文・写真 | コバヤシトシマサ
1960年代はカウンター・カルチャーの時代だった、との説明も今では教科書的な歴史の事案に過ぎないのだろうか。アメリカではボブ・ディランがあらわれ、ヒッピーたちが台頭し、映画の新しい潮流である“アメリカン・ニューシネマ”が誕生した。それまでとは異なる革新的な音楽やアートが生まれ、それが大衆文化として花開いた時代。カウンター・カルチャー。つまり“対抗文化”。既存の価値や方法を転覆させるかのようなムーヴメント。ユースカルチャーがはじめて誕生した瞬間とも言えるかもしれない。2022年現在から60年ほど前の話。
1974年生まれの自分は当時のことは実際には知らない。それでもずっとあの時代の文化に惹かれている。
当時は文学の世界でも爆発が起こった。ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグら“ビートニク”たちはまだ好調だったし、ウィリアム・バロウズは挑発的な新作を発表していた。ジャック・ケルアック『路上』(1957)とアレン・ギンズバーグ『吠える』(1956)は格別で、当時の時代の空気がそのままパッケージされている。いずれも60年代にはヒッピーたちのバイブルとなった。一方、ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』(1959)はかなり前衛的で、ちょっと歯が立たない。いまだ通読しないまま書棚に収まっている。バロウズでなにか1冊というならギンズバーグとの書簡集である『麻薬書簡』(1963)がいい。ギンズバーグによるバロウズへの愛が炸裂した傑作で、なにより『裸のランチ』の数百倍読みやすい。
あの時代に登場した書き手のうち、ずっと心惹かれる作家がひとりいる。リチャード・ブローティガン。座右の書というのが自分にもあり、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(1967)がそれだ。みなさんご存じだろうか。
『アメリカの鱒釣り』は詩とも小説ともつかぬ短い文章が断章形式で綴られた小さな本だ。“鱒釣り”をひとつのキーワードとして、それにまつわる文章が集まっている。『アメリカの鱒釣り』と題された本書の表紙には1枚の写真が使われている。リチャード・ブローティガン本人と当時のガールフレンドを収めた写真。ベンジャミン・フランクリンの銅像の横にふたりたたずんでいる。『鱒釣り』本編にはこの写真についての説明が含まれているため、おそらく世界中どの版でも表紙は同じはずだ。今ではこの写真自体がある時代のアメリカを象徴するようにも見える。
彼の書く詩的な比喩は素晴らしい。豊かな色彩というよりはモノトーンで、どこか寒々しい情感を含んでいる。アレン・ギンズバーグは次から次へと言語を生み出す機械のような人物だが、ブローティガンはもっと控えめで、きわめて限定的な世界を描く。そして孤独がより大きい。
『鱒釣り』の全編を支配しているこの孤独の感覚はなんだろうか。ある人物がなにかをする。そうした具体的な描写であっても、それがブローティガンの心象風景を描いているように感じられる。たとえば「Sea, Sea Rider」という章で、主人公は本屋の2階で女と寝ることになる。人物の内面を欠いたかたちで簡素に記述されていてるのだけれども、それは人物の描写というよりはブローティガンのごく私的な領域を連想させる。乾いていて、冷たい感触。鉛筆で書いたスケッチのような。彼自身の筆跡がそのまま作品になったかのような言葉。では「Sea, Sea Rider」での女との情事は一体なんだったのか。それは本文中にて本屋の店主から説明がなされる。ここでのブローティガンの筆跡は詩的な飛躍に満ちたものだが、詳しくは本書を参照されたい。
ところでブローティガンはビートニクではなかった。ブローティガン作品の大半の日本語訳を手掛けている藤本和子氏による回想録『リチャード・ブローティガン』(2002, 新潮社)によるなら、ビートジェネレーションの作家たちについてどう思うか尋ねられたブローティガンは、連中のことは好きになれなかったな
(p58)と応えている。『鱒釣り』出版後、一時は時代の寵児となったようだけれども、それもだんだん冷めていった。
ギンズバーグほどの革命家ではない。バロウズほどの前衛でもない。ブローティガンはただひとり頭の中で『鱒釣り』を書き上げた。作家が書いた小説なのだからひとりで書くのは当たり前かもしれないけども、ここには本当に彼だけの世界がある。彼のほかには社会も人間も存在しないかのような。冗談のような挿話も多い『鱒釣り』だが、読み進めるうちだんだん彼の心の奥底に入っていく。ブローティガンの心の底には諦めのような境地がある。乾いたユーモアとともに、だんだん冷たくなっていく石のような諦観が。
彼の人生にもそんなところがあった。ブローティガン自身は、自分の作品が正当な評価を受けないことに終始不満を持っていたようだ。そして年を追う毎にだんだん寡作になっていった。寂し気で、モノトーンな世界を描いたリチャード・ブローティガン。1984年10月、森の奥にあった自宅で彼はひとり亡くなっている。
晩年の彼は東京に長く滞在したこともある。日本人であるパトロン(?)に衣食住を賄ってもらいながら、東京の街についての詩を残している。後に『東京日記』(1992, 思潮社)として出版されたのがそれだ。自分だけの世界を書いてきたブローティガンが、東洋の異国を観察して詩にしている。『東京日記』を読むと、ブローティガンの東京がまだここにあるような気がする。彼は実際の社会や人間を書かなかった。詩的な比喩を用いて自分だけの小さな世界を書いた。だから彼の書いた東京は実際にはどこにもないのかもしれない。それは本の中にだけある。そして彼が書いた東京は架空のフィクションなのだから、わたしはいつでもそこに行くことができる。