文・撮影 | あだち麗三郎
今回ご紹介するのは、静岡県御殿場市「沼田の湧水」。御殿場市といえば富士山の麓にある街で、富士山を見渡す、というよりは、見上げる、といったくらいとんでもないくらいに強い富士山の磁力を感じるところだ。ここ沼田の湧水のすごいところは、日本でもトップクラスの半端ない水量が溢れてくるところ。もう、爆発力というか、感謝とか怒りとか祈りとか、すべての感情がひとつになって飲み込まれているような、ある意味力強すぎて畏怖の念さえも感じる。
この水は、どこから来ているかというともちろん富士山なのだが、40年くらい前の富士山に降った雨だと言われている。1980年頃に降った雨がこうして今、富士山の入り口まで車で15分で行けちゃうような麓の街からこのすさまじいエネルギーのライヴ感で湧いていると思うと、時間感覚もよくわからなくなる。この時間感覚の錯覚というか、“よくわからない”感じの状態についての気づきがあった。
先日、東京都現代美術館で開催中の横尾忠則展を観に行ってきた。ぼくは高校生くらいのころから横尾さんの大ファンで、アーティストとしてのスタンス、芸術に対する考え方や、スピリチュアルな感覚など一番影響を受けた人物といってもいいと思う。
今回の展示を観ていて、ふと、脇腹のラインがふわっと浮くような感覚があった。あれ?なんだろう?この感覚は、と思いながらこの感覚が沸き起こった理由を探してみた。どうやらこの感覚は、奥行きのある絵画を眺めたときに、本来奥行きには視点の移動という時間の経過があるのに、絵の情報が“同時”に入ってくる、という現実ではあり得ないことを処理しようとして、両目の外側の辺りから、おなかの横側にかけて2本のラインが通ってふと軽くなる感じ……こういう現象がぼくの体内で起こったようだった。
生まれて初めて、絵の中の全部を同時に捉える、という見かたができたのだ。同時、というのはまさに同時刻のことで、流れや立体感で視点を進めずに(同時ではなくなるので)、“ぱっ”とある意味“時間を捉える”というようなそんな感覚だった。大学生のときに買った画集で何度も観ていた絵が、全く違って見えた瞬間だった。そして、ああ、横尾さんはこういう時間感覚で世界を感じてるんだなと思った。
この脇腹がふっと軽くなる感じは、以前にもあった。THE HIGH LLAMASというバンドのライヴを観ていたときに、たくさんの声と、楽器の周波数が重なって、なんだか浮かぶような磁力が生まれたのだ。そのときと似ていた。この浮遊感は、音でも起こるし、絵画の中での、時間感覚の錯覚によっても起こる。なんだか芸術で起こるこの錯覚は、40年前の雨が湧き水として湧いていること、これを飲んだぼくのおしっこが、また雨水となって、湧き水となるこの時間を同じ“ひとつ”として捉える感覚にも近いのかもしれない。
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音楽家。からだの研究家。
人類誰もが根源的に自由で天才であることを音楽を通して証明したいと思っています。
1983年1月生まれ。少年期を米アトランタで過ごしました。
18歳からドラムとサクソフォンでライヴ活動を始めました。
風が吹くようなオープンな感覚を持ち、片想い、HeiTanaka、百々和宏とテープエコーズ、寺尾紗穂(冬にわかれて)、のろしレコード(松井 文 & 折坂悠太 & 夜久 一)、折坂悠太、東郷清丸、滞空時間、前野健太、cero、鈴木慶一、坂口恭平、GUIRO、などで。
「FUJI Rock Festival ’12」では3日間で4ステージに出演するなどの多才と運の良さ。
シンガー・ソングライターでもあり、独自のやわらかく倍音を含んだ歌声で、ユニークな世界観と宇宙的ノスタルジーでいっぱいのうたを歌います。
プロデューサー、ミキシング・エンジニアとして立体的で繊細な音作りの作品に多数携わっています。
また、様々なボディワークを学び続け、2012年頃から「あだち麗三郎の身体ワークショップ」を開催。2021年、整体の勉強をし、療術院「ぽかんと」を開業。