Interview | Quyếch / Đức Nguyễn


ベトナム・ハノイのインディペンデント・ミュージックは今

 ホーチミンに次ぐベトナム第2の都市、ハノイ。経済の中心であるホーチミンに対し、同国の首都であるハノイは政治と文化の中心とされている。2010年には建都1000年を迎え、悠久の歴史を刻んできた古都でもある。

 そんなハノイを拠点に活動するプロデューサー / ギタリスト・Đức Nguyễn(ドゥック・グエン)のソロプロジェクトであるQuyếch(クエック)が、4人のベトナム人シンガーと共に初来日を果たす。インディポップ~クラシック~アンビエントを横断するその音楽性は、近年各地で推し進められているポストクラシカルの潮流ともリンクするもの。1日かぎりの来日公演には千葉広樹(b)と福盛進也(dr)がサポートで参加する。


 アフターコロナの現在、アジア各地のインディ・アーティストが毎週末のように来日公演を行っているが、ベトナムのインディ・シーンに触れられる機会はなかなかない。今回は来日を控えるĐứcにオンライン・インタヴューを試み、ハノイ音楽シーンの現状から自身の音楽世界の背景まで、たっぷり話を聞いた。


取材・文 | 大石 始 | 2025年5月
通訳 | 関 俊行 (MIDI INC.)
Quyếch / Đức Nguyễn | Photo ©LUCfest
Photo ©LUCfest

Đức Nguyễnは1991年、ハノイ生まれ。現在もハノイの一角に住まいを構えている。モニターの向こうのĐứcは流暢な英語でこう語り始めた。

 「初めて楽器を手にしたのは12歳のときです。学校の遠足で田舎のほうに行ったことがあって、友達が道端でおもちゃみたいなバンブー・フルートを買ったんですよ。それを一緒に吹いて遊んでいました。同じ頃からギター教室でクラシック・ギターを習い始めました」

Đứcの楽曲ではストリングス・アレンジが施された曲もあり、クラシック音楽からの影響も強く感じさせる。クラシック音楽の専門的な音楽教育を受けているのだろうか。

 「米ヴァージニアのランドルフ・メーコン大学で音楽の授業を受けていました。音楽大学ではなかったんですが、音楽の授業があったんですよ。楽譜はギター教室である程度読めるようになっていたので、大学では音楽理論を学びました。大学に入る前はギターでコードを弾き、その上にメロディを乗せるという簡単な構造の音楽を作っていましたが、大学ではひとつひとつの音をどう組み合わせるか、より緻密な理論を身につけることができました。正直、当時の自分にとってはあまりおもしろい授業じゃなかったけど(笑)、いま思い返すと、あそこで身につけたものが今の自分の表現の土台になっているとは思いますね」

Đức Nguyễn

Đứcの音楽世界を紐解くうえでヒントになるのが、Spotifyで公開されているĐứcのプレイリストである。ここではBLIND GUARDIANやSYMPHONY X、Guthrie Govanなどのプログレッシヴ・メタル、アニメ『FAIRY TAIL』サウンドトラックに収録された高梨康治の「魔法発動」など長年愛聴してきたもののほか、Patrick Watsonの「Je te laisserai des mots」(2010)なども収録されている。Patrick Watsonはクラシック音楽の要素を取り入れた作風で知られるシンガー・ソングライターだが、その作風はたしかにĐứcの作品との共通点も感じられる。ここ10年ほど、THE NATIONALのBryce Dessnerのようにポップスとクラシックの垣根を越えるアーティストが各地で活躍しているが、Đứcはそうしたアーティストからも刺激を受けているのだろうか。

 「詳しいわけではないんですが、YouTubeなどで聴いたりはしています。ポップ・ミュージックの枠組みだけでできることは限られているし、野心的なアーティストがクラシックやジャズにアプローチするのは自然なことだとも思います。クラシックは音の層が織りなされていて、複雑な音楽です。一方、ジャズはリズム面において複雑さがあって、僕はクラシックとジャズのその側面から影響を受けていると思います」

