Interview | 宮田 信 (MUSIC CAMP, Inc. | BARRIO GOLD RECORDS) + 横瀬裕貴 (SUNDAYS BEST)


Joe Bataan Japan Tour 直前対談

 チカーノ・ソウルとは何なのだろうか?その言葉を初めて聞いたときからずっと考えている。最初に『East Side Story』を買った。誰かにとってはそれはSUNNY & THE SUNLINERSであったり、Bobby Orozaかもしれない。それはチカーノに愛される音楽であり、バリオで愛される音楽(それは街の音楽 / 人々の音楽)。Joe Bataanの来日を知ったとき、BataanというNYのアーティストはどのようにチカーノ・ソウルとして聴かれている / 愛されているのだろうか?と真っ先に考えた。

 TRASMUNDOで、晴れたら空に豆まいて(東京・代官山)にて開催されたJoe Bataan研究会の話を聞いた。9月も1週間を過ぎようとしてる頃に、今里さん(DJ HOLIDAY)から「Joe Bataanが来日するのでまた宮田さん(宮田 信 | 以下 M)の対談を今回は横瀬(裕貴)君(YOK | 東京・世田谷 SUNDAYS BEST | 以下 Y)とやりませんか?」との提案をいただき、夜の世田谷で集まった。


 人を介して知ること。それを今回も共有させてください。


進行・文 | COTTON DOPE(WDsounds | Riverside Reading Club | 以下 C) | DJ HOLIDAY(以下 H) | 2024年9月

宮田 信 + 横瀬裕貴

――H | まだSUNDAYS BESTが中目黒にあったときに、レジ奥にレコードが飾ってあって。その当時の最新のBig Crown Recordsのレコードがいつも並んでいて、“横瀬君こういうの聴くんだ”って思っていたんですが、あれはどういうきっかけで聴いたんですか?
Y 「最初は、SUNNY & THE SUNLINERSがリリースされたときに浜さん(浜崎伸二)のところ(東京・下高井戸 TRASMUNDO)で買って、チカーノ・ソウルを知って。僕は昔からハードコアもレーベルで買うのが好きで。信頼があるじゃないですか。当時、Big Crownは濃いと思って。TRASMUNDOで買ったり、レーベルから直販で買ったり。(直販だと)グッズも買えるじゃないですか。リリースされるものを全部買っていた時期ですね。PAUL & THE TALL TREESっていうバンドがすごく好きでした。それでハマっていって」

――H | 最初、TRASMUNDOでそういった作品に出会ったときの印象は?
Y 「まず、音楽がすごく良くて、“聴いていて気持ち良いな”と思って。店でかけていても気持ち良い。お店でかける音楽は、疲れる音楽より、優しい音楽とか、良いリズム、良い歌が好きだから、それでハマったのと、“チカーノ・ソウル”っていう響きにやられちゃって。大好きなやつだと思って。もちろん意味はわからないですけど、“チカーノの人が聴いているソウルなのかな?”ってふわっと思っていて。浜さんに話を聞いたりして、政治的な背景であったりとか、自分の中でパンクっぽくて、そういうところがかっこよかった。当時TRASMUNDOの周りの人たちみんな聴いていたじゃないですか。僕の周りは聴いていなかったんで、ひとりで聴いて“良いなあ”と思って、そこからレゲエを聴き始める流れというのもあるんですけど。LOS CRUDOSを聴いているのと同じ感覚ですね」

――H | そうそう!まさに。HARD CORE PUNKを聴いている人からすると、そうじゃない人よりも少し“チカーノ・ソウル”と距離が近かったと思うんですよ。「どうやらそういうものがあるらしい」っていうのはなんとなく知っていたじゃないですか。
Y 「入りやすかったんですよね」

――H | イメージ像が掴みやすかった。
Y 「基本は英語のものが多いじゃないですか。その中にたまにスペイン語が入りますよね。あれとかもすごく良いと思って。未だに全然わかっていないんですけど、フィットしたんですよね。僕は仕事でアメリカに買い付けに行くんですけど、向こうにいるメキシコ人が好きで。めちゃくちゃ優しいじゃないですか。この間も好きなDenny's(カリフォルニア・グレンデール 9856 W. Camelback Rd.店)に行ったんですけど、キッチンではマリアッチの音楽が爆音でかかっていて、その感じがめちゃくちゃ良いなって思って。みんな楽しそうに働いてるんですよ。お客さんもメキシコ人が多かったり、少数派じゃないですけど、そういう人が楽しんでいる雰囲気っていうのが良いし、素敵ですよね」

