Review | 道後温泉の湯かご


文・撮影 | 梶谷いこ

 学生時代に住んでいたアパートの住所がとても長くて、覚えるのにかなり苦労した。「京都府京都市上京区上ノ下立売通御前通西入ル堀川町」。町名まで書いたところで既に24文字もある。この上、番地と建物名と、部屋番号も合わせると大抵の住所記入欄にはまず入り切らなかった。大学4回生で取った運転免許証には、この長い長い住所が縦半分くらいの幅にぎゅっと潰され、窮屈そうに書き記されていた。

 ここに大学1回生の春から大学を卒業するまで、丸4年間住んだ。共同玄関、共同洗濯機、女子学生専用。オートロックはもちろん、インターホンすらない。届け物はすべて大家さんの家に届く。毎月末、大家さんの家まで家賃を納めに行くと、帰りにお菓子の包みを持たせてくれた。筍の時期には筍ご飯弁当が、お祭りの時期には祭り寿司が廊下で配られ、それが毎年の楽しみだった。

 壁はこの上なく薄かった。どれくらい薄いかというと、隣人の鼻歌が聞こえてくるほど薄い。断熱材なども省略されているようで、夏はあまりの暑さにエアコンが効かず、冬は壁一面に結露がついた。台所の蛇口からはお湯が出なかったので、真冬でも冷たい水で皿洗いをしなければならなかった。京都の大学生の下宿先として、いかにも風情たっぷりとも言えるが、住まいにしては劣悪だった。それでもここに住み続けたのは、金銭的な理由の他に、南を向いた窓からの眺めと、近所の銭湯が気に入ったからだった。私は、銭湯の味をここで初めて知った。

 その銭湯は近くの小さな川沿いにあった。通りにある看板には、嘘か真か「天然ミネラル温泉」とあり、夜になると文字が赤と緑に光ってますます怪しげな感じがした。表に唐破風はないが、番台式だった。脱衣場は夏でも冬でも蚊取り線香の匂いがして、ラジオから演歌が流れていた。当時、「激渋銭湯」として愛好家のホームページで紹介されているのを見たことがある。まさしく“激渋”だった。何しろ、いつ行っても客が居ない。それなのに陰気な感じがせず、ただただ渋かった。

 看板の「天然ミネラル温泉」をはじめとした、当時ですら時代にそぐわないいかがわしさが各所に散りばめられているのにも惹かれた。色とりどりに照らされる「超音波気泡温泉」、つまりジェット風呂には、「日東超音波医学研究会」なる団体が謳う“特効”が書かれていた。先の「天然ミネラル温泉」とは、“微量要素”を含んだ緑泥石を湯に沈めたものを指すらしい。「風呂に入れると直ちに、微量要素を発するミネラル温泉となり湯冷めする事なく肌が滑らかになつて疲れが取れ、元気が回復します」とあった。

 壁には富士山ではなくヨーロッパの古城が、モザイク状のタイルで描かれていた。水色をした浅風呂の底にはタイルで描かれた鯉が泳ぎ、お湯が裸婦像の股のあたりからざばざば出てくる。体洗い場の壁に張り巡らされた乳白色のタイルは、ところどころバラや花瓶や鹿の模様が彫られていた。そんな焼き物使いも見応えがあった。

 住んでいる部屋にはユニットバスがあったが、私は理由を探してはこの銭湯に足を運んだ。「大きなお風呂はいいなあ」という素朴な感想に収まりきらない何かが、4年間私をここに通わせた。番台に座る女将さんが帰りしなに放つ「おやすみなさァい」という、酒ヤケなのか何なのか、物理的に乾いた感じのする元気のいい大きな声が、今もまだ耳に残って離れない。

