他の人々が言うことをそのまま繰り返さない
そんな彼がバンドでの経験を綴った著作『きょうは世界の誕生日 Heute hat die Welt Geburtstag』の邦訳版(東宣出版 | 訳 小林和貴子)が9月に刊行された(本国では2017年発売)。楽屋裏の待機時間から始まり、ライヴ本番の描写へと進みながら、次々に過去の思い出が挟まれていく内容は、熱心なファンはもちろん、多くの人が楽しんで読めるものになっていると思う。
RAMMSTEINは近年ほとんど取材を受けていないが、この本の著者としての個人的なインタビューなら応じてくれるとのことで、ここに貴重な機会が実現した。
取材・文 | 鈴木喜之 | 2022年12月
通訳・翻訳・協力 | 小林和貴子
Main Photo | ©Matthias Matthies
――現在はいかがお過ごしですか?RAMMSTEINのツアーが再開されるまで、少しはゆっくりできるのでしょうか。
「今は家族のために、あれこれクリスマスの準備をしているところですね。2023年の1月には、この本(『きょうは世界の誕生日』)を朗読するツアーがドイツで予定されています。というのも、この計画はコロナ禍の影響で2年ほど延期になってしまっていたので。そんなわけですから、あたかも本が出版されたばかりであるかのように、今になって朗読ツアーをすることになっているんです」
――今回は、その『きょうは世界の誕生日』についてのインタビューになります。まず、あなたは、もともと文章を書くことが好きだったのでしょうか。これまでに日記をつける習慣があったりはしましたか?
「ええ、日記は書いていたことがあります。でも、18歳のときにストーブで燃やしてしまいました。とっても恥ずかしかったから(苦笑)」
――きっと貴重な宝物だったでしょうに!何歳の頃に日記をつけていたのですか?
「12歳のときからですね」
――12歳から18歳まで?
「いえいえ、16歳で日記をつけるのはやめました」
――手紙などもよく書いていたのですか?詩とか、短編小説とかは?
「いいえ、書いたものといったら、たいてい歌詞でしたね。短い詩と言うべきかな。自分が歌えるようにね。歌詞がないと、歌っていうのはどこかいつもむき出し、素っ裸になっちゃうというか……(照笑)、薄っぺらいっていうのかな」
――あなたの文学的なバックグラウンドを知りたいのですが、愛読書とか、好きなジャンル、尊敬している作家などについて教えてください。
「好きな本というのは、年齢とともに変わってくるものです。子どもの頃はエーリヒ・ケストナーが大好きでした。その後は、旧ソヴィエト出身の作家アレクサンドル・ヴォルコフ(Александр Волков | 邦訳未出版)。それからアメリカ人の作家が続きます。アーネスト・ヘミングウェイ、カート・ヴォネガット・ジュニア、ジャック・ロンドン……子どもの頃は、冒険小説が好きでしたね。東ドイツでは旅行ができませんでしたから。だから本の中で旅に出ていたんです」
――お気に入りの作家ナンバーワンは、と訊かれても、なかなか答えにくいですか?
「そうですね……でも、ジョルジュ・シムノンは断トツで好きです」
――自分自身の文学的な素養みたいなものが、その後の音楽表現においても反映されていると感じたりすることはありますか?
「……子どもの頃は、本と音楽が私の素晴らしい逃避先になっていました。つまり、自分自身の世界に引き籠りたくなったら、音楽を聴くか、本を読むかしていたのです。その際、両者はたがいに独立していました。推理小説を音楽的に理解するとか、そういうのはうまくいかないですし(苦笑)。音楽的には、私はブルーズで育ってきました。父親がジャズとブルーズをよく聴いていたので。私もブルーズを演奏しようとして、それで小説はアメリカのものを読みました。ということは、ひょっとしたらそこには繋がりのようなものがあったのかもしれません。そうすることによって、アメリカを追体験しようとしていたのでしょう」
――小説を読んでいるときに、頭の中で音が鳴り響くなんてことはなかったのですか?
