Column + Interview「Pass The Distance」


文・撮影 | 小嶋真理

| 第1回: takuya watanabe takuya

 今年の3月終わり頃、東京・渋谷 WWWの「FREE RAVE」の時の写真とムービーをインスタで眺めてたら突如現れた2人が気になった。どことなく中性的、兄弟にもカップルにも見える2人の雰囲気と瓜二つの笑顔、そして何よりも無邪気でアッパーだけどダークさも含んだ謎のヴァイブスに見事にやられ、久々に面白そうな子たちを見つけたなぁ、知り合いで誰か彼らを知ってる人がいたら紹介してもらおう、とぼんやり考えつつ、今住んでいるアブダビから日本へ向かった(里帰り)。そしたら、早速出会った。2人のうちの1人、takuya watanabe takuya君(以下 タクヤ君)に。宇田川町あたりのコンビニの前で酔っぱらってたらバッタリと。

 「AVE | CORNER PRINTING」で連載を持たせてもらえることとなり、気にある人物にインタビュー(プラス、何かしらテーマ付きの音楽5選)していく会話形式のシリーズにしようと決めた。インスタでタクヤ君の写真を見てから、無垢な子供が自由気ままに埋め尽くしていく落書き帳みたいにタクヤ君の体にランダムに入ってたタトゥが気になっていたので、出会った時に軽く聞いてみたら、セルフタトゥらしい。そのタトゥ、雑に例えれば、長電話してる時、無意識にメモ帳にぎっしり書いてしまう線みたいなやつ。


 というわけで、タトゥーのことや作品などについてもっと詳しくタクヤ君に聞いてみたいと思ったので、連載第1回目はtakuya watanabe takuya君へのインタビュー、です。


main photo | ©小嶋真理


――まず、自己紹介を、どうぞ。

 「takuya watanabe takuyaです」

――表記長!芸名?タクヤワタナベタクヤにした理由は?
 「なんとなく。ワタナベタクヤで調べたら沢山居たので音楽みたいに好きな音を繰り返す感覚で2回言っとくかなって」

――そか。実はずっと前からタクヤ君は写真をやっている人だって知ってました(でもインスタで見たときは同一人物だと分からなかった)。タクヤ君が下水道とか地下道に潜りこんだりしてるのも、友人から聞いて知っています。
 「わお、嬉しいです。写真は撮る回数が減っているだけで頭の中では続けていて、地下道は楽しいから気が向くとたまに入ってます。完璧な暗闇って普段なかなか遭遇しないから落ち着く」

――ところで、あのWWWのイベントで一緒にいた白ファーを着た人物は誰?
 「磯崎隼士君(以下隼士君)!油絵とか皮膚っぽい立体とかめちゃくちゃ強い作品作るかっこいい友人。地下道と隼士君との出会いもちょっと繋がりがあって。去年、中村穣二さん企画の“中村ブックフェア”にお互い出店していて。その前のohianaさん企画のブックフェア辺りから面識はあったけど、ジョージさんのブックフェアでより仲良くなった」

――隼士君と仲良くなった経緯と地下道、どう関係が?
 「中村ブックフェアの会場が中目黒のW+K+ Galleryだったんだけど、隼士君と川見てたら干上がってて、そこに紙袋が落ちてて」

――ショッパーみたいなやつ?
 「そう。それがなんか、立ってた。直立。確実に変な、落ちてグシャっとかってなってなくて、誰かが置いたのかな、みたいに。ちょうどハシゴがあったから隼士君と川底まで降りてその紙袋を取りに行って。それで紙袋を開けたら、東ドイツ製の鉄道模型が出てきて、RPGみたいで意味不明だった(笑)。調べたら結構いい値段ついてて。すごく不思議で、箱も崩れてないし、本当に誰かが置いて行ったとしか思えない。夏休みの小学生みたいな打ち解け方して嬉しかった(笑)。で、後日そこから川底をちょっと歩くとデカい穴から地下に入れることに気付いた」

untitled / cave | photo ©takuya watanabe takuya

untitled / cave | photo ©takuya watanabe takuya
untitled / cave | photo ©takuya watanabe takuya

