『STYLISH ラヴ』記念対談
その制作背景を多角度から探るべく、ふたりの対談が実現した。対談場所に選ばれたのは、静電場朔(以下 S)の創作拠点のひとつでもある東京・原宿 SOMSOC GALLERY。今や世界のポップ・カルチャーの共通キーワードとなった「かわいい」の発信地でふたりは何を語り合ったのか。交流エピソードからそれぞれの音楽観 / 芸術観、中国の音楽シーンについてなどまで、尽きることのない対話は、ふたりのコラボレーションのさらなる発展を期待させるものとなった。
取材・文 | 小暮秀夫 | 2024年2月
撮影 | 東山 研 (SOMSOC GALLERY)
――おふたりはどのようにして交流が生まれたのでしょうか?
S 「SNSのやり取りですね、最初は」
D 「僕の友達から“おもしろい人がいるよ”と、朔さんのSpotifyを紹介してもらったんですよ。それが一昨年の夏くらいかな。聴いてすぐにすごくいいなと思って、Twitterをフォローしたらフォローが返ってきて。それで僕がDMして“すごく好きなので、そのうちなんかやりましょう”みたいな話をして、その数ヶ月後に代官山のイベントで共演しました」
S 「今、日本で所属しているU/M/A/A Inc.のレーベル・イベントですね(*1)」
D 「出演のお誘いをいただいたときに“せっかくなら何かセッションしませんか?”というお話がU/M/A/A Inc.さんからあったので、“とてもピッタリな曲があるので、その曲を朔さんに歌ってもらえませんか?”と言って、すぐレコーディングして。そのイベントで初披露したんです。そこからリリースまで1年くらい、ちょっと時間がかかっちゃったんですけど」
*1 2023年12月15日に東京・代官山 B1FLATにて開催された「U≫MOA Showcase vol.2」
――ということは、朔さんと出会う前からこの歌詞も曲もすでにできていた?
D 「そうですね。自分が特別なときにリリースしたいと思っていたのと、この歌に合いそうなシンガーを探していたけどピッタリな人がいなくて。ずっと寝かせていたというか、しかるべきときに出したいなと思っていた曲だったので、朔さんとセッションしましょうというお話をいただいたときに、“ここだ!”っていう感じで」
――朔さんはいつ頃からDÉ DÉ MOUSEさんの音楽を聴いていたのですか?
S 「日本に来たばかりの頃に音楽評論家の友達に教えてもらって、DÉ DÉ MOUSEさんのYouTubeチャンネルを観ていました。ついにあの場で初めて会いましたね。DÉ DÉ MOUSEさんの曲はとても好きだったので、やっと会えて本当にデスティニー(運命)みたいな感じですね」
――朔さんは「STYLISH ラヴ」を初めて聴いたとき、どう思いましたか?
S 「最初に曲と歌詞を同時に送ってもらったのですが、特別な感じがしました。私個人はラヴソングがとても好きで、愛やロマンチックなものについてすごく興味があります。愛にも激しい愛、優しい愛、いろいろな種類がありますが、この(タイトルになっている)スタイリッシュな愛は一体どんな感じなんだろう?意味深だと思いました」
――この曲で朔さんは歌だけでなくMVの監督も手掛けていますが、どう映像のイメージを膨らませていったんですか?
S 「もともとDÉ DÉ MOUSEさんと話していたのは、壮大な片思い。相手と関連性があるけど、ひとりで完成するラヴ・ストーリー。それを映像でどう表現したらいいのか考えて。最後はナルシシズムがテーマになっていました。人と人の恋は(相手に対して抱く)希望や妄想があるけど、実は(相手は)全部もうひとつの自分だった、というところにイメージが固まっていきました」
――DÉ DÉ MOUSEさんは多種多様なアーティストとコラボレーションされていますが、その時々で自分のやりたい音にふさわしい人を見つけていくというやりかたをしているのでしょうか?
D 「コラボレーションする場合もいろいろなパターンというかヴァリエーションがあるんですよ。その人に会って話をしてから曲を作る場合もあれば、自分が音を先に作ってそれに合うシンガーさんを選ぶこともあり。でも、ただ僕が作った曲を歌ってもらうっていうんだと、ちょっとコラボレーションとは言えないので、その人の世界観や、僕が思うその人のイメージに合わないとオファーしないことが多いですね。だから、たくさんの曲を作っているけど、イメージに合う人が見つからないからリリースしないものが多い。でも今回は、静電場朔としてリリースした曲も聴かせてもらって、こういうテイストもいけるんじゃないかなって思ったのが“STYLISHラヴ”だったということですね」
――朔さんの今までの歩みを簡単に振り返ってみたいと思うのですが、最初はアートを勉強されていたんですよね?そこから音楽活動も始めたのはどういう経緯で?
