Interview | 宮﨑岳史 aka ミヤジ


偶然はみんな持ってるっしょ?

 東京・下北沢の複合施設「BONUS TRACK」、同じく下北沢の「LIVE HAUS」などでイベントを企画する宮﨑岳史 aka ミヤジさん。2014年に閉店した東京・南池袋ミュージック・オルグの店長を務め、その後は5年間、東京・渋谷 7th FLOORのスタッフとして働く一方、2015年5月から今年3月までの毎週木曜日の夜には、音楽好きが多く集まる東京・阿佐ヶ谷のバー「Roji」のカウンターに立っていたミヤジさんは、現在も多種多様なイベントを企画する一方、さまざまな“場”にいる“パーティー・バラモン”でもあります。そんなミヤジさんは、会えばいつも知らないことを教えてくれ、自分の好きなことに素直で愛に溢れている。

 ミヤジさんの企画するイベントに足を運び、いくつもの楽しい瞬間が生まれた“場”を共有してきたひとりとして、いつかじっくりお話を聞きたいと思っていましたが、ついにインタビューをさせていただきました。自身で企画した印象に残っているイベントから、イベントを企画するときの秘訣、学生時代のボランティアの話、子供時代の話まで、固有名詞多めでお送りします。なお、ところどころにミヤジさんのコメントが追記として挿入されています。フットワークが軽く、多弁でも有名なミヤジさんの魅力の一端が伝われば幸いです。


取材・文 | slim_organic | 2022年10月
構成 | Sayaka Nitta
撮影 | Misa Asanuma

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――今回はインタビューをお受けいただきありがとうございます。簡単で良いので自己紹介をお願いできますか。
 「“一番難しいやつ”じゃん(笑)」

――fkirtsさんのインタビューをちゃんと読んでくれてますね(笑)、ありがとうございます。
 「おもしろかったです。宮﨑岳史です。ミヤジって呼ばれてます。ライヴ・イベントを企画したり、いろんな場所の運営をしたりしています。東京・下北沢にあるBONUS TRUCKっていう場所や、阿佐ヶ谷のRojiっていうカフェ・バーによくいます」

――ミヤジさんはあらゆるイベントにいる“パーティバラモン”としても有名ですけど、COMPUMAさんのレコ発(* 1)の後、大阪に行ったんですよね。
 「そうそう。WWWのパーティの後、そのまま新宿に向かって夜行バスに乗って、久しぶりに開催された“こんがり音楽祭”に行って、ちょっとだけお手伝いもしてきて」
* 1 2022年9月30日(金)に東京・渋谷 WWWで開催された「『A View』Release Party」

――Le Makeupさんがミヤジさんの写真をInstagramのストーリーズにアップしててウケました。ビールを持っているすごい笑顔の写真で。
 「あぁ、それは着いた次の日の夜かな。久しぶりの関西だったから、一気にいろんなところを巡ってきたんだよね。こんがり(音楽祭)の日は、終わった後に明け方まで打ち上げにお邪魔して、そのまま大阪駅からバスに乗って兵庫県の加西市に向かって。ウンゲツィーファバストリオの公演があったから、辺口(芳典)さんの家族と一緒にVoidっていうスペースまで行ってきて。会場は7:30から12:30だけ営業しているTobira Recordsと同じビルだから、早い時間のバスにしたんだけど、Tobiraはちょうど臨時休業中で」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――あ、やってなかったんだ!
 「(店主の)Hakobuneさんが遠征中だったみたい。Voidであった公演はどちらの演目も会場の雰囲気を生かした作品でおもしろかったよ。強行スケジュールで、まともに眠れていなかったから、観劇中フラフラしたけど行けてよかった。大阪に戻る帰り道で(HOPKENっていうお店をやっていた)杉本(喜則)くんの家にも寄れたし。その週末が、ちょうど、シネ・ヌーヴォ(大阪・九条)で映画『重力の光』の上映が始まるタイミングだったから、そのお手伝いで東京から大阪にきていた友達から“どこにフライヤー置けばいいかな?”ってメールをもらっていて、思いついた場所をいくつか伝えたりしてたんだよね。(映画監督の)石原 海さんとかと扇町公園にいるって聞いたので、たこ焼きと缶ビールを持って合流したんだけど、その日(2022年10月2日)は上映時のイベントにLe MakeupさんとかDOVEさんがゲストで出ていて。遅い時間まで公園で過ごした後、通天閣あたりまで電車で移動して入れるお店を探したんだけど、深夜だし、閉まっている店ばかりで、唯一開いていたのが横綱っていう24時間やってる串カツ屋。なんだか楽しい時間で、ジョッキのデカさとかで盛り上がってました」

