追悼: Sly Dunbar「One love, Keep doing what you doing」
そんなSlyから強い影響を受けてきたのが、ベーシストの秋本 "HEAVY" 武士だ。DRY & HEAVY、REBEL FAMILIA、THE HEAVYMANNERSで活動してきた秋本は、2008年5月、THE HEAVYMANNERSのレコーディングでジャマイカへと渡り、Slyと伝説的なセッションを繰り広げている。
2026年4月24日、秋本が率いるTHE HEAVYMANNERSが実に10年ぶりに再始動。RUMIやLikkle Mai、K-BOMB x BABAら盟友たちを招いてライヴ・パフォーマンスを見せてくれるのだという。Sly亡き今、秋本はベースを通じて何を我々に伝えようとしているのだろうか。秋本に話を聞いた。
取材・文 | 大石 始 | 2026年3月
協力 | 村尾輝忠 (unclebuck | SONICFILM)
――Sly Dunbarが1月26日に亡くなってしまったわけですが、秋本さんはそのニュースを知ったとき、どんなことを感じましたか?
「Robbie(Shakespeare)が亡くなったのが5年ぐらい前(2021年12月8日)ですかね?ああ、自分の青春が終わってしまったな、と思いましたね。DRY & HEAVYはSly & Robbieへの憧れから始めたようなものだったので。俺は本当に、スラロビ人生だから」
――Slyはキャリアが長いのでもっと年齢が上かと思ってましたが、まだ73歳ですもんね。
「そうですね、Slyはもっと長生きするかなと思ってた。Robbieはやはり早かったですね」
――秋本さんがSly Dunbarという存在を最初に意識したのはいつ頃ですか。
「17、18の頃ですかね。レゲエに出会ってベースを弾き始めれば、Sly & Robbieは当然ぶち当たる高い壁じゃないですか。最初に聴いたのがこれ(『Rhythm Killers』1987)で。P-FUNKのメンバーが参加していて、レゲエVSファンクのトップ対決みたいなアルバムですね」
――しかもSlyのサイン入りですね。
「そう。これはね、Slyとのセッションのあとにサインしてもらったんです。これが初めて自分で買ったSly & Robbieのレコードだったから、特別な思い入れがあったんです」

――このアルバムはいわゆるレゲエ的な作品ではないですよね。ファンク的でもあるし、エレクトロ的でもある。初めて聴いたとき、どんな印象を持ちましたか。
「初めてレゲエに衝撃を受けたのはTHE WAILERSのドラム & ベースのBarrett兄弟(Aston + Carlton Barrett)。“Lively Up Yourself”を聴いて人生が変わっちゃった。そこからどっぷりレゲエ漬けで、毎日コピーして練習漬けだった。そんな時期にSly & Robbieに出くわすわけじゃないですか。誰がつけたか知らないけど、“世界最強のリズム・セクション”っていうキャッチコピーもインパクトがあったし、誰とセッションしてもSly & Robbieの2人にかかれば完全にこちらのペース。レゲエのグルーヴが世界最強なのを俺たちが証明してやる!みたいなね。このレコードも異種格闘技戦みたいな感じじゃないですか。スラロビ、猪木みてぇでカッコいいじゃんって思いましたね(笑)」
――なるほど。
「ここから手に入るものは片っ端から集めてね。『Rhythm Killers』はBill Laswellがプロデュースしているんだけど、これ以外もBill LaswellプロデュースのSly & Robbieのアルバムはどれも本当に素晴らしくて。スラロビのすごさを最大限に引き出してくれた一番のプロデューサーなんじゃないかな」
――秋本さんの場合、Sly & Robbieのディスコグラフィの中でもレゲエのスタンダードなスタイルの作品だけではなく、ジャンルレスなSly & Robbieに影響を受けたわけで、それがのちのDRY & HEAVYやREBEL FAMILIAの活動にも繋がっていくわけですね。
「そうですね。レゲエから派生したあとのクラブ・ミュージック、たとえばドラムンベース、ジャングル、トリップホップ、ダブステップなんかにしたってSly & Robbieがいなければ生まれていなかったと思うんです。それくらいに影響力があった。そもそも人を踊らせるダンス・ミュージックの根源はドラムとベースのグルーヴから始まるもの。Sly & Robbieがあれだけの存在になれたのは、あの2人にはスライ & ロビーイズムとでもいうような、ひとつのスピリット、マジックがあったからこそだと思うんです。レゲエのドラム & ベースで言えば、もちろんBarrett兄弟もすごいんだけれども、Barrett兄弟では成し得なかったこと。もちろん同時代、Style Scott率いるROOTS RADICSにもできなかったことだと思う。そういったSly & Robbieの本領、輝きは、他ジャンルとのセッションの中で特に発揮されてきたと思う。俺は今でもレゲエが究極のミクスチャー・ミュージックだと思ってるんで。Sly & Robbieはそれを証明してきたと思います」

――ドラマーとしてのスライの特徴はどういうところにあると思いますか?