宮田 信 + 横瀬裕貴

――H | 横瀬くんが TRASMUNDOで知ったレコードたちっていうのは、まさに当時から宮田さんが紹介し続けているものですよね。一番最初に宮田さんがBig Crownと出会ったきっかけを教えてもらってもいいですか?
M 「僕は自分で会社を始めて、レーベル全体で契約してリリースするというのももちろんやっていましたけど、現地で見つけてきたインディペンデントなアーティストを手掛けるっていうのが、自分のやらなくてはならないことだと思っていたので。チカーノ・コミュニティで活動する音楽家は歴史的にも、状況的にも、インディペンデントというのが基本なんですけど。MONTE CARLO 76を率いていたdGomezから“おもしろいバンドがいるから”ってCHICANO BATMANを紹介してもらって。そのバンドのデビュー作を出して、2013年に彼らを日本に連れて来てメンバーとも仲良くなって、ロサンゼルスに行くときはメンバーの家に泊めてもらうこともあった。人気がうなぎ上りで、インディペンデントから今度はメジャーのレーベルに移ってリリースするっていうときに、ギタリストのCarlos Arévaloが頻繁にニューヨークでBig Crown周辺の演奏家やエンジニアと新作を制作していて、そこで“SUNNY & THE SUNLINERSの音楽を今度再発するらしい”っていう話を聞いて、“お前のこと言っておいたから、たぶんすぐ連絡したほうがいいと思う”って言ってくれて連絡したら、“こんなに好きでチカーノ音楽の歴史なども知っている奴が日本にいるのか”って向こうもびっくりして。“じゃあ受け皿になってね”っていうことで始めたんですよ。SUNNY & THE SUNLINERSも独占的に輸入して、歌詞と解説も付けてっていうことをちゃんとやっていたら、そこからBig Crownとの繋がりが始まって。NYのレーベルとはそれまではやり取りがなかったんですけど、それから8年くらいですかね。Bobby Orozaあり、BRAINSTORYあり、THEE MARLOESもありという感じですね。最初はBig CrownはオーナーのバンドでもあるEL MICHELS AFFAIRの作品を中心にリリースされていた印象ですね。UKのレゲエのアーティストのリリースもありました」

――H | 宮田さんがBig Crownを知った2013年頃ってどれくらいの規模でした?
M 「正直言うと、ニューヨークでやっているインディのレーベルを全くわかっていなかったんで、どれくらいの規模っていうことを意識していなかったですね。SUNNY & THE SUNLINERSだけをやるっていう気持ちだったんで。チカーノ・ソウルみたいなもの、人種なども超えて新しい世代の人たちが発見して、またそれにインスパイアされて音楽を始めたりというのはすごくおもしろいと思った。Bobby Orozaなんか、まさにそうだったよね」

――H | 今回お2人にお話を聞きたかった理由としては、“海外で発見したものを紹介する”っていう共通点を感じて、一緒だなと思って。人を介して何かを知ることって重要だと思うから。宮田さんの嗅覚で持って帰って来たものが、TRASMUNDOから横瀬君に、そこからSUNDAYS BESTのお客さんに、って。
M 「最近だとTRIBECA(栃木・小山)でも扱ってくれるようになったりとか」

――H | そういう、ものを見つける嗅覚を養うコツとかってあったりしますか?
M 「服屋さんはいろんな先駆者がたくさんいるじゃないですか。よほどしっかりした審美眼のようなものを鍛えていかないと他と似てしまう可能性があるし、すごく厳しい中でやってるんじゃないかなって僕は思います」
Y 「真似しやすいと思うんですよね、たしかに先輩たちもたくさんいますし。まあ、かっこいいお店のことは見ないようにしてる。なんとなく好きなものっていうのが固まってきて、“自分の好きなものはこれだな”ってわかるように。このお店はもう10年になるんですけど、始めたときに、本当に好きなものしか置かないって決めていて。偏ったもの、最初はバンドTとかも置いたりしていたんですけど。そうすると、大多数の人は知らないですけど、好きな人ってすごく熱くて。だから会話が楽しいというか。そこから派生するものも同じように好きな人たちがお客さんなんで、やりがいもあるし、反応がおもしろい。音楽も一緒なのかな、と思うんですけど」