S 「大学時代の専攻はアニメーション監督なんですけど、中学や高校時代は日本のヴィジュアル系ロックがとても好きで、高校時代はコピー・バンドをやっていました。大学でも、学内でバンド活動をずっとやっていて。中国ではバンド活動をしながら、同時にアニメーションや映画の監督をやっている人が多いです。自分の作品の中にオリジナルの音楽が必要なときは、他の人に頼むより自分で作るのが一番早いですから。だからアニメーション監督とバンド活動はずっと並行してやっています」
――ということは、昔から音楽活動はしてきたわけですね。
S 「小学校の頃は、オペラを勉強していて、オペラの伝統なヴォイス・トレーニングを勉強していました。中学に入ると日本のヴィジュアル系に目覚めちゃって、それと昔のシティポップとテクノポップ、YMOや戸川 純さんを好きになって、日本語の勉強と同時にそういう感じの音楽ジャンルにどんどん吸い込まれていって、ついにこんな感じになりました(笑)。日本に来てからもずっと音楽とアートは平行線で、私の音楽にはやっぱり私のアートが必要。私のアートで展示空間を作る場合は必ず自分の音楽も必要という感じで、ずっと三位一体です」
――朔さんの歴史を辿ると、2010年から静電場朔としてアート活動を開始し、2017年には音楽ユニット・Question Children(問題児)を立ち上げて歌手デビューを果たしています。Question Childrenというのは?
S 「ちょっと変な、個性的な人たちの群れを作りたいと思って、アート・ミュージック・プロジェクトみたいな感じで始まりました」
――問題児というプロジェクト名には、あらゆることに「なぜ?」と疑問を持つ純粋な“童心”と、奇想天外で予想もできないことを巻き起こす“トラブルメイカー”という二重の意味が込められているそうですね。
S 「中国と日本、それぞれの国で問題児という言葉の意味が違い、どちらの意味も好きだったんです。中国語では問題児は変な人という意味じゃなくて、Question(質問, 疑問)の多い子供という意味があります。自分も子供の頃はそうでした。でも日本で問題児というと、不良とか、ちょっと訳ありのイメージもある。そういう二重の意味で、この言葉が好きでした」
――Question Childrenではティン・パン・アレーの「イエロー・マジック・カーニバル」をカヴァーされていますね。
S 「ティン・パン・アレーの曲はとても好きですね。中国人の立場から見ると、例えば細野晴臣さんの“北京ダック”はパラレル・ワールドの中の中国みたいで、ファンタジーのような感じ。だからティン・パン・アレーのこの曲を最初にやりたいと思って、アレンジして、MVも作りました」
――日本のそういう曲はYouTubeで知ったのですか?
S 「子供の頃、中国ではYouTubeが観られなかったんですけど、雑誌がいっぱいありました。例えばヴィジュアル系の専門誌があったし、BBS(電子掲示板)もありました」
――Question Childrenの「イエロー・マジック・カーニバル」は、外国人が中国に対して抱くエキゾティックなオリエンタリズムを中国人の朔さんがパラレル・ワールドの中国と解釈してカヴァーする図式がおもしろいと思いました。DÉ DÉ MOUSEさんにしても、例えば80年代を独自に再構築してパラレル・ワールドの80年代として音にするみたいな姿勢があると思うのですが。
D 「僕はもともと小さい頃から、なんかとっても懐かしくなるようなものが好きで。その懐かしくなるものって、自分が生まれる前の世界……」
S 「前世?」
