やめたくはない、いかにやめないか
東京・学芸大学駅から5分ほど歩いた路地裏。外観の大きな窓からは、キャッチーなポスターやジンが並んでいるのが見える。店内に入ると、店主・高橋和也によって選ばれた本が天井までぎっしりと積まれ、それらは新刊、古本に限らず、自分が旅立つ先を自己主張しながら今か今かと待っている。随所に置かれたこれまで展示してきた作家の小さい置物、ここで楽しい何かをする度に生まれた痕跡やサイン、人と出会うことで積み重ねて残ってきたものたち。それら全てがこの場所を作り、本を輝かせ、居心地のいいものにしている。
広くてなんでもあるはずの東京なのに、こんな場所は唯一無二、ここにしかない。そしてそれを作れるのも高橋しかいない。たったひとりで始まったお店は、訪れる多くの人にとっての大事な居場所となっている。
2021年2月、10周年を目前に高橋は家族で沖縄へ移住。高橋はオーナーのまま、お店は旧友の大川 愛を店長として任せ、新しい形のSUNNY BOY BOOKSが誕生した。これまでこの場所が続いてきた天真爛漫な歴史と、SUNNY BOY BOOKSの第2章ついて語ってもらった。
取材・文 | 鷹取 愛 | 2021年1月
本文 | 仁田さやか
撮影 | 久保田千史
――子供の頃から本を読むのは好きだったんですか?
「全然好きじゃなかったんですよ。親は読書家で家に本はあったんですけど、全然読んでなくて。大学生のときに暇だったんで、読むようになりました。大学は心理学部で、最初は臨床心理士になるつもりで、1年生のときから試験の勉強をずっとやっていたものの、なんで勉強しているのかがわからなくて。漠然とやりたいと思ってたけど、このまま勉強して、資格が取れたとしても何もないなあって思ったんです。それで、自分の中からの本当にやりたい気持ちに従ったほうがいいんじゃないか?って考えて、勉強するのを全部やめました。バイトもしてないし、学生だし、夏休みも勉強してたんで、秋から本当に時間を持て余して。でも学校に行ってないと親になんか言われちゃうから、行くだけ行って、お金がないからずっと図書館で本を読むっていう。とりあえず何を読んだらいいかわからないから、国語でやった太宰とか漱石とか芥川とか、ああいう人たちの本を復習みたいな感じで読んでました」
――意外。美術の本とかも読んだりしてた?
「うん。現代の本を読んでみようって思うと、そのときは図書館にはあまりなかったから、“青山ブックセンター(ABC)”みたいな本屋に行って。あとは“COWBOOKS”とか“ユトレヒト”とか。こんなに自由に伝えるお店もあるんだって知りました。とはいえ憧れているというわけではなかったんですけど、単純に本屋さんをやってみたらおもしろいかもな、っていう気持ちはありました」
――できるかもな?っていうのもあった?
「いや、そのときはまだ“本がおもしろい”っていう感じでした。でも、読むのがおもしろいのは大前提として、何をおもしがっているのかが自分でわからなくて。突き詰めていったらデザインするのがおもしろいのかもしれないし、企画して本を編集するのがおもしろいのかもしれないし、売るのがおもしろいのかもしれないし、どれかわからない状態。本との距離を縮めるために、実践ですぐ関われるのはバイトでスッて入れる本屋さんだと考えて、大学3年生のときに千葉・松戸の“リブロ”でバイトを始めたんです。大学を卒業するちょっと前まで働いていたんですけど、その2年間くらいで、売るの楽しいな、知識が増えるの楽しいな、って思って、ざっくりと本を売るほうで何かやりたいって考えるようになりました」
――「売るのが楽しい」っていうのは、自分で作った棚の本が売れるのが嬉しいということ?