■ 本人追記 1
久しぶりに関西で過ごした数日間。他にも足を運んだ場所での出来事について。
| スズキナオさんの好きな川沿いのエリア
ライターのスズキナオさんと久しぶりに会った。ナオさんのお気に入りの川沿いのエリアにあるベンチに座って、缶チューハイを飲みながら近況などを話す。途中、隣のベンチに犬の散歩中の男性が座っていて、正面には漫才の練習をする2人組がいて、その手前にある川沿いの舗装路を自転車がハイスピードで駆け抜けていった瞬間があって気持ちが良かった。チューハイを2本くらい飲んで別れた。
| Homō loquēns「しゃべるヒト」
国立民族学博物館でやっていて気になっていた展示へ。丁寧な展示構成で素晴らしかった。民博は常設展示も楽しくて時間が足りない。ナオさんに頼まれて探した「月刊みんぱく」のバックナンバーは残念ながら見つからなかったけど、別の号を自分用に何冊か購入。
| タラウマラ
淡路にある居心地の良い時間が流れているお店に『重力の光』のチラシを片手に行ってきた。店主の土井(政司)さんから、古い友人のマリヲくんのエッセイ本が出るという話を聞けて嬉しかった。
| POL
友人の運営しているギャラリーを数年ぶりに訪問。水沢そらさんの個展「these days」が開催中だった。店内のCD棚を見せてもらいながら、田窪(直樹)さんと久しぶりに話す。直前までobocoくんがいたそうで、会えなくて残念だった。
| MAKE ONE TWO
neco眠るの森(雄大)さんが働いている飲食店を初めて訪ねた。おいしいご飯を食べながら、編集者の永江 大くんとたくさん喋った。東京在住の画家のヒラパーくん(Hiraparr Wilson)から、今、大阪にいて、浦 朋恵さんのお店に入ったところだという連絡をもらったりもしたけれど、帰りのバスの時間に間に合いそうもなかったので、そちらに行くのは諦めて、夜行バス乗り場に向かった。

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――いいっすね。ミヤジさんの話にはいつもいろんな人が出てきますよね。以前、パーティや何かしらの集いで「人が知り合ったりしてる様子をみてるのは楽しい」って言ってましたね。
 「昨日(2022年10月14日)はアキツユコさんのインストア・ライヴが(BONUS TRACK内の)pianola recordsであったんだけど、お店の外にも人がたくさん集まって、外まで漏れてくる音を聴いていて。居心地良くて、いい雰囲気だったよ。Eunice(Luk)とか高橋くん(Masahiro Takahashi)とかその場で会えると思っていなかった友達もたくさんいて、楽しかった」

――BONUS TRACKでのイベント企画のお仕事ってどうですか?
 「住宅街にあるし、大きな音を出したりはできないんだけど、もともと環境を活かした企画を考えるのは好きだから、おもしろいですよ。屋外の広場などでイベントをやることが多いんだけど、植物も多くて、風通しも良い、のんびり過ごしやすい場所で、通りがかりの人もたくさんいて。個性的なお店も多いし、イベントをやっていなくても魅力的な場所なんだけど、イベントがきっかけで足を運んでくれるお客さんにも場所の雰囲気を感じてもらえたらと思ってやってます。BONUS TRACKにいると、10年、15年以上前から知り合いだった人と偶然再会することも多いんだよね」

――そういう偶然は嬉しいですね。
 「今、ここにいて良かったんだなって思うことが多い」

――偶然が好きなんですよね。
 「そうそう。偶然はみんな持ってるっしょ?」

――(笑)。「偶然はみんな持ってるっしょ」。
 「持ってるというか……。(言うまでもない)普通の話で。今、どこかにいるとして、そうすると何か見えたり、聞こえたり、ぶつかってきたりとかするかもしれない。別の出来事をふと思い出したりするかもしれない。見ることと、思い出すことは似てる?何の話だっけ?」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――そんなミヤジさんは幼少期、活発な少年でしたか?
 「今と変わらないんじゃないかな。よく喋るみたいな」