「ない、ないです。そういうことは私にはありません」
――『きょうは世界の誕生日』は、構成が非常にユニークで、ライヴの待ち時間から始まるリアルタイムの描写に、次々と様々な回想が挟まってくるかたちになっていますね。どのような意図で、こういった書きかたにしたのでしょう。
「最初に、書き留めようと思ったいくつかのアイディアやおもしろい出来事がありました。例えば、特定のMVの撮影風景や特定のコンサート、バンドの特定の時期について書く、といったことです。そういうわけで、いくつか緩く繋がった部分だけがあって、まだ上手くまとまってはいませんでした。やがて、自分がバックステージ・エリアでコンサート前の時間を過ごしている様子を書こう、というアイディアがふと湧いたんです。それで、その先はどうなって……と、起きたことをそのまま書いていくアイディアを得たら、あっという間に書き終えることができました。人々に少しでも説明したかったんです(笑)、バンドで活動するというのは実際にはどういうことなのかをね。それは、一般に想像されるものとは、たいてい全く違っているんですよ。子どもの頃、私はElvis PresleyやMichael Jacksonを聴いていました。私にとって、彼らのようなミュージシャンは神様と同じで、そういう神々がふらっと舞台に上がって、歌って、全世界がその足元にひれ伏す……彼らもまた生きている人間だなんて、ぜんぜん考えませんでした。でも、彼らだってトイレに行かなきゃならないし、夜は眠らなきゃいけないし、夫婦間にトラブルを抱えていたりもするし、調子が悪かったり機嫌が悪かったり……。光り輝く歌だけしか知らないものだから、私は想像だにしなかった。ああいうスターだって(笑)、音楽を作らなきゃならないって。コンサートという、あの短い時間の背後には、いかにたくさんの仕事があるか、ということをね」
――かなりヴォリュームがある本ですが、思いつくまま一気に書いてしまったようにも読めます。実際には、少しずつバラバラに書いたものをつぎはぎしたりとか、そういう編集的な作業もあったのでしょうか?
「いいえ。書いていったらこの順番になったということです。思いついたまま、書き進めていったんです。だから、ちょっと順番がぐちゃぐちゃになっているところがありますよね。思い出の順番が」
――なるほど。
「(本で描いている)この1日は、実際の1日ではありません。この日の中で起こったこともあれば、他の日に起こったこともあります。それを私が1日にしてしまったんです」
――さて、本の中で「自分はパンクだ」と書いていましたよね。これについて、もう少し具体的に説明していただくことはできますか?
「昔はもちろん、パンクとは、楽器を巧く弾けなくても音楽ができる、ということを意味していました。“パンクだ”と言うことで、私たちには多くの人と音楽を演奏できる自由が与えられました。ピアノ演奏やギター演奏の素養がなくても、音楽教育を受けていなくても、“SEX PISTOLSってカッコいいな、俺もああいう音楽をやってみたい”という勇気さえあればよかったんです。そんな感じだったから、音楽教育を受けていない人とバンドを組むことができて、これは幸運なことでした。それによって、良いバンドを作る可能性が広がったわけですから。現在では、パンクも変化してしまっていますね。私が今“自分はパンクだ”と言うときに意図しているのは、自分の内的な態度……細かいことにはこだわらない……そういう態度のことです。例えば、自分が見知らぬ人に対してどんな印象を与えるだろうか?といったことは、パンクの場合、全くどうでもいい。馬鹿みたいだ、なんて周りに思われても、気にならないんです。そういうことはしないもんだよ、禁止されているんだ、相応しくない、やるもんじゃない……そんな風に言う人がいても、私は笑って、どうだっていいんだよ、と言う。私は私のやりたいようにやる。自分が“心の中ではまだパンクだ”って言うとき、たぶん私はそういうことを言いたいんです」
――内面の自由と大きく関わっている、っていうことですね?
「そう。自由と、それから、他人の意見に振り回されないということ。他の人がそれをよしとするかどうかに関係なく、自分の道を行くんです」
――そのような態度を貫くには、勇気が必要ですよね。
「人からの期待に応えない、ということでもあります。だから、ファンの期待に応えられないこともありますね。人の期待に応えてばかりいたら、サービスするだけの人で、それは芸術家ではないので」
――では次に、この本の中で、あなたが飛行機恐怖症であるという話が出てきますが、これは『Reise, Reise』(2004)というアルバムのコンセプトを思い起こさせます。特に結びつくような何かはあるのでしょうか?
