Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 毎日うだるような暑さとずっしりとした湿気に体力を奪われる。調べてみると、島根は全国で2番目に湿度の高い場所らしい。でも、まとわりつく鬱陶しい湿気のおかげか肌の調子はすこぶる良い。

 こちらに引っ越すことなんてまだ考えていなかったとき、吹き出物が顔中にできて赤く腫れ上がり、病院に通ってもたぶんストレスのせいだろうと診断されるだけで、処方された軟膏をつけたらさらにただれてしまい、これはもう治らないかもしれないという絶望で毎日こっそり泣いていた。そして、たかが皮膚、すぐ治る、きっと大丈夫、という無責任な励ましにさらに涙していた。ちょうどコロナ禍でリモートワークの最中、久々に出社すると上司がわたしの顔を見るなり、まぁかわいそうにと、真っ向に憐れんでくれたのにとても救われた。なんせ、真っ赤に腫れ上がったでこぼこの皮膚に無理矢理ファンデーションを塗り込んでいたわたしは間違いなくぼろぼろでかわいそうだった。それから6ヶ月後、ようやく完治に近づいた頃には引越しの手続きを始めていた。

 引っ越してからは真冬の古民家の風呂場の寒さに耐えられなくなり、近所にある温泉のマンスリーパスを購入して毎日通うようになった。広々とした内風呂と露天風呂にサウナ付きで1ヶ月1万円、悪くない。昼食どきに温泉に入りに行くと、人はほぼいない。露天風呂に浸かり、岩を枕にして空を見上げ、白鷺が高いところを横切って行くのや、飛行機雲を描きながら飛ぶ機体、どんどん表情を変えて流れていく雲の様子をぼんやりと眺める。都会に戻らないのかと人に聞かれるとき、どうだろうと曖昧な返事をしてはっきりと理由を語ることはないけれど、温泉に浸かって干渉することもされることもない外界を眺めるのが好きだからというのは、こちらに留まっているわりと大きな理由のひとつである。

 昼を過ぎると常連さんが増え、サウナにはサウナキャップを被って美顔ローラーで全身くまなくマッサージしたり寝転がったりする地元の老人たちでいっぱいになる。老人たちの視線の先にある大きなテレビからはポケモンやヒロアカが流れていて、果たして老人たちは目まぐるしく展開する物語とテンションを理解できているのだろうかと不安になる。夕方を過ぎると歌番組が増え、懐かしの名曲が流れるとそれに合わせて口ずさむ人もいる。いい光景だなと思い眺めていたらその人が突然、高岡早紀はとんでもない女だとか罵り始めるから気が抜けない。ここは政治的に保守派が多い地域だけれども、選挙の時期にはもう自民党には票を入れないよと語り合う老人たちが集ったりしていて、ちょっとした意見交換の場にもなっているようだった。

 一昨日は、腰が曲がり切ったおばあちゃんの手を取り、入浴のお手伝いをしているお孫さんを見かけた。お風呂から上がるとドライヤーで丁寧におばあちゃんの髪を乾かしてあげていた。わたしはそんな優しい孫になれたこともないし、40歳を過ぎても子供もいない。孤独を操りながら、わたしは腰が曲がっても1人でサウナに入りアニメを見て元気に過ごせるのだろうか。この小さな広場には素っ裸の人生が凝縮されていて、それぞれの姿にわたしの未来をあてはめながらも逃避を求めるように、開けた空に広がる星を眺めたりしている。ふと、麓 健一の「ダンスホールの雨」が脳内で再生され、痛いほど沁みてしまう。

01 | 27 | 29
正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。