――今のミヤジさんがそのまま小さくなったみたいな(笑)?
 「いやー……小さい頃のこと、そんなに覚えてないな。少し前に実家に帰ったときに、たまたま保育所に通っていたときの連絡ノートを読んだんだけど、“植物を眺めてる”とか“野蒜を採取するのが好き”って書いてあった」

――じゃあ少年の頃のまま、すくすくと曲がらずに今のミヤジさんになったんですね。
 「今は野蒜とか採ってないけど、当時は保育所の庭に生えてた野草を天ぷらにして食べたりしていたような。ユキノシタとか。そういうのしてた?」

――たぶん当時の定番ですけど、グミの実とか食べてましたね。
 「グミの実も食べてたな」

――いつ頃から音楽を自主的に摂取するようになったんですか?始まりが個人的にはすごく気になります。
 「きっかけは忘れちゃったんだけど、GEOとかブロックバスターとか、CDも借りられるレンタル・ショップには中学から高校時代には行っていたような」

――そこで気になったものを借り始めて?
 「そうそう。MDに録音したり、CD-Rに焼いたりしてた」

――何を借りていたんですか?
 「うーん……なんとなくで、片っ端から借りてる感じもあったから」

――例えば自分だったら中学時代はGLAY聴くとかJUDY AND MARYを聴くとかありましたけど。
 「あぁ、GLAYは聴いてたな。ジュディマリはどうだったかな。スピッツは小学校でも流行ってたし、家にも親の買ったCDがあって聴いてた。中学校の教室でDragon Ashの話をしたこともあった。ケーブルTVでスペシャとか音楽番組をいろいろ観たり、椎名林檎が好きって自己紹介で話していた人と友達になったり。NUMBER GIRLも好きだった」

――ミヤジさんがこれまでに企画してきたイベントから考えると、意外とスタンダードなものを聴いていたんですね。大学に入ってからコアなものに意識が向いていったんでしょうか。
 「電車に乗ってレコード屋さんに通うっていう感じじゃなかったから、ネットや雑誌の影響が大きいかも」

――どういう雑誌を読んでいたんですか?
 「高校とか大学の頃は『relax』とか、『STUDIO VOICE』とか、『Spectator』とか、『Collider』とか、『MASSAGE』とか、いろんなカルチャー誌から音楽の情報を得ていたような。フリーペーパーも多かったかも。節操ない感じで」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――自然とサブカルチャー的なものが目に入ってくる環境があったんですかね、当時。
 「ネットも見てたし、東京に住んでいたので。『SIM Magazine』の1号を、吉祥寺の東急のすぐ近くのヴィレッジヴァンガードで買ったことを思い出した」

――実家が東京だと、そういう時期に吉祥寺とかすぐに出られて羨ましいなあ。
 「チャリで30分くらい。五日市街道を飛ばして」

――大学に入っていろんなところに行き始めた感じですかね。大学はどこでしたっけ?
 「専修大学。キャンパスが向ヶ丘遊園にあって、実家から通ってたよ。西武新宿線で高田馬場か、西武新宿に出て。新宿から向ヶ丘遊園。Los Apson?が西新宿にあって、学校帰りに行けたんだよな」

――学部はどこですか?
 「経済学部。国際経済学科」

――へえ〜(笑)!
 「何を学ぼうっていう明確な意思なく大学生になってしまって。ゼミでの勉強はちょっとおもしろかったけど。環境経済学を学ぶゼミの一期生で」

■ 本人追記 2
なんとなく決めて入ったゼミだったけれど、ゼミ室の本棚に『エンデの遺言』を見つけたときは、直感が間違っていなかったような気がして嬉しく感じたことを覚えている。ミヒャエル・エンデは小学生の頃からずっと好きな作家だったので。ゼミの先生は「地域通貨」に関する研究などをしていた。

