Review | Bobby Gillespie『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』


文 | ニイマリコ
撮影 | 星野佑奈

当時、俺たちは椅子には座らず、いつも床に座り込んでいた。そうすると他人の目には入らないが、こっちからはなんでも見える。

 迷彩柄のジャケットを首まで締め、短く刈り込んだ髪、青白い無表情でこちらを見ている写真。雑誌『rockin'on』2000年4月号の表紙を飾っていたBobby Gillespieに惹かれたのが全ての始まりだった。私は高校1年生で、ロック音楽にハマったばかり。安いレスポール・タイプのエレキ・ギターを買って、女子高等学校の軽音部にとうとう入部だ!と張り切っていた頃だ。最初はキーボード担当だったが、それでもバンドなるものが組めた、一部になれたことがひたすらに嬉しかった。

 ……の、1年前の1999年、たまたま観た映画『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督)にとてつもない衝撃を受けて、アウトサイダーに憧れる(昔から漫画やアニメであっても悪役好きではあったのだが……)と同時に、あの作品のメッセージのひとつ、“自分の欲望を直視しろ”とはどういうことかを考えた末、思いきって学校の勉強やルールに合わせるのを止めてしまい、レンタルビデオやCD、中古雑誌から何やら学ぼうとしていた。リアルタイムで流行っている日本のポップスやロックとされるものは昔からほぼ全てクソだと思っていて……、それも、自力で到達した感覚ではない、両親の趣味の影響からなのが薄々わかってきたところだった。例えば、母のアイドルのひとりはNeil Youngなのだが、Kurt Cobainの遺書にはCRAZY HORSE「Hey Hey, My My (Into The Black)」の歌詞が引用されていると知って、手の内というか、私が好きなものより母が好きなもののほうが格上、という気がしてつまらなく感じた。幼稚な感覚だが、実際子供なのだから仕方ない。読みたかったのでありがたかったが、ギンズバーグもバロウズも、彼女の実家の本棚には当たり前のように並んでいた。カウンターカルチャーに惹かれているのに、それは親世代の話であって、もうそれが今時分“カウンター”として機能していない気がする……、言うまでもないが父も母もリベラル寄りとはいえバブル景気の恩恵を受けたノンポリ世代で、Gillespie夫婦のように政治思想が濃かったわけでも、なんらかの意志があったわけでもない。表面上ははみだし者に見えたとしても、私も所詮は敷かれたレールの上にいるようで嫌だった。……今となっては、なんと愛しき反抗だろうか。

 とにかく雑誌を手に取って立ち読み、PRIMAL SCREAMを知る。速攻興味が湧き、急いでTSUTAYAに自転車を走らせ、そのとき並んでいた最新作は『Vanishing Point』であった。びっくりした。今まで聴いたことのない音楽だった。これが“バンド”の音なのか?暗くて深くて、いかにもアブない雰囲気にヒリヒリした。覇気はまるでなく、幽霊のようで、それでいて甘い耳触りの歌声。インストの曲も素晴らしくかっこよかった。全てが新鮮で、こんな音楽を聴いてるヤツは自分だけだ!!! と興奮しながら学校をサボって散歩に勤しんだ。歩きながら音楽を聴き、イメージを遊ばせることが好きなのは今も変わらない。アルバム毎に音楽性が変わりまくることにも驚き、中古雑誌にPRIMAL SCREAMの文字があれば片っ端から読み、Bobbyが紹介しているアルバムはTSUTAYAや中古レコード屋で探した。特にCANやNEU!、SUICIDEは衝撃的だったし、50~70sのロックやポップスについての彼の解説を読んだ後では彩りが加わって、音楽を聴くという体験がもっと楽しくなった。サイケやガレージ・パンクというジャンルも知ったし、電子音楽もおもしろい。PRIMAL SCREAMの諸音源は“ロックンロール”という広大な海のガイドブックのようだと思う。あの島に寄ろう、この波に乗ろう、と要素を取り入れていくが、曲自体に複雑さはなく、耳が疲れないようにできている。しかしこういったことは誰ともマトモに共有しなかった。「英語の歌詞の曲はそもそも共感できない」「歌が入ってないからわからない」「古いから迫力がない」……聴かせてもそんな感じの応えばかり。でもぶつかりたいわけではないので引っ込めてしまった。こんなふうに頭でっかちで内向的な自分も嫌だった。このままでは理屈っぽいだけのつまらない人間になる、音楽は実践だ!!!

