Interview | Coady Willis (BIG BUSINESS, HIGH ON FIRE, MELVINS, THE MURDER CITY DEVILS)


音楽と出会い直したような気分

 2024年3月に実現したMELVINS来日公演で、Dale Croverの代打としてドラムキットに座っていたCoady Willis。その爆発的な叩きっぷりを生で目撃した者は皆、彼が完璧に務めを果たしていると認めたはずだ。マーシャルアーツ仕込みの細身ながら強靭な肉体から繰り出される強烈なドラミングはもちろんのこと、以下のインタビューを読めば、精神面から考えても、このMELVINS直系にいる人物こそ第2のドラマーに相応しい存在だと納得してもらえるのではないだろうか。くしくもMELVINSと同日にニュー・アルバムをリリースしたHIGH ON FIREのメンバーとしても本領を発揮しているCoadyだが、今回のツアーでの代役がきっかけになったのか、このあと制作予定のMELVINS新作に参加することも内定しているようだ。ドラムのみならず、レコーディング技術に関しても学び始めているようなので、きっとさらに活躍の場を広げていってくれるに違いない。

取材・文 | 鈴木喜之 | 2024年3月
通訳・翻訳 | 竹澤彩子
撮影 | saylaphotos

――ではまず、あなたがどういう音楽環境で育ってきたのかを教えてもらえますか?
 「消防士の叔父が、趣味でドラムを叩いていたから、ちゃんとしたドラム・セットが家にあったんだ。Ludwigのブルー・スパークルのドラム・セットの前に座らせてもらったっていうのが、人生最初の記憶のひとつ。子供の頃は、その叔父がヒーローみたいな憧れの存在で。ずっと自分もドラム・セットが欲しかったんだけど、演奏する場所もなかったし、実際に始められたのは15歳になってからだった。15歳になって初めてのバイトで得たお金で、ようやく自分のドラムを手に入れて叩き始めたんだ。本格的にバンド活動を始めたのは、19歳のときにシアトルへ移ってからだよ」

――15歳になるまでは、ドラムを叩けなかったんですね。
 「そう、なにしろ両親が大反対でね。家の中でドラムを叩かれるなんて、うるさくて冗談じゃないと思ったらしく、15歳まで待たなくちゃいけなかった」

――その当時はどういうバンドが好きだったんですか?
 「中学の時はJUDAS PRIESTとかMÖTLEY CRÜEが好きだったんだけど、高校1年のときにNIRVANA『Bleach』のカセットと出会ってね。そこでDale Croverのドラムを初めて聴いて、MELVINSを知ったのもそれがきっかけだった。そうして高校1~2年を境にシアトルの音楽シーンにハマって、メインストリームのメタルからパンク方面に流れていったんだよ」

Coady Willis | Photo ©saylaphotos

――では、影響を受けたドラマーは誰ですか?
 「それこそDale Croverだよ!彼がMELVINSで叩いてるドラムがマジで好きで……『Bleach』を聴くまで、MELVINSについては知らなかったんだけど、初期NIRVANAを聴きながら“あ、これ好きだわ、これも好きだわ”って思った曲が、ことごとくDaleの叩いているやつだった。もちろんNIRVANAも大好きだし、Dave Grohlも最高!Daveのドラムの何がいいって、叩いていて最高に楽しい!っていうのが伝わってくるから。ガンガンにヘッドバンギングしてさ!あの姿を見て、俺もあんなドラマーになりたいって思ったんだ。正確にヒットしているかどうかを心配する前に、まずはひたすらラウドな音を出して目いっぱい楽しんでやれ!っていう姿勢だね。だから、Dale CroverとDave Grohl、あとはBLONDIEのClem Burke、The WHOのKeith Moon、そしてJohn Bonhamも外せない!ガンガン叩きまくって爆発的な勢いがあるんだけど、同時に歌心も持っているようなドラマーが好きなんだ」

