Review | ©︎P『©︎P Right』


文・撮影 | 後藤祐史

 謎多きCPOY / IPMatter / PA PER COMPANYの世界観ですが、その一端を知る機会として3月に突如「ODD TAPE DUPLICATION」より発表された『©︎P Right』は、その意義を充分に体現した作品でした。©︎Pの本質は複製(シルクスクリーン)であり、複製の本質は循環であり、循環の本質は生産。そして生産することは複製することである、そんな一貫性のあるテーマを感じられる作品だと思います。

 綺麗なものを見て綺麗と思う、汚いものを見て汚いと感じる、汚いものを見て綺麗と考える、全ての感情は実は均一であり、誰がどう思うかはただひとつの結果でしかありません。廃棄物がコンセプトとなっている本作品からは、ゴミ箱の中にある花、花が美しさの象徴であるなら、捨て去られたものの中にこそ美しさが宿っている、という©︎Pのメッセージが汲み取れます。これに関して私が知りたいと思うことはとてもシンプルで、本作品に込められた作り手の意識と象徴的に扱われる題材はどこから生まれたものだったのか、ということでした。しかし、それを本当の意味で理解するためには、ただ生産者の意識だけを重んじるのではなく、それを見て何を感じるかという、自身もしくは他者の思考も必要だと考えています。相手が何を考えていて、何が好きで、何がしたくて、何をしているのか。私はこれを見てどう思うのか。

©︎P
Silklscreen Printer・Graphic Designer・Videovoicemaker
PA PER COMPANY所属し、デジタルとアナログの複製の複製業務に従事するというアウトプットは、Videoへの出力先にもインプットしている。CPOYや©︎P名義で活動。IPMatter主宰。ODD TAPE DUPLICATIONより『©︎P Right』をリリース。
https://www.instagram.com/cp.oy/

――©︎Pプロフィールより

 人は毎日新しい情報(世界、意識、感情)をインプットし、自身のストレージを増幅させることで人生を堆積させていきます。情報と意識の関係は密接です。受け取る対象は自分でも、その増幅が自身を離れてひとりでに成長することすらあり、また、そのフィールドである精神世界は常に膨張を続けています。思考の前後に広がる精神世界で獲得した情報を使って、私たちは生のやりとり、つまり様々なアウトプットを行なっています。そのやりとり自体が全て情報という単位で細分化可能な物であり、細分化された情報は全人類のストレージを使用しても格納できない物です。もっと主語をミニマムにして語ると、1人では物事の全てを抱え切れない、ということです。全ての感情を言語にし、前後関係を持たせる、過去に触れた経験を紐付ける行為というのは、意識を整理する上で非常に重要です。意識というのは、ある程度自分でコントロールができても、情報はコントロールが難しいのです。その理由は、世界の増幅と時間の流れが非常に密接な関係にあるからです。意識を整理する理由は、現実と虚構の明確な区別、あるいは横断です。平面の意識が立体に、もしくは平面が平面で表現されるように、なんらかの“存在として存在する”ようになります。

 意識の具現化、想像の創造(複製)、思考の中で生まれたものが現実になるとき、情報→思考→意識、という一連の流れはインスピレーションと呼ばれます。人はそれを言語、絵、音楽、様々アウトプットで表現します。表現は意識そのものであり、意識は想像の拡張です。想像の拡張が起こるとき、人は夢を見ているのと近い状態にあります。想像の中で繰り広げられる世界の構造は、やがて多層となり、そこで生産される思考は、現実へ戻ってくることもあります。思考、意識、価値観、全て違う意味で表されるように思いますが、これらは3つで対の関係にあります。この関係性は©︎Pに当てはめても、改めて考えられます。©︎Pがコピーである理由、つまり存在証明とは、廃棄物の複製・生産、それにより自分の意識を具現化することだと。

 本作品に登場する廃棄物には目があります、もしくは目のようなもの。私はこれを目だと思った瞬間、同時にこちらを見ている、と感じました。実際それがどうか、ということが言いたいのではなく、こちらを見ている、と私が意識したことに意味があると考えています。見られていると思った瞬間に私の意識は始まっています。©︎Pが美しいと意識する廃棄物に投影された意識が、さらに派生した意識としてこちらに向かっている。全ての感情は均一であり、全て自分が何かに対してどう思うか、ということは常に問われていて、感情は全て自分のものであるのだと気付かされます。