俺は静かに怒っていた。

共感?わかる?どういうことだ?と自問自答する。かなしいけれど、どこかしあわせだった。私だけの何かだ、と噛み締めていたから。 

 00年代前後のBobby Gillespieのインタビューは政治的な発言が特に激しかったように思う。労働者階級の出であること、かなりキツめの共産主義、社会主義教育を受けて育ったことを全面に押し出していて、新譜の話云々よりもそういう話題のほうが目立っていた。初めはチンプンカンプンだったが、しかしJohnny Rottenは単なる思春期の反抗心や逆張りでノーフューチャーと叫んでいたわけではないことを理解した(ジュリアン・テンプル監督のドキュメンタリー映画『ノー・フューチャー: ア・セックス・ピストルズ・フィルム』の日本での公開は2000年の秋だったようだ。勿論観に行った)。日本には階級制度なんてない?いや、あるよな?と突き当たって、そうか、これだ。もっと外へ、社会自体に目を向けようとすれば、歴史や公民の授業の見方が変わった。まあとりあえず話くらいは聞いてやることにした。どーん。

パンクは音楽だけのムーヴメントじゃない

パンクとは自主、自立であり、自分で新たな人生を作り出すことだった。

ネオリベラルが言うような自助ではなく、創造的な『自分のためにやること』だった。

おまえは、おまえの人生を変えられる

傍観者でなく、創造主になれ。それがパンクのメッセージ

私はきっとその”メッセージ”を、なんとかキャッチできていたんだろう。99パーセントの連中は肝心なところを見逃した世界に生きていく上で、この知性は有効だったと思いたい。

 以来私は、Bobbyに先生をつけて呼んでいる。私にとって、Bobby Gillespieはロックスターの枠には収まらない。「師を見るな。師の見ているものを見よ」世阿弥の言葉のように、彼の見ているものが見たかった。この本はそんな私が一番見たかった、原風景からインナースペースまでを晒してくれたと言えるだろう。師を見る、とはそういうことかもしれないと、改めて思う。Bobby先生。20年以上、お人好しでアホな自分の、人生の教師なのだ。

 そんな先生はまだ収まる様子のないコロナ禍で、共作者にSAVAGESのJehnny Beth(ちなみに私と同い歳!←そういうとこ~!)を擁しての初ソロ・アルバム『Utopian Ashes』、そしてこの自伝『Tenement Kid』をリリースした。同じタイミングでソロ・アルバムを制作していたこと、何故か文筆の依頼が来るようになり、戸惑いながら一生懸命書いている最中で、自伝執筆の報を受けての私のこの、燃えたぎる“オカルト”な気持ちが伝わるだろうか。というわけで、PRIMAL SCREAMの大ファンではあれど、マニアでもコレクターでもない人間の書いた、書評なわけがなく、感想文ですらもない“怪文書”になるであろうことを、どうかお許し願いたい。

 1961年生まれのBobby先生がよちよち歩きの頃から、1991年歴史的快挙盤『Screamadelica』のリリース直後までのおよそ30年を、自分視点で克明に記述されたのがこの本である。ロックスター本によくあるインタビューの聞き書きでも、第三者による評伝でもない。自動筆記か?という勢いで、しかしテンポよく、見ていた風景、交わした会話……付き合っていた友人、恋人、家族、バンド・メンバー、死んでしまった人、生きている人、まだ付き合いのある人、もうない人も、皆同じように瑞々しく浮かび上がってくる。そのとき考えたこと、口に出したこと、出さなかったこと。それらについて還暦を過ぎた今、俯瞰して思うこと。やりまくったドラッグをやめるために受けたセラピーで判ったこと、まだ混乱していること、温度をそのままキープするように書かれた文章はまさにBobby先生の歌詞そのままだと感じた。

俺はブルーズやソウルの作詞家の書き方が好きだった。

シンプルで、直接的で、正直で

そのダークな技を学びたかった。いつか自分でも操れるようになりたいと願っていた。

それは音楽に強い印象を残すため、人に伝えるために学び、考え抜いた表現方法なのだということも、本文で幾度も釘を打つように書かれている。まるでナイーヴな自己が逃げられないように。

