文・撮影 | 梶谷いこ
何度も見る夢がある。今の自分のまま、大学4回生の春にタイムスリップしてしまう夢だ。今期はどんな授業があるのか、履修登録はどのようにすればいいのか、そもそも自分は卒業まであと何単位残しているのか、全くわからないまま前期の授業がスタートし、パニックになるところでいつも目が覚める。明晰夢である場合も多く、見覚えのあるキャンパスを不安な気持ちで彷徨いながら、「またこれか」と笑ってしまうときもある。
大学時代にタイムスリップしてしまう“夢の定番”は他にもある。大学生の頃、私はTというレンタルビデオ・ショップでアルバイトをしていた。実家からの仕送りはなかったので、奨学金と、このTのバイト代だけが生計の糧だった。
大学1回生の後期から4回生の夏休みまで働いたから、アルバイト期間はちょうど丸3年間ということになる。大学卒業のタイミングまで働き続けられなかったのは、店が途中でつぶれてしまったからだ。数えてみるともう15年以上昔のことになるらしい。もちろん映像や音楽のサブスクリプション・ビジネスが広まる前の話だ。当時はまだレンタルビデオ・ショップが街じゅうにあって、このTは近くに新しくオープンした競合店に客と売上を取られるかたちで閉店した。その跡地は、今は自転車店になっている。
何度も見る夢のもうひとつの舞台は、このTである。閉店から10ウン年が経ち、跡地にある自転車店が閉店することを知った私は、かつてのTの仲間たちに呼びかけて同志を募り、そこにレンタルビデオ・ショップを自力でオープンさせる。客の入りのほどは夢を見る限りではわからないが、「また楽しい毎日が戻ってきた!」という感覚だけがいつも目覚めに残される。何度も見る夢には深層心理が隠されているというが、なぜこのTにそこまで固執するのか、自分でも不思議に思う。いくら年月を経ようとも、繰り返し繰り返し私は夢の中でTを再興しては喜びを噛みしめる。そのたび、意外な自分のしつこさを発見して驚く。
確かにTは、働く現場にしては楽しかった。劇団員をしている雇われ店長を筆頭に、皆、一癖二癖ある面々が入れ代わり立ち代わりシフトをつないでいた。『テニミュ』と一世風靡セピアをこよなく愛する女子高校生、走り屋の教育学部生、官僚になることを目指すBUMP OF CHICKEN狂、往年のディスコの楽しさを饒舌に語る主婦。黒縁めがねをかけたバンドマンは背が大きいのと小さいのとふたり居て、女子高校生は彼らを「長老たち」と呼んでいた。
店のBGMはすべてアルバイト店員の趣味だった。BUMP OF CHICKEN狂と一緒に日中のシフトに入ると、朝から晩までBUMP OF CHICKENのアルバムを何周も聴かされた。走り屋と一緒なら、飽きもせずトランスとユーロビート三昧。店の在庫のCDをかけてもよかったし、持参した音源をBGMにしても、誰にも何も言われなかった。黒縁めがねの長老たちと働く夜間帯は、知らない音楽の扉が開く時間でもあった。宵の口こそブリティッシュ・ロックやゆらゆら帝国あたりで折り合いがついていたが、夜が更けるにつれ、かかる音楽もだんだん得体の知れないものになっていく。スピーカーから流れる音量も次第に大きくなり、閉店間近の深夜には大音量でドローン音楽が鳴り響いたりもしていた。
アルバイトたちはやんわりと音楽担当と映像担当に分けられ、持ち場をあてがわれた。持ち場によって、日常業務の合間を縫いつつ、音楽、映像それぞれランキングの入れ替えを行ったり、本部からの指示を元にコーナーを組んだりする。しかし、私が任されたのはそのどちらでもなかった。このTのフランチャイズ加盟業者は、雑貨店を展開している会社だった。系列店には輸入雑貨の店があり、海外のお菓子も取り扱っていた。単価の高い輸入菓子はレンタル商品に比べると利益率が高い。バイト先のTのレジ前には、系列店ルートで仕入れた輸入菓子コーナーが陣取っていた。
この輸入菓子コーナーが、私の担当だった。今でも覚えている3大稼ぎ頭を挙げてみる。オリーブオイルで揚げた厚切りの高級ポテトチップス、ハニーマスタードオニオン味やチェダーチーズ味のアメリカ産プレッツェル、そしてHARIBOのグミ。店出しをしながら「高いなあ、誰がこんなに高いお菓子を買うんだろう」と首を傾げていたが、それなりに売れていた。また、販促ポップを手描きするとさらに売上が伸びた。店長に褒められていい気になった私は、客の少ない時間を図画工作にあてた。アルバイトというよりは、気ままにお絵かきや貼り絵をするために店に通っているようなところもあった。
HARIBOのグミは、売れた後にも楽しみがあった。空き箱をもらえたからだ。当時、HARIBOのグミは陳列用の特製ダンボール箱に入れられて納品されてきた。その特製ダンボールというのは、売り場でそのまま陳列できるように手前の壁がくり抜かれてあり、赤色の「HARIBO」の文字と、黄色いクマ、青い髪の男の子が3色で刷られていた。
これが、見た目がかわいらしいことに加え、ひとり暮らしの収納道具にしても大変使い勝手が良いものだった。当時住んでいた5帖のワンルームには、しっかりした収納がない代わりに3連のカラーボックスを横倒しにしたものを積み上げて生活していた。そんな間に合わせの棚に、HARIBOの空き箱の幅がぴったり合った。CDやらMDやら、パソコンのコードをまとめたものやら調味料やら、なんでもHARIBOの空き箱に入れてしまった。もうひとつこの箱が良かったのは、ぴったりの大きさのフタが付いているところだった。フタを被せて重ねれば、狭い部屋でも整然として見える。また、汚れてしまえばあっさり捨てられるところも都合がよかった。ひとつ捨てても、またTから持って帰ればいい。
あれから時が経ち、なんと、このHARIBOの空き箱はまだ我が家で現役の活躍を見せている。薬入れに使ったり、工具入れにしたり、ストックとして控えているやつまでいる。大学卒業以降計3度の引っ越しで、いったい私はどういうつもりでわざわざ空のダンボール箱を荷造りして運んだのか、もはや当時のことはすっかり忘れてしまった。ただ、どこに住んでもこの箱の使い勝手の良さは変わらなかった。あの頃住んでいたアパートは昨年取り壊され、この春、同じ場所に新しい学生マンションが建ったと聞いた。今やこのHARIBOの空き箱は、夢に出るほど思い出深い学生時代の、数少ない名残になってしまった。
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1985年鳥取県米子市生まれ、京都市在住。文字組みへの興味が高じて、会社勤めの傍ら2015年頃より文筆活動を開始。2020年、誠光社より『恥ずかしい料理』(写真: 平野 愛)を刊行。雑誌『群像』(講談社)、『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社)等にエッセイを寄稿。誠光社のオフィシャル・サイト「編集室」にて「和田夏十の言葉」を連載中。