Review | 「The Absurd and The Sublime ギイ ブルダン展」


文・撮影 | ミリ (Barbican Estate)

 「Hermès」や「Louis Vuitton」など、ファッション界のトップメゾンには大いに助けられている。私にはそこで買える服はちっともないのだが、それらの財団による美術館や文化プログラムの多くは無料で観ることができるから、日々その恩恵を受けている。例えば私が敬愛する映画監督、ヴィム・ヴェンダースによるロード・ムーヴィー3部作の第1弾『都会のアリス』(1973)を初めてDVD以外の大きなスクリーンで観た場所は、東京・銀座「Ginza Maison Hermès」の「Le Studio」だった。

 また一昨年はフランス・パリの美術館「Fondation Louis Vuitton」に行くことができ、ガラス製の船の帆が幾重にも折り重なった迷宮の様なフランク・ゲーリーの建築に身を投じられたのはもちろん、そのときに開催されていたシャルロット・ぺリアンの回顧展では、彼女のプロダクト・デザインにおける日本の工芸、生活様式の重要度をパリで知ることになった。

Photo ©ミリ
「CHANEL NEXUS HALL」の会場はドイツ表現主義映画のセットのような幾何学的空間への展示になっており、回遊するだけで楽しい。

 現在「CHANEL GINZA」内の「CHANEL NEXUS HALL」では、フランスの写真家ギイ・ブルダンの展覧会「The Absurd and The Sublime」(= 滑稽と崇高)が開催中だ。1928年にフランスで生まれたブルダンは、1955年に始まるフランス版『VOGUE』誌での実験的なファッション写真で知られ、80年代末まで同誌の主要なカメラマンであったほか、「CHANEL」を初めとする世界有数のメゾンや雑誌などで活躍。ブルダンの50点以上の作品が一堂に会するこの展覧会は非常に貴重だ!

 おそらく多くの人がそうであるように、私がブルダンのことを知ったのはヘルムート・ニュートンの文脈からだ。ニュートンもまた、『VOGUE』誌などで活躍したドイツ出身の写真家で、彼が撮影したシャーロット・ランプリングやハンナ・シグラといったヨーロッパの前衛映画に多く出演した俳優のポートレートが私は特に好きなのだが、彼の挑発的な作品はしばしばセクシズムだという論争になるし、昨年公開されたドキュメンタリー『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』(2020)の中では、スーザン・ソンタグが「あなたの作品は女性蔑視で不愉快だ」と言って、ニュートンはこてんぱんにされる対談映像があった(チャーミングなニュートンはモデルや近しいアーティストには愛されていたが、お調子ものだったこともあり反感を持たれやすかったのだと思う)。実際ファッション写真を媒介に、商品よりも不条理世界や芸術的な可笑しさを語った点、身体崇拝の点でニュートンとブルダンの写真には共通項が非常に多いが、ブルダンはよりニヒルな姿勢でそれに取り組んでいたために、ニュートン作品ほどのスキャンダルは絶妙に回避できているようだ。

Photo ©ミリ
マン・レイは写真やドローイング、ブロンズ彫刻に至るまで“手”をモチーフにした作品を多く制作したが、ブルダンの場合は“脚”である。マネキンの脚と靴のみが設置されたレディ・メイドの影響が強い1979年のシャルル・ジョルダンのキャンペーン写真では、そこに人物はいないのにヒッチコックの『裏窓』(1954)のような“覗き”から始まるサスペンスを想像してしまう。

 1951年、23歳のブルダンは、つい先日まで東京・渋谷 Bunkamuraで展覧会も開催されていたシュルレアリストの写真家マン・レイに師事する。マン・レイの写真は、“モンパルナスのキキ”ことアリス・プランがアフリカの仮面と対比する代表作のひとつ『白と黒』(1926)で見られるように(『白と黒』が最初に発表されたのも実は仏「VOGUE」誌!)、アニミズムに起因する女性の肉体的エロティシズムを、シュルレアリスティックな切り口で、偏見のない幻想的な写真に仕上げている。ソンタグは著書『写真論』(晶文社, 1979)の中で「シュルレアリストの空想がハイ・ファッションに吸収されたことでつまらないものに見えてきた」と記述しており、シュルレアリスムの影響を受けた写真家たちのファッション写真そのものに批判的ではあるが、マン・レイの幻想世界は確実にブルダンの作品に引き継がれていると私は思うのだ。