「最初リブロで働いていたときは棚を持てなくて、基本レジやって、後ろで返品作って、っていう作業が主でした。自分がプッシュしているわけではないけど、そのとき読んでいた本を、気になっていたり、好きだと思っている人たちがそこに集まってそれを買っていく。別にお話するわけじゃないけど、心地よく繋がっている感じがいいなっていう思いが漠然と芽生えていったんですよね。それからはバイトなのに、みんなでフェアやりましょうよ、って言って月に1回、スタッフのおすすめコーナーを担当するようになりました。みんな意外と真面目に書いてくれて、ちょこちょこ売れましたね」
――それ以外にもポップとか書いてた?
「リブロでは書いてないですね。本格的には、その後ABCで働いてからです。大学を卒業する頃、就職するイメージが湧かないし、自分でやろうかな?って思いつつ、当時は23歳でまだまだ知識や経験がなさすぎるから、社員にならずに自由に動けて、知識が溜まる環境を探していたら、今はわからないですけど、ABCはバイトでも棚が持てるのを知って。ABCは良い本屋さんだと思っていたので、卒業する年の1月からABCに移って、しっかりやることにしました。ABCで働いている間にも、並行して“SUNNY BOY BOOKS”っていう名前で活動をしていたんですよ。アメリカのサンフランシスコに行って、ABCで最初の1年間働いて貯めたお金をつぎ込んでいいなと思う本を全部買って帰ってきて、ネットで売るっていう、ゆるい活動ですけど。実家暮らしでそんなに使っていなかったから、旅費入れて60万ほどかかったかな。その頃はもうひとつ、地元の個人店のハンバーガー屋さんでアルバイトをしていました。そこのお客さんで絵描きと、革財布とかシルバー・アクセサリーを作っている人がいたんですけど、ふたりがアトリエを借りることになって、もうひとりいたら家賃が浮くっていう話だったんで、そこの入口でお店っていうかたちで参加することになりました。ABCが休みの週2日はそっちを開けて、ABCに行く前と後でハンバーガー屋でバイトして」
――めっちゃ働いてる。
「お店やるためにできる限りお金を貯めようと思って。かなり大変でしたけど、単純に全部楽しかったんですよね。体力があるからまあいいか、潰れてから考えようって思って(笑)」
――そのアトリエのときもひとりでSUNNY BOY BOOKSをやってた?
「そう。物作りをしているふたりのコーナーがありつつ、本をメインに売るスペースでした。とはいえ雑居ビルの2階で、駅からも歩いて20分の場所で、しかも一度、看板を置いたらダメって言われて」
――最寄りはどこだったんですか?
「地元の千葉・柏です。最初の1年は誰も来なくて。一応お店なんですけど、第三者がいるとは誰も思っていなくて、友達が“この日に行ったらお前がいるんだろ?”って感じで遊びに来るような(笑)。でもSNSを一応やっていたから、発信するとだんだん反応があって」
――SNSでは本のことを書いていたの?
「そう。そのときから“港の人”とか“夏葉社”の本を置かせてもらっていたんですけど、ちょこちょこそういうことを呟くようになって1年くらいで、お店開けたらひとりかふたり来てくれるようになりました。それがちょうど10年前。その場所では、抜ける人は抜けるのか、全員でやる意志があるなら続けるのか、っていうのを2年経ったらみんなで決めることになっていて、どうしようかなと思っていたタイミングで、清澄白河の“しまぶっく”の渡辺(富士雄)さんが“一緒にやる?”って声をかけてくれて。渡辺さんは、一緒に働いたことはなかったんですけど、たしか立ち上げからABCで働いていたかたなんですよ。“しまぶっく”が店舗を改築するので、斜向かいの物件に仮店舗で半年から1年の間営業するんだけど、そこがすごく広いからということで、期間限定で一緒にやらせてもらうことになりました。渡辺さんは本当にすごい人です。実際には1年ないくらいの期間でしたけど、大きい店舗と個人店だと棚ってやっぱり違うので、店番のときに渡辺さんが個人で作る棚を見て参考にしていました」
――ポップもすごい見ちゃうし、棚もすごい見ちゃう。こういう趣味なんだなって。
「本って、誰かが作ったものを扱っているから、全部生み出しているわけじゃないじゃないですか。基本は集めているけど、“選ぶ”ことで意思を伝える。内田 樹さんが何かの本で、自宅の本棚にあるすごい冊数の本を見た人に“この本全部読んでいるんですか?”って聞かれるけど、“読んでいるわけないし、読んでいなくていいんだ”、“そこには生きてきた過去じゃなくて、その人がこれから生きていきたい未来があるのが本棚だから”みたいなことを書いていたんですよ。自分も、このお店がどうできてきたかじゃなくて、どういうお店になっていきたいか、っていうのが本棚だなって思っています。うちは限られたスペースだから、置くものを絞らなきゃいけないし、趣味の本とかはあまりなくて。ビジネス書も全くないし、そういうのをメインで来る人は、うちじゃないなって思うわけで。そこでも少なからず関わりの線引きがされている。ビジネス書を求めて来た人は、拒否されているって思う可能性もあるし。そういう意味では、本を置くことによって、この店とどう関わるかをお客さんが判断していくことにもなるんですよね」
――いわゆる“街の本屋”みたいにはなりたくないって感じ?