D 「前世までは行かないんだけど(笑)、でも幼稚園くらいから、自分の両親が若い頃の写真を見るのが好きだったんですよ。で、もしこの時代に僕がタイムスリップしても、お父さんもお母さんも僕のことを知らないんだと思うと、無性に寂しい気持ちになって。いつもそんなことばかりやっていたら、両親にめちゃくちゃ怒られたこともあるくらいで(笑)。あと、子供時代を過ごしたのは80年代で、その頃のことを思い返すと、音楽やカルチャー、全てがめちゃくちゃキラキラしている感じがずっとしていましたね。でも世間的に90年代や00年代って、まだそんなに80sリヴァイヴァルはなかったから、自分のそういうものが好きだという部分はあまり出せなかったんだけれど、そういう好きなものを自分の中に取り込んで少しずつ出した作品が1stアルバムの『tide of stars』(2007)。でもそれは自分が好きなだけの世界だったから、こんなにたくさんの人が聴いてくれるとは思ってもいなくて。歌ものも、最初はそんなに作るつもりなかったんだけれども、ここ数年でいろんな人とコラボレーションさせてもらえるようになったり、あと僕自身がずっと今で言うシティポップが好きで、今はそういうのが好きとか、かっこいいとか、おしゃれと言ってもらえる時代になったから、自分が好きな要素を出してもそんなに引かれないだろうなと思って。僕自身はさっき言ったように、子供の頃から、自分が経験したわけでもないのに懐かしく感じるものや風景が好きで、楽曲を作る際もそんなイメージが浮かぶような曲を、といつも思っているんですね。だから実は根本的なものは変わっていなくて、みんなに見せている世界が最初は一方向だけだったのが、今はこういうこともできるし、こういうのも好きなんだよって見せられるようになったな、みたいな感じですね」
――「STYLISHラヴ」の音やビデオにも80年代のキラキラしたポップ・カルチャー感が出ていますよね。朔さんは80年代のポップ・カルチャーは?
S 「すごく好きですね。日本の昔のゲームでめちゃくちゃ遊んだり、昭和アイドルのレコードを集めたり。80年代に私はまだ生まれていないけど、作り込まれた、愛情が本当に感じられる作品が多いです。あと例えば(昭和レトロな)喫茶店など、歴史の古いものが好きですね。今回のMVでは昔のレトロなゲームの要素が入っていて。今は『ときめきメモリアル~forever with you~ エモーショナル』がNintendo Switch™で5月に発売されるのが嬉しくて。今の日本のコンテンツはテクノロジーな感じというか、尖っている感じのが多いですけど、昔のは柔らかくて滑らかなものが多いですよね」
――ビデオには昭和レトロっぽい部屋が出てきましたよね。
S 「あれはアーティスト・グループの友達のひとりの本当の家です」
D 「撮影用にいろいろデコレーションしたんじゃなくて、ああいう部屋に本当に住んでるんだ!」
S 「(自分と)センスが近い人で、ライティング(照明)はリアレンジしましたが、彼女はこの部屋に実際に住んでいます。部屋に置いてある物は全部彼女の作品です」
――朔さんは2020年に結成したDiANというユニットでも活動していますが、このユニットは固定メンバーで構成されていますね。
S 「はい。サウンド・プロデューサーのA-bee(アービー)さんとコンポーザーのimmi(イミー)さんという素晴らしいミュージシャンたちと一緒に作っているミュージック・ユニットです。映画のように、いろいろなシーンが最後にひとつの物語として繋がっていくような感じで音楽を作っています。歌詞は全部自分で考えていますね。DiANは、A-beeさんとimmiさんのこだわりの部分があって、世界観が固まっているんですけど、ソロでは自分という人間性を探求するために静電場朔というアーティスト名を使っています」
――DÉ DÉ MOUSEさんは中国のポップ・カルチャーをチェックしていたりするんですか?
D 「日本にいると中国のポップ・カルチャーをなかなか知る機会は少ないじゃないですか。僕はまだ中国のアーティストとの交流はほぼなくて。朔さんくらいなんじゃないかな。中国には2017年からツアーに呼んでもらって行っているんですけど、僕の場合は弾丸ツアーみたいな感じで、朝起きて会場行ってライヴやって、次の日の朝にまた次の街に行って、みたいなことを毎日繰り返すようなのばかりだから、交流があまりなくて。僕らが知らないだけで、すごく先鋭的なアートや音楽がたくさんあるんだろうけれども、結局繋がりがない」
――中国にも電子音楽の土壌みたいなものはあったりするのですか?