――その時のアートブックフェアは、絵?写真で参加?
 「その時はまだ絵をやってなくて、写真のジンとか出してた」

――最近ドローイングをたくさん描いているみたいだけど、始めたきっかけは?
 「自分の体に墨を入れたことがきっかけ。2017年くらいから海外のタトゥ・アーティストをよく見てたんだけど、その中でも特に“Studio Straus”っていうエルサレムの音楽とか墨のコレクティヴ周辺が気になってた。特にAuto Christの墨のぐちゃぐちゃなスタイルが良くて。しっかりカチっとしたモチーフじゃないヘロヘロの墨。そのクルーの何人かと連絡取るようになって、彼等のマーチでオレの写真のTシャツとか出したりしてた。そのあと去年の4月にメンバーのYuvalから日本に行くよって連絡が来て。ちょうどNAZEさんと森本(悠生)くんとやっていた“saiaku ni shiteiku”って展示会期中だったから会場のANAGRA(東京・半蔵門)でタトゥのポップアップをやってもらった。そこでYuvalに入れてもらったのが初めての墨」

――初めて入れたタトゥはどんなやつ?
 「ちんこに十字架。愛する人以外としないための戒め」

――それはイスラエル式のしきたりとか何かじゃなくて?
 「マイルール。その後すぐ破ったけどそろそろ効果出てきた感じする」

――見せたくなっちゃいそう、逆に。
 「いやちんこ見せるの普通に恥ずかしいよ(笑)。それからまた時間が経って、11月くらいに隼士君が墨を自分で自分のお腹に入れ始めた時にその写真を撮ってって言ってくれて。彫ってる姿を撮影してたら我慢できなくなって彼の針を借りて自分で彫った」

"scanning" | photo ©takuya watanabe takuya

"scanning" | photo ©takuya watanabe takuya

"scanning" | photo ©takuya watanabe takuya
“scanning” | ©takuya watanabe takuya
※ 自分の身体にあるタトゥーをスキャンしてまとめたフォトジン。

――最初に入れたセルフタトゥは?
 「その時左足の付け根に入れた太めのぐにゃっとした線。最初は家族にバレないようにパンツの中に隠そうと思ってた。28になって急に墨入れたら逆に心配するかなとか思って」

――たしかに。デビューおそっ!てなるよね。墨、しっくりきた?絵を描いた経験があまりないっていう状態でいきなり自分の体をキャンバスにして墨を入れるって、結構インポッシブルな話だと思うんですよ。墨は残るプレッシャーあるだろうし。そういう気持ちはなかったの?ノリ?
 「逆にそれによって初めて絵と真剣に向き合って楽しさに気付いた。紙のらくがきとかって捨てられるけど、これずっと残るんだよなとか何が自分に欲しいかとか、おれの引くべき線とかスタイルってなんだろうと思って、真剣に絵について考えた」

――下書きもなく?
 「そう、それで絵が楽しくなった」

――じゃあその時はまだ、生身の体に墨を入れるっていうの以外、紙の上で絵を書くというのはやったことがなく。
 「壁とか紙にしてた適当な落書きくらい」

――どうやって今のスタイルにたどり着いた?ラインドローイングっぽいの。
 「去年の12月から長野に3ヶ月間いたんだけど、その時住んでた家の窓を開けると、つららが毎朝20本くらい育ってて。それが好きでベランダに集めたり風呂に一緒に入ったりして、最初はそのつららがきっかけだったと思う」

――つらら、描こうと思ったの?
 「そう、左足につらら入ってるの、ここ。縦の細長い奴、すごくしっくりきた。このシェイプを習得したいなと思ってそれをしばらくずっと描いてて、この良さって何によるんだろうとか考えてた。きっかけとしてはやっぱそれ(つらら)かな」

takuya watanabe takuya | photo ©小嶋真理

takuya watanabe takuya | photo ©小嶋真理
photo ©小嶋真理

――ネイチャー的なオーガニック(有機的)なシェイプに惹かれたのかな?そういう有機的な形とか動きに昔から興味があった?
 「オーガニックというか、プリミティヴなものに興味があった。写真を撮る時も身体性がベースになっていて。いまの時代をどう生きるかって時に、インターネットとかテクノロジーはもう今あるものとして敷きつつも、その上には身体性が重要な意味を持って乗ってくると思った。それを写真でやってたんだけど、その身体性に回帰する、注視することがプリミティヴな方向性を含んでて、それで自然的な要素もそこに含まれてる」

