文・写真 | コバヤシトシマサ
『悪は存在しない』。はて。なんとまあ。今世の中を眺めるに、ここ最近の国際情勢も含め、世間には邪悪なものが堆積しているかのように見える。そこにこのタイトル。濱口竜介監督の新作だという。悪は存在しない?いったいこれはどういうことなのか。濱口作品がこのようなタイトルを冠しているなら、これはちょっと無視できない。そんな胸騒ぎを抱えながら劇場に向かった。
本作は水挽町(みずびきちょう)という山村が舞台となっている。山々に囲まれており、清流が流れ、山道を鹿が行き来する。のどかな田舎町。この自然豊かな土地自体が、実はこの映画の大きな主題のひとつになっている。町を映し出す映像。画面の構図や、背景 / 人物の配置は極めて統制されており、そうした映像自体が物語を語っていく様は、まさに映画の醍醐味といったところ。
とはいえ本作は、風光明媚な田舎の風景を写し取った観光映画というわけではない(いや、ある意味では、これは観光についての映画ともいえるわけだけれども……)。たとえば冒頭に置かれた印象的なシーン。山道に立つ木々を、空に向けたカメラで移動しながら映し出す。石橋英子による弦楽のドローンを基調とした音楽とも相まって、単に美しいというよりは、どこか見知らぬ異界のようにも見えてくる(実はこの冒頭のシーン、まったく別の情景として最後にもう一度繰り返されることになる)。主人公である匠(たくみ)が湧き水を汲むシーンも印象的だった。山での儀式のように水を汲むその所作は、彼やその生活の厳かな様子を観る者に伝える。あるいは野生の鹿が水飲み場としている水辺の風景。本作は“水”を巡っての映画でもある。そしてそうした画面に時折挿入される電子音の響きにより、決して一筋縄ではない自然の禍々しさのようなものを思わせもする。
山村はのどかなだけではない。ここでは人間同士の対立も起こる。水を巡って起こるその対立は、観る者を戸惑わせることになる。そう、『悪は存在しない』と題された本作では、しかし冒頭からいきなり善悪の対立が起こるのだ。清流の流れるこの美しい山村に、60人が宿泊可能となるグランピング施設の建設計画が持ち込まれる。清流を守るのか、あるいはグランピング施設によって水を汚すのか。そうした素朴な対立が起こる。一見するにあまりにシンプルなこの善悪の対立が、本編の冒頭で提示されるのだ。はて。ここには“悪”が存在している。
しかしこうした善と悪との対立が、それほど単純なものではない事情が徐々に明らかになる。水を巡ってのこの対立は、やがてはその表面的な軋轢以上のものを生み出していくのだけれども、その経緯が明らかになるにつれ、善悪の線引きはだんだんと曖昧になっていく。本作の観点のひとつに、善悪のこの曖昧さがある。善と悪とは、まだらに遍在している。ひとつの事柄、あるいはひとりの人間の内にあってさえ、それは複雑に折り重なっている。そうしたとき、人は善や悪を単純に指差すことができない。あるとき、ある場所で、それが可能だとしても、時が移れば、あるいは場所が変わったならば、それは切り分けできない混濁になりうる。
さて、核心に向かおう。本作を観たすべての観客が、しばし呆然としながら反芻し続けるほかない、あのラストについて。一体あそこで何が起こったのか。実は5つか6つの簡潔な画面の繋がりで構成されたあの最終部は、そこで何が起こったのかを明確に説明している。しかしそれでも事態は判然としない。その動機や理由は明示されないままだ。ほとんど魔術的とも言えるこの最終部の顛末は、しかし本作の最大の見どころと言っていい。あの場面を目撃してはじめて、改めて本編を見渡すことができる。
忙しなく終わってしまう最終部において、特に印象的な場面があった。正面から捉えられた鹿の顔と、それと対面する同じく正面から捉えた花(はな)の顔。交差するふたつの視線。印象的なこの対面を目にした後、ふと思う。この映画には、こうした対面は他にほとんどなかったのではないか。そもそもあの父と娘は、ほとんど視線を交わすことがなかった。これは妙なことではないだろうか。匠はひとり娘を育てる良き父親に違いないが、しかしどこか人間味に欠けたところがある。世俗的な意味での人情を欠いており、どこか不気味な印象を観る者に与える。
匠は自らのルールに従って生きている。こう言ってよければ、それは超法規的な倫理のようなものだ。それゆえ、彼は断定でしか言葉を発することがない。つまり相手と対話をしない。通常の意味での“対話”ができないのだ。そうした彼の振る舞いは、長く自然を相手に生きてきた者の作法かもしれない。しかしひとりの人間として、あるいはひとりの父親として、彼は思慮に欠く人間でもある。彼が時折見せる娘への無関心や、ほのめかされる妻の不在は、その徴しのようにも見える。
はて、匠は最後どこに向かったのか。あれは弔いだったのか、暴挙だったのか。誰もが問わずにいられないこの命題について、映画本編に解答は用意されていない。しかしどこであれ、彼が向かった先は、わたしたちが窺い知ることのない場所だろう。彼の倫理が要請したその場所は、その意味で異界かもしれない。だとするなら、わたしたちは彼を裁くことも、あるいは許すこともできない。それは禁じられている。彼の営為は、法を超えているのだから。わたしたちがかろうじて見ることができるのは、善悪の混濁した暗闇の中で林立する、山道の木々だけなのだ。
| 追記
本作の冒頭にジャン=リュック・ゴダールへのオマージュがあります。疾走する4ビート!
■ 2024年4月26日(金)公開
『悪は存在しない』
東京・Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下, シモキタ-エキマエ-シネマ K2ほか全国順次公開
https://aku.incline.life/
[監督・脚本]
濱口竜介
[音楽]
石橋英子
[出演]
大美賀均 / 西川 玲 / 小坂竜士 / 渋谷采郁 / 菊池葉月 / 三浦博之 / 鳥井雄人 / 山村崇子 / 長尾卓磨 / 宮田佳典 / 田村泰二郎
製作: NEOPA / fictive
プロデューサー: 高田 聡
撮影: 北川喜雄
録音・整音: 松野 泉
美術: 布部雅人
助監督: 遠藤 薫
制作: 石井智久
編集: 濱口竜介 / 山崎 梓
カラリスト: 小林亮太
企画: 石橋英子 / 濱口竜介
エグゼクティブプロデューサー: 原田 将 / 徳山勝巳
配給: Incline
配給協力: コピアポア・フィルム
宣伝: uhuru films
2023年 | 日本 | 106分 | 1.66:1 | カラー | 5.1ch
©2023 NEOPA / Fictive