Column「平らにのびる」


文・撮影 | 小嶋まり

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 暇なとき、本を読むとか有益なことをすればいいんだけれど、延々とミームを見続けてしまう。短時間に見事に詰め込められた刺激が強めの起承転結にアドレナリンは大放出状態、次から次へとエンドレスに流れる映像に釘付けになると、いつの間にか数時間経っていることもある。あぁ人生思いっきり無駄にしてるなぁ~と反省しつつも、ダラダラと見続けてしまう。だっておもしろいんだもん。

 数多あるミームの中でもお気に入りなのが、アメリカの死刑囚の最後の晩餐を実際に再現して食べてみる、というやつである。そのラスト・ミールの内容は、食に対する欲望の詰まったヴォリュームたっぷりなものから、フルーツだけのシンプルなもの、そしてある死刑囚に関しては埋葬された後に自分の体から芽が生えればと種入りのオリーブ一粒だったりと、様々である。最後の食事にはその人の生まれ育った環境や、思い出だったり嗜好だったりが投影されていて、その人の在りかたをまざまざと象徴するものになっているな、と感じさせられる。わたしは人生を終えるとき、一体何を食べたいんだろう。

 昨日、「安住紳一郎の日曜天国」(TBSラジオ)のアーカイヴを聴いていたら、料理評論家の山本益博さんが最後の晩餐は白いご飯にお醤油を2、3滴たらしたものをいただければ、と語っていたという話が出て、ちょっとお下品に感じるお醤油かけご飯がなんとも気高く粋な生き様を語るアイテムになり得るということに衝撃を受けてしまった。山本益博さんという、落語を愛し、食を極めた人柄と研ぎ澄まされた美学がまさに反映された一品である。最後の晩餐は、質の高い大喜利のように思えてきた。

 みんなは、最期に何を食べたいんだろう。気になってしまったから、常に自然体の孤高の音楽家であるユンキー・キムに、死ぬ直前に何食べたい?と突然メールしてみた。先ほど、ポッサムかなぁ、と返事が来た。一粒で二度も三度もおいしい食事だ。いいなぁ。

 わたしは格好つけちゃいそうだし、まだまだ自分の美学を磨き上げきれていないので、人生最後に何が食べたいのかはわからないけれど、わたしを形取るような食事、楽しみである。みなさんは最後の晩餐、何を食べたいですか?

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正編 | トーチ (リイド社) 「生きる隙間
Photo ©小嶋まり小嶋まり Mari Kojima
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ライター、翻訳、写真など。
東京から島根へ移住したばかり。