©takuya watanabe takuya

©takuya watanabe takuya
©takuya watanabe takuya
※ 最近の彼のスケッチ。

――今、そのプリミティブな方向のドローイングが多いと思うけど、ほかのスタイルに突入したいとかある?
 「具体的には分からないけど、知らないものが見たい。今後何を自分に加えて何を作るようになるんだろうっていうのは実験みたいな気分で楽しみにしてる」

――油絵もやるんだよね?
 「今年の3月くらいに始めた」

――スピードが早いね、全部わりと近々で始めてる。
 「うん」

©takuya watanabe takuya
©takuya watanabe takuya

――油絵は自ら学んだ?
 「最初は隼士君に色々聞いた。長野に居る時につららとかから得たシェイプのドローイングを続けてて、身体に墨もほぼ毎日増やしてて、なんとなく帰ったら油でデカい絵をべちゃべちゃ描きたいなと思ってた。雪山に飽きたし寒いしで溜まってたフラストレーションをもっとフィジカルに発散したかったんだと思う。それでこっちに帰ってきてまたよく隼士君と遊ぶようになって、彼の家に絵具があったからこれは何?とか聞いて。彼の家に1週間くらいこもったりしてたから絵具の用途とか種類とか、色々聞いた」

――わりと細く教えてくれた?
 「教えてくれた、し、先入観を与えないようにしてくれてたと思う。これが悪いこれが良いとかより“この成分は○○”みたいな。すごく有難かった、贅沢な教わり方をした」

――最初どんな絵を描き始めた?何を感じて何を描き始めた?
 「160cm x 100cmくらいの割とでかい絵が最初。一筆目がキャンバスに触れるまでは何も考えなかったと思うけど、描くうちにメディウムの粘度とか質感が気になった。あとは描きながら体をねじったらどうなるかなとか、好奇心が大きかったと思う。Matthew Barneyの拘束のドローイングの番号が若いシリーズがすきだったから遠いところから無理して描いてみたり、身体とメディウムの関係みたいなのが楽しくて。それでペインティングも面白いなって」

――墨と油絵、また別物のような気がするけど。修正できるかできないか、という所が。
 「基本的には全て修正のしようはないと思う。一度描いたという事実と消したという事実は自分にとって消えないから。消すという行為すら後の線に影響を与えるし。墨を始めた時に初めの頃は絵を描いてミスったとか、綺麗な線じゃないなあとか、絵ってそういうもんだと思ってた。理想に対する正解、不正解があるもんだと。先に理想とするものがあって、何を描こうかなとか考えてしまってたけどミスった線は頭から消えないから、じゃあそれをどうするか、みたいな。生かすのか、一旦寝かせとくか、もっと意味の分からない線を引いて未来の自分にそれを託すのか、そういうことを考え始めたら過去よりも未来に目が向くようになった。最終到達点が自分にとってもう一筆も足せない、どこを消したくもないベストな形だったら、出来上がった瞬間から、その絵にミスはない」

――そういう気付きがあったから、抽象的なドローイングが増えたのかな。
 「そうかも。そう考えたら人生も楽になった」

――その概念は人生とかにも置き換えられるから?
 「過去自分がしてしまったこととかに食らってしまってる時期が昔は結構あったけど、最後終わりとなる時に向けてどういった線を引いていくか、自分がどう描いていくかによって全然間違いじゃなかったってなる可能性はあるなっていう」

――確かに。過程の1つだよね、有終の美を飾るでもないけど、その最終ポイントへ向けてのただの通過点であるという。
 「人に迷惑をかけてしまったら、それをミスではないと言えないけど、その後の動き方によっては、あるいは自分自身の絶対性というか個人の中で完結することであればミスではないという可能性があるなと思って、少し心が軽くなった」

――色々救われたってわけね。
 「少しだけど、めちゃくちゃ救われた」

takuya watanabe takuya | photo ©小嶋真理
photo ©小嶋真理

――ラインドローイングに何かそれぞれ意味はあるの?それともやはり体の動きとかの方が重要?
 「書き始める時に目指すものとか考える意味は特にない。むしろ書かない時と書いた後に考えてその絵を理解する事が多い。最初に筆とか針を落として、描いた線に呼応する形で次の線が出てくる」