 前半は荒っぽい街で苦心して過ごした貧しい子供~少年時代が描かれる。母親にどやされて不条理には抵抗することを身体に叩き込まれつつ、妄想の世界に逃げ込んでは音楽のみならず映画、文学、そして漫画(!)に救いを見出した……、て、完全にオラのことじゃねぇかーーーッ!!! シュインシュインシュイン!!!!! という音と共に逆立った金髪になる勢いのワタクシである。そしてセラピーで判明したらしい“解離”という病理について。解離とは、記憶・知覚・意識といった通常は連続してもつべき精神機能が途切れている状態のことをいう。心のキャパシティを超える状況にぶつかった時に、無意識下で生々しい現実と離れる、切り離すという手段を使って身を守るのだ。私も昔からこの感覚があり、一時期調べていたので驚いた。えっ、そんなとこまで?似てるなんて……??! ……カーーーッ!!! シュインシュインシュインシュイン!!!(大丈夫ですか?これがBobby先生名物、因縁やあやかりでテンションを上げる、ロック・オカルト・パワーです)当たり前に専門外なので詳しくは書かないが、この“解離”もBobby先生の作品やドラッグへの執着に影響しているようにも思え、非常に興味深い(とある政治番組に出演した先生の態度がささやかなネットミームになったことがあったが、怒りと呆れからきっと“解離”なさっていたのだろう)。この症状は他人、特に大人にとっては取るに足らないようなきっかけでも引き起こされるらしい。Bobby先生が“解離”発症の原因だろうと認識しているいくつかのことも、え?よくあることじゃん?と思う読者もいるだろう。しかし、まだ視野も狭く知識もない、柔らかい感性をもつ子供は“え?”なことで大ダメージを受けてしまうものだ。それによって一生躓き続けることになるくらい、人間は繊細なのだ。乗り越えたつもりが突発的に頭を出す場合や、乗り越えの成功体験が誰かにストレスを与えることもある。自分に出来たことが他人も同じように出来るとは限らない。逆もまた然り。すこし脱線するが、メンタルヘルスについての様々を、日本はかなり蔑ろにしているように思える。勤勉で真面目な国民性に拠るのだ、と開き直るべきではない。それはポジティヴな行為と言えない。

俺はただ、ストライキという単純かつ直接的な行動によって、普通の人々が――全員が共通の目的のために連帯し、自分たちの階級の力を見せることで――国を止め、あらゆることをストップできる、という考えに魅了されていた。国営放送と民営放送がどれも停止し、港が閉鎖され、貨物船は積荷を降ろせず、石油輸送を拒否することでガソリンスタンドが閉まり、車も走らず、スト破りの裏切り者がストライキから離脱することもできず、新聞は印刷されない。

人々に国の電気のスイッチを切ってしまう力があり、誰もそれを止められないのだから。それこそがパワーだと感じられた。

最高に愉快だった。

現実そうなれば私も最高に愉快だと思うが、この一人一人にパワーがあるという意識が、この国はとにかく根こそぎやられていて、“他人に迷惑をかける”とは口先ばかりの、結局は相互監視的な発想でドン詰まりの状況が長く続いている。美徳とされている“勤勉で真面目”が、一体誰にとって都合がいいのかという視点に立って、本当の敵は何かを見極めるべきだ。個人の心は社会と繋がっている、いくのだと思う。個人が病めば、当然社会も病む。

 さて、この半生記で通奏低音のように走っているのがBobby先生の父親、Robert Gillespieの存在である。上記のような“ストにワクワクする少年”が出来上がったのは紛れもなくRobertの影響だ。音楽誌のインタビューであっても“父親”の話は頻繁に出てきており、ファンの皆様におかれましては気になっていたトピックではないだろうか?(違いますか?!)