――あなたが若い頃を過ごしたシアトルというと、まるで世界のロック・シーンの中心地みたいだったと思うんですが、当時の様子は実際にどうだったか、そして、自分はそことどういう風に関わっていたのか教えてください。
 「そこに関しては、自分は完全に後追いなんだ。NIRVANAがブレイクした1991年にはまだ高校生だったし。でも、MUDHONEYのライヴを観に、車でしょっちゅうシアトルまで遠征してたんだ。シアトルにOK Hotelっていう21歳以下でも入れるクラブがあって、よく通ってたよ。NIRVANAも2回観たし、MELVINSのライヴも観てる。ちゃんとシアトルに引っ越してきたのは1993年か1994年なんだけど、その頃にはすでにグランジ・ブームは下火になって終わってたね。そうした状況下で自分もバンド活動を開始して、最初はTHE MURDER CITY DEVILSっていうバンドをやるんだけど、基本的にハードコア・パンク上がりのガキが“ロックンロールもやりたい!”っていうことで始めたバンドみたいなものだった(笑)。でもまあ、そのバンドで生まれて初めてアルバムを出して、ツアーもやって、一通りのことは経験させてもらって……1996年くらいかな。グランジが完全に終わって、MODEST MOUSEとかそのあたりのバンドが出てきた時期のこと。SOUNDGARDENみたいなバンドはメインストリームでビッグになったけど、自分がシアトルで活動し始めた頃には、もうグランジ自体はすっかり終了してた。だからこそ、そこから自分たちで新しくゼロからシーンを起こしていかなくちゃならないっていう雰囲気だったね」

――今の話では、THE MURDER CITY DEVILSが初の本格的なバンド活動ということになりますが。
 「そうだね、20歳の頃かな」

――それ以前にはどんなバンドをやっていたんですか?
 「普通に地元の高校の友達と一緒にバンドやったり……俺はマウントバーノンっていう、シアトルとベリンハムのちょうど間にある小さな町の出身なんだけど、地元の公民館とかコーヒー・ショップとか、演奏させてもらえるならどこへでも行ってライヴをやらせてもらってた。メンバーも友達が入れ代わり立ち代わり、誰かの家でパーティがあるって聞くと空いている人間が駆けつけて演奏したりとか、そんなノリでやってたね。あと、地元にいる頃はバンドと並行して武道もやっていて、一応それで稼いでいたんだよ。11歳頃から武道を始めて、15~16歳のときには黒帯になって。黒帯になると人に教えることもできるんだ。でも18〜19歳くらいのときに師匠と決別して、それもシアトルに出るきっかけになった。それでシアトルに移ってすぐTHE MURDER CITY DEVILSのメンバーとパーティで意気投合して、そのまま一緒にバンドを結成することになったというわけ」

――THE MURDER CITY DEVILSで活動した後、次にBIG BUISINESSを始めることになった経緯を聞かせてください。
 「THE MURDER CITY DEVILSでSub Popと契約して、何枚か作品を出して、アメリカ、ヨーロッパと散々ツアーに出かけて、メンバー全員が疲弊し切ってしまって……酒の量も半端なかったからね。そのとき、バンドを解散して友達のままでいるか、お互い憎しみ合いながらバンドを継続していくことを選ぶか迫られて。それでバンドを解散して、ただの友達の関係に戻ろうって決めて、THE MURDER CITY DEVILSは解散に至ったんだ。その後すぐヴォーカルのSpencer Moodyと、ノースダコタのバンド・godheadSiloのMike Kunkaも交えて、DEAD LOW TIDEっていうバンドを始めるんだけど、THE MURDER CITY DEVILSが解散してすぐだったから、時期が早すぎてうまくいかなくて。それで、しばらくはバーテンダーの仕事に就いたんだけど、ちょうど同じ時期にJared Warrenもバーテンダー稼業をやっていてね。お互いに以前のバンドで顔見知りではあったものの、最初は一緒に音楽やらないか?って声をかけるのに躊躇してたんだ。なにしろ、向こうはKARPとかTIGHT BROS FROM WAY BACK WHENみたいな名バンドでプレイしていた奴だから。でも、ある日、勇気を出して“どうよ、気が向いたら一緒にノイズでも?”みたいな感じで声をかけたら、“やるやる!”って乗り気で、早速リハーサル・スペースを借りて2人で音を出して、すぐに曲を作り始めたんだ。そのうち誰か他の人間を呼んで3ピースなり4ピースにしようかなとは考えていたんだけど、結局そのままツアーも始めて、2人体制で曲を作ってアルバムも出し、ずっと2ピースのベースとドラムと歌という体制で今でも続けているという(*1)、そういう流れ」
*1: 2008年から2012年にはトシ・カサイが加わるなど、一時的に人数が増えた時期もある。