――そういえば、カオス*ラウンジの展示「ceramic scramble」(陶芸家ではないアーティストたちが、宮下サトシさんの指導のもと陶芸に挑戦しおもいおもいの作品を作る、という展示)、とても良かったけど、で初めて挑戦した陶芸はどうだった?
 「凄い楽しい、ペインティングと似てる」

sty_pr(y):007-offering A | ©takuya watanabe takuya
sty_pr(y):007-offering A | ©takuya watanabe takuya
sty_pr(y):005-the bell | ©takuya watanabe takuya
sty_pr(y):005-the bell | ©takuya watanabe takuya
sty_pr(y):001-pray(er) | ©takuya watanabe takuya
sty_pr(y):001-pray(er) | ©takuya watanabe takuya

――陶芸って過程が長いじゃん?素焼きで壊れるかもしれないというプレッシャーとか。
 「壊れても壊れなくてもいい。今回の展示のキュレーターで出展作家の宮下さんも割れずに焼けるかなってとても心配をしてくれたけど、まあそれはそれでしょうがなくて。割れそうなのにそれでもそのカタチで焼きたいという想いとか、もし割れた時そいつらの破片をどう扱うかが重要というか」

――もうそれはミスはミスじゃない、過程の一環っていうやつかね。
 「うん、崩れてもいい、悪いけどいい。でも狙うべきポイントが割れて“わーっ”とか声出したりもする(笑)。それぞれの重要度によってそのまま次のステップに移るときも、もう一度最初からやり直す時もあって、それはそれでいい。大体の部分は想像してコントロールするけど、全てはコントロールできない。そういった許しによって想定や想像を超えられる」

――アプローチ次第で納得いく最終地点まで到着するようにするわけね。きっと職人さんとかって、理想図というかあるべき完成形があって、それに近づくというプロセスを踏むわけだけど、タクヤくんは逆を行っているような、ほんと許しで成り立っている、許容が広いというか。妥協でもないけど。
 「墨とドローイングを始めたときに許しとか祈りについて色々なことを感じた。職人的なクオリティに憧れもあるけど、今はそれよりも理想とか想像の先にある未知の可能性を持って帰りたい」

――感覚は一緒でも、油絵とドローイングの時、スタイルが全然違うでしょ。それは色があるからかな?なんでかな。
 「質量があるから。ペンのドローイングも質量はあるけど、実感として染料に近くて撫でても凸はないし。油は質感に注意が向く、その立体ぽさも陶芸と似てた」

――コンセプトを持って絵を描かなきゃダメ、みたいな固定概念って割とこの世に存在してることだと思うけど、話を聞くとそれとは真逆の方向へ行ってるじゃん?とりあえず今、身体から出てくるものを、全部見たい?
 「見たい、でもコンセプトはあるよ。“絵を描くという行為におけるコンセプト”と“絵に描かれた内容についてのコンセプト”って2つのうち特に前者について考えていて、後者に関してはヴィジュアル的な好みが主であとはあまり気にしない。写真でもそうだったんだけど、身体を先行させて、後からその辿り着いた地点まで脳を到達させて、2つが同じくらいのレベルに達したら、また身体を先行させる。身体に脳の知らない情報をとってきてもらって、それを理解するために脳でそこから学ぶみたいな交互のプロセスが永遠に積み上がる」

――まずフィジカルなところから始まって、自分自身の理解っていうところに繋がるのかな。
 「そう。脳が知らない沢山のことを身体は知っている気がして、でも結局個体として1ペアだから繋がってくる。自分のドローイングの模様に似たようなやつが、縄文時代の武器とか装身具の図鑑見たら載ってて、なんかこういう成り立ちなんだなって。ある時代の本能的な行動も、後から信仰とかなんとかっていうくくりでパッケージングされるけど、細かいディティールが先に存在していてそのあとに体系化されて消えるもの残るものがあるというか、それは個人の中でも同じ事が起こってる」

――最初に話してたStudio Strausも、そういうプリミティヴな感じ?自分と近いスタイルだなって感じる?
 「Auto Christに関しては、デザイン的には落書きの犬みたいなのとか描くから違うけど、その線の質の純粋さとか衝動を感じるスタイルはプリミティヴと言えるかも」