「やっぱり、“気”が違うというか。音の圧とかじゃなくて、気の圧みたいなものが。Sly & Robbieの音はエネルギーが強すぎるから。自分が弱っているときにはなかなか聴けない、向き合いたくない。でも勇気を持ってひと針落とせば、聴き終える頃には心は満タンだぜっていう」
――音から気が伝わる?
「そう。それまでに俺はたぶん世界でもかなりSlyを聴いてきたほうだと思うし、研究もしてきたと思う。でも、ジャマイカで一緒にやったときはやっぱり衝撃的だった。Slyが組み終えたドラム・セットのチェックでスネアをパーン!て1発叩いたとき、あ、殺されんなって思ったからね」
――スネア1発で人を殺せるというのはすごいですね。武道の達人みたい。
「音がでかいとかっていう話じゃなくて。気ですよ、気。その瞬間、世の中に達人っていうもんはいるんだなって思った。これは腹決めてやらなきゃ殺られるなと思いましたね」

――スライとのレコーディングのことは後ほど細かく伺うとして、その前にSly & Robbieの作品についてもうちょっと聞かせてください。先ほど『Rhythm Killers』の話が出ましたけど、Slyのルーツレゲエ・スタイルの作品だとどのあたりが好きですか?
「一番影響を受けてきたものといえば、やっぱりTHE REVOLUTIONARIESですかね。 『Hard Core Dub』とか、あのあたり。挙げていったらきりがないけど、Gregory IsaacsとかLinval Thompsonとやっているアルバムは特に好きですね」
――BLACK UHURUは?
「そりゃもちろん大好きですよ。Sly & Robbie、THE REVOLUTIONARIES、BLACK UHURUが自分の中の一番コアな部分かな。BLACK UHURUはPaul "Groucho" Smykleのダブ盤(『The Dub Factor』1983)が一番好きだね。Sly & Robbieの『A Dub Experience』(1985)もグルーチョだよね。ダブ・エンジニアの中ではあまり語られないけど、Sly & RobbieのダブはGrouchoが一番やばいんじゃないですかね」
――秋本さんはそれこそ10代の頃からSly & Robbieを聴いてきたわけですけど、そのSlyと一緒に演奏するというのは秋本さんにとっても夢だったのでしょうか。
「それはもう最大の夢ですよね。ただ、Slyとやれる日が来るとは思っていなかった」
――それが実現したのが2008年5月。THE HEAVYMANNERSのレコーディングでジャマイカを訪れ、Slyだけじゃなく、YellowmanやLinval Thompsonとも共演することになったわけですが、秋本さんはどんな思いでジャマイカに乗り込んでいったのでしょうか。
「人生を懸けた勝負っていう感じですよね。ここで通用しなかったらベースをやめようって思ってましたから。だからこそ自分が一番逃げられないような、一番怖い状況を作った。参加メンバーもSlyの他にAnsell CollinsやRadcliffe Bryan、Skully(Noel Simms)、Sky Juice(Christopher Blake)っていうオリジナルTHE REVOLUTIONARIESのメンバーを集めてね」
――なぜそこまで自分を追い込んだのでしょうか。
「やっぱりレゲエを志した以上、一度は人生を懸けた大勝負をしてみたかったし、それがSlyだったら、もうそれ以上はないわけじゃないですか。それにあの頃は、シーンを盛り上げる意味もあってわざわざビッグマウスで煽るようなことも言ってましたから。だから敵も多かったし、ここで通用しなかったら、俺はもうそこまでなのかなっていう覚悟でいた」
――レコーディングのときのことを伺いたいんですが、事前の打ち合わせを一切せず、その場のセッションでの一発録りだったそうですね。