――一時期BIG BUISINESSのメンバーにもなり、MELVINSにとっても欠かせない存在であるトシ・カサイさんについて、一体どういう人かを聞かせてください。
 「すごくおもしろい人で、もう大好き。仕事ぶりが超一流なのは言うまでもない。自分が一緒に過ごした経験から言うと、とてもドライなユーモア・センスの持ち主で、皮肉が利いてるっていうか、鼻であしらうのが上手くて……無愛想にボソッと、取りつく島もないような内容をサラッと言ってのけるんだ。だから一緒につるんでいて全然飽きない。一緒に作品を録るのも、ツアーするのも楽しいし、当然、一緒に音を鳴らしていても最高に楽しいね。 仲間内みんなから愛されているキャラだよ」

――その後BIG BUSINESSは2人ともMELVINSに加入し、あなたとDaleのツイン・ドラム編成で注目を浴びましたが、さっきの話を聞くと、ほとんど夢が叶ってしまったような経験だったのでは?
 「マジでそう!話が来て“うわー、マジか⁉”ってなった(笑)‼ それ以前にも、Dale CroverとDave Grohlの2人で叩かせようってアイディアがあったみたいで、ずっと温めていた計画だったらしい。そこでツイン・ドラムが再浮上して、声をかけてもらったわけ。しかも完璧だったのは、俺は左利きでDaleは右利きだから、2台のドラムを並べて設置するとき、ハイハットは外側、タムタムを内側に配置して鏡合わせみたいなかたちで組んだんだ。プレイし始めてすぐ“2台でも全然バッティングしないじゃん”って気付いたよ(笑)。最初のセッションに呼ばれてLAまで行って演奏してみて、“これならイケる”っていうことで、その場で即採用。こっちからしたら、マジで信じられないっていうか、とんでもないことだったよ。10代の頃から追っかけてるバンドなんだから‼ いまだに忘れられない瞬間だ。自分にとってヒーローであるDaleと一緒にドラムを叩けるなんてね!」

――そして「FUJI ROCK FESTIVAL '09」に出演するわけですが、あなたにとっては初めての来日になるんですよね。
 「そうだね」

――そして2度目の単独来日時に、大震災に遭ったと。
 「そう、2011年。MELVINSのツアーがニュージーランドから始まって、そこではクライストチャーチで地震に遭遇し、そこからニュージーランドを何ヶ所か回って、オーストラリアに北上してSoundwaveフェスに出演した後、日本入りして大阪、名古屋でライヴをやってから東京で公演を行なう予定だった。そうしたら会場に着いて、ちょうどサウンドチェックを始めたところで地震が起きて、もちろんライヴは中止だし、日本を退去するしかなかった」

――実は、あの場に私もいたんですよ。
 「マジで?あの会場の中に?」

――はい。インタビューする予定で、待機していたんです。
 「うわー、そうなの⁉ マジでヤバかったよな。本当に怖かったんだから!わけがわからないままステージ脇にある非常階段を出て、地下の駐車場に移動させられてさ。 出口がどこかもわからず、ステージ脇の扉を出たら階段があったんだけど、3~2階分くらい下に降りなくちゃならなくて。ビビって一度上に戻ったら、エレベーター前でJaredと出くわして。たった4分の間だったけど、時間が止まったみたいに感じられたよ。ようやく会場の外に出て、通りを挟んですぐの距離にあったホテルに帰った。BuzzとDaleはすぐ飛行機で日本を発とうとしたものの、成田空港まで車で移動するのに8時間もかかったんだって。俺とJaredは、そのまま2日間東京に残っていたんだ。あの状況で空港に移動したところで、日本から退避しようとする外国人で空港はパニック状態に陥ってそうだったからね。特殊すぎる経験だったよ。同じツアーで2度も歴史に残る巨大地震に遭遇するなんて……。地震後の日本滞在中は、余震や、次にまた大きな地震が来るんじゃないかっていう恐怖で気が気じゃなくて……あれは忘れられない経験だった。だから暴食暴飲してカラオケで歌って、できるだけ恐怖を紛らわせようとしてたんだ。 あのときのことは一生忘れないだろうな」