S 「2000年頃、シンセサイザーのブームがあって。シンセサイザーよりもっと子供用の小さいキーボードをみんな勉強していましたね。小学生はみんな自分の鍵盤を背負って、楽器の塾で練習していました」
D 「数年前に、中国でシンセポップがちょっと流行っているという話を聞いたことがあって。なんかそういうのも、もしかしたら関係しているのかな?」
S 「そうですね。みんな子供の頃は鍵盤の教育を受けていて、私が受けたオペラのテストもそうですが、難易度のレベルがあります。中国最高峰の音楽大学、中央音楽学院で鍵盤を学んでプロになる人もいますし、その上のサウンド・デザインまでたどり着けた人は、もっとディープにモジュラーシンセとかを掘っていますね」
D 「なるほど。なんか今すごく理解した気がする。みんなシンセポップが好きな理由を」
S 「あと中国は、大きな都市でも小さな都市でも、金属修理屋や電気修理屋があって細かいパーツを売っているので、子供の頃に楽器をバラバラに分解して“なんでこの音が発生するのか?”とか、趣味で研究する人が多いですね。自分でモジュラーシンセを作るコミュニティがたくさんあります」
D 「去年の11月、中国ツアーに行ってきたんですけど、おもしろいと思ったことがひとつあって。あれは深圳だったかな?僕が出るライヴ会場に、いろんなイベントのポスターがたくさん貼ってあって、そのうちのひとつにヴェイパーウェイヴのイベントのポスターがあったんですよ。日本にもヴェイパーウェイヴが好きな人はいっぱいいるけど、イベントは見かけない。日本ではローファイ・ヒップホップのイベントは時々やっているけど小規模で、ヴェイパーウェイヴに至っては、もしかしたら自分が知らないだけかもしれないけど、日本に住んでいても全く情報が入ってこない。でも中国でのライヴ会場でヴェイパーウェイヴのイベントのポスターを見つけたので、すごくテンションが上がったんですよ。こういう俗に言うサブカルチャーみたいな、別に中国特有のものじゃなく世界中で人気のあるものが中国にちゃんと入ってきていて、(その歴史的背景を考えると)シンセポップからの流れでたしかにって思うし、なんかノスタルジックなものに対して桃源郷的な憧れを持っているのは、どこの国の人もいつの時代も変わらないんだなというのを、そのヴェイパーウェイヴのイベントのポスターを見て感じて。僕の友達のビート・メイカーのPrettybwoyは、上海にある“SVBKVLT”というレーベルからリリースをしているんですけど、僕が知る中国のレーベルは、そのSVBKVLTくらいしかなくて。結局、日本まで情報が入ってこないから。でも、そういう先鋭的なアートや音楽のレーベルだったりカルチャーが他にたくさんあると思うんですよ。でもヴェイパーウェイヴって、そういう独自に形成されたものじゃなくて、リミナルスペースとかバックルームとかで20代くらいのサブカルチャー好きの間でここ数年また人気が出てきたりしているジャンルで。そういう、自分の家で楽しむようなイメージがあったものをちゃんとライヴハウスというみんなで共有する場でやるというのは、逆に中国のほうが先を行っているんじゃないの?と僕は思ったんです」
S 「私は日本と中国を行ったり来たりなんですけど、中国は北と南では好みが分かれますね。特に広州や上海ではヴェイパーウェイヴやシンセポップが人気ですね」
D 「じゃあ北京のほうはどんな感じなの?」
S 「私は北京出身なんですけど、ハードロックやGREEN DAYみたいなパンク・バンドがめちゃくちゃ多いですね」
D 「バンド文化なんだね」
S 「そうですね。私が好きなノスタルジック / ロマンチック寄りのものとは、なんかちょっと違う感じ」
――DÉ DÉ MOUSEさんは2025年に入ってから重音テトをフィーチャーしたボカロ・プロジェクト「ひどいね」のシングルをハイペースでリリースしていますね。
D 「ボカロをやり始めたのは、新しいボカロを作っている世代の子たちの音楽を聴いたときに、僕が10代の頃にすごい夢中だったUKテクノのレーベル、Warp Recordsだったり、Rephlex Recordsだったり、あの辺の、メインストリームのテクノに対するアンチテーゼで出てきたようなテクノを聴いていた頃の感覚が蘇ってきたんですよ。ボカロが今流行っているから、ボカロをやって自分も跳ねてやろうとかそういうんじゃなくて、新しい遊び場が見つかったみたいな感覚。シティポップやフューチャーファンク、ヴェイパーウェイヴもそうだけど、メインストリームに対してのアンチテーゼとかカウンターだったりとか……なんかそっちに行きたくなっちゃうんですよね。どうしてもそういうのに共感してしまう。でもそれと同時に、新しいカルチャーに触れるのも楽しいし、そこで自分の世界だったり自分の立ち位置を見つけていくのが僕はおもしろい。だから、独自の音楽活動をされている朔さんの音楽を聴いたときに僕の本能が共感したのかなって」