――サークルは?
 「ずっと大学の外で遊んでたから、あんまりサークル活動を熱心にしてたタイプではないけど、映像制作のサークルにいて。部室があったのが良かったな」

――たまれるところって重要ですよね。
 「あと、映像関連でいうと、ラフォーレ原宿でやってた“RESFEST”っていうショート・ムービーやMVが上映されるイベントがあって、そのボランティア・スタッフを3年くらいやったりしてた」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――ミヤジさんはCRJにも参加していたんですよね。
 「大学3年のときに入って」

――自分がミヤジさんを知ったのは、関西にいた頃にCRJ-westのイベントで。どうやら東京でもおもしろいことをやっている人がいるらしいぞ、っていうのをHOPKENの杉本さんのイベントに遊びに行っていたのでそこからなんとなく知った、という流れがあります。
 「最初はCRJ-tokyoが主催してたライヴ・イベントの告知を見て、こんな団体があるんだって知って。音楽好きな学生サークルっていう大きな括りでメンバーが集っているので、それぞれの趣味はかなり異なっていて。イベントの企画内容も統一されてない感じがあって、そこがおもしろいと思って興味を持ったのかな」

――じゃあCRJに入ってから自分で音楽の企画を始めたんですか?
 「そう。音楽にまつわるメルマガの配信や、フリーペーパーの制作、ライヴ・イベントの企画などをする団体で。イベントの企画を始めるきっかけになってます。基本的にはみんな聴いている音楽がバラバラだったから、普段、共演しないミュージシャンが一緒に出るような企画になっているところがおもしろかった。学生団体で、メンバー募集もしてたから、入るまでの敷居も低く感じて。入るときに軽い面接があったんだけど、“RAW LIFE”の話や、高校の同級生に付いて行って観たPerfumeのコンサートが最高だったっていう話で盛り上がった記憶がある」

――その頃は既に「RAW LIFE」に行ってたんですね。どうやって「RAW LIFE」の情報に辿りついたんですか?
 「2004年の初回がちょうど大学1年で。ネットか雑誌で知ったんだと思う」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――大学1年のときに「RAW LIFE」に行っていたら楽しそうですね。自分は見聞きしたことしかないので。行ってみたかった。みるくに行ったり「RAW LIFE」に行ったりしたのが大学1年生って、すごく楽しい時期じゃないですか?大学生の頃の思い出に残っているイベントは何ですか?
 「なんだろう、とにかくいろんなところに行ってたからな。みるくだったらMURDER CHANNELとか。DODDODOを初めて観て、そこからその周辺の関西のミュージシャンの音楽も追いかけるようになった。遊びに行くきっかけはL?K?Oが出てたからだったかな。shin takaiのライブとかも印象的で」

――大学時代にタクミさん(* 2)には会ってるんですか?
 「会ってる、会ってる」
* 2 あらゆるパーティにいる、“パーティバラモン”のひとり。

――おー。その頃から知り合いなんですね、すごいなあ。トレードマークの帽子はその頃から被ってました?
 「被ってたよ。記憶は曖昧だけど、タクミさんを初めて認識したのは、たぶん、UNITでやったROMZ Recordsのアニヴァーサリー・パーティで。その少し後で、O-nestでやってたジョン・ハートの写真集『MISONO DAYS』のリリパ(* 3)に行ったときにもいて、話しかけたんだったかな」
* 3 2006年6月11日(日)に東京・渋谷 O-nestで開催された「MISONO DAYS -JOHN HARTE写真集出版記念PARTY-」。あふりらんぽ、おしりペンペンズ、CROSSBRED、DODDODO、ggpp(cc)、1★狂(一番星クルー)、KA4U、 Maruosa、nanycal Z、OVe-NaXx 、pig & machineがライヴ、rokapenis(斉藤洋平)がVJで出演。

――話しかけたんですね。その頃ってライヴハウスで知らない人に話しかけるって今よりよくありましたよね?今ってSNSがあるからなのかなあ、その頃のほうが僕も知らない人に話しかけていた気がする。僕はひとりで遊びに行った2015年の「DK SOUND」でタクミさんが話しかけてくれて、その流れでミヤジさんを紹介してくれて。ミヤジさんとはそのときに初めてちゃんと話したんですよ。
 「そっか、そっか」