「街の本屋さんも良いと思います。ただ、今の自分にできることがこれだっていう感じ。スペースがもっと広ければ、それだけ加えられるジャンルとか入口をどんどん増やしていけると思うんですけど」
――ABCは何歳のときに辞めたんですか?
「4年働いて、26歳で。気持ちが先行して“辞めます”って言ってしまって、やべー、言っちゃったって思いましたけど(笑)。その後5ヶ月準備して、27歳になって6月にお店を開けました。震災は大きなきっかけだったと思います」
――ここは何坪?
「5坪ないくらい。レジのスペースを引くと、4.3坪とか。自分の規模で、家賃のこと、学芸大学でやることとかを考えると、街の本屋っていうところまではいけないだろうなっていう気持ちが最初にありました。それよりは、自分が良いと思ったものでやることにしようっていう」
――なんで学大なんですか?
「もともとは全然縁がなくて。物件があった、ただそれだけです。ABCで働いているときに、武蔵小山にある“HEIMAT CAFE”っていうブックカフェの棚の管理をやらせてもらっていたので、そのご縁をもうちょっと広げられるかな?って思って、そのあたりを自転車で行ける範囲で探しました」
――若い人が多いとか、そういう街の特徴を考慮したわけではなく?
「実家が柏だから、都内はあまり行ったことがなくて、物件を見に来たときに初めて駅に降りました」
――大学は東京じゃなかったんですか?
「大学は東京でしたがほとんど家と学校の往復でしたし、職場のABCは青山、六本木だったけど、行くところは超限られてましたよ。ABC終わってからはハンバーガー屋でバイトしていたので、遊ぶ暇がないんですよ。あのときは一番大変でしたね」
――お店を見ていると、いろいろなものに興味があって、それを集めてきたイメージがあったけど、そうじゃない?
「開店したときは本当に何にもなかった。“ただ本屋がやりたい”っていう、変な人でした(笑)。画集とか、本になってからは触れてはいるんですけど、現場に行ってリサーチするようなことは全然していませんでした。今でもそういうのやっていないほうだと思います。お店を始めたら、店に縛られて生きていくことになるから、なかなか店から離れてどこかに行くこともできないですし、集まってくる本から知識や興味を広げていった感じでしょうか」
――開店時は結婚してなかった?
「してましたね。ABCを辞めて、6月にお店を開けるまでの無職のときに結婚しました。よく向こうの親がいいよって言ったなって思います」
――どうしてそのタイミングだったんですか?