「あのアルバムの時点で、もう問題は克服していました。飛行機恐怖症に対処するために、私は様々な手を試していました。ポケットに御守を入れてみたり、香油を嗅いだり、精神安定剤を飲んでみたり。そうしたら飛行機から降りるとき、まともに立てなくて、ひっくり返ったり、次の日に巧く演奏できないこともありました。お酒も飲みましたが効き目はなく、状況は良くなるどころかさらに悪くなりましたね。催眠術をかけてもらったこともあって、それでもダメでした。唯一効き目があったのは、オーストラリアを巡るツアー(2001)でのことで、あのときは日本にも立ち寄ったのですが、オーストラリアでは大勢のバンドと一緒に、数えきれないくらい飛行機に乗ったんです。ミュージシャンが全部で400人はいて、みんな冗談を言って笑ったり、踊ったり、席から席へと移動したり。それで、“この人たちは、まるで地下鉄に乗るような感覚で飛行機に乗ってるぞ。これはいたって普通のことなんだ”って気づいたんです。あまりに頻繁に飛行機で移動していて、これはしょっちゅう恐怖ばかり抱いていられないと思ったら、少しずつ慣れていって、そうこうするうちに乗るのが好きになりました。だから『Reise, Reise』の頃には、状況は良くなっていました。そのことついての曲はというと、基本的に(ゲーテの)『魔王』の現代版なんですよ」
――「Dalai Lama」という曲ですね?
「そうです。(アルバムの中でも)この曲こそ旅についてのもので、飛行機に乗ることを歌っています。致命的なのは恐怖心なんですよ。歌の中で、父親は不安に駆られて子どもを窒息死させてしまう。父親が恐怖心を抱いていなかったら、何も起こらなかったでしょう……。言いたいのは、人が恐怖を抱く状況よりも、恐怖そのもののほうが危険だということなんです」
――その洞察に、あなたが飛行機恐怖症だった経験も関係していたと言えるでしょうか。
「それはそうですね。いろんな場面でも同じことが言えて、よくわかっていないものに対して、人間は恐怖を抱いてしまうものです。事柄と向き合うと恐怖心はなくなるのですが、この純粋な恐怖心と言うべきか、恐怖心だけがあると、人はときに軽はずみなことをしてしまう」
――「Dalai Lama」に関しては、わりと昔の曲にもかからわず、最近になってスロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクが大絶賛する文章を書いているんですが、それについてはご存じでしたか?
「いいえ、知りません」
――ジジェクはあなたたちの大ファンで、たびたび評論活動の中で引き合いに出して言及していますね。
「もうRAMMSTEINも結成して30年が経ち、私たち自身が文化史の一部になっていて、引用されることもあります。私たちにとっては、とても嬉しいことです。私たちも世界の一部になっているんだな、って実感できますね。ただ、私たちがバンドについて書かれた記事を読むことはめったにありません。他の人々の意見からは自由に音楽を作っていたいので。自分たちについてネットで検索するなんてこともしません。そういうことはするもんじゃないですよ」
――一応お知らせすると、彼の『分断された天』という本の第三十章で、飛行機恐怖症を現代のパンデミックの不安になぞらえながら、「Dalai Lama」で歌われる「私たちは死ぬまで生きなきゃならない」という姿勢を絶賛しているんです。
「人々が私たちの曲に、私たち自身が全く思いもしなかったことを読み取るというのがとても興味深いですね。この曲を作っていたとき、私たちはコロナ禍を予見していたわけではなかったんですから。人々が、曲の中にいつも新しい答を見出すんです。私たちは人々に“これこれを考えよ”と意図的に言いたくはありません。そうではなく、私たちが望んでいるのは、人々がそれぞれ自分で考えるのを学ぶことです。そして、他の人々が言うことをそのまま繰り返さないこと。私たちは、繰り返し言うべきスローガンを歌っているのではありません。それぞれに、私たちの曲と向き合ってもらいたい。自分の頭を使ってがんばって考える……私たちはそういうことが大切だと思っています」
――わかりました。この本を読むと、あなたが“観察者”なんだな、ということがわかります。私見では、キーボードというパートは、ロック・バンドの中でも“客観的な立場”を持つ傾向が強いんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
「(舞台の)後方に立っていて、中心にいないというのは、確実に気楽でいられるところがありますね。真ん中にいると、どうしてもたくさん動こうとがんばっちゃうんです。そういうことを、私はしなくていい。落ち着いて後ろに立ち、眺めていられる時間もある。そして、もともとバンドとあちこち移動する時間が好きなんですよ。それがツアー生活の最も素晴らしいところで、コンサート以上に、いろんな国々に行けて、見たり観察できることがたくさんあるのが良いんです」
――ちなみに、この本を、他のメンバーは読んだのでしょうか。読んだとしたら、どういう感想を聞かせてくれましたか?