――そんな経験を共にしたHIGH ON FIREに今あなたが加入してるっていうのは、なんだか不思議ですね。
 「それもまあ、縁だよね。とはいえ、連中とはかなり前からの付き合いになるけど」

――ちょうどHIGH ON FIREの話が出たところで、最新作『Cometh the Storm』のレコーディングはいかがでしたか?
 「最高だったよ。マサチューセッツ州のセーラムで、過去何作かを手掛けてくれたKurt Ballouと一緒にレコーディングしているんだけど、彼はバンドの音を捉えることにかけては的確なセンスの持ち主だ。俺自身もレコーディング・オタクだから、とても勉強になったよ。実際、素晴らしい仕事ぶりだったし、それを間近で見ることができて本当に良い経験になった。アルバムのデモに関しては一応すべて自分たちで作っていて、Kurtの眼前でそれまでの成果を披露しつつ、さらにそれが彼の手にかかるとどういう風に化けるのかを目撃することができて貴重な体験だった。まさにKurtマジックが炸裂で、壮大な最高の音に仕上がってるよ。マジでヤバいから!超ビッグでドカンとくるサウンドなんだ!」

――HIGH ON FIREでも、ぜひ来日してください。
 「それはこちらも望むところだよ!近い将来また日本に来られたらいいな」

――あなたは現在こうしてMELVINSに参加してますし、Jeff MatzもMUTOID MANをやってて、スケジュール調整とかなかなか難しいのではないでしょうか?
 「とりあえず特に問題はなく普通に調整できてるけど……今のところはね。バンド内でカレンダーを共有していて、スケジュールが決まったらそれを埋めてく体制にしてるから、バッティングしてトラブルが起きたことは今のところない。早いうちに予定がフィックスしていれば、残りのメンバーもそれに合わせてスケジュールを調整できるし、今のところそれでうまく回せているよ」

――なるほど。
 「自分に関しては、今4つのバンドを掛け持ちしているから、できる範囲でやりくりしようと最大限に努力してる。THE MURDER CITY DEVILSはわりと単発であちこちツアーするスタイルなのに対して、MELVINSとかHIGH ON FIREは長期のツアーに出る感じだから、そこはスケジュールがバッティングしないように先手を打って調整してる」

――さっきの地震の話は、最悪な経験のひとつだったと思うんですけれども、 逆にミュージシャン人生で最高の経験といったら何になりますか?
 「その質問は難しいな……ただ、思い浮かぶのは、やっぱりMELVINSで最初にツアーしたときのことだね。3ヶ月っていう長期のUSツアーで、最初はめちゃくちゃビビってたし、同時にエキサイティングでもあり……自分自身もコアなMELVINSファンだから、ファンがどれだけこのバンドに対して思い入れが強いかっていうことはよくわかっているつもりだった。あれだけ愛されている、もはやレジェンドであるDale Croverの横でドラムを叩く奴のプレイを品定めしてやろうって、みんな当然思うわけじゃないか。そりゃ、俺だっておこがましいことくらい百も承知だったよ。だから最初は少し時間がかかったけど、結果的には受け入れてもらって、しかもあのツアー自体がめちゃくちゃ楽しかったから、自分にとってはまさに“新たな始まり”みたいな感じだったんだ。それに、自分がMELVINSに入って最初に作ったアルバム(『(A) Senile Animal』2006, Ipecac Recordings)を聴いたときの感動も忘れられない。ちょうどLAを車で移動中に最終ミックスを聴いたんだけど、“わー、めちゃくちゃいい音じゃん‼ こりゃいいわ‼”って、すごく熱くなったのを覚えてる」