――H | 見つけてくる場所っていうのは?やっぱり行くところに行かないと手に入らないものって絶対あるかなって。情報が少ないと、なかなかそこまで辿り着けなかったりするじゃないですか。今、個人規模の物事って世界的に流行っていると思うんですよ。そういう、人との繋がりで拡がっていく流れは素晴らしいな、と思っていて。
M 「音楽で言うと、向こうで見たものが“ああ、日本のあそこと繋がるな”っていうのはわかるんです。チカーノの、反逆児っていうか、こういう表現は語弊があるかもしれませんが、不良というか、レベル的な表現の世界観を日本の不良に広めたいなって思ったんです、最初は。“不良”っていろんな意味になっちゃうかもわからないですけど。そこにある文化というのが、東京のあそこにある文化と全く同じじゃん、って思うところがあって、それらを出会わせてみたい、っていうのをまずやりたかった。たぶん服だって、似合う似合わないじゃなくて、“これには共感してくれるだろう”っていうのがあるんじゃないかって思うんですよね」

――H | もうひとつ共通しているのが、横瀬くんや宮田さんが扱っているものって、受け継がれてきた文化だと思うんですよ。Sal Hernandezも話していたけど、両親の世代や先輩が聴いていた音楽とか、服装とか、遊びかたとか。そういう共通点についても話してもらいたくて。
M 「今度やるJoe Bataanとかはまさに、NYの人なんで。日本の普通の音楽ファンはサルサやラテン音楽の流れかブーガルーっていうのを発見して、そのシーンの中にJoe Bataanがいた、みたいな流れだと思うんですけど、僕はチカーノの不良の子たちが聴いていた音楽のひとつとして見ているので、Joe BataanをやってもNYサルサというよりロサンゼルスのバリオの雰囲気で演出したいと考えていて、ローライダーとか来てくれればいいなー、と(笑)」

――C | 宮田さんが最初にJoe Bataanを聴いた瞬間について詳しく教えてほしいです。
M 「ロサンゼルスに、不良の子たちに“お前ら学校行かないと大変なことになっちゃうよ”っていうのをバリオの中で伝承されてきたスペイン語のスラングなども使って語るSancho Showっていう毎週やっているラジオ番組があって。実は大学の先生がDJだったんですけど、その人がいつもめちゃくちゃかっこいい音楽をかけているんですよ。それはその人だけが選んだんじゃなくて、実は周りにいたスタッフの音楽知識人たちも選んだっていうことが後でわかって、今僕はその人たちと付き合っているんですけど(笑)。当時その人たちが選んだものっていうのが、いわゆるバリオのメキシカンのものから、過去のチカーノ・サーキットの中で流れてきたものをうまく俯瞰しながら若い子たちに聴かせる、みたいなことをやっていたんですよね。その中にパチューコ音楽から1950年代のラテン・ジャズ、60年代のソウル・ミュージックに70年代のラテン・ロック、それでJoe Bataanが入ってきた。70年代になってカリフォルニアに紹介されるんですけど、そのときの感覚みたいなものを流していて、『Poor Boy』(1969)というアルバムの中の1曲をかけていたんですけど、その番組の問題は、クレジットを全然言わないことなんですよね。だから、その音楽をずっと探していたんですけど、全くわからなかったんです。だから、サルサを買わなきゃいけないのか、ソウルを買わなきゃいけないのか、よくわからなかったんですよ。でも1年くらいしたらサンフランシスコの中古レコード屋さんで$2かなんかで見つけて。家に帰って聴いたら、“これだ!”って」

――H | 買って帰って聴いてみてからわかった感じですか?「これだ!」って。
M 「そうです」
一同 「おー」
M 「“Joe Bataanっていう人なんだ!”って。しかもジャケットは廃墟みたいなところで焚き火をしていて、“これなんだあ?”みたいな。でも、本人は英語なんだけど、メンバーの別の人がスペイン語で歌っている曲がかっこよかったりして。いわゆる本当にファンキーなものとか、流行りものに全然似てないんですよ。サルサ・ミュージックともちょっと違うし。そういうところに惚れ込んじゃったんですよね」

――H | Sancho Showは時間帯的に言ったらどのくらいの時間に?
M 「夕方の18:30から20:30までだったと思う。人気が高かったときは18:00から23:00くらいまでやっていたと思う」