 私だけかもしれませんが、だだっ広い想像を広げたり、ひとつの感情がその時の自分を支配したり、何かに没入しているときこそ、自分の五感が冴え渡るような感覚に陥ります。その五感、感情や思考は自分を形作るものであるが故に、自分の人生・身体経験と強烈な結びつきを図ります。これらの作品が意識の投影である、という視点で語るのであれば、複製が起きている瞬間に鳴り響く音、廃棄物を処理するクレーンやコピー機の稼働音、作業が軌道に乗ってきたときの高揚、集中しているときに流れる淡々とした時間、一仕事終えた後の安堵など、頭の中でひっきりなしに鳴り響く所在ない旋律。この作品で、神出鬼没な©︎Pがどんなことを考えていて、その世界ではどんな音が鳴り響いているかを少しだけ知れたような気分になれると思います。

Photo ©後藤祐史

 想像の世界では果てしなく風景が広がっています。そこには何もない、しかし何かがある。何もないということは真っ白なキャンバスのような物です。言い換えるなら、無数の知覚できない意識で満たされているということと等しく、細分化された見えない白の粒子の集合で満たされているということです。ここでいう意識が、もしも私や他の人にもあるのだとしたら、それはきっと簡単には知ることができません。自分の脳内を自分で覗くことができないからです。その意味で言うと、おそらく©︎Pがデザインしたものをこと細かく解析しようとしても、難しい部分があるかもしれません。これはどの分野においても言えることでもありますが、作り手の意識はやがて想像へ変化することで一度完結しています。解析に必要な情報はいくつも無数に散らばっているため、その意識をすべてすくい取るのは難しいことです。

 ここまでの話から、『©︎P Right』は生産者にとっては非常に切実な作品であり、物語であると私は考えました。なぜなら、それは端的に言って生活の断片であるからです。生活の断片 = “1秒の複製の連続”と、その中で育まれる意識(無意識とも言えるくらい極小な想像の粒子の集積)が、規則的な連続性を織りなして生産された状態を瞬間的にパッケージングしたものが今回の作品群なのだと思いました。

 時が流れ、物事が無尽に積み重なっていくように、人の記憶は常に更新されてゆくものです。それと時を同じくして無造作に積み重ねられる、誰も必要としなかったもの、もしくは既に使われ価値を失ったかのように見えた廃棄物、意識と情報の中で埋もれてしまうであろう存在を新たに構築し直すかのようなこの作品を目にし、私は普遍的で切実なストーリーを感じざるを得ませんでした。更新という循環に似たそれ、言い換えれば1秒前の時間の複製は、複製であると同時に1秒という単位そのものとして常に存在と消失を繰り返していきます。私たちの記憶は、いわば意識と時間は常に複製を繰り返すことで、その物の形をなしていくのです。自身の生活のその先、想像をすることでさらに想像を超えていく、その遥か先の時間は複製によって作られていきます。私たちは常にまだ見えない意識の先を目指して今も生きているのかもしれない、と改めて考えることができます。

 始まりと終わりは全て同じ線の上で起こっていることであり、全て同じ点の上で同時多発的に起こっていることでもあります。全ての動きが時を同じくして生成される、全てはひと繋ぎの営みなのです。その営みが行われる場としてのPA PER COMPANYであり、SUPERSTOREでの“SUPERSTOREする”という行為であり、生産の循環(廃棄物の複製)という概念であるのだと思います。©︎Pの営みはそれ以上でもそれ以下でもない、情報と意識を攪拌した結果の産物だと思います。ここにおける情報は廃棄物、意識は慈しむ心、これを方程式に当てはめた結果生まれたものが想像ということです。さらにその想像が複製される、言い換えれば“SUPERSTOREする”ことで、この物語は成立しているのです。©︎Pは一度完結された物語の語り手として、この作品を見た人は自分の意識を動かして新たな物語を作るものとして、決して瞬間では交わらずとも、同じ場所から物語をスタートさせます。つまりひとつの物事から複数の物語が別々の場所から始まるということです。その全てを選び切れないからこそ、自分の意識と真摯に向き合う、ある意味不自由な選択をした©︎Pの意識の付箋の連続。つまり、これはそんな©︎Pのマーキングのような作品で、グラフィティやスケーターが街を自分のものにすることと同じような感覚のものなのだと思います。

 廃棄物の目が意識の投影であると言ったのは、目があることを認識したその時点で私たちの意識は生まれていると思うからです。逆に意識が生まれた瞬間に作品が始まっている、ということでもあります。自身でも他人でも、誰かの意識は簡単に知ることができないからこそ、想像力を使えるのがこの作品だと思います。誰かに選ばれるはずでもあり、選ばれないことだってあるこの結末の選べない不確実な物語がどこへ向かっていくのかもまた想像の中にあります。結末を選べないというある意味逆算的で不自由な選択をした©︎Pと、意識を派生させる受け手の距離は縮まることなく膨張していきます(同じ点の上で同時多発的に起こっている)。その向こう側に、©︎Pはさらに問いを投げかけ、自ら向かって行くのだと思います。

後藤祐史

後藤祐史ALX THE EMPIREっていうバンドをやろうとしている

LTD Ink
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