――先程聞いた、映像サークルの話に戻るんですけど、fkirtsさんもインタビューで語っていましたが、その頃のカルチャー好きは映像を作りたい人が多かったんですか?
 「そう言われると、多かったような気もする。“RESFEST”で出会ったのがきっかけになって、一緒に遊ぶようになった友達はいるよ」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――CRJでのミヤジさんの初企画は何だったんですか?
 「ライヴ・イベントだよね。だいたい何人かで一緒に企画する形でやってたんだけど、最初は新宿のMotionでやったイベントだったかなあ。関西から夢中夢っていうバンドが来るっていうタイミングだったような(* 4)
* 4 2007年2月24日(土)に東京・新宿 Motionで開催された「CRJ-tokyo 20th Anniversary 8"SOUND SURFIN' vol.218"」。出演は夢中夢、Muddy World、pagtas、HUNUNHUM、Optrum。

――このイベントもミヤジさん以外にも複数の企画者がいたんですか?
 「そうそう。それで、sac(近藤さくら)にフライヤーを描いてもらった」

■ 本人追記 3
後で確認したら、上記イベントは2回目で、最初は以下のオールナイト・イベントの企画でした(この企画もフライヤーはsacにやってもらっていたはず)。
| 「CRJ-tokyo presents "SOUND SURFIN' vol.18"」
2006年9月29日(金)東京・下北沢 ERA
Live | Optrum / SPECTRUM SYNTHESIZE! (from 福岡) / itoken + jimanica / milch of source / 月の海
DJ | L?K?O / ぷりぷり
VJ | Hayashi Hiroki

| 近藤さくら(sac,サック)のこと
sacこと近藤さくらには、音楽イベントの企画を始めてから数年間、ほぼ全てのイベントのフライヤー制作をお願いしてた。CRJのメンバーでもあった友人の永江 大くんが作ったミニコミ『ZARADA』の創刊号ではインタビュアーとして話を聞かせてもらったことも。

――へえ〜、一発目で。
 「sacと出会ったのは場所はたぶん2005年頃。『ant magazine』っていうフリーペーパーがあって。たぶんmixiのコミュニティか何かで『ant magazine』が音楽イベントをやる、みたいなことが書かれていて、どういう感じか興味を持って話を聞きに行ったときにいて。中目黒のFRAMESだった気がする。それでその場でsacに作品を見せてもらってフライヤーを頼んだ気がする」

――近藤さんと知り合ってから長いですね。
 「そのときの中目黒のFRAMESにはセントラル・イースト・トーキョー(CET)のスタッフだったり関わったりしていた人たちがいて、そこからなんとなく知り合いになっていって。2005年にCETにただ単に遊びに行ったときがあったんだけど、そのスタッフとして関わっていた上野毛の多摩美の夜間の人たちとか、いろんな人がいて。過去のイベントログやmixiとかも見ていると、みんながすごく良い出会いかたをしていたんじゃないかなって思った。後から考えると、CETとかの場作りの感じが気になってボランティアで入ったんだな、とか思う」

――ミヤジさんの企画したイベントで僕が行っていたのは神奈川・江の島 OPPA-LAでやっていた「Hold on me!」なんですけど。きのしーさんと共同企画の「Hold on me!」は、いつ始まったんですか?大学を卒業してから?
 「いや、在学中。きのしーとはCRJで出会って」

「Hold on me!」フライヤー | Photo ©AVE | CORNER PRINTING

――1回目からOPPA-LAで開催ですか?
 「そう(* 5)
* 5 「Hold on me!」初回は2007年8月4日(土)に開催。nontroppo、GELLERS、藤田建次、neco眠る、2MUCH CREWがライヴ、やけのはら、タカラダミチノブ(HONCHO SOUND)、DJ SKYFISH(19-t)、TTC.(THE PASTIME GANG)、KELO(THE PASTIME GANG)がDJで出演。