「そういえば、個人的にYouTubeで作ったプレイリストもあるので共有しますね。僕自身はジャズそのものが好きというより、ジャズに影響を受けたもののほうが好きかもしれない」――そう言ってリンクを送ってくれたプレイリストにはLee RitenourやPat Methenyのほか、Becca Stevens & Jacob Collier「As」(2017)、FLEET FOXES「Mykonos」(2008)、ARCADE FIRE「Song On The Beach」(2021)などの楽曲がまとめられていた。Đứcが紡ぐスケールの大きな音楽世界が、こうしたアーティストと共振するものであることは間違いない。

Quyếch | Photo ©Phan Nam
Photo ©Phan Nam

2017年、Đứcはベース / ヴォーカルのNguyễn Ngọc Linh(リン)、プログラミング / コーラスのVũ Đinh Trọng Thắng(タン)Quyếchを結成する。Thắngはハノイの人気インディ・バンド、Ngọt(ゴット)のメンバーでもあった。結成当初のコンセプトについてĐứcはこう話す。

 「“こういう音を作りたい”という具体的なヴィジョンがあったわけではなく、自分自身のソングライティングを追求したくてQuyếchを始めたんですよ。自分が理想とする楽曲にできるだけ近づけたいと思っていたし、クォリティの高いものを作りたかった」

Đức Nguyễn

本人もこう話すように、QuyếchとはあくまでもĐứcのソングライティングを表現の軸とする集団である。Đức自身も「(Quyếchは)バンドではなくプロジェクト」という意識を持っているようだ。

 「自分にとって楽曲制作とは数学の問題を解くようなものなんです。たとえば、今作っている楽曲は主旋律があまり動かなくて、起用することになっているヴォーカリストはあまり高い声の持ち主ではない。そういう楽曲をドラマチックに仕上げようと思うと、アレンジを考えなくてはいけないんです。いくつかの音楽的要素をどう感情的に正しいかたちで組み合わせることができるか常に考えています。重視しているのは『理論的に正しい配置』にするのではなく、『楽曲の感情に沿った最適解とは何なのか』を探ること。自分にとっての楽曲作りは直感的なものではなく、数学の問題を解くように緻密な作業なんです」

2018年にリリースされたデビュー・シングル「Độc thoại」は端正なサウンドの上にLinhの柔らかな歌声がふわりと乗るもので、Đứcが育んできたクラシックの素養を感じさせるものだった。2019年にはThắngがNgọtの活動に専念するためQuyếchを脱退(Ngọtも2024年に惜しまれつつ活動を休止している)。2021年4月のシングル「Chờ」を最後に、QuyếchはĐứcのソロ・プロジェクトとなった。

2021年6月の1stアルバム『Quyển Trời.』は、Đứcが培ってきた音楽的感覚やヴィジョンを余すことなく形にした傑作である。ベトナム語で「天国の本」を意味するタイトルが冠されたこの作品は、「存在」や「意味の探求」といったテーマと向き合った形而上学的作品だ。ここでは静かにつま弾かれるĐứcのギターに先導されながら、幽玄な歌の世界がゆったりと展開されている。

2023年にはほぼピアノ・ソロだけで構成されたインストゥルメンタルEP『To the many years』をリリース。翌年のシングル「Lời Nhắn」ではベトナムのNhư Khuê(ニュー・クエ)のほか、Sangpuy(桑布伊 サンプーイ)やEri Liao(エリ・リャオ)など台湾原住民にルーツを持つシンガーが参加している。Đứcはこの曲について、こう解説する。

Quyếch

 「台湾原住民のDifang(ディファン 郭英男)が好きだったんです。最初に彼の歌を聴いたのは子供の頃だったけど、こんなにも表現豊かな歌の世界があるんだと感動したことを覚えています。この曲では3人のシンガーを迎えているけど、Như Khuêの声は細くて、Sangpuyは太い。この曲ではそうしたコントラストもテーマのひとつでした。ひょっとしたらこの曲もさっき言った数学的アプローチのひとつと言えるかもしれないですね」