「……読みました。感激してはいませんでしたね(苦笑)。というのも、ひとりひとりに自分自身の真実が……物事を見る視点があるわけです。それで、みんな自分が本の中でちゃんと注目されていないって思うんですよ。それ自体は全く以て普通のことで、ぜんぜん悪いことではないのですが、最初、メンバーは私に文句を言ってきました。“事前に話を通しておくべきだったぞ。あの件は全然違ったじゃないか”と言うので、それで私は“そうだよ、でもあれは俺が物事をどう見ているかっていう話だから”と説明したんです。そうしたら彼らは、“だったら、RAMMSTEINっていう言葉を使っちゃいけなかっただろう”って。それで私は、“RAMMSTEINとは書いてないよ”って答えました(笑)。メンバーは、この本を読んだ人々が“これはバンドの伝記なんだ”って思うんじゃないかと不安だったみたいですね。ですから、この本はバンドの伝記ではないんです」
――この本の続きとは言わないまでも、今後も著作活動を続ける気持ちはありますか?
「あります。もう緩やかなアイディアは浮かんでいるのですが、この本における“バックステージに座って1日を話す”というような、本を貫くアイディアがまだないのです。全体をひとつにまとめるアイディアが、まだ新しい本には見つかっていません」
――すでに書き始めてはいるのですね。
「そうです。書くのはいつでもできますから。書くということを、(他の活動から)分けることは決してありません。いつも並行してやっているんです。『きょうは世界の誕生日』も、ツアー中に書きました。飛行機の中とか、ホテルにいるときとか……逆に、紙を前に、机に座って“さあ書くぞ”と意気込んでも、全く何も思い付かないんですよ。仕事とか何かのついでじゃないと書けない。バンドとの移動中には、よくバンドのことを考えます。どんなところを改良できるだろう?とか、そういったことをね。ステージに立っていない今のような時間にも考えますね。だから仕事のないオフの日も、本当にオフなわけではなくて、頭の中ではずっと仕事をしているんです」
――そうすると、あなたの書くものには必ずバンドが内容に入りこんできてしまうのでは?
「そこは厳格に切り分けていますよ(キリッ)」
――(笑)。じゃあ、3冊目の本の内容については……
「それはまだ言えません!もし、うまく出来上がらなかったとしたら、マズい状況になりますから!」
――ともかく、3冊目にも期待しています。
「ええ、本を書くことは、すごく楽しいんです。いつかまともな本を書いてみたい、という願いをいつも抱いてきました。もう子どもの頃から本が大好きで、ずっと考え続けていました……作家たちにはどうして可能なんだろう?こういう世界に没入できるなんて……って。そういうことを、音楽をやるのと同様に学んでみたかったんです」
――さて、前回あなたにインタビューしたのは電話で、2004年くらいの話なんですが、そのとき「日本のファンに向けてメッセージを下さい」とお願いしたんです。そうしたらあなたは「メッセージなんて絶対に言えない、そういうことは全く考え付かないから、したくてもできないんだ」と言ってました。それがとても印象に残っているんですが、今日、同じ質問をしても、答は同じでしょうか。
「私の意見は変わっていません。答は今も同じです(笑)。私は、メッセージを与えなくていいように音楽を作っているんですから」
――では代わりに、過去、何度か日本に来たときの経験で、印象深かった思い出を教えてもらえますか?
「東京でおもしろいと思ったのが、通りによっては、とても馴染み深く感じて、非常にヨーロッパっぽかったことです。Apple Storeがあったり、Gucciの店があったり、高架鉄道が走っていたり。アメリカとか、フランクフルト・アム・マインでもおかしくないと思いました。一方、小さな点では全然ヨーロッパと違うんですね。すごく気に入りました。何か食べ物を見つけようとして、軽食を摂れるところを探していたときのことです。ショウウィンドウ越しに、人々が汁を飲んでいるのが見えたので、そのお店に入ってみました。テーブルに座ると、お茶が出てきて、汁もいただきました。すごくおいしかったです。それで、メインの料理を注文しようとしたら、人々がどうにかして、そこがレストランではなく、旅行代理店であると私に伝えてきたのです。みんなが飲んでいた汁は、お店からのおもてなしだったんですね。そのことを私は知らなくて、自分はレストランにいるのだとばかり思って、汁をすすっていました(笑)。私が旅の予約をしなかったから、お店の人たちはさぞかし驚いたことでしょう」
――本当に汁だったんですか?味噌汁?
