Review | (仮) 牛ノ戸焼の皿


文・撮影 | 梶谷いこ

 わたしが京都で迎える18回目の春がやってきました。地元・鳥取に暮らしていたのは、生まれてから高校卒業までの18年間と考えると、ちょうど今年が鳥取と京都、過ごした時間が同じになる境目の年になります。気づけば、30代も半ばに差し掛かってしまいました。

 初めて自分の暮らしのための食器を手に入れたタイミングも、18年前のちょうど今頃でした。大学入学と同時に京都で始まる下宿生活に先立って、母が買い与えてくれたものです。当時のわたしとしては、無印良品のようなシンプルなものに憧れましたが、「ひとり暮らしにただの白い皿では侘しい」と、母はなぜか頑として譲ってくれません。結局、地元の駅前にあった民芸品店が店じまいセールをしていて、そこで適当なお皿を買うことになりました。ちょうどケーキが載りそうな大きさの小皿を、「友だちが遊びに来てもいいように」と2枚。民芸品店なら売り場に窯元の名前も明記してありそうなものですが、店じまいセールだったためか、どこの窯の品かはわかりませんでした。それでも、初めて自分だけのものになったお皿はとてもうれしい買い物になりました。

(仮) 牛ノ戸焼の皿 | Photo ©梶谷いこ

 中心部分が丸く浅葱色に染め分けてあり、釉薬が溜まった部分にかけて色が濃くなるグラデーションになっています。リムはありませんが、縁をぐるりと囲むように白色の刷毛目模様が入っていて目にもおもしろく、なんとなくただ眺めていても見飽きません。ぽってりと厚めのフォルムは、扱いに気を使わなくてもいいから安心……と思っていたら、いつの間にか1ヶ所、2ヶ所……と、縁が欠けてしまいました。主な役目はおかずの取り分け皿。リムがない分、縁のぎりぎりいっぱいまで料理を載せられますし、刷毛目模様のおかげで、真ん中にちょっとだけ載せたおかずもオンステージのように堂々として見えます。また、ケーキにクッキー、大福、たい焼きなど、お菓子であっても洋の東西を問わず受け止めてくれるので、縁が欠けてしまったもののスタメンからどうしても外せず、引き続き登板し続けてもらっています。

 このお皿の正体について、ヒントが得られたのは今から5年ほど前。よく食器を買いに通っているお店の店頭で、世間話ついでにこの欠けた皿の写真を見せて、どこの窯の物か尋ねてみたのです。そのお店では、九州や沖縄、そして山陰の民芸品を中心に扱っていて、もしかしてここの店主ならご存知なのでは、と思ってのことでした。

 「たぶん……ですが、鳥取の中井窯の物ではないかと思います」。因州・中井窯のことはわたしも知識がありました。中井窯は戦後直後に開窯され、鳥取における民芸運動の旗手・吉田璋也の指導のもと、“新作民芸”の担い手として知られるようになった窯元です。緑・黒・白の3色に染め分けられた大胆でシンプルなデザインが代表作として知られ、柳 宗理ディレクションの皿や大手セレクトショップとのコラボレーションで人気を博すなど、今もなお魅了される人が後を絶ちません。この皿の緑色が、そんな中井窯の釉薬の色に見えるというのです。地元の昔ながらの民芸品店で売られていたものということで、この店主の推測はかなり信憑性が高いと感じられました。

 しかし、手元の皿を見てみると、なんとなく違和感があります。均一でつるんとした印象の中井窯のものと比べ、この皿はもう少し素朴な表情があるように思えました。そこでよくよく調べていくと、中井窯の初代が開窯前に作陶の手ほどきを受けた「牛ノ戸焼」という窯元のものに風合いがかなり似ていることがわかってきました。プレーンな印象の中井窯に比べ、牛ノ戸焼には独特の細かな斑点のようなものがあり、よりおおらかなムードが漂っているように思えます。中井窯と牛ノ戸焼、どちらも緑と黒の釉薬を使った染め分けが特徴として知られていますが、風合いがかなり違うのです。

 そして、牛ノ戸焼の来歴でもまた、キーパーソンとして吉田璋也の名前が挙げられていました。というのも昭和初期当時、鉄道網の発達による流通の変化で、有力産地との競争にさらされ危機に瀕していた牛ノ戸焼を吉田璋也が発見し、江戸・天保年間から続く美しい器を絶やしてはならないと奮起。柳 宗悦、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司ら民藝運動の中心人物たちと共に4代目・小林秀晴にリデザインすることを持ちかけ、緑と黒のツートンカラーの代表作を完成させたのだそうです。これが後に中井窯へと続く流れとなったのでした。

(仮)牛ノ戸焼の皿 | Photo ©梶谷いこ

 果たして、この皿が本当に牛ノ戸焼のものなのかというのは未だにわからずじまいですが、眺めているだけで、母と一緒に立ち入った今は無き民芸品店や、地元を離れることになった春の空気をありありと思い出せます。「友だちが遊びに来てもいいように」と買ったもう1枚の皿は、今は夫が使うようになりました。18年という時を経ても、縁が欠けても、毎日の食卓に変わらず登場させ続けたくなるような魅力がこの皿にはあるのです。

 とはいえ、愛着のある皿だけにそろそろこのあたりで金継ぎでもやってみるか、と考え中。また、晴れて移動が遠慮なくできるようになった暁には、事の真相を確かめるべく牛ノ戸焼や中井窯の窯元に、ぜひ足を運んでみたいなと思っているところです。

梶谷いこ | Photo ©平野 愛
Photo ©平野 愛
梶谷いこ Iqco kajitani
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1985年鳥取県米子市生まれ、京都市在住。文字組みへの興味が高じて2015年頃より文筆活動を開始。ジン、私家版冊子を制作。2020年末に『恥ずかしい料理』(誠光社刊)を上梓。その他作品に『家庭料理とわたし――「手料理」でひも解く味の個人史と参考になるかもしれないわが家のレシピたち』『THE LADY』『KANISUKI』『KYOTO NODATE PICNIC GUIDEBOOK』などがある。