ところで、現在Đứcが暮らすハノイの街には、どんな音楽シーンが形成されているのだろうか。10年近く前、ホーチミンのエクスペリメンタル / ノイズ系アーティストであるNguyễn Hồng Giang(グエン・ホン・ヤン)にインタヴューした際、彼はホーチミンにはハノイのように新しい音楽を演奏できる場所がなくて、エクスペリメンタル・ミュージックに関してはかなり遅れていると思うと話していたものだった。シーンの移り変わりを見続けてきたĐứcはこう話す。

 「今のハノイを特徴づける音楽やシーンがあるかというと、そういうものはないと思う。ホーチミンはエンターテインメントやアートの面でもかなり商業化されていて、それに比べるとハノイはたしかに実験的な表現を試みられる環境はあると思います」

YouTubeには『Hanoi Awakening: The Rise of Underground Music in Vietnam』と題された74分のドキュメンタリー・ムーヴィーが公開されている。この映画ではハノイのタイホー地区を中心にアンダーグラウンドなクラブ・シーンが形成されていることが描かれている。そこには多くの外国人DJやボヘミアンたち、耳の早いハノイの若者たちが集い、「Savege」や「Mirage」などのクラブが日夜盛り上がっているのだという。Đứcが活動拠点とするライヴハウス「Hanoi Rock City」もこのタイホー地区にあり、観光客向けだけではないライヴ・イヴェントが日夜開かれてきた。

 「少し前はNgọtというインディ・バンドが人気になったり、インディ・シーンが盛り上がった時期があったんだけど、それも少し下火になりつつありますね。この後新しいシーンが出てくるかもしれないし、シーンやアーティストの入れ替わりが激しいところもハノイの特徴なのかもしれない」

そう話すĐứcに、交流の深いバンドをいくつか挙げてもらった。

Limebócx

Quyếchのライヴでも対バンした経験のあるユニット。ベトナムの伝統的な弦楽器ダン・チャインをフィーチャーしており、ディープなエレクトロニックミュージックを展開している。

Hồ Trâm Anh

アンビエントとクラシック音楽から影響を受けたハノイのシンガー・ソングライター。ピアノの弾き語りからノイズ / ドローン作品まで作風の幅は広い。

Cường Lê

ハノイを拠点とするシンガーソングライターで、2023年には自身を含むプロジェクト、CUØNGLEと共にシューゲイズやドリームポップからの影響を滲ませた新作『{1}』をリリースしている。

Mạc Mai Sương

ハノイの複数のプロジェクトに参加している彼女は、ハノイ・インディ・シーンの現在を象徴するシンガーと言ってもいいだろう。AOR~シティポップの香りも漂う歌い手である。

Abyxx

Quyếchのサポートベーシストが在籍するシンセポップ・グループ。2023年のアルバム『Thử Lại』も素晴らしい作品だった。

東京で開催されるQuyếchの初来日公演には4人のベトナム人ヴォーカリストが帯同する。Linh Nguyễn(リン・グエン)、DDETS、Thanh Tú Hứa(タン・トゥ・フア)、そして上で紹介したMạc Mai Sương。冒頭で触れたように、他の東南アジア諸国に比べるとハノイのインディ・シーンに触れる機会は決して多くないが、この日はハノイで日夜繰り広げられているセッションの一端を見ることができるだろう。最後に来日公演に向けた意気込みをĐứcに語ってもらった。

 「日本でライヴ・パフォーマンスをするのは初めての経験だし、日本のオーディエンスにクエックのすべてを知ってもらいたいと思っています。初期の曲もやるし、最近の曲もやるつもりです。いま新しいアルバムを作っていて、来年か再来年には出せたらと考えています」

Quyếch Live in Tokyo 2025Quyếch
Live in Tokyo 2025

2025年6月24日(火)
東京 南青山 月見ル君想フ

開場 18:30/ 開演 19:00
前売 5,500円 / 当日 6,000円(税込 / 別途ドリンク代700円)
Peatix

[出演]
Quyếch feat. Various Artists (DDETS, Linh Nguyen, Mac Mai Suong, Thanh Tu Hua)
Supporting Musicians: 千葉広樹 (b) / 福盛進也 (dr)

Guest Performance: HUGEN (Trio)