――なるほど、ラフスケッチみたいな、犬とか、果物とか、ちゃんとした固有名詞のあるもの、みたいな?
 「割とそう。そのモチーフの構造とか構図もやばいんだけど、おれにはその線の質が特に気になった。墨って職人技でパキっと綺麗に、みたいなものが最低限の価値基準としてシーンに存在すると思ってたから、それで成立してることに驚いた。パンクとかDIYな刺青の雑な質」

――初期衝動的な?
 「そう、DIYの墨って基本的には遊びじゃん。その絵自体の質というというよりはその時の時間とか気持ちが大事みたいな。でもStrausはその絵をスタイルとしてリスペクトしてるように見える」

――タトゥって結構、モチーフに思い入れがあって入れるっていう場合が多いと思うんだよね。花とか、おじいちゃんの名前とか、これに思い入れがあるとか、自分の主張を代弁する物体を体に入れるっていうのが多い気がする。でもタクヤ君のは、逆を行ってるじゃん、無意識から生み出される抽象、みたいな。
 「逆っていうのは具象か抽象かって部分くらいで、固有名詞じゃ表せないモードだったりムードだったりがあるのを表現とか主張したいときに犬とかじゃなくて、こういうものになるんだろうなって思う。人には抽象ととれるものも、自分にとっては具象だったりするし」

――無意識な動きじゃなくて、ちゃんと意味はあるんだね。
 「言葉にならないどころか、いつ彫ったか全く身に覚えがないのもあるけど(笑)」

――私が一瞬そのタトゥを見て、それはアレだよねって明確に認識することは出来ないものが多いじゃん、そういうのはいいよね。暗号的な。
 「ムードだけが伝わるのはいいよね、なんかこうおかしな線があるっていうことだけが伝わる」

――前に私の友達がタクヤ君のタトゥ見て、きったねぇ〜!って爆笑してたよね、いい意味で(笑)。でも彼女のそのリアクションをタクヤ君がすごく喜んでたけど、なぜ(笑)?
 「何かしらの衝撃が伝わったサインになった気がして嬉しかったのかも。あと人が笑うと嬉しいし楽しい(笑)」

――今後はどういう感じにやっていきたい?
 「今は絵とか立体を展示したい。まとめて空間に留めるってのはまだやってないから」

takuya watanabe takuya | photo ©小嶋真理
photo ©小嶋真理

――じゃぁ、今後楽しみなことは?個人的に。この夏なんかしようとか。
 「特にないや。次自分の体に何彫ろうかな〜ってイメージするくらい」

――そういや、自分の体で自分の手の届くところにしかタトゥしてないのいいね。背中真っ白で。流線みたいな、なんか、宇宙っぽい。流星群的な。
 「左利きだから左手だけの流れだね。友達のくれたのもいくつかあるけど」

――ちなみに、他の人に入ってる墨だとなんか好きなのある?
 「2Pacの“THUG LIFE”、Harmony Korineの手の甲にある悪魔の槍、Dash Snowの胸のメキシカンスカル三連、あとSteve-Oの背中にあるSteve-Oの自画像(笑)」

――割とポップでキャッチーなやつばっかじゃん(笑)。
 「なんでもいい(笑)。というかその人達がかっこいいだけかなこれ。Yuvalの背中にあるDavid Schiesserの墨も好き。でも一番は、隼士君の腹の墨。あれほんと凄いよ、見るたび痺れる。200年後の人のためにホルマリンの額に入れないと」

 そして最後に、タクヤ君が絵を描く時に聴いてるアルバムを選んでもらいました。ナイスな5選!

1. DJ KENN & A-THUG『Street Is Talking
2. Fábio Caramuru『EcoMusica
3. I Know Who You Are and You Are Nothing『Friend
4. Donna Summer『Belligerent Super-Vision
5. Leonard Bernstein『Blitzstein: The Airborne Symphony – Bernstein: Facsimile

| takuya watanabe takuya タクヤワタナベタクヤ
1990生まれ、写真, 墨, 絵, 立体。
https://www.takuyawatanabetakuya.com/
https://www.instagram.com/takuyawatanabetakuya/

小嶋真理 | photo ©小嶋真理小嶋真理 Mari Kojima

現在アブダビと東京を行ったり来たり。

ライター、写真、翻訳、コーディネーター&プランナー的なこと担当。株式会社gallomo代表。

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