――H | チャンネル的には?
M 「Pasadena City Collegeっていうところから流れているカレッジ・ラジオなんです。そのラジオを知ったのも、イースト・ロサンゼルスの人の家に居候をしていたときに、狭い部屋で夕方にじーっとしていたんですよ。土曜日の夕方に。なんかぼーっとしていたんですよね。そうしたら目の前の小道を車が走って行くんですけど、そこからEL CHICANOのラテン・ロックが爆音で聴こえてきたんですよ。“イーストLAでEL CHICANOのラテン・ロックがかかってる”って、自分のイメージしていたチカーノのイメージなんです。どうやらこれがラジオから流れているってわかって、パッてラジオをつけて合わせていたら、その曲が流れてきて。いつもラジオはつけていたんですよ、楽しみだったんで。夜、部屋にはテレビがないからラジオが唯一の娯楽で、黒人たちの局からラテン・ポップスの局までロサンゼルスの音楽シーンはラジオを聴けば一発でわかったんですよ。それを片っ端からカセットテープに入れてエアチェックしてたんです。すぐにカセットテープに入れて。Sancho Showは毎週やっているっていうことがわかって、録音していたんです」

――H | 当時かかりまくってた曲ってありますか。
M 「Billboard全米18位までいったTIERRAの『City Nights』(1980)に収録されてい“Together”っていう曲ですね。それは他のR & B局でも普通にかかってました。またレコード屋さんに行けば、EL CHICANOのレコードとかラテン・ロックはたくさん売ってたんで」

――H | 横瀬くんも海外に行くと、けっこうずっとラジオ聞いてますよね。
Y 「そうですね。Smokey’s Soul Town。そのチャンネルをずっとかけてます。この間見つけたのはVintage Vinylっていうチャンネル。それは本当にDJの人がレコードをかけてる。たぶん収録しているんだと思うんですけど、やっぱレコードの音なんで、音が良い。60s、70s、いろんなのをかけてる。アメリカの今の車は低音が効きすぎるんで、ヒップホップを聴くと疲れるんすよ。なるべく軽い音に設定を変えて聴くようにしてるんですけど(笑)」

M 「もう車内全体がウーファーみたいになっちゃって、あれ良くないですよね(笑)」

Y 「今のラジオは止めたり戻ったりできるんですよ。もう1回聴いたりできて。たぶん全部ストリーミングになってるんですよ。車に付いてるFMとAMのラジオが。わかんないんすけど」
M 「ちょっとそれはラジオ番組の衰退にもつながっていて、DJがしゃべって選ぶみたいな番組がどんどんなくなってるんですよ。良くないんですよね。その代わり、インターネットでいろんなラジオが聴けるようになった。俺、いつも聴いてるのがRadio Gardenっていう世界中のラジオ局が聴けるアプリで、カリフォルニアの真ん中のサンホアキン・ヴァレーでやっている、Radio Bilingüeっていう番組があるんですよ。 そこにもチカーノ・オールディーズの時間があるの。リアルタイムで向こうのラジオを聴けるんですけど、特にカリフォルニア、サンフランシスコからロサンゼルスに向かって行くと中部でこのラジオ局がガンガン入ってくるんですよ。英語とスペイン語がごちゃ混ぜで、テキサスの音楽も流れるんですよ。なぜかっていうと、テキサスからのチカーノやメキシカンの移民の人がそこでたくさん働いているんです。日本で夕方に合わせて聴いていると、オールディーズの番組がかかってて、この間車で聴いていたらJoe Bataanが流れたんですよ。俺、Joe Bataan呼ぶんだけどなー、みたいな(笑)。ちょっとそのときアガりましたけどね。“bilingüe”ってバイリンガルっていう意味なんですよね。移民の人たちに“公共や福祉でこういうサービスがありますよ”とか、“病院のここに電話したほうがいいですよ”とか、公共的なサービスをバイリンガルで知らせていて。チカーノ・サーキットの中では有名で、歴史のあるラジオ局なんですよ。チカーノ、メキシコや中南米系の移民の人たちのために作っている番組で」
Y 「めちゃくちゃいい」
M 「そこでチカーノ・ソウルの番組があるっていうのがたまらないんですよ。チカーノ・ソウルとは言わないんですけど、“みんなこういうの好きだろ”みたいな感じで2時間くらいかけてやっているんです。やばいすよね。
Y 「明日からこれだな」
M 「マリアッチの時間とかもいいじゃないですか」
Y 「マリアッチのことを僕は全くわからないですけど、一時期歌詞とかを翻訳して調べていたら、けっこう攻撃的なのもあるじゃないですか、あの音楽に対して。それにすごく惹かれちゃって、でも、どこから聴けばいいかがわからないし、教えて欲しいです(笑)」
M 「俺もよくわかんないすけど」
Y 「いわゆる演歌みたいなことなんですか?日本で言う」
M 「まあ、そうですね」
Y 「オリジナルでやってる?」
M 「有名な曲がいっぱいあるんで、それをみんなカヴァーし合ってるみたいな感じですね」