「(事前の打ち合わせは)何もないですよね。それをやったら意味ないんで。それはレゲエに関する情報も少なかったDRY & HEAVYを始めた頃から、レゲエがどうしてあんなエネルギーを放てるのか、どうしたらあんな音を出せるようになるのかを、いろいろ考えて試してきていたんです。散々やって、ひとつの結論として辿り着いたのは、曲は生まれた瞬間の音が最もピュアで強いということ。だから、DRY & HEAVY時代も練習日にスタジオに入って、例えば3時間音を出したとして、決まった曲の練習なんかはしたことがなかった。ただひたすらセッションし続ける。アルバムのレコーディングにしても、当時は年に2日間だけレコーディングの日を設けていて。その2日間でドラムとベースのセッションでアルバム1枚分のトラックをすべて録る。そこでいいベースラインが出なければそこで終わり。逃げも隠れもできない。その1年どう自分が成長できたかの結果であって、言い訳はなし。今から振り返ればSlyと渡り合えたのも、あの時代があったからこそだったのかもしれないですね」

――セッションでやろうと提案したときのジャマイカ側の反応はどうだったんですか。
「日本からレゲエのベーシストが来るというから、向こうの連中は俺が何かレゲエの定番トラックでも録って帰ると思っていたんじゃないのかな。Slyと打ち合わせなしのガチのセッションをやるということに、まずはみんな驚いてましたね。Slyとのレコーディングは2週間の滞在日の最後にやることになっていたんだけど、それまでは日本で録ったTHE HEAVYMANNERSのトラックに、YellowmanやLinval Thompson、Ansell Collinsのキーボード、Radcliffe Bryanのギター、SkullyやSky Juiceのパーカッションなんかをオーヴァーダブして。自分のヒーローたちが代わる代わるスタジオに来てくれるわけだけど、毎日顔を合わせて、一緒に飯を食ってやっていくうちに“なんでおまえは俺たちのグルーヴが出せるんだ?”とかってだんだんと本気で興味を持ち始めてくれてね。次第に仲間意識みたいなものが生まれていったんですよ。ただ、日本人は金を持っていると思っていて、みんながギャラをふっかけてくるもんだから、予定のレコーディングの半分も終わらないうちに予算が底を突きそうになった。まずいと思ったから、片言で“話があるのでみなさんちょっと聞いてください”って言って話をしてね。スタジオにいた俺のスーパースターたちが、なんかみんな体育座りみたいになって聞いてくれて(笑)。俺は日本に帰ればトラック・ドライバーとして働く身だし、そんなに金を持ってこられたわけじゃない。みなさんが作り上げたレゲエの素晴らしいテクニックやスピリットを今の時代に伝えたいんだと。だからこそ、今回のプロジェクトは絶対に成功させたい。力を貸してくださいって言ってね。そしたら、なんかざわざわってなって。特にLinval Thompsonなんかいい奴で、“ここはみんな、HEAVYのために協力してあげようよ”なんて耳打ちして回ってくれてね。そこからは、“Slyとやるならこう行け!”とか、“こうやったほうがいいぞ!”とかってみんなウザいくらい親身になってくれて(笑)。そうこうして、やっと最後のセッションの日を迎えましたね」
――まさにジャマイカ・レコーディングのクライマックスですよね。
「Slyとは2曲契約だったんです。最後の1日を丸々Slyとのレコーディングに充てていたから、その日1日録って、その中のベスト・トラックを持って帰れるものだと思っていたんです。でも、ドラムを組み終わったらそこでスタート。2曲と言ったら2曲なんです」
――ベスト・トラックを2曲ではなく、演奏自体が2曲だけという。
「そう。そこで決めなきゃいけないわけで、本当に無我夢中。録っている間の記憶がないですからね」
――極限の緊張状態で、しかも1発目のスネアの音で「殺される」と思ったわけですもんね。
「そもそもジャマイカに行く3か月くらい前から俺、おかしかったらしいですからね。THE HEAVYMANNERSのメンバー間で“秋本さんの前でSlyの話はするな”とか言い合っていたみたいですから。一言でもSlyの名前が出ると、宙を見つめたまま何分か止まっていたらしい(笑)」
――Slyがどういうテンポで、どういうパターンで演奏するのかもわからないわけですよね。カウントが始まり、ビートを叩き出した瞬間から勝負が始まるという。