S 「はい。これは共鳴ですね」
――メインストリームへのアンチテーゼというアティテュードを持ったDÉ DÉ MOUSEさんがTRANSONIC RECORDSの永田一直くんに見い出され、彼のレーベル、ExT Recordingsから2007年にデビューを飾ったのも、今振り返ってみれば、必然だったと言えますね。
D 「永田さんは人と出会う力がすごくて、あとはやっぱり運を持っているなと思っていて。例えばTRANSONICは最近、海外のテクノ・コレクターのあいだでめちゃくちゃ人気じゃないですか。90年代のTRANSONICのCDを買いに海外から観光客が東京に来るくらい、熱心に探している人たちがいるみたいだし。90年代のジャパニーズ・テクノのひとつのかたちとして、世界中のテクノ・ファンに認知されたのはすごいと思っています。僕は永田さんに学べていない部分がたくさんあるんですけど、僕を最初に拾い上げてくれたのが永田さんだったから、やっぱり永田さんへの感謝と恩は一生背負っていくし、裏切れない」
――ExT Recordingsからの盟友CHERRYBOY FUNCTIONとのコラボ・シングルを2024年にリリースしてくれたのが、個人的にはものすごく嬉しかったです(*2)。
D 「いや、もうCHERRYBOY FUNCTIONは日本の宝でしょ」
*2 4月にリリース予定の最新コンピレーション『TRANSONIC COMPACT DISC 02』にはDÉ DÉ MOUSE、CHERRYBOY FUNCTIONが参加。
――ですよね!彼はもっと注目されるべきだと思います。
D 「でも本人は全然そんな気持ちがないから、僕が引っ張り出せるときに引っ張り出すしかないって。たぶん今年も何かリリースすると思います」
――期待しています!朔さんは何か決まっている予定はありますか?
S 「今年前半に中国で1stアルバムをリリースすることが決まっているのと、あとは5月にまた代官山蔦屋書店で個展をやります。去年の12月に台北で初めてやった個展をレベルアップさせた作品を作って、音楽とアートのレイヤーが重なった展示になると思います」
D 「忙しいね。そんな中でこのMV作ったりしていたわけでしょ?」
S 「やっぱりビデオを作るのは基本的には好きですね。ディレクション自体も好きです」
D 「編集も自分でやっているの?」
S 「全部やっています。動画や絵を描くのも全部やっています。昔は漫画家を目指していたんですけど、漫画家は物語からレイアウト、魅力的なキャラクターの出しかたまで全部自分で決めていますよね。そういうのに憧れていたから、映像と音楽でトータルの世界観を持った作品が作りたいです」
――それだけ、自分の作品に対するこだわりが強いということですね。
S 「自分の声の演出にも、切ない部分だったり、強く言う部分だったり、演技にもこだわりがありますね。歌っているときは、この最後にこういう演出があったほうがいいということを常に想像しています」
D 「そのエネルギーがあるから、やっぱり全部できるんですね」
S 「日本でいろいろなドキュメンタリーを見ていると、やっぱアーティストは自分に対してすごい要求が厳しいんですよね。特に演劇のジャンルはそれが強くて、憧れます」
――今後2人がまたコラボレーションする可能性はあったりするのでしょうか?
S 「はい。期待しています」
D 「僕はもう、タイミング合えばいつでもやりたいなって」
――ライヴでの共演の可能性も?
S 「中国でもやりたいですね。以前、同じタイミングで中国にいたことがあったんですけど、私のライヴは北京で」
D 「僕は深圳や広州の辺りにいたから、絶対に行けなくて」
S 「中国は北と南はめちゃくちゃ離れているので」
D 「僕はまだ中国のフェスに出たことがないから、ライヴには僕を知っている人しかほとんど来ていないんですよ。でもそうじゃなく、知らない人に見てもらえる場所に行きたいという気持ちが今すごいあります」
S 「もしフェスに出るチャンスがあったら、ぜひ一緒にやりたいですね」
DÉ DÉ MOUSE Official Site | https://dedemouse.com/
■ 2025年1月23日(木)発売
静電場朔 feat. DÉ DÉ MOUSE
『STYLISH ラヴ』
©℗U/M/A/A Inc. / not records
https://lnk.to/StylishLove_Dian