「大学が一緒だったんですけど、あっちは琉球大の大学院に進学して、僕は東京で本屋さんのことをやっていたので、卒業してから4年間遠距離だったんですよ。大学院を卒業してから東京の研究機関に就職することになったので、一緒に住む話を自分の親にしたら、母から“沖縄から25、6歳の女の子が決意をもって来るのに、あんたは一緒に住みますだけか、情けなっ”って言われて。親には、とりあえず話してみるけど断られると思うよって言って、次に沖縄に行ったときに、向こうのご両親に結婚したいと思ってますって伝えました。そしたら“今の仕事を続けるんですか?”って聞かれたので、来年には辞めますって話したら、“辞めてどうするんですか?”って。本屋をやろうと思っています、でも成功するかはやってみないとわかりません、って答えたら、“がんばって”って言われたんです。絶対ダメって言われると思っていたけど、それからとんとん拍子でした。感謝しています」
――すごい。
「今までの人生、流れに身を任せてきた感じです。やりたいっていう意志は一本あるけど、それ以外は流れに身を任せていて」
――柔軟だよね。
「柔軟というか、適当というか」
――お店を始めたときに、本を売りたいとかはあったと思うけど、それ以外にやりたいことってあった?
「今は新刊やジン、雑貨もわりと増えてきたんですけど、最初は古本メインで売っていました。あの頃を思い出すとジャンルにとらわれていたなと。古本だけ売って生きていけたら一番いいって思っていたんですけど、結局できなくて。でもやめたくはない、いかにやめないかっていう結果が今。前は古本屋といっていましたが、今は本屋です、と言っています。展示は2013年の冬に始めました。オープンして2、3ヶ月目に、半年で終わると思うくらい売上がヤバかったんです。ちょうど本を置かせてもらっているミシマ社に行ったときに、“お店どうですか”という話になって、ちょっと時間の問題かもしれないです、って言ったら、“絵本の原画展とかどうですか?”って言ってくれて。それで『はやくはやくっていわないで』(作: 益田ミリ | 絵: 平澤一平)の原画展をやることになりました。けっこう人が来てくれて、本を買ってくれて。それで、単純に知られていないだけなのかもしれない、まだやれることはあるかもしれないって思いました。そんな感じでやっていくなかでやりたいことやできることが増えていきました」
――今のSUNNYは、私が初めて訪れたときよりも、一番個性があると思う。
「自分でもそう思っていて、“「想像からはじめるーーSolidarity-連帯-연대ーー」POSTER EXHIBITION”(2019年10月)をやったときから意識が大きく変わった」
――あれはなんでやろうと思ったの?
「3年前から韓国・ソウルのアートブック・フェアに出ていて、2年前の秋にそこで出会った作家の展示をやろうっていう話になったんですよ。でも、日本と韓国の政治的な関係が悪化していた時期で、その展示やることにしていた人も、日本で展示をやるとは言い難い雰囲気で、告知しただけで叩かれるような状況になってしまって、見送ることになりました。自分がやりたいと言って作家と話していたことが、そんな政治的なものに忖度してやめますって言わなきゃいけなくなったのが恐ろしいし、ムカつくし。それで期間がポカンと空いていたから、代わりに何かできないかな?って考えて。ちょうどそのときに玄光社『イラストレーション』編集部の岡あゆみさんがお店に来てくれていて、その話をしたところから、“積極的に選挙に行きましょう”っていう意見をポスターで発信していたグラフィックデザイナー / イラストレーターの惣田紗希さんと、そのポスターを一緒に作っていたnipponiaの山田和寛さんがメインで関わってくれることになって実現しました」
――その頃からなのかな、意志をすごい感じて。
「それはもう、発信しようっていう気持ちがあるから。政治的なことで切り離されるんじゃなくて、それをきっかけにより繋がっていこうっていうことで、テーマを“連帯”にしました。ポスターを持って帰ってもらって、みんなの生活の中に置いてもらう。そしてふとしたときに、ポスターの言葉だったり、グラフィックだったりを思い出すような。この展示は反響が大きくて、国内7ヶ所で巡回展もやりました」
――SUNNYが知られるきっかけにもなったよね。
「そうですね。“ポスター展で知った”って言ってくれるかたもけっこういて」
――SUNNYの新刊棚もそういう意思を強く感じるラインナップになっている気がする。
「ああいう大きい企画は常にできることじゃないので、日常生活の、店を開けている毎日の中で、社会的なことに目を背けているとそのまま流されちゃうことに対して、問いを持ってもらうというのも本屋としての大事な役割だと思っています。SNSでは、自分で発言するのは得意じゃないし、もう声になっている本があるわけだから、そういう本を選んで紹介するに集中しようと思って」
――SUNNYを始めた当初から変わっていない思いみたいなのはありますか?