「2曲のうちの1曲は行く前からなんとなくベースラインのイメージがあったんですよ。でも、そういうものはやっぱりうまくいかない。その場で生まれたものじゃないとね」
――だからこそ緊張感や熱量みたいなものがパッキングされる、と。
「狙っていたら絶対できないんです。だから、あのときは完全に我を捨ててね。あんな何分間っていうのは人生で味わったことがないですね。Slyと音を交わし合ったとき、あの人が発しているエネルギーのすごさに一瞬、心が折れそうになりましたね。ものすごい水量が落ちてくる滝壺で足を踏ん張りながらベースを構えているような感じ。少しでも足を動かそうものなら、飲み込まれて、流されてしまうような気がした」
――そのときに撮影されたドキュメンタリーがYouTubeに残っていますが、この中で秋本さんは自分がどこまでの男なのか。ミュージシャンである前に、男としてどこまで度胸があるのか。自分が逃げられない一番おっかない状況でわざわざオファーして録った
と話してますよね。実際やってみて、自分がどこまでの男なのか確認できましたか?
「もっとやれたんじゃないか?という思いもあったし、録音した音はしばらく客観的に聴けなかったね。あのドキュメンタリーも何回も観てないし。未だに泥酔してからじゃないと観られない(笑)。ただ、日本に帰ってきてGOTH-TRADとミックスをしていくうちに、これはどこにもない特別なものができたなっていう実感が湧いてきた。GOTH-TRADも“秋本くん、これはやばいね。たしかに殺されるよ”ってね。“REBEL”っていう曲なんだけど、あの曲を作れたのは人生で一番の誇りですね」
――レコーディング中にSlyと話したことで記憶に残っていることは何かありますか。
「ここ(『Rhythm Killers』のレコード)にも書いてくれたけど、“人生はうまくいくことばかりじゃないけど、おまえにしかできないことがある。やり続けろ!”と言ってくれてね」

――(レコードを見ながら)One love, Keep doing what you doingかな。「今のやり方を続けろ」と。SlyもRobbieももういなくなってしまったわけで、彼らから受け取ったものを若い世代にどう伝えていくか、秋本さんの中には使命感のようなものがあるのでしょうか。
「それはすごくある。THE HEAVYMANNERSも10年やっていなかったんだけど、去年の夏から練習し始めてね。DJのOG(Militant B)は20歳くらいのころからTHE HEAVYMANNERSについて回ってきて、俺らのライヴはほぼ100%遊びに来ていたんですよ。あいつは今、今回も出演してくれるLil Mofoと新宿のOPENで“RAGGATRON”っていうイベントをやっていて、毎回満員にしているんです。クルーは若くて、ほぼ20代が中心らしくて。今回のイベントの2階のフロアと1階バーのDJスペースは彼らに任せようと思ってます。俺はSly & Robbieのイズムでやってきたけど、彼らもなんらかのかたちでそれを受け継いでくれていると思う。日本は昔、ダブの先進国だったじゃないですか。だけど今、そんな時代がなかったことのようになっている。ロックやヒップホップしか聴いたことがないような若い子たちにも一発食らわしてやりたいですね」
――あえてお聞きしたいのですが、10年間THE HEAVYMANNERSが止まっていた理由は何だったのでしょうか。
「THE HEAVYMANNERSはもともとメンバーみんな仲が良いし、たまに会って飲みに行ったりっていうこともあったんだけど……ちょっと疲れたんだろうね。俺は今まで、最初から自分がリーダーのバンドしかやったことがなかったから。アルバムを発表して、ツアーを回ってっていう生活に疲れたのもあった。ひと回り若かったメンバーたちが育って頭角を現し始めたし、あとはおまえらがやってくれよっていうのもあったかな」
――DRY & HEAVYでの七尾(茂大)さんとの活動が終わったとき、緊張の糸が切れちゃったような感覚もあったのかなと当時感じていました。
「まあ……それもあったのかな」