――あなたが参加してツイン・ドラム体制で作られたMELVINSのアルバムは3タイトルあって。
 「そう、アルバム3枚とEP1枚(*2)かな」
*2: 『(A) Senile Animal』2006, Ipecac Recordings / 『Nude With Boots』2008, Ipecac Recordings / 『The Bride Screamed Murder』2010, Ipecac Recordings / 『The Bulls & The Bees』2012, Scion A/V

――今回の東京公演では、そのうちの1曲「A History of Bad Men」を演奏してましたよね。ツイン・ドラムで作った曲をあなた1人で演奏するのは大変だったりするんでしょうか?
 「1人でもできる曲はけっこうあるよ。だいたいDaleと2人で一緒に叩いて、後からパートを2つに分けるかたちで作っているから、スタジオ版と全く同一っていうわけにはいかないけど、どちらか一方だけで叩いても成立するようにはなってる。自分が不在のときにDaleがツイン・ドラム曲を1人で叩くこともあるしね。そうなると2台分のドラムを1人でカヴァーすることになるから、大変っちゃ大変だけど。とはいえ、できない曲はないはず。どちらか1人だけで叩いても“あの曲だ”ってなるはずだよ。とはいえ、もちろん2台あったほうが最強に決まってるけどね。またいつかツイン・ドラム形式で演奏する機会もあると思うよ」

――あなたは左利きのドラマーですが、そのことで不利だとか得したと思うようなことはありますか?
 「うーん……どうだろう。単に左利きっていうだけで、右利きのドラマーと基本的には変わんないんだよな。まあ、左利きのドラマーの中にはハイハットとスネアを交差する代わりにオープンで叩けるように、キックドラムのフットとスネアのハンドラーを同じ側に配置してるドラマーもいる。それこそClem Burkeとか、左利きなんだけど右利きのドラマー用のセットで、左でリードを取って演奏するんだよね。普通は右利きのドラマーだったらフィルも右から入るんだけど、Clemの場合は通常の右利きのセットなのに左でそれをやるから、全部あべこべで違和感あるし、サウンドのほうもなんかやっぱり少し違う。ただ、俺のセットの場合、サウンドチェック担当なんかにとっては面倒なんだろうね(笑)。例えば、何組かのバンドが出演するようなショウで、中盤のステージに登場する場合、たいていドラム・セットはそのままステージに置いてあるのを使い回すことが多いわけだけど、俺が入るといちいち全部を逆向きに組み直さなくちゃならないから(笑)」

Coady Willis | Photo ©saylaphotos

――なるほど(笑)。では、今後どういう活動をしていきたいか、長期的なヴィジョンを教えてもらえますか。
 「とにかくレコーディング技術とプロデューサーとしてのスキルを磨いていきたいから、それに向かって着々と努力している最中だよ。他のバンドがアルバムを作るのに協力したいし、サウンド作りにも貢献したい。それはすでに実現しつつあって、例えばTHE MURDER CITY DEVILSの7"を作ったとき、レコーディングからミックスまで自宅のスタジオで俺が手がけたんだ。そして今後の計画については……あー、やっぱり具体的なかたちになってから話すことにする(笑)。それから、パンデミックの期間中ツアーに出られない代わりに、知り合いのバンドのドラム・セッションにリモートで参加できるように、自分の住んでいるLAにドラム・スタジオを建てたんだけど、人生の後半戦に差し掛かってからまた新しいことを始めるっていうのが新鮮で。この歳になって初めて、コンプレッションについてとか、純粋なサウンド作りから音楽を見る視点が生まれて、また新たに音楽と出会い直したような気分なんだ。昔散々親しんでいたレコードを久々に聴いて、それまでとは全く違う新たな観点から作品の良さが理解できるようになったりもして、本当に貴重な経験だと思うよ」

Coady Willis Instagram | https://www.instagram.com/coadyscottwillis
BIG BUSINESS Instagram | https://www.instagram.com/bigbigbiz
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MELVINS Linktree | https://linktr.ee/melvinsdotcom
THE MURDER CITY DEVILS Official Site | https://themurdercitydevils.com/