文・撮影 | 小嶋まり
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わたしの家はインターホンが壊れている。7年近く空き家になっていた間に作動しなくなってしまったらしい。わたしがこの家に住むようになってから、自分でできる限りのことを施してみたけれど、うんともすんとも言わなかった。家の中にはほかにも修繕しなきゃいけないところがたくさんあったので、結局インターホンの修理は後回しになってしまった。
祖母がこの家に住んでいた頃、来客でインターホンを使う人はほぼいなかったらしい。そもそも祖母は戸締りなんてしなかったので、玄関から勝手に入ってくる人や外から大声で呼びかける人がいたりと筒抜けになっていた。祖母が認知症になって施設に入ることになったとき、どこを探しても玄関の鍵が見つからなかったらしく、実は今も玄関の鍵はないままである。玄関のロックは特殊な構造になっていて作り直すことができず、出かけるときは面倒だけれどもいつも内側から鍵をかけ、唯一鍵が残っていた勝手口を外から施錠する。
ある日、スポーツブラにピッタピタのジムタイツという姿で筋トレをしていたら、わたしの背後にある勝手口が突然開き、驚いて振り向くと同じく驚いた顔をしたおじいさんが立っていた。そして、これを、、、と、回覧板を渡された。家の中は完全なるプライベートな空間だと思っていたけれど、この地域ではその概念はなく、どかどかと他人が入りこんでくるあやふやな場所になってしまっているようだった。おじいさんの侵入後すぐ、信じられないとぷりぷり怒りながら両親に電話をかけ、近所のおじいさんが勝手に家に入ってきたと伝えると、田舎はそんなものだから、と言われた。インターホンがあろうがなかろうが、ここでは関係ないようだった。
祖母の家は通りに面した目につく場所にある。祖母は選挙のたびに知り合いに頼まれたからと、どんな政党でも関係なく選挙ポスターを見えやすいところに貼ってあげていた。選挙の時期になると祖母の家の壁面は選挙ポスターが右も左も一緒くたに貼ってあって、混沌としていた。わたしがここに住み始めた春先、近所のおじさんが選挙ポスターをわたしの敷地内に勝手に貼り出したことがあった。支持する気なんて微塵もない政党のポスターだった。そもそもなぜ無断でわたしの空間に入り込んでくるのか。怒り狂ってそのおじさんに電話をすると、気の弱いおじさんで、仕事の関係で頼まれて断れずいつもお宅の庭に貼らせていただいていたので、、、大変申し訳ない、、、と謝られた。わたしはぷりぷり怒ったまま電話を切った。優しいおばあちゃんの怖い孫が今あの家に住んでいると、近所の人たちに囁かれているに違いない。
今朝、居間のソファーでごろごろしていたら、勝手口からごめんくださいと聞こえた。扉を開けると、紫色の袱紗を手に持った見知らぬ人がいた。こちらは福田さんのお宅でしたっけ?と聞かれ、いえ、違います、福田さんは存じ上げません、と伝えると、そうですか、それでは、岡さんのお宅はご存知ですか?と聞かれたので、多分あちらだと思います、と、不確かに指差した。
昼過ぎに実家を訪ねると、父宛ての年賀状がまとめて置いてあった。チラッと見てみると、母の幼馴染であるわたしのお隣さんが両親に送った年賀状があった。そこには、娘さんは毎日元気そうにお過ごしですよ、と書いてあった。わたしにとっては、すれ違いざまに挨拶する程度のお隣さんである。どこかから見られているだろうか。そのあけすけさにギョッとしたけれど、あちらはただ素直にわたしの安全を気遣って接してくれているだけのような気もする。
わたしはここに住んでいながらも周りに誰が住んでいるのか、誰に不幸があったのか、何が起きているのか、何も知らない。その上、誰がどんな思想を、どんな理由で持っていようとも、自分のものとそぐわなければ聞く耳を持たず、ぷりぷり怒ったりしている。でも、事細かに思い返してみれば、わたしが忌み嫌う田舎のあやふやさというのは他人を受け入れる寛容さであり、祖母やご近所さんたちがその寛容さと互助会精神で長い間育んできた関係性を理解しようともせず、他人の領域に土足で踏み込むような文化は前進的じゃないと切り捨てるような態度をわたしはとっているだけではないだろうか。逆に、よそ者気取りでそこらじゅう踏み荒らしているのはわたしではないだろうか。リベラルを気取りながらも閉鎖的な自分がいる。
年老いて一人暮らしだった祖母が玄関に鍵をかけなかったのは、扉を開けて自分の安否を気遣ってくれる仲間が周りにいたからであって、施錠をしないことが逆に自分を守る術だったからかもしれない。お互いの繋がりに血が通っているような温かみがある。生身の信頼、というものがここに根付いていると思った。