■ 本人追記 4
イベント「Hold on me!」の2回目以降の詳細は以下。場所はすべて神奈川・江ノ島 OPPA-LA。
| 「Hold on me! 2」
2008年5月6日(火・祝)
出演 | OORUTAICHI (from 大阪) / SHIRO THE GOODMAN(ROMZ/HONCHO SOUND) / AsunA / タカラダミチノブ (HONCHO SOUND) / PLUTONIAN (MC LILITOU a.k.a.真保★タイディスコ x KLEPTOMANIAC × MIDORI KAWANO)

| 「Hold on me! 3」
2009年8月1日(土)
Live | thai kick murph / シャンソンシゲル / DORIAN / neco眠る
DJ | やけのはら / オオルタイチ / 太田 裕
Special Opening Act | 波浪計画(BIOMAN / NONCHELEEE / 置石 / 自炊 / ヤマちゃん / ザビエル / and more???) Produced by DJ 威力
Soundsystem | 松本音響


| 「Hold on me! 4」
2010年8月21日(土)
Live | SIAMESE CATS / 枡本航太 / NONCHELEEE / DORIAN / neco眠る
DJ | やけのはら / BING a.k.a. Toshio Kajiwara / 置石
Soundsystem by 松本音響

| 「Hold on me! 5 ~DODDODO + 稲田 誠リリースパーティー~」
2010年10月17日(日)
Live | DODDODO + 稲田 誠 / 三沢洋紀と南いちこと岡林 "コゾウ" 大輔に宮地健作バンド / 鴨田 潤 (イルリメ弾き語り) / mmm + 宇波拓 + 下田温泉 / core of bells + 杉本 拓
DJ | 太田 裕
Soundsystem by 松本音響

| 「Hold on me! 6」
2011年9月3日(土)
Live | DORIAN / NONCHELEEE / シャムキャッツ / 片想い / 辺口芳典 x 勝賀瀬 司
DJ | やけのはら / 太田 裕 / 威力 / 置石
Soundsystem | 松本音響

| 「Hold on me! 7」
2013年8月17日(土)
Live | neco眠る / スッパバンド / 嫁入りランド / ayU tokiO
DJ | やけのはら / 自炊 / 太田 裕 / 李 ペリー
Soundsystem | 松本音響

| 「Hold on me! 8」
2014年12月7日(日)
Live | Hi, how are you? / VIDEOTAPEMUSIC & beipana / 三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター / Hara Kazutoshi
DJ | 太田 裕
Soundsystem | 松本音響

| 「Hold on me!」
2019年8月12日(月・祝)
Live | 千紗子と純太 / ayU tokiO / テンテンコ / エマーソン北村
DJ | strawberrysex / speedy lee genesis
Shop | KSFCLB from Kteam
Sound | 馬場友美
Flyer | 近藤さくら

――今やっても全然楽しそう。
 「初回は想定よりも出演者が増えたんだよね。キツキツなタイムテーブルだった」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――ライヴの企画をしつつ大学生活を送って、卒業後は就職はしたんですか?
 「就職してます。印刷会社の営業を1年半ぐらいやっていたよ。“Hold on me!”はその頃年1回で開催していて、就職後もイベントの企画はいろいろしていて。イベント年表とか用意してくれば良かったね」

――あるんですか!?
 「昔の企画はログが残ってる。それを見ながら話せば良かったね」

――それだと半日以上かかる気がしますね(笑)。印刷会社を辞めた後に南池袋ミュージック・オルグですぐ働き始めたんですか?
 「どのくらい空いてたか正確には覚えてないんだけど、間が空いているね。震災の年にオルグが始まっているから」

――オルグはどういう経緯で始まったんですか?
 「ライヴ・スペースを始めるのでイベントの企画担当を募集してるというようなツイートを見て話を聞きに行って。やりたいイベントはあっても仕事にするつもりはなかったんだけど、オーナーと話しているうちに働くことに」

■ 本人追記 5
この頃は、日雇いの肉体労働の仕事をしたり、ふらふらと働いていた。短期間ではあったけど、千葉県の松戸エリアなどのまちづくりに関わっている団体(現: 株式会社まちづクリエイティブ)で仕事をさせてもらっていたことも。BONUS TRACKでの仕事に繋がる縁が生まれていた時期とも言えるような。

――ミヤジさんがオーナーっていうわけではなかったんですね。
 「はい。途中で変わったりもしてるけど、ずっとオーナーは別にいました」

――オルグで働いている人は何人いたんですか?
 「PAとしてはメインスタッフ馬場ちゃん(馬場友美)がいて、片岡 敬くん、今は鳥取で農家をやっているi need me.のあくつ(かずや)くんなど。企画を手伝ってくれるスタッフは全部で10人以上はいたし、ドリンク・スタッフの手が足りないときは、友人や知り合いのミュージシャンに代わる代わるバイトとして手伝ってもらったりしてました」