――とはいえ、この10年間、REBEL FAMILIAとのライヴは断続的にあったし、THA BLUE HERBのO.N.OさんやSAK-DUB-Iとのライヴもあったり、KOYOくんとバンドをやったりと、完全に止まっていたわけではなかったですよね。10年間、秋本さんはどのような思いで音楽と向き合っていたのでしょうか。
「俺は初めてSly & Robbieの音に出くわした日から今日まで、彼らの音に合わせてベースを弾くのが日課なんです。それは、これまでもこれからも、たとえ俺がステージに立つことがなくなったとしても変わらない。仕事を終えて帰ってきたら、Sly & Robbieに合わせてベースを弾く。だからこの10年間で10年分、グルーヴはより深まっているという自信はあるんです」
――THE HEAVYMANNERSの練習を再開してみて、いかがですか。
「もともとやっていたメンバーだけど、10年間も開くと、長い間港に停めてあった船をもう一度船出させるような大変さはあった。あちこち錆びているし、ギシギシ言ってね。その間、メンバーも結婚して子供ができたり、年齢を重ねて仕事の責任が重くなったり、いろんな変化があるしね。でも、音楽のロマンチックなところは、その人間が過ごした時間、この10年間をどう生きてきたかが音に溶け込んでいるんだよね。去年の夏に初めて集まったときも、演奏自体は粗いんだけど、エネルギーは爆発しているんですよ。だから、これはいけるかな、と思って」

――出演者のラインナップがすごいですよね。わかる人にはわかりますよね、これは本気のやつだって。
「俺にとっては一番の仲間、実力者を集めたっていう感じかな。今回、Likkle Mai、RUMI、K-BOMB x BABA、それぞれのライヴの他に、彼ら全員、THE HEAVYMANNERSのステージに上がってもらおうと思っているんです」
――秋本さんのなかではclubasiaという場所に対する思いも強いですよね。
「asiaは俺にとってのホームなんで。DRY & HEAVYの“IN TIME”っていうイベントも長くやらせてもらっていたし、俺のベース・アンプも置いてありますからね。しかも最近システムを入れ替えて、すごい規模のスピーカーを入れたんですよ。間違いなく国内最強になるんじゃないかな。今回、俺が鳴らしきってみせますよ」
――THE HEAVYMANNERSはこれを皮切りにして、今後コンスタントな活動を再開するということですね。
「そうですね。このイベントが終わったら、通常の練習に戻って、曲も作っていければと思ってる。どっちみちそう遠くないうちに作品も出そうと思ってる」
――そうした活動を通して、Slyから受け取ったものを体現していくということですね。
「Slyが俺に言ってくれたように、やっぱり続けないとね。悔いのないようにやらなきゃなっていう。こだま(和文)さんもがんばってるしね……俺ももう一丁、がんばりますよ!」
■ clubasia 30th Anniversary
THE HEAVYMANNERS
"再始動 -Saishidō-"
https://clubasia.jp/events/260424-theheavymanners-onepunch
2026年4月24日(金)
東京 渋谷 clubasia
24:00-5:00
前売 2,800円 / 当日 3,800円(税込 / 別途ドリンク代700円)
ZAIKO
※ 「Leroy Sibbles (HEPTONES) "PARTY TIME" Japan Tour 2026」にお越しのお客様はディスカウント料金にてご入場いただけます。
※ 再入場はできません。
※ 20歳未満の方のご入場はできません。IDチェックがございます。
[Act]
Akii / 凸凹。 / glico / THE HEAVYMANNERS / DJ HIKARU / K-BOMB x BABA from BLACKSMOKER / Likkle Mai / Lil Mofo / Look of Dub / Militant B / MOODMAN / Naggie / Qrmr / RUMI / zenzenheiki
[Food]
マガリビ by KIDOTAMA / 虎子食堂