父にはカリスマがあり、目立つ男で話がうまかった

肩幅が広く、たくましい胸、髪も豊かでハンサムだった

サッカーチームに入りたいがために教会に通うことになったとしても、

マルクス主義者だったが、何も言わなかった

『とにかく本を読め』と言っていた

『もしアートを勉強したりミュージシャンになったりするためにアートスクールに進みたいなら、俺が授業料を払う』と言われたのを覚えている

その上大抵とても鷹揚暴力を振るったことはないそうで、はっきり言って完璧すぎるほどに完璧な父親だ。貧困層の出で、かつ第二次大戦の影響もあり、何も与えられなかった父は息子2人にそのぶんを与えようとした。社会主義者を自称しているのも、この“完璧”を体現できる“父親”を身近に感じてきた“息子”だからなのだろう。しかしその反発のしようがない父親の陰に、好奇心旺盛で創造性に富んだ母親ウィルマ(後年、楽屋でラリッた息子と言い争いになっているところを撮影していた息子の友人を殴ったりするようなアグレッシヴな女性である)が隠れてしまっていることにも幼くして気付いてしまっていたのだ。ふたりともスプリングバーン社会主義青年団のメンバーであり、若くして結婚し、息子兄弟のために苦労をした、Bobby先生にとって尊敬すべき両親、からの愛が、逆に放蕩息子を幽閉してしまったとも言えないか。結婚生活が破綻して、子供の前で大喧嘩をしたって両親は全く悪くない、なんなら自分がいるから生活は貧しいままで2人は衝突するのだ、くらいに思っている。大事にされている、愛されている、それなのにどうしてこんなに満たされない、自分はわるいこだ、という天地のひっくり返ったような自己否定。Bobby "Blue" Blandの不公平で、厳しく、容赦ない世界に歯向かおうとする男らしさと正しさに焦がれつつ、しかしBobby先生の個性であり、最大の魅力なのはこの自罰的な傾向、そこから発せられるブルーズだろう。

 中盤のALTERED IMAGESのスタッフ、からのドラム手伝い、THE WAKEでベースやキーボード、その合間にPRIMAL SCREAMの萌芽じみたものを挟みつつ、高校を中退して週5で働きながら、何かしたい、このままでは終われない、と音楽シーンに必死に喰らいつこうとする様は、特にバンド経験者は涙なしには読めないのではなかろうか(言い過ぎか)。このあたりは特に個人的な視点がドキュメンタリーのカメラのように機能している。いろいろあったことを滲ませつつも、けっして誰のことも悪く書かぬよう慎重な表現、SIOUXSIE AND THE BANSHEESやNEW ORDERなど諸先輩方(のファンの方々にも是非読んでいただきたい箇所)にやさしくしてもらっちゃって、ンモー!神!尊敬しすぎて近寄れないし喋れない!!! なミーハー爆発ぶりが微笑ましい。神経質なインテリ青年風のNEW ORDERのBernard Sumnerが、詩集とか持ってそうなのにポケットにエロ本を忍ばせているのを見かけ、ロックを感じて密かにカンゲキ!など、想像というか妄想のピュアさには吹き出しを禁じ得ないが、端々にはどうにも自信の持てなさが垣間見られるところはほろ苦い。そんなうだつの上がらない暗い青春を通過すると、いよいよ満を持して登場するのがTHE JESUS AND MARY CHAIN(以下 ジザメリ)のストーリーだ。表向きは『Screamadelica』の本とされているが、裏番長的、否、ある意味最大のハイライトかもしれない。完璧にかっこいいバンドの一部になって、世界に向かって一斉射撃をする快感。オーディエンスが第4の壁を破ってくる熱狂。