■ 本人追記 6
過去の「Tokyo Loco magazine」での馬場ちゃんのインタビューを読むと、どういう人が録音していたかがわかる。

――オルグでミヤジさんが印象に残っていることはありますか?
 「ずっといたから、めちゃくちゃあるよ(笑)。選べないな。そういえば、オルグのグランド・オープンの日は片岡くんの企画で、シャムキャッツとNRQと福岡史郎バンドが出たんだけど、その日は俺はその場にいなくて。新潟のお寺でイベントをやってたんだよね。グランド・オープンの日に自分がいられなかったっていう」

――お寺のイベントはどういう?
 「ケルンくんっていう新潟の友人との企画で。ケルンくんは音楽イベントの企画などはやったことなかったんだけど、前年に縁があって新潟で知り合ったときからいつか一緒にイベントをやれたらいいなと思っていて。円秀さんというかたが住職をつとめる正福寺というお寺でやらせてもらいました(* 6)
* 6 2011年4月30日(土)に新潟・正福寺 本堂で開催された「わをん」。DODDODO + 稲田誠、mmm、Asuna、土井玄臣、haikarahakutiが出演。Curry Specialty Store VOVO、Fish On、 真昼造船、小田島等、ヌケメが出店。

■ 本人追記 7
ケルンくんとはこの年の秋にも新潟で一緒にイベントをやりました。ケルンくんのアイディアをサポートした形で、以下のポップアップショップを企画しました。
| 「余韻」
2011年11月25日(金)-27日(日)ラフォーレ原宿・新潟 4F エレベータ前スペース
参加作家 | ASOKO / あんも / OMOCHI RECORD / 権田直博 / こんどうさくら×桐山阿弓 / ZARADA / SPINCOLLECTIF TOKYO / 高橋 咲詠 / 土屋政志 / 角田正之 / ヌケメ / 林弘樹 / -POEM & SOAP- / ホサカタカシ / マサエ / 箕浦建太郎 / むくり / 漫画研究会犀の眼 基村英行 / littomeroo ほか

 「オルグのグランド・オープンの初日にはいなかったけど、自分でもふたつのオープニング・イベントを組んで。ひとつは柴田聡子、オオルタイチ + YTAMO、Alfred Beach Sandal、ホアン海(YTAMO + 西川文章)っていうユニットが出た企画。フードでスロウのパン屋も。フライヤーはゴロゥにお願いした」

「avant garden」フライヤー | Photo ©AVE | CORNER PRINTING

――関西と関東の感じがいいですね。
 「もうひとつは二艘木(洋行)くんにフライヤーを頼んだ企画で、ju seiとFRATENNと▼ノウズノイ▼(ガルペプシの別名義)とか出てるようなラインナップで。きーたん(桐山阿弓)とかおりーぬがやってた老後を考えるが会場デコレーション。Nothto、アユミ(青色一号)のフード出店も」

 「オルグは2011年の1月くらいにプレ・オープンして、すぐに震災が起きて。その日のこともよく覚えてる。あの日の夕方に今日もしかしたら帰れない人がいるかなって思ったから“朝まで開けておきます”って看板を出して、ちょっとしたパンとかご飯とか買って、Wi-Fiもあります、避難してもいいですよって。でも全然人は来ないわけ。家に歩いて帰ったり、避難できる場所がある人はいいんだけど、そういう情報を持っていない人が池袋駅の地下通路にあふれていて。でも地下2階の“知らない店”までは入ってこない。Twitterで告知したり、声をかけたりして、何人か一時的に避難しにきたけどね」

――オルグは何年やっていたんですか?
 「4年ですね。震災の年から2014年の大晦日まで」

――オルグが閉店して、次に7th FLOORで働いていたんですか?
 「そうそう。2015年の夏から働かせてもらって。もともと好きな会場で。地下ではなくて7階にあるところとか。ベランダに面した大きな窓があるから、昼間は日差しが差し込んで明るくて、夜には暗くなって。グランドピアノもある。大きなバー・カウンターとキッチンがあって、椅子に座りながら演奏を観れるし、ステージ含めてほぼフラットな作りで、フロア・ライヴやDJイベントもやりやすい」