 その一方で私はマン・レイの写真を観るとき、美しさと同時にその驚くべきプリントの技術に、写真は化学であることを痛感させられるのだが、対してブルダンの写真では完璧に計画された構図にもっと絵画的な寓話を見る。マン・レイも写真家というよりも画家としての自負があったそうだが、もともと画家としてキャリアをスタートし、そして挫折を味わったブルダンの写真には執着じみたそれを感じる。同じく画家を志していたイギリスの映画監督、ピーター・グリーナウェイの『英国式庭園殺人事件』(1982)や『コックと泥棒、その妻と愛人』(1989)での徹底したシンメトリー構図への拘りや、まがまがしい色彩表現のアプローチとも近い。

Photo ©ミリ
1978年にフロリダで撮影された写真。

 今回の「CHANEL」の展覧会で私が初めて目にしたブルダンの写真に、米フロリダで撮影された一連の作品があった。そこには彼の写真の特徴である美しい被写体(女性やその体の一部、鮮やかなハイヒールなど)はなく、資本の裏側の侘しい街角を写していた。私は昔、育った街の姉妹都市であるフロリダに短期留学したことがあり、街とは本来、全てが人工物ではあるのだが、その突き抜けた明るさの虚構的な様は日本にいてもアメリカに行っても、常に違和感があった。ブルダンはアルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画にも魅了されており、そのあらゆる側面から覗き、監視するような写真に、虚構の街への私の違和感が腑に落ちたような気がした。むしろ、以降のモード界、広告、レコードのジャケットなどに度々引用されるブルダンをブルダンたらしめる極彩色のファッション写真よりも、私はこれらに強く惹かれた。

 ブルダンは生前、先に書いた画家としての挫折からと言われているが、自身のアートに対してコンプレックスがあり、写真集の出版や展覧会の開催を頑なに拒んでいたため、その作品へのアクセスが簡単になったのは1991年の死後のことだ。そういった意味でも今回の展覧会で多くのプリントが無料で観られるのは非常にありがたい機会であるし、彼の師マン・レイをはじめとしたダダ、シュルレアリスム、モンパルナスやパリ社交界の美意識、ヒッチコックのスリラー映画と、そうなるとおそらく共鳴していたであろう、ブルダンと同世代のヌーヴェルヴァーグの作家たちの影響を考えてもおもしろい(ヒッチコックに加え、脚フェチなのはまさしくフランソワ・トリュフォーと一緒 笑)。ぜひ足を運んでみてほしい。

Photo ©ミリ
左: 今回参照したのは、学生時代に読んでいたスーザン・ソンタグの『写真論』と、先日までBunkamuraで開催されていたマン・レイ展の図録『マン・レイと女性たち』(平凡社, 2021)。著者は母校、明治学院文学部の名誉教授、巖谷國士先生。
右: 熱心なマン・レイのコレクターとして知られる歌手のエルトン・ジョンのコレクションを2016年、英ロンドンのテート・モダンで見た際に、ジョンが『白と黒』とそれが反転したソラリゼーションをべッドの上にディスプレイしているのに憧れて、2ポンドぐらいのポストカードで雑に再現した当時の私の自宅。

The Absurd and The Sublime
ギイ ブルダン展
https://nexushall.chanel.com/program/2021/gb/

2021年9月8日(土)-10月24日(日)
東京 銀座 CHANEL NEXUS HALL
〒104-0061 東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
11:00-19:00 | 最終入場 18:30 | 無休
予約不要 (混雑時入場制限あり) | 入場無料

ミリ Miri
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ミリ (Barbican Estate)東京を拠点に活動するエクスペリメンタル / サイケデリック / ノーウェイヴ・バンドBarbican Estateのベース / ヴォーカル。ロック・パーティ「SUPERFUZZ」などでのDJ活動を経て2019年にバンドを結成。2020年3月、1st EP『Barbican Estate』を「Rhyming Slang」よりリリース。9月にはヒロ杉山率いるアート・ユニット「Enlightenment」とのコラボレーションによるMV「Gravity of the Sun」で注目を浴びる。同年10月からシングル3部作『White Jazz』『Obsessed』『The Innocent One』を3ヶ月連続リリース。今年3月にLana Del Reyのカヴァー「Venice Bitch」をYouTubeとIGTVで公開。4月9日に「The Innocent One」のMVを公開。9ヶ月ぶりのシングル『The Divine Image』を9月22日にリリース。

明治学院大学芸術学科卒。主にヨーロッパ映画を研究。好きな作家はヴィム・ヴェンダース。