――H | 何年くらいのものなんですか?
M 「マリアッチは僕が思うに一番盛んだったのは1970年代だったと思いますね。Vicente Fernándezっていうメキシコを代表する演歌歌手がいて、その人が大ヒットを連発していたんです。メキシコだけじゃなくてカリフォルニアとかアメリカの中もそうだし、コロンビアとか他の中南米にも広がったんです。まさにラジオ文化が、ラジオがすごく良かったときにそういうシーンが広がっていったっていう感じがしますよね」

宮田 信 + 横瀬裕貴

――H | ラジオって目に見えなくて、耳からしか入ってこないから、その瞬間の状況がプラスされますよね。そこに自分の気持ちも入りやすいっていうか。横瀬くんにお聞きしたいんですが、向こうで見つけたもので、どうしても「これは店には出さないで俺だけのものにしておきたいな」っていうものはやっぱりあったりしますか?その線の引きかたとかってどんな感じですか?
Y 「難しいな。そりゃあ、同じものが3つあればいいですよ。3つだとちょっと嫌かもしれないですけど(笑)。難しいなあ」

――H | 横瀬くん自身が気に入ったものだから、もちろんお店に置いたら売れるものじゃないですか。
Y 「物を売る仕事なんで、誰が買うかわからないですよ。でも気に入ったものはそういうのを好きな人に、いい感じの人に買ってほしいんで。今もお店に何個かあるんですけど(笑)、買うのは誰でも買えるじゃないですか。だから難しいですよね。お客さんからすれば売れよって話だと思うんですよ(笑)。タイミング、買い付けって運がすごくあると思うんですよ。ないときもあるし。すごく好きなものがあったときは、絶対自分のものを持って帰りたいな。見せびらかす用とか。飾っておきたいし、タイミングで売ることはあるんですけど。なんか、そういうのが好きでお店をやっていたり、アメリカに行くっていうのもあるのかもしれないですね」
M 「そういう気持ち大切ですよね。それがなければできないですよね」
Y 「それがなくなったらつまらないっすね」

Photo ©COTTON DOPE

――H | 宮田さんは現地で手に入れて、帰って来てからDJするときにかけたりとかは?
M 「いや、もう家から持ち出し禁止のレコードとかあるから(笑)、持っていかないっす。何が起きるかわからないじゃないですか。もう絶対手に入らないものとかあるんで。でも、仕事としてはそれを再リリースするっていうのが僕の仕事なんで、本来ならそういうこともやらなくてはいけないのですが。それさえ絶対嫌だな、みたいなものは何枚かありますね。別にいいんですけど、簡単に知られてしまったり、流行を追う雑誌にネタとして消費されていったりするのはあまりに悲しいです。こっちは40年くらいかけて探したものとかもあるんで。さっきのJoe Bataanの話じゃないですけど。Joe Bataanを来週からやるんですけど、もっとでかい会場でやらないんですか?とか、もっと地方でもやらないんですか?ってよく問い合わせがあるんですけど、向こうで見てきたJoe Bataanの感じっていうのは、チカーノ・バリオの哀しみや幸福感みたいなものを共有している人が、好きな人や家族や仲間と集まって、本物に会いに行く、みたいな文化なのです。ちょっと勝手にイメージし過ぎているかもしれませんが(笑)。普通のフェスに出すとか、広い会場で後ろのほうで酒飲んでる奴がいっぱいいる、みたいなところではやりたくないと思っていて。やっぱりこう、入り込んでる人たち。好きな女の子と一緒に並んで聴いてくれるとか。そんな雰囲気を大切にしたいのです。ロサンゼルスで最初にJoe Bataanを観たときはディナーショーと、次の日はいわゆるバッタもんしか売っていない、サンタフェ・スワップミートで体験しました。そこにはステージがあって、土日になるとチカーノ・コミュニティで人気の高かったバンドがスワップミートの入場料だけで観られるんですよ。そこにJoe Bataanが登場したのです。2005年。前の日はディナーショーだからなかなかお金がないと行けない。でも、そこに次の日に行ったら、ギャングスターがみんな集まっているんですよね。しかも家族連れで、おじいさん、おばあさん、孫まで。もう警官が周りを囲っていて、普段は居ないのに。みんなすげーテンション高くなっちゃっていて、Joeもすごいピリピリしちゃって“写真撮るな”とか言っていて。そんな中でやったら、感動の嵐になっちゃって。こういうのを日本で再現してみたいなって思って、Joe Bataanを呼ぶっていうのを強く思ったんですよね。だから、普通に“来日しました”とかそういう文脈では語ってほしくないな、と思っていて。もちろんたくさんの人に来てほしいのですが、チカーノの世界観とかローライダーのある雰囲気とか、もちろんJoeの音楽に痺れてきた音楽マニアの人など、とにかくよーくじっくりそれぞれの楽しみかたで味わってきた人たちに、来てほしいなってすごく思うんです」
Y 「宮田さんが呼んでいるBobby Orozaしかり、晴れ豆の広くはない空間で、それこそアーティストと喋れる空間でやるのを観て、大切にしている感じを感じますよね。愛ですよね」
M 「でもやっぱり効率が悪いっていう(笑)。向こうの人たちも、もう少し大きいところでやってくれって思ってるところはありますよね。フェスとかすごく苦手で、左であろうが右であろうが、人がたくさん集まって徒党を組むようなのってあまり好きじゃないんですよ。人がいっぱい集まるのって気持ち悪いなって思っていて、多くても150人とか、それくらいの人数で音楽を共有するほうが健全なんじゃないかって思って。そういう意味ではハードコアでいきたいんですよ」