――特に印象に残ってる企画はありますか?
 「たくさんありすぎて……」

――7thは僕もミヤジさんが携わっている企画でたくさん行きましたけど、企画している人ならなおさら、印象に残った話となると困りますね。例えば藤井洋平さんのワンマンは特に印象に残っています。
 「藤井さんにはオルグでも何度もやってもらってたけど、7th FLOORではワンマンや2マン企画で、バンド編成でがっつり演奏してもらう機会が多かったです」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――ミヤジさんと話していると、よく鳥取が出てきますが、鳥取とはいつから繋がりがあるんですか?
 「最初に行ったのは2015年かな。知り合いがやっている『たみ』っていうゲストハウスがあって。2015年の前半は日本全国のいろんなところに遊びに行ったりしていたんだよね。オルグが閉まって時間ができたから、遠くに行けるようになって」

――汽水空港に行ったのは?
 「汽水空港はもう少し後かな。最初にたみに行ったときは、まだお店のオープンの前で。汽水空港のすぐ裏に店主の森くんが自分で家を作っていて、ちょうどその小屋の骨組みを立ち上げる作業(建前)には参加したんだけど。2015年の秋に汽水空港がオープンして、その数日後に、その他の短編ズの森脇(ひとみ)さんも誘って、イベント“学校ごっこ in 鳥取”をやらせてもらった。今日は好きな土地や場所の話はあまりしなかったけど、まだまだたくさんあるな」

■ 本人追記 8
森脇ひとみさんが汽水空港でイベントがやったら合いそうだなっていう予感があり、森脇さんが以前よりやっていた「学校ごっこ」という企画と、「うたの放課後」というライヴ企画を2015年10月6日(火)に開催。「学校ごっこ in 鳥取」では、モリテツヤ、渡邊聖子、川谷光平、入江 陽、佐野千明、森脇ひとみが先生役となって授業を行った。その後、夕方から開催した「うたの放課後」では、ライヴ・アクトとして、佐野千明、その他の短篇ズ、てんしんくん、入江 陽が出演。友人の写真家の渡邊聖子さんは出身地が会場周辺という偶然もあって「学校ごっこ」に出てもらうことに。島根出身の写真家の川谷光平さんとはこのときが初対面。桐山阿弓、近藤さくら、フキンによる衣料品メーカー「MAN」の洋服を着ている若者が出演していて、思わず声をかけてしまった。関わりのある場所の話でいうと、その「MAN」の展示会をやっていた高円寺のASOKOのことは、このインタビューで全然話せなかったな。

――そこらへんの話も聞きたいですけど、印象に残っているイベントと同様に、無限にありますよね(笑)。今後の目標などはありますか?
 「今後の話、どうなんだろうなあ。先のことはあまり考えていない」

宮﨑岳史 aka ミヤジ | Photo ©Misa Asanuma

――自分もそういう感じの人間なのでよくわかります。イベントを企画するときの秘訣みたいなものがあれば教えてください。
 「いろいろひっくるめて、しっくりくることをやっているだけで。BONUS TRACKと同じ下北沢にある縁もあって、最近はLIVE HAUSというライヴ・スペースで企画をやったりもしてるんだけど、たかぽうくんとの企画(* 7)は、街で偶然会ったという事実とそのときの会話の勢いだけでやってみたり。やる意味がちゃんとあるように作り込もうとすると悩んで動けなくなってしまうから、時には流れに任せることも必要だって。(秘訣じゃなくて)自分に言い聞かせているみたいになっちゃった」
* 7 たかぽう、川辺 素(ミツメ)がライヴ、Gung PangがDJで出演した2022年4月25日(月)開催「ぽう -第1回-」、たかぽう、松本素生(GOING UNDER GROUNDがライヴ、川辺 素(ミツメ)がDJで出演した同年9月27日(火)開催「ぽう -第2回-」。

――ミヤジ哲学みたいなものがありますね。
 「全てをコントロールなんてできないし。(振り返ったときに)やって良かったと思えるイベントはいろいろな偶然に導かれてやることが多いかも。意外と偶然を大事にしてる」

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