「一番変わらないのは続けるっていうことじゃないですか?続けたい。僕が2月から沖縄に移住することになって、今回はもしかしたら続けられないかもしれないって思ったんですけど、続けることができることになったんで、よかったです。(1月から店長の)大川(愛)さんがやりたいって言ってくれたから」
――沖縄に移住することになった経緯は?
「もともとうちの人が沖縄出身だったのと、脳科学の研究をしていて、ずっと行きたいって言っていた研究機関が沖縄にあって、ちょうど募集が出ていたんですよ。“受かるわけない”って言ってたけど受かって、昨年の9月から働くことになったんです。それでどうしよう?って思ったんですけど、店は大川さんがやると言ってくれたんで、自分は2月から沖縄に行くことにしました」
――残る選択はなかった?
「自分の代わりにやってくれる人が決まらなかったら、東京に残るつもりでした。店長をやってくれることになった大川さんはABCで一緒に働いていて、10年以上本屋で働いているかたです。最初は鷹取(愛)さんにお店のことを含めて相談したいんですけど、話していくなかで展示の企画と運営で関わってもらうことになりました。鷹取さんは、一緒に手紙社の蚤の市に出店して、がんばって本に関わっている姿を見ていたのと、イベントの企画をやっているのも知っていたから、関わってくれたらもっとおもしろいことになると思って」
――ちょっと前まで住んでいた家からここがわりと近くて、けっこう来てたんだよね。長話して帰って。
「お店のことも定期的に来て見てくれていたし、雰囲気わかってくれてるし、逆に他にいないなーって感じでした」
――SUNNYに関わる身として、今強くある高橋くんの意志をどう残していったらいいか、っていうのをずっと考えていたけど、今日話を聞いて、柔軟でいろいろな逆境も流したり赦したり、受け入れることができる人なんだなって。
「距離的にある程度近ければ棚のこととかを見られたりするんですけど、どうしようもないじゃないですか、東京と沖縄だと(笑)。とりあえずやるしかないか、って感じで。やれるかもわからないけど、やらないでダメって決めると一番後悔しちゃうと思うんで。しかし店長を雇用するという、今までにない責任が伴うので、かなり緊張しています。僕の気持ちでは、2月から無職だと思ってます」
――いやいや、お店のオーナーだよね(笑)?
「そうなんですけど、こんな小さなお店を開けていて、2人が生きていけるだけ稼ぐのは無理なんで。今まで僕はここの収入だけで生きてきたから、それを店長にシフトすればいいけど、自分の分は無理だなって」
――でも人数が増えればできることは増えるから。
「そうそう。それがどうプラスに転じるかはちょっとやってみないとわからないから。そこで余りがあったら僕もらえるかもな、そうなったらラッキー、ってくらいの気持ちです。今は。最初から当てにしてると、あとから立ち直れないと思うんで。沖縄行ったらバイトするつもりです(笑)」
――それもやっぱり、ここを続けたい気持ちがあるから。
「それが一番。この場所を残したい。コロナ渦に伴って去年の4月、5月はお店を2ヶ月閉めていたんですけど、オンラインの利用が10倍ほど増えて。会ったことはないけど、コメントや手紙をくれる人もいて。“こういうときだけどがんばってください”とか、“なくなっちゃいけないと思ってます”とか、すごい熱量のものを受け取ったので、ちょっと沖縄行くんでやめます、とは言えねえな、っていう気持ちもあって(笑)。だからやれることはやりたい。やってダメだったら、みんな怒らないでしょ(笑)。やってみることはしないと、残さないとっていう気持ち」
――本のレーベル「SUNNY BOY THINGS」についても教えてください。3人のチーム?
