいなって思ってた!
S 「そうですね。やりましたね」

――どうだった?
S 「難しかったですね、やっぱり伝えるのが下手だな、と思って。場所を変えてもう一度やりたいです」

――いつもとは違う感じだった?
S 「いや、変わらないかも。連絡するのが増えたくらい。弁当を頼んだり、スタジオを予約して、制作をやった感じ。それは鎌ちゃんがいつもイベントでそういうのやっているから、笹倉さんと鎌ちゃんに相談して、教えてもらいつつ、笹倉さんが全面バックアップくらい助けてくれて」

Photo ©濵本 奏
藤井舞香

――また主催でイベントをやりたいという気持ちはありますか?
S 「やりたいですね。なんか“誰のためにやっているんだろう”って、去年とかはけっこう思っていて。昔は自分ががんばっていたら、いろいろな人に恩返しできるみたいなことを思っていたけど。最近はだんだんわけわかんなくなってきちゃって、ただ働く人みたいな。だから、こういうのをやるのはいいな、と思いました」

――そうだね、円さん企画だったら、みんな嬉しい気持ちで遊びにきてくれる気がする。
S 「たぶん来てくれるのは、ほとんど出演ミュージシャンのファンだと思うけど」

――ブッキングはどうやって決めていったの?
S 「せっかくバンドの照明もやっているから、声かけようっていう感じだったよね」
Y 「最初20人のDJだったんですけど、仕組みが難しいのと、あまりにもカオスになりすぎなのと、ミキサー20台が必要になってくるから。あとは初回っていうのもあるし、1発目は好きなミュージシャンとかに出てもらったほうがかたちになるんじゃないかっていう。笹倉くんも俺もなんとなく、それまでイベントをやってきたのもあって、そうなった感じっすね」

――当日まではどうやって進めたの?
S 「音源を送ってもらって、みんなでスタジオ入って、あーだこーだって喋って。あとはLINEで話しつつ、どんどん決まっていって」

――わりと話し合いがあったんだね。
S 「そうですね。年始に一度打ち合わせして、オンラインで。そのあと本番前にスタジオに入って」
Y 「その打ち合わせで何も決まっていない中で、塩塚(モエカ)さんが“自分は歌しかできないから”って言っていて。でもその歌が良いわけだから、塩塚さんに歌ってもらおうということになって。最後に雪が降る前にセリフがあったんですけど、それは円ちゃんからみんなに“このセリフを言ってほしい”というお題があったので、じゃあ歌って、このセリフに持っていこうっていうのが先に決まって」

Photo ©濵本 奏

――得意とする即興の感じもそれぞれ違うから、どうやって構成したのかなと考えてた。
Y 「二度とできないですね。作った感じじゃないよね。碧くん(the hatch)、君島くん、加藤くん(NOT WONK, SADFRANK)の中ではコード展開とか理論的な面も少しあったと思います。でもわりと崩れていったかな。リハをやってみて、決まっていたものを、“もっと気持ち悪くしたい”とか、円ちゃんからもリクエストがあったりして」
S 「整いさんがきちゃって」
Y 「最後のリハとかね、すごく綺麗に歌に向かっていくみたいな、全員で」
S 「別に綺麗な感じにしたかったわけでもなく、難しいところ」
Y 「自分はやっぱり、ほとんどわからないんですけど、円ちゃんの言っていることは」
一同 「(笑)」
Y 「感覚としてわかることはいっぱいあるんですけど。発する言葉でちょっとわからないことがいっぱいあって。例えば今回の公演で言うと“本を投げ合え”とか」

――本を投げ合ってた(笑)?
Y 「いや、投げ合ってないっす」
S 「“それくらいやっていいよ”っていうことをね」
Y 「(演奏中に)“とにかくお酒を買いに行け”とか“客席に降りろ”とか」
S 「“もう俺照明やめて、途中でみんなでお酒を配りに行くよ”とか」
Y 「“みんなで喋り出して、世間話して欲しい”とか。でも、予想できるものはつまらないからっていう、基本そういう感覚はわかっていて話してる。今回の公演で一番残ってるのは“感覚過敏”」
S 「去年、(強い光や大きな音に敏感な人でも参加できる)感覚過敏のかた向けのイベントで照明をやらせてもらう機会があって、大学の先生とみんなで工夫して作るという経験をして。それを、公演には関係していないけど少し裏テーマとして、みたいな話をしたのかな」
Y 「あのセリフもだよね。円ちゃんが指定したのは。暗転する前に、雪が降る前のノイズになるきっかけとして」
S 「聞き取れなかった人もいっぱいいると思うんですけど」

YELLOWUHURU | Photo ©濵本 奏

――何ていうセリフだった?
S 「それはまあ、言わないんですけど」
Y 「何でやねん(笑)。別に今はいいでしょ」
S 「ある台詞があって。暗転して、そこからサビみたいな感じでみんなで演奏してもらって。それで、ギャグみたいに終わる」