 大学の卒業旅行では、サークルの同期と道後温泉に行った。愛媛県松山市、『坊っちゃん』の町だ。温泉街をぷらぷら歩いていると、旅館の浴衣を着た観光客がそれぞれ竹でできたかごを手に下げているのを目にした。中にはタオルや石鹸など、お風呂グッズが入っているようだった。私はそれを見た途端、どうしても欲しくなった。みんなに無理を言って付き合ってもらい、そのかごが買える店を一緒になって探してもらった。手分けして探して、やっとそれが商店街の竹かご屋で「湯かご」という名前で売られているのを突き止めたときには、日がほとんど暮れかけていた。時間も時間で、竹かご屋はもうシャッターを半分ほど閉めていたが、私はそこに無理やり体をねじ込んで入店し、なんとかして湯かごを買わせてもらうことに成功した。ついでに、竹でできた大きな買い物かごも買った。同期にはそんなに竹かごばかり買ってどうするのかと不思議がられたが、掛け紙をかけてもらい、私は大満足で京都まで持って帰った。

道後温泉の湯かご | Photo ©梶谷いこ

 それ以来、私はこの湯かごをぶら下げて銭湯に通うようになった。「湯かご」というだけあって、ミニサイズのシャンプーとリンスと洗顔料、それから銭湯で売っている小さな石鹸と薄いタオルがぴったり収まる大きさが、銭湯通いにちょうど良い。脱衣場からそのまま浴場に持って入って使え、濡れても水切れが良いのも便利だ。道後温泉で見たように、指先に引っ掛けて持って歩くのも風情があるが、チョイと自転車のハンドルに引っ掛けてやっても感じが良い。

 就職先の都合で1年だけ暮らした町では、通っていた銭湯が唯一和める場所だった。慣れない土地、慣れない仕事に苦労三昧で灰色の記憶しかないが、通った銭湯のことだけは今でも色鮮やかに思い出せる。ここの造りが、学生時代に通ったあの銭湯によく似ていた。水色のタイルが敷き詰められた浅風呂には、見慣れた鯉の姿が、しかもやたら大量にあった。股からお湯を吐き出す裸婦像も居た。気ままだった学生時代の気分をなんとか引き寄せようと、私はまた理由をつけてはここに通った。

 別の町では、風呂上がりの一杯のために通った銭湯もあった。ドリンクに瓶ビールがあり、女将さんがキンキンに冷えたジョッキに注いで渡してくれる。脱衣場でテレビを仰ぎ見ながら、それを飲み干すのが好きだった。昔は生ビールを出していたらしいが、いろいろな事情で出せなくなったと聞いた。

 その後しばらくして、どちらの銭湯も閉業してしまった。一方、学生時代に通っていた銭湯は数年前、「ゆとなみ社」という銭湯を継業する若者たちが経営を代わった。番台はカウンター式になり、かつての女将さんたちの住まいは客がごろ寝できるスペースになっている。最近、『四畳半タイムマシンブルース』という映画の舞台になったらしい。あの“激渋銭湯”が、まさかアニメの聖地になるとは思いもよらなかった。

 今の住まいの近くにある銭湯は、激渋というよりファンシーという言葉がよく似合う。湯船は貝殻のような形をしていて、ジェット風呂、薬湯、サウナ、水風呂がある。丸いプールのような大きな水風呂で大の字になって浮くのが好きだ。つい先日、男湯から子どもたちのはしゃぎ声が聞こえたと思ったら、「なにしとんねーん!」という叫び声、続いて子どもらの泣き声が上がり、女湯でひとり笑ってしまった。ここは今まで通ったどの銭湯よりもにぎやかだ。

 最近は、わざわざ遠くの銭湯まで風呂に入りに行くことはもうしなくなった。近所の銭湯がいつまでも続くよう、湯かごを手に下げ、祈るようにしてせっせと通っている。

〒602-8368 京都府京都市上京区北町580-6
14:00-25:00 | 火曜定休

梶谷いこ | Photo ©脇本亜沙美
Photo ©脇本亜沙美
梶谷いこ Iqco kajitani
Instagram | Twitter | Official Site

1985年鳥取県米子市生まれ、京都市在住。文字組みへの興味が高じて、会社勤めの傍ら2015年頃より文筆活動を開始。2020年、誠光社より『恥ずかしい料理』(写真: 平野 愛)を刊行。雑誌『群像』(講談社)、『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社)等にエッセイを寄稿。誠光社のオフィシャル・サイト「編集室」にて「和田夏十の言葉」を連載中。