「おいしかったですよ!鶏肉の味でした!客がひとりひとりもらっていたんです。おもてなしというやつですよね。日本人はびっくりするくらい親切で、私が何の目的でそこにいるのか尋ねもせずに、汁でもてなしてくれたんです」
――日本にも、あなたがたのファンはたくさんいるんです。ただ、今後ラムシュタインのライヴが日本で行われるのはかなり難しいだろうということはわかっていて……そんな状況ではありますが、例えば、あなた個人の朗読ツアーとかサイン会とかで、単身での来日であれば、実現の可能性はないでしょうか?
「ええ、喜んでやりたいと思います。ただ(やるとしたら)ところどころ、本を日本語で朗読できる人もその場にいる必要があるでしょうね。そうでないと観客がいつも翻訳を待たなければならなくなってしまうので……」
――通訳のことなら解決可能ですよ。ぜひ来てください!
「まあ、次のRAMMSTEINのツアーが終わってからですね。その後になれば、そういうことをする時間も取れます」
――よろしくお願いします。来年は、その1月の朗読ツアーを除くと、またその先はバンドとしての活動にずっとかかりきりになる予定なのですか?
「来年は5月からツアーに入ります。今年と同じステージで行ないますが、新曲もいくつか加えます。こういったことを来週(取材日は12月12日)話し合うことになっています。どの曲を演奏するか、演奏したいか、計画を練るんですね。来年のツアーはというと、今のところヨーロッパだけです」
――今後どれくらい、RAMMSTEINとしての活動を続けていこうと考えていますか?
「カッコよく見えている間は続けますよ。私たちはいつも映像をチェックしていて、それを観て、まだいけるかどうかを決めます」
――日本のファンはみんな、がんばってアメリカやヨーロッパまでRAMMSTEINのライヴを観に行っていますが、私ももう何回か、あなたたちのライヴを生で体験したいと思っています。
「ツアー日程はインターネットで公開中ですので、そちらで確認してください。ところで、日本語で“ありがとう”は、どう言うんですか?」
―― 「ありがとう」です。
「(日本語で)アリガトウ!」
――ダンケ、ダンケ!
「どうぞ良いクリスマスをお過ごしください!」
■ 2022年9月8日(木)発売
フラーケ 著
『きょうは世界の誕生日』
小林和貴子 訳
東宣出版 | 2,850円 + 税
四六判 | 365頁
ISBN 978-4-88588-106-0
ザ・ラムシュタイン物語
ドイツ最大級のバンド、ラムシュタインのキーボード奏者フラーケによる、エキセントリックなバンド回想録。
本書でフラーケは、ラムシュタイン結成当初からバンドが歩んできた軌跡を、今日(こんにち)のラムシュタインのある一日と重ねて描いている。
きょう、バンドはブダペストでのコンサートを控え、フラーケがホテルから会場に向かうところから話は始まる。シャトルで移動するさなか、ふと過去の情景がよみがえってくる。会場に到着し、コンサート前の楽屋での静かな時間、次第に慌ただしくなっていくコンサート準備の様子、待ちに待ったコンサート、その後のパーティー、ホテルに戻ってつかの間の休憩、そして次の日はザグレブのコンサート会場へ――ラムシュタインにとって、もはや代わり映えのしない一日の光景の中で、バンドとの出会い、初期のいわゆる下積み時代、世界での成功、成功を手にしていま思うこと等々が、様々なエピソードを通して語られる。
要するに、俺たちのバンド史のはじめには、ひじょうにスリリングなコンサートの時代があった。西ドイツではいまだに外国旅行をしている気分だった。人々が快く受け入れてくれなかったわけじゃなかったが、俺たちはまだ無名だったから、ほとんど誰も来なかった。ハンブルクのクラブ・ロゴで演奏したとき、数えられる観客は八人だった。まさにその八人を、俺たちは味方につけようとした。それがまた面白かった。ドイツで最初の成功を手にしたあとで、ひょっとしたら俺たちは、だから喜んで外国に赴いた。ひたすらまた見知らぬ人々の前で演奏するために。
――本文より
■ ラムシュタイン・ファン・ナイト第3夜
『きょうは世界の誕生日』出版記念