――ギャグではなかったです(笑)。
Y 「でも、なんとなく自分が感じたのは、感覚過敏に関して知ったことで円ちゃんの中の何かが変わって。即興とか実験音楽から学ぶのもそういうことだと思うんで。こんな音楽あるんだとか、ここでこんな展開なのか、とか。こういう感覚は、そういう意味で結局繋がって、今なのかなと思いました。概念を変える、みたいな。今自分の音楽をやっているときにも、その感覚はずっとひとつの軸としてあって。それを彼は照明でやるので、ずっと仲が良いのかな、と思ってます」
S 「最近は変なイベントあまり見ないね」
Y 「そうだね」
S 「やっているかもしれないけど。なんか照明ってエンタメっぽいものを求められるから、鎌ちゃんと出会った頃までは、速攻クビになっていて。たぶんおもしろいやつだと思われて、最初だけよく呼ばれる。何もできないのに。ずっと照明が暗いみたいな。それでサビでも全く明るくならないから、すぐクビにされていたんですけど」

――でも、意図的にやっていたんだよね。
S 「自分は良いと思ってやってた。打ち上げでボロクソ言われるみたいな。最近、昔の照明のほうが良かったと思うこともあります。これは観たことあるなとか、明らかに多いから、難しいですね。1月19日のイベントは、WWW Xで今年一番変な日になったらいいと思っていました。あんなに活躍している人を集めておいて」

――どれくらいの人が集まったんだっけ?
S 「300人ちょっとですかね」
Y 「集客は俺以外のファンです」
S 「俺に至っては全員、誰?っていう感じだったと思う」

――そんなことない。
Y 「円ちゃんが照明をやっているライヴを観に行っている人は、この照明いいなって思ってると思う」

――今回モエカさん見えなかったね。
S 「スタジオに入った時点で、しゃがんでいたので、今回はそういう気分なんだなって思いました。モエカちゃんは出られないかもしれなかったから、開演の挨拶と閉演の挨拶の声を録音してもらって、本番はDJの鎌ちゃんにグニャッてやってもらおうと思っていて。最終的には君ちゃん(君島)に音を作ってもらって、編集もしてもらって。贅沢な話ですけど。たしかに後ろの人はモエカちゃんが全く見えなかったか」
Y 「モエカちゃんが歌っているパートを、俺がずっと流しているって思っている人もいたっすよ。ベースを弾いていたので、その姿はファンとしてはレアで最高でしょ」

――お客さんが帰ってから、みんなで何か話した?
S 「いや、自分は即バラシなので、バラしていて、1回外に出ようかなと思ったんですけど、いいやと思って。それで、すごく良かったなと思ったのが、終わってからは演者がみんな酔っ払っていて、しかもめっちゃ仲よさそうで笑いました。それが一番本当に良かった」

Photo ©濵本 奏

――めっちゃ本望だね。
S 「またやりたいよね、みたいな話もあった。嫌われるかなと思ったけど、大丈夫でした」

――今まで長く一緒にいた鎌田くんから見て、どうだった?
Y 「なんだろう、なんかかたちになって、やるっていうことがまず良かったと思うし、さっき円ちゃんは昔のほうが良かったかもって言っていたけど、(佐藤がやっている)デカい公演はなるべく観に行くようにしていて」
S 「たしかに」
Y 「昔はたぶんデカい場所でも自分のやりたいこと、やれることだけやっていて。それが他者を意識して迎合していくみたいな感覚が、どんどん回を重ねると開いていくから。そうなっていって、自分でひとつ好きにやれる表現みたいなのが、やりたくなる。それがまた公演に結びついたと思っていて。それで今回よかった点も反省点もいろいろあるけど。なんかこれをずっと続けていってほしいと思います。とりあえずやって、かたちになって、まずは1回やってみて良かったっていうのがデカいですね」

――今回のWWW X公演のようなものも、依頼を受けての公演と並行してやっていったらバランスが良さそう。
S 「アイディアだけはめっちゃあるので」
Y 「おもしろいと思ったのは、最初は個展を想定していたけど、結果的に公演になったじゃないですか。結局人が好きなんだなって思って。個展のほうが本気で自分で好きなことをできるじゃないですか。でも他人と関わらないといけない公演というかたちになったのは、それは円ちゃんぽくておもしろいと思いました。もう照明だけっていうのはやらなそう。概念を変えたいんだよね。全部、予想できないことをやる。そこにアイデンティティがある」
S 「最近は変わってきたと思うんですけど。自分が鎌田と出会ったくらいのライヴハウスの演出ってわかりやすいのが多かった気がして、そんなにみんな単純かなと思ったりしていて。自分はクレームも来るんですけど、誰も馬鹿にしないっていうのはずっと思っていて」

――これから新しくやりたいことはありますか?
S 「やりたいことはめっちゃあるんですけど、全然器用じゃないからやらないで死ぬんだなって思いつつ。違う場所で再演をしたい。その前にやりたいこともあるので、その公演はやりたい。めちゃくちゃしんどくなるやつ」
Y 「誰が(笑)?」
S 「みんな」
Y 「お客さんが?」
S 「全員」
一同 「(笑)」
Y 「具体的にどんなん」
S 「ちょっと今度相談するわ」

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