俺が、俺たち全員がここにいるのには何かしらの意味、目的があるのだと。

俺はギャングの一員で、彼らをただ愛していた。

全員と恋に落ちていた。

……あ、ダメですわ、胸を搔きむしり、そのへんを転がり叫び散らしたい衝動をおさめるのに今必死です、キーボード叩き割りそう。加入前に観たWilliam / Jim Reid兄弟(ギターとヴォーカル)の様子をぼろい服を着た、痩せっぽちの若い男たちがぶつかり合い、全員にハイ・ヴォルテージの電気的エナジー、ぴりぴりしたアドレナリンに満ちている。と捉え、今でも名の残っているような、他のインディロックのバンドにはなかった暗いセクシャリティがあった、と表現しているわけだが、このジザメリの章はご本人直々に書かれている通りホモエロティックなムードが漂っている。(デヴィッド・)ボウイと(マーク・)ボランは俺にアンドロジニー[両性具有]と詩を教えてくれた彼らは俺たちの世代に、男性性や女性性、ジェンダーという枠組みに挑戦することを教えたと、冒頭のほうで語っているが、Bobby先生のアートにおいてこのアンドロジナスホモエロティックというのは非常に重要な位置を占めていることがわかる。『ミュージック・マガジン』誌のPRIMAL SCREAM初来日時(1990年)の小さなインタビューでは自分に似た恰好をした女の子の客がけっこういるライブ中に、そんな女の子も勿論、男の子が抱きついてきてくれると最高の気分と答えてもいる。私は(今でもだが)この感性にこそ安心していたように思う。そういえば、2003年頃『snoozer』(リトルモア)という雑誌のおまけポストカードに男性とキスをしている写真が使われていて、私はBL(当時はやおいだ)好きなので瞬時にブチ上がったのだが、その“ブチ上がり”という感情の中には一筋縄ではいかない、泣きたくなるような切実さがあったのだ、いわゆるファンサービスをありがたく享受する、的なものではなく……。ちなみに、相手の彼は金髪に赤と黒のボーダーシャツという装いで、どこかKurt Cobainを連想させた。『Screamadelica』とNIRVANAの『Never Mind』は同日発売のアルバムであった、と本の最後に添えられているのにもちょっと驚いた(その上、この本にはCobainの妻であるCourtney Loveが熱いコメントを寄せている)。あの有名なジャケットの青い太陽の絵を描いたPaul CannellはKurtのファンだったそうで、彼との淡く切ない思い出も書きつけられている。きっとKurtのフェミニンな部分にもBobby先生は共感を寄せているのだろう。1stアルバム『Sonic Flower Groove』(1987, Elevation)収録の必殺の名曲「Gentle Tuesday」は内気な女の子になったつもりで恋の歌詞を書いたそうだ(音楽はこういったメタモルフォーゼをも可能にする)。セクシャリティについての話は様々出てくるのだが、本人の言葉でこんなにはっきりと曖昧な(矛盾)ことを書いてくるとはよもや、と本を胸に抱き感嘆の声を上げてしまった。昔はこうだったが間違っていた、今はこうなっている(良い傾向だ)、といういくつかの記述……例えばパンク、ニューウェイヴとナチのイメージの関係、アンチ・ファシズムなはずの当時の若者として、それでも影響されていたことについてなど……も、私には“アップデートした年寄り”というより、昔から感じていたこと、考えていたことが言葉や時代の変化によって他人に伝わりやすくなった、だから書いた、という風通しの良さを感じる。

 ……また話が逸れてしまった!おそらく、ジザメリこそがBobby先生の少年期に夢見たロックバンド・ファンタジーの達成なのだ。PRIMAL SCREAMのオリジナル・メンバーはもはやギターのAndrew Innesのみ。双翼の片方だったRobert Youngはもういない。2人の間に挟まって唄うことが大好きだった、それはもう叶わないけれど。と、最近のインタビューでも答えていた。灰色の故郷から脱出した悪ガキ3人が並んだセンターゾーンは、Bobby先生の壊れたバンド・ファンタジーのかけらであり、胸元に刺す薔薇のように誇らしかったことだろう(『Screamadelica』制作時にはもう、ソングライター集団になるというイメージもあったようだ)。元FELTのMartin Duffyもオリジナル・メンバーで差し支えない古株だが、THE STONE ROSESのMani、MY BLOODY VALENTINEのKevin Shields、LITTLE BARRIEのBarrie Cadoganなどが出入りするパンクロック楽団の形態になった。私はJ Mascisや、Wilko Johnsonが飛び入りして、THE STOOGESやTHE DAMNED、THE HEARTBREAKERSの曲をカヴァーする夢のようなライヴも観たことがある。そんな中でのBobby先生の役割は、さながら看板役者兼指揮者のようなものだ。対して、ジザメリはギャングの一員、パーツとして、リード兄弟という退廃的かつ妖しいカリスマに献身するような、自分が存在しつつ消えているような快楽があったはずである。

宗教、それにロマンティックな恋愛は人類最古の詐欺だ。

Bobby先生自身が、ともすればそちらのほうにいつでも堕ちてしまうという肌感覚もあるのだろう。「愛されるよりも 愛したい 真剣マジで」とはよく言ったもので(なんだ急に)、対象に愛を注ぎ、捧げることは結局宗教的行為だ。自我が空っぽに、肉体も軽くなった心地に、“救われた”と認識しているに過ぎない。ジザメリの主体はカオスを呼び込むReid兄弟なのだ。その場にずっと居座ることはできないという、運命と呼ぶべきか意志と呼ぶべきか……、その両方でもって、愛したいほうから、愛されるほうへスライドしたBobby先生は、かくしてPRIMAL SCREAMのフロントとして名を上げることになるのだった。

