Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 小学生のころ、学校の帰り道にくたくたに古びた牛小屋があった。糞尿の匂いが立ち込める狭苦しい檻の中には、大きな牛が2頭いた。フンがびっしりこびりついた牛の腰には蠅がたかる。壁にあいた小さな窓からはアスファルトの道路しか眺めることができない。

 不幸な場所だ。前を通るたびにそう思った。不潔で自由もない。そんな牛でも、もしかしたらのびのびとした夢を見るのかもしれない。でもきっと広々とした草原も知らないし、澄み切った空気も知らないだろう。閉ざされた今にも崩れ落ちそうな小屋が、何も知らない牛にとっては幸せの場所なのかもしれない。

 ある日、牛小屋の前を通ると真っ白い子猫が柵の前にいた。薄暗い小屋の中に子猫の純白がきらりと浮かび上がる。わたしは牛の前をよちよちと歩く子猫の後を追った。ふんわりとした毛並みを後ろから撫でようと手を伸ばすと、子猫がこちらを振り向いた。焦点があっていない狂気じみた目がこちらを睨む。わたしはぞっとした。次の瞬間、老婆のようにしゃがれた声を喉の奥から絞り出しわたしの手に思い切り噛み付いた。牙がわたしの肌を突き破り、あいた穴から血が流れ落ちた。驚いて手を引っ込めると子猫は納屋の奥の方へよたよたと走っていった。病気を持っている猫かもしれない。わたしは不安になった。ポケットからハンカチを取り出して傷口を押さえながら家まで急いだ。家に着く頃には、手が赤く腫れ始めていた。わたしの説明を聞いた母はなぜあんな汚い所で馬鹿な真似をするのかと怒りながらわたしを病院へ連れて行った。

 薄闇の中の希望。わたしはそれを過信した。子猫の可愛いい後ろ姿に目も眩んだ。やはりあの牛小屋は病原体の塊のような場所で、陽の光を自ら遮りながらただ朽ち果てていくのをじっと待っているだけのようだった。

 先日、何十年ぶりかに牛小屋の横を通ったけれど、もう跡形もなく解体されて更地になっていた。あの子猫は無事に生き延びどこか他の住処を探せたのだろうか。あの牛たちは無知なまま、牛小屋とともに最後を迎えたのだろうか。灰色がかったアスファルトで固められた小屋の跡地は、鈍く光を反射していた。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。