――H | 子供の頃に背伸びして、「この場所にちょっとかっこつけて行きたいな」っていう場所、あったじゃないですか。そういうのを宮田さんはずっと提供し続けてくれるというか。特別な場所を作り続けてくれている。
M 「そういうのをわかってくれる人にしかDJをお願いしないんですよ。ある意味こういうことやっている、あいつらは固まってるって見られている可能性もありますけどね。矛盾してますね(笑)。でも、誰でもウェルカムなんで、そこで新しい音楽やレコードを知ってもらえたらいいなっていう感じがしますね」

――H | 最近よく横瀬君と話すんですけど、街中で宮田さんが紹介している音楽を聴く機会が本当に増えて。喫茶店だったり、ご飯屋さんとかでよく流れてたりとかしていて、すごく浸透しているんだなっていう感覚があります。
M 「それは、Big Crownの音源がストリーミングの世界でとてもうまく流通しているからだというのもあると思います」

――H | あとは、横瀬君とかがお店とかでそういう音楽をかけていたりとかで「あの音楽なんだったんだろう?」って覚えていて、またカフェとか床屋さんとかで流れていて、「あれってこの曲じゃん」って再会することもあると思うんですよね。
M 「正直言うとすごく広がっている感じがありますね。嫌な話ですけど、以前よりフィジカルの商品が売れるようになっています。さらにレコードが高くなっているので、CDがすごく売れていて。先日リリースしたTHEE HEART TONESは、チェーン店系列のお店でも全国的に展開してますね。今までうちのタイトルでそんなのなかったんですけどね」
Y 「メンバーがみんな写っているジャケットの。女の子が歌ってる」
M 「インパラの前で写っているジャケットのやつですね。彼女のヴォーカルが素晴らしいですよね」
Y 「ジャケからは想像できなかったですよね」

――H | フォントとかも期待できる感じで(笑)。
M 「NYのレーベルがそれを演出しているっていうのはすごいですよね。 Big Crownすごいですよ。本当に」

――H | Joe Bataanさんの来日公演についてお聞きします。今回はWillie Nagasakiさんも演奏されますよね?
M 「初来日と2回目もやってもらっています。今回5回目なんですけど、ジョーが高齢になっていることも考えて、今までとは違う演出も考慮して最初の頃を知っているピアニストのあびる竜太さんらベテラン勢にお願いしました。前回、前々回はストリート的なラテンを得意にするCENTRALのメンバーを中心にしたこれまた巧い演奏家たちがバック・バンドを務めています。12~3人とかでやっていたこともあるんですけど、今度はブラスもトロンボーンだけの、それこそFaniaが60年代中盤にやっていたトロンボーン2本でやるっていうサウンドがあるんですが、Joe Bataanの初期の頃もそうしたサウンドでやっていた時期があります。Willie Colónが発明したということになっているんですけど。トロンボーン2本がハモリながらやるっていう。すげー不良っぽい感じになるんですよ。Joeもそれを使っていて。ですので今回は90年代にNYでJoeのバンドで活躍して、来日公演全てに参加してきた池田雅明さんのほかにもうひとり、島田直道さんが入ってくれて、お2人のトロンボーン奏者のかたでそれを再現できると思います」

