Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 現在、遠距離恋愛をしている。その上、恋人は1ヶ月おきに出張で海外へ行ってしまう。その間は忙しいし拗らせても解決しづらいので争いごとを避けるというルールを設けている。わたしは彼に甘えきっていて、まぁ(まり、わたしのこと)、今日とてもたのちかったのぉぉぉ(今日とても楽しかったんです)とか、近しい友人にも見せられないくらい全力のぶりっ子で彼と喋るし(おもしろいから)、カウンセリングと加齢のおかげかメンヘラの頂点にいた若い頃と比べて物事の伝え方もずいぶん穏やかになり、あまり喧嘩という喧嘩もせずに比較的平和に過ごしていた。しかし先日、海外出張中の彼氏から電話がかかってきたとき、わたしは非常に調子が悪かった。今は話せないから後でね、と手短に伝えればよかったけれど、まぁだおぉぉ(まりです)おはなちしたかったおぉぉぉ(お話ししたかったんですよ)、と調子よく電話に出てしまった。最近、何事においてもスランプを感じているのを彼に気付かれたくなかったから連絡するのを極力控えていたのに。

 振り絞る限りの気力で恋人と話しているうちに、なんでわたしは恋人、いわば他人、いわば知らざる人間のために気丈に振る舞わなければいけないんだろう、と悶々としてきた。理不尽な甘え。わざわざ忙しいなか電話をしてきてくれた彼は一切悪くない。けれど、わたしは無理をしている、わたしはかわいそう、という非常に一方的な被害妄想に駆られて沸々と怒りが込み上げ、大爆発してしまった。わたしに無理させやがってというあまりにもちぐはぐな怒りは次から次へと飛び火していき、過去のことを抉り出すねちっこい話にまで発展した。彼は、日本に帰るまで話したくないと言って電話を切った。ギャー。わたしは発狂した。なんて優しくない奴なんだ、無礼者め、こちらこそ願い下げだ、なんて思っていたけれど時間が経てば冷静になり、支離滅裂な怒りを彼にぶつけてしまった罪悪感に苛まれた。わたしは今すぐにでも謝ってなんとか解決したい。でも、彼は連絡を絶ち時間を置くというオプションが欲しい。その場しのぎのような謝罪より彼の要望を聞く方が無難だと思い、電話するのをグッと堪えた。でももし、この冷却期間中に彼が別れを決意してしまったらどうしよう。別れるか別れないかという極端な選択に振り回され、毎日涙して過ごすこととなった。

 幼い頃、やみくもに正義を振りかざす戦隊モノを見すぎたせいなのか、高校大学時代にディベートの授業を無理やり受けさせられたせいなのかなんなのか、両極のうちどちらが正しいのかをすぐに求めようとする癖がある。正義と悪、正解と誤答、白黒はっきり区別してどちらに軍配が上がるかを考えるプロセスが身に染み付いてしまっていて、白黒の間にあるグラデーション、いわゆるグレーゾーンに漠然と留まることはわたしにとって最もの苦痛である。千葉雅也の『現代思想入門』(2022,講談社)を読み、この世の中、二項対立の中間部分をうまく捉えなくては!なんて覚醒したように自戒していたはずなのに、いざ板挟みとなる問題が目の前にあると然るべき答え探しに執着してしまう。

 先日東京へ行き、友人宅に集まったときに、グレーゾーンに耐える力こそわたしに必要なものなんだよなぁと語ったところ、それってネガティヴ・ケイパビリティと呼ぶんだよ、と友人が教えてくれた。博学なみなさまはすでにご存じであろうこの言葉をわたしは知らなかった。気になったので帰宅途中に調べて、イギリスの詩人ジョン・キーツが1817年に記述した言葉であるということも知った(ウィキペディアで)。もう200年もの間語られており、数多くの哲学者をも感化したというこの言葉にわたしは奮い立たされた。とりあえず、求めずに委ねよう。

 喧嘩から2週間後、帰国した彼からただいまと連絡がきた。いつも通りだった。安心したけれどまだ彼は悶々としているに違いないと思い、調子はどうかねと尋ねると、信頼してもらえるように動いているから信じてほしいし、難しいかもしれないけれど理不尽だったり過去をいじくり回すような喧嘩はもう二度としたくないと言われた。強めに。わたしは、甘え腐って駄々をこねたがる自分を抑制しきれるかなんて確証できないと思いながらも、まぁ前向きに進むしかないかと思い、そうだよね、楽しく過ごそうね、と返した。何時もわたしにまとわりつく答えの出せない曖昧さとそれに伴う不安。うまい具合に共存していけたら。

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。