Review | トラのベビータオルケット


文・撮影 | 梶谷いこ

 使い古しのバスタオルを捨てるのは、とても骨が折れる。夫の許可がなかなか下りないからだ。1度目の打診で、夫は必ず渋る。「せっかくここまで育てたのに」。夫にとってタオルは、肌触りがバサバサで、クタクタであるほど良い。だから新品の、ふわふわの時期をじっと耐え忍び、数年かけてやっとバスタオルを“育て上げる”。真ん中のよく使う辺りが薄っすら黒ずんでしまっても、そんなことはお構いなしだ。むしろそれで上等と思っている気がする。当然、一度目の交渉は決裂する。2度目の打診で態度は多少軟化する。「もう少ししたらね」。お別れの覚悟を決めるには時間がかかる。愛用の品ならなおさらだ。3度目の打診でやっとお許しが出る。処分はすみやかに、夫の目につかないところで。小さく切ってウエスにし、家に私一人きりのときに自転車や窓を磨く。

 「ライナスの毛布」ならぬ「カジタニのバスタオル」だ。バスタオルだけじゃない。肌着も、靴下も、部屋着のトレーナーも、クタクタの、ボロボロの、その先までいってやっと役目を解かれる。今部屋着にしているのは、私が中学2年生のときに買ってもらったユニクロのトレーナーだ。気づいたら持ち主が私でなくなっていた。紺地のタグに白で「UNIQLO」と書いた刺繍があり、首周りのリブがかろうじて前身頃とつながっている。これは“物持ちが良い”とは違う。単に物好きなのだと思う。

トラのベビータオルケット | Photo ©梶谷いこ

 「ライナスの毛布」のような話がもうひとつある。妹がInstagramに上げる写真に、見覚えのあるタオルケットが写っていた。私がまだ幼い頃に使っていたタオルケットだった。タオル地の色はクリーム色と薄オレンジの横縞模様に織り分けてあり、それがトラの子どもの縞模様になっている。子トラの毛並みに沿って茶色のステッチが走り、耳の穴と口元、手元、そして尻尾に結ばれたリボンがアップリケになっている。たぶんすべて、手縫いだと思う。特に口元がすごい。子トラの口の周りには大きな玉結びがいくつか縫い付けられていて、それが毛穴のようになっている。子トラは、尻尾に結わえてもらったオレンジ色のリボンを自慢するようにして背を向け、顔だけこちらに向けて笑っている。織模様で、「I am a Tiger!」と言い張っている。「ちっちゃくたってトラなんだぜ!」と、得意げに見える。

 スマホの画面越しにそれを眺めて、途端にその手触りが蘇ってきた。手が、指が、頬が、今この瞬間、タオルケットに直に触れているような気がした。私は、手縫いのステッチを指でなぞり、親指と人差し指でオレンジのパイル地を引つまみ上げて擦り合わせ、玉結びを頬に当てて弄っていた。触れながら、すみずみまで惚れ惚れとしていた。このタオルケットがそばにあるときはいつもそうだった。それを思い出した。

 私が大きくなると、それは妹のものになった。サテン地のタグに黒の油性マジックで書かれた「ながみ」の文字は、妹を保育園に入れるときに母が書いたものだ。妹は保育園でのお昼寝タイムを、このタオルケットと一緒に過ごした。妹も私同様、このタオルケットに惚れ込んでいたのだろう。妹は、子どもが生まれた後わざわざこれを実家から大阪まで持ってきたそうだ。ところどころほつれて、穴が開いている。それでも、すやすや眠る我が子に掛けてやりたいと思えるのはこのタオルケットの他になかったらしい。

 妹の子どもは1歳4ヶ月になる。妹によく似て目の横幅が広く、白い歯が大きい。喜んでジタバタさせる手指は、まるで大人用の軍手をはめているように広く、長く、ひらひらひらひら宙をあおぐ。子トラのタオルケットを誰よりも気に入ったのは彼だった。私よりも、妹よりも。それは目の輝きと、息づかいでわかった。彼の目の前に子トラのタオルケットを出してやると、途端に瞳に星が瞬き、鼻息の風が吹いた。満面の笑みを浮かべ、おぼつかない足取りでタオルケットに突進した。脇目も振らず、一目散に。しかし、彼が愛したのは手縫いのステッチでもアップリケでも、玉結びでもなかった。

トラのベビータオルケット | Photo ©梶谷いこ

 彼が愛したのは、タオルケットの角っこだった。「ハッハッハッ」と彼は吐く息の音を立てながらタオルケットをまさぐり、すぐに角を探し当てた。そして自分の口に押し込んだ。ぐいぐいぐいぐい。まだ入る、まだ入る。こちらが固唾を呑んで見守っていると、新たに探し出した角っこを私に向かって差し出してきた。「お前もこれを咥えろ。いいぞ」。しかし次の瞬間にはもう、その角を自分の口に押し込んでいた。彼は、言葉にならない声を上げていた。顔は幸せそうに笑っていた。タオルケットの子トラも、眉尻を下げて笑っているように見えた。

 少し経って、私は床に落ちているタオルケットの角っこを手で拾い上げてみた。ずっしり重かった。よだれをたっぷり吸い、今にも滴り落ちそうな程だった。汚い、とは思わなかった。寝そべってタオルケットを自分にかけてみた。でも昔のようにはいかなかった。肩までかけるとお尻がはみ出し、足先までかけるとへそが出た。もう私の物ではないのは一目瞭然だった。私も妹も、今や「ながみ」ではなくなり、タグに「ながみ」と書いた母は13年前に倒れてそのままだ。

 家に帰って“赤ちゃん タオルケット”で検索してみた。「familiar」のネットショップで、動物のアップリケ付きのを見つけた。ウサギとアヒルとクマとヒヨコのがあった。それぞれ税込みで1万1千円だった。でも、そのどれにも角っこがなかった。最近のベビータオルケットは、角がカーブに切り落とされているのが普通らしい。たぶん、そのほうが安全だからだろう。

梶谷いこ | Photo ©脇本亜沙美
Photo ©脇本亜沙美
梶谷いこ Iqco kajitani
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1985年鳥取県米子市生まれ、京都市在住。文字組みへの興味が高じて、会社勤めの傍ら2015年頃より文筆活動を開始。2020年、誠光社より『恥ずかしい料理』(写真: 平野 愛)を刊行。雑誌『群像』(講談社)、『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社)等にエッセイを寄稿。誠光社のオフィシャル・サイト「編集室」にて「和田夏十の言葉」を連載中。