――H | こういう感じで観てほしい、みたいなやつはありますか?こういう雰囲気になったらいいな、みたいな。
M 「みんながハッピーになったらいいと思います。それだけです。Joe Bataanが目の前にいるだけで本当にすごいことなので、そういう雰囲気を楽しんでもらって。Joeもすごく張り切っていつもやるんで、ものすごい盛り上げるので、まあ82歳ですけど、精一杯おもしろいことをやってくれるんじゃないかなって思いますね。大ベテランの打楽器奏者・大儀見元さんもいるんで、Willieさんとも相談して大儀見元さんに参加してもらって、ふたりが揃うとかなり迫力ある感じになります。今回はエントランス料金もすごくなってしまっています。円安に要因がありますが、アメリカに関わることの全ての物価が高騰していて。ですので、あんまりパンパンになりすぎるとせっかく来ていただいたお客様が楽しめなくなっちゃうので、そうならないようにしてます。バー・カウンターもなるべく並ばないで買えるようにしたいし。全体的に少しだけリラックスして観ていただけるような感じで作っています」

――H | 前回ちょうどクリスマスだったじゃないですか、あの夜の雰囲気も素晴らしくて。
M 「良かったですね。初めてクリスマス・ソングを歌ってくれたんですよね」

――H | 昔からすごくお世話になっていたavexの村上さんっていうかたが、末期の癌だったのに来られていて。Joe Bataanが大好きだったかたで、ふと気付いたらお酒を飲んで踊っていて(笑)。帰り際に「スッゲー楽しかったよ」って言っていて。あの場にいるのも奇跡みたいな時期だったので、“音楽の力を信じてる”とか言いたくないんですけど、あの時は「元気になったりするんだな」って思ったりしました。
M 「何回も言いますが、あのとき付いてくれたCENTRAL中心のメンバーがいい雰囲気を作ってくれましたね。Joeが合計3曲歌ったのかな?クリスマス・ソング」
Y 「近所にDELLSっていうコーヒー屋ができて、27とか28くらいで若い子なんですけど。お母さんがそういうの好きだったみたいで、良いレコードをめちゃくちゃ持っていて。行くとコーヒーとかビールを飲みながら、音楽を聴かせてもらうんですけど。かかった曲に対して、全く知らずに“めっちゃいいね”って言ったらJoe Bataanのアルバムで。“来るよね”って話しましたね。一緒に行くと思うんですけど(笑)。彼は音楽の聴きかたが、1枚1枚のレコードにエピソードがある子なんですよ。先輩たちはいますけど、若い子はそういう子に会ったことがなくて感動して。どこで買ったかも全部言えるし、何曲目の何とかも全部言えて」
M 「やっぱり、どこで買ったっていうのがけっこう重要なんですよ、レコードって。そのときに買いたかったレコードの気持ちもずっと大切にしなくちゃいけないし。俺、いまだにシングル盤とか、ロサンゼルスのどこのお店で買ったか別に分けてありますもん。袋がそのままのやつもあります。これは出せないなって。ずっとここにいてもらおうっていう」

宮田 信 + 横瀬裕貴 + DJ HOLIDAY | Photo ©COTTON DOPE

――H | 買ったレコード屋さんが今ではなくなってしまってたりとか。
M 「一番古いやつでは40年前のとか、そのままレコード袋に入ってます」
Y 「最高すね。今、ポンポン買えちゃう時代なのに、ネットで買うのも考えて。安くない時代だと思いますし」
M 「それが身近にある世田谷はやっぱり素晴らしいですよね」
Y 「僕はもう単純にTRASMUNDO行ってただ買って聴いていて、ここ数年チカーノ・ソウルの話だったりで、こういう話もそうですけど、のときもみんな集まって。普通に生活していたら行けない現場じゃないですか。やっていることはめちゃくちゃ素敵でおもしろいことだったと思うので。ああいうのにこの歳になっても参加できるのが楽しいですね。一時期、僕も音楽何を買っていいのかわからない時期があって、そこからこのチカーノの流れが来て、また戻ってきた感じというか。楽しいんで(笑)。昔より覚えられなくなったんですけど、音で覚えようと思って。買っても読めないんで(笑)」
M 「本当見えないっすよ(笑)」
Y 「こういう場で何も出てこない。バンド名が出てこない」
M 「服を扱っている人に音楽のことを言ってもらえるのは、音楽の人間からしたらすごく嬉しいんですよ。音楽の人間が音楽のことを言うのはあたりまえなんですけど、服を売っていて、こういう音楽がかっこいいんだって言ってくれないと、音楽って広まらないですよね」
Y 「幸運なことに、周りに音楽をやっている先輩や後輩もいて、作品を出していて。特にミックスが僕は大好きで。知ることができるというか。今はインターネットで曲名も出てくるし、それで中古レコードを探して買ったりとか。探して買うっていうのが楽しい。ミックスから知るっていうのは」