「今はふたり。幽霊部員がひとりです。8冊出していて」
――本を作るときも、展示をやるときも、親身になってちゃんと話して最善を尽くしているのもあるし、関わる人はいろいろな積み重ねでSUNNYが好きなんだなっていうのを感じています。展示のことで、作家さんと今3人でやりとりをしているけど、作家さんも絶対の信頼を置いていることがすごく伝わってきて、みんなにとっての大事な居場所なんだな、って実感することが多いから、それをなくさないようにって考えていて。
「まあ本も大川さんと一緒に選ぶし、展示も鷹取さんと一緒に決めるし、必ず話してやっていくことにしているから、プラスアルファで考えてくれれば。物理的に僕はいないけど、魂は置いておくんで(笑)。今までここにいて、お客さんとたくさんお話して、ってわけでもなくて、さっき言ったように、棚で意志を伝える、本を選ぶことでやってきているから、それを引き続きやっていくということで。まあ本屋さんて、そういうものだと思うんですけど」
――大丈夫だね。
「だといいんですけど(笑)、こればっかりはやってみないと」
――沖縄でやりたいことは?
「やっぱり店はやりたいんですけど、住むのは中部で、那覇じゃないんですよ。でもほとんど那覇に文化が集まっていて、中部に本屋はないみたいで。那覇だったら本屋だけでできるかなって思うんですけど」
――那覇から車でどのくらい?
「車で1時間ちょっとくらいです。でも朝と夕方車超ラッシュになるので、倍かかる。こどものことや家族の時間もあるので那覇に出店することはないと思うんですけど。東京に比べたら人口は少ない、その中で本を読む人はもっと限られる上に、那覇じゃない中部でやるとなると、継続させる意味では、本屋だけでは無理だと思っています。観光もコロナの影響で戻ってきていないから、地元の人とどう関わってやっていくかみたいなことを考えておかないと。東京でやっていることとは異なる、喫茶とか、ちょっとした文化施設みたいになるように場所を考えないと難しいだろうと思っています」
――展示とかも難しい?
「東京でやった展示の巡回で沖縄って、あまり聞かないからやりたいんですけど、今は読めない。コロナさえ落ち着いてくれればいろいろやれるんだけど、と思いつつ。だから最初はその下準備みたいなのに重点を置くつもりです」
――沖縄は自費出版の本がたくさんあるみたいだよね。
「昔は何十社とあったらしいけど、今は20社あるかな?って感じらしいです。沖縄の人は沖縄の本を読むんですって。沖縄のパン屋さんをまとめたもの、工芸のお店をまとめたものとか、もっと政治的なもの、文化のこととか。地産地消みたいな感じで、あまり県外に出回る感じではないらしいんですけど。そういう知識が全くないので、そのあたりは勉強しないといけない」
――SUNNYでそれをネットで特集して売ってもおもしろそう。
「沖縄の古書組合に入ろうと思って。そこから仕入れたものの勝手なおすすめの本と沖縄で拾った石をセットにした“沖縄便”みたいなのを、SUNNYのオンライン・ショップで販売するのもいいなって。沖縄には、東京では見たことない実とか石があるんですよ」
――それいい!魚とか虫も見たことないのいるよね。
「さすがにそれは送れないけど(笑)。ざっくりとやりたいことは考えてますけど、あとは沖縄の流れに身を任せる。何かいいアイディアあったら教えてください」
――最後に、10年は東京のお店を絶対続けるって言ってたけど、それまであと2年。でも、それ以降もずっとやるよね(笑)?
「僕の気持ちだけではなんとも。でも、ちゃんと残るだけのことをしないといけないんで、ずっと残るようにがんばりますけど」
――ずっとやってほしい、死ぬまで(笑)。
「そのままいけたらいいっすよね」
――形態を変えてずっとやってほしい。
「最期は自宅の床の間を店だ!って言い切って、そこで死ぬみたいな」
――それもアリ(笑)。これからもよろしくお願いします。
「よろしくお願いします。ひとりでやってたのが終わるって感じで、こっからはまた新しいSUNNYになっていくから」
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