――H | 現在のミックスCDってちょっと昔のラジオみたいな役割っていうか。浸透するっていう。

Y 「なかなか新しいものを知るきっかけってないじゃないですか」

――H | 「あ、こんなのかかるんだ」みたいなのが、ラジオだとありますよね。 | C | なんだかわからないものがストリーミングにはないですもんね。アーティストと曲名の情報はありますもんね。これはいったい何なんだろう?みたいな。

――H | 頭に疑問符を残すものがあまりなかったりする。
M 「俺も本当に今里さんとかと仲良くさせてもらってるから、レゲエをちゃんと聴き始めましたもん。レゲエってそういう風に聴くんだ、みたいな。スキンヘッド・レゲエのありかたとかも、話を聞いていると、そういうことだったんだっていうのがわかって。特に中南米の文化に何十年って浸ってきたから、その中にレゲエ好きがいっぱいいるし、チカーノはハードコア好きがいっぱいいるし、少し理解できるようになったと思っています」

――H | 正直、僕も全然よくわかってなくて。なんとなく関係性とかは理解できるんですけど、音楽的な共通点があるかっていったら、あるって言えばあるけど、ないって言えば全然ないじゃないですか(笑)。たぶんなんですけど、人とか生活が交わっているだけっていうか。「これ良くないすか?」っていうだけの話なんじゃないかなとも思うんですよね。もちろんいろんな背景もあると思うんですけど、友達だったり、先輩や家族が聴いていてかっこよくて、とかのレベルだけなんじゃないかとも思ったり。中南米もスキンヘッド・レゲエすごいですよね。
M 「メキシコの人たちは、インディオ系とスペインの血が混ざったメスティーソ系の人たちはすげーレゲエ好きが多くて、レベルな感覚のようなものに共感してるんですよね」
Y 「いいっすね」

――H | そういう、あまり一般的には繋がってないように思われている事象に共通点があるのって、意外性があっておもしろい。
M 「東京の中でも、意外とこことここが繋がってるんだ、みたいなこともありますし」

――H | 逆もありますけどね(笑)。
M 「あとインスタでやたらレコードばかり上げてる奴とか、本当うるさいなぁ(笑)。お金のパワーだけじゃなくて、知識も必要だし、レコードを集めるって大変な作業なんですけど。もっとDJの人たちにもライヴに来てほしいです。こんなこと言っているとまた嫌われますが(笑)。今回のJoeは大変貴重な機会になります。この後呼べるかと考えると、正直自信はないですね。だからホント、Joeの音楽を愛してきたかたには来てほしいです」

Joe Bataan Official Site | https://www.joebataanmusic.com/
MUSIC CAMP, Inc. Official Site | https://www.m-camp.net/
SUNDAYS BEST Official Site | https://shop.thesundaysbest.com/

Joe Bataan Japan Tour 2024

| 2024年9月21日(土)
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて

開場 18:00 / ライヴ開演 19:30
前売 12,500円(税込 / 別途ドリンク代) Sold Out
※ 当日券のご案内は未定です。

[DJ]
DJ HOLIDAY / DJ SLOWCURV / TRASMUNDO DJs

[Tacos]
Taqueria ABEFUSAI

[Shop]
BARRIO GOLD RECORDS

| 2024年9月22日(日)
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて

開場 18:00 / ライヴ開演 19:30
前売 12,500円 Sold Out / 当日 13,500円(税込 / 別途ドリンク代)
※ 当日券は若干数販売予定となっております。

[DJ]
宮田 信 / DJ Motomix

[Tacos]
El Caracol

[Shop]
BARRIO GOLD RECORDS

| 2024年9月23日(月・祝) 追加公演
東京 代官山 晴れたら空に豆まいて

開場 17:00 / ライヴ開演 18:30
前売 12,500円 / 当日 13,500円(税込 / 別途ドリンク代)
※ 9月21日 / 22日公演ご予約のかたには9月23日追加公演の割引チケットをご用意します。それぞれ公演当日に店内にてご案内いたします。チケットの公演日変更は出来ませんので、ご了承ください。

[Shop]
BARRIO GOLD RECORDS

SUNDAYS BEST Official Site

〒154-0017 東京都世田谷区世田谷2-29-5

13:00-18:00 | 日月定休