 ただ……、あんなカリスマ・バンドのドラムからフロントになって、今でもコンスタントな活動をしているだなんて、なかなかいないですよね。あ、Dave Grohlもか。ちなみにジザメリとはずっと友好的な関係で、ロンドン公演には今でも必ず駆けつけているそうだ。Jim Reidは「もうBobbyしか友達がいない……」とのこと。いい話である。

 『Screamadelica』ではレコーディングだけでなく、ツアーにもDenise Johnsonというブラックの女性シンガーを伴っている。22年前、ブートのライヴ・ビデオやなんかを売っている店の内容チェック用の小さなモニターを眺めながら、この人もメンバーなのか?とぼんやり思った。あまり見たことのないパターンだった。彼女はコーラス隊のようにBobby先生の後ろに立っているのではなく、2人は並列に、自由に動き回りながら唄っていたのだ。PRIMAL SCREAMには、CSSのLovefoxxxや、THE KILLSのAlison Mosshart、Sky Ferreiraに、スーパーモデルでマブダチのKate Mossをフィーチャーした楽曲などがあるが、全員が対等に唄っているように意識されたヴィジュアルないしレコーディングになっていると思う。やはり母親Wilmaの影響だろうか。

70年代には、フェミニズムはまだ労働運動に大きなインパクトを与えていなかった。

女性は子育てをし、料理をし、家を掃除する役割だった。

フェミニズム運動についてはまったく無知だったが、俺は母を尊敬していた。母は静かに闘っていた。

俺はある意味、早くからフェミニストだった。

この記述に意外性はない。行動にも作品にもそれはずっと出ていたからだ。(まだ全然足りていないが)今ほど女性が表に出てくる前からずっと、PRIMAL SCREAMはフェミ的なアプローチをしていた。それに本によるとBobby先生は、BANSHEESのSiouxsie Siouxや、THE CRAMPSのPoison Ivy Rorschach(あの曲は彼女に捧げられていたのだ!)のようなコントロールされない支配的な女性のアーティストを、好みとかタイプとかというよりも、「かっこいい……(溜息)」のような感覚で憧れていたようだ。小学校の初恋の女の子すらなんだかそんな感じの子っぽいので筋金入りである。そしてこの本のミューズである恋人Karen Parkerも、どちらかというとかわいいカノジョ、というより相棒のような存在だったのかもしれない。同じように音楽に夢中で、ファッションやドラッグでやんちゃができるような。墓地で初デートして付き合った彼女にもらった、Johnny Thundersの×が付着した××を2006年の結婚式でも付けて出ただとか、インスパイアされたという曲を30年後の今であっても堂々と御開帳しているのも、本当にロマンチストすぎて強いのか弱いのかよくわかんねっす!と敬礼するしかない(?)。幸せなカップルだった季節、それでも必ず訪れる別れ、終わり、というのはソロ・アルバムのリード・トラック「Remember We Were Lovers」のような、Bobby先生のおそらく生涯のテーマだ。Andrew Weatherallが2ndアルバム『Primal Scream』(1989, Creation Records)のバラッド全曲を評価したことで『Screamadelica』制作に関わっていくわけだが、もともとあったメランコリックなブルーズの資質を、Karenとのことが決定的にしたのではないか。『Screamadelica』のラストを飾る曲「Shine Like Stars」の歌詞について、夜遅くベッドに入ろうとすると、カレンが寝ていて、なんて綺麗なんだろうと思っていたこと、眠っているととても脆く見えたこと。いつもの態度や防御的なところがなくなり、ただ静かで優しく、無防備だった……眠っている人、というのは死に最も近い存在だと思う。眺めていると、死が恐ろしくなくなり、ただ“静かで優しく、無防備”なものだと感じられる……。墓地から始まったKarenとの時間を想像する。ああ、Karen!!! ソウル・ラヴ……、とかって、なんだかKarenと濃密にすれ違ったことがあるような気持ちになってしまい、危険すぎる。まったく音楽のオカルト現象である。わりと恋人には一途なBobby先生なようだが、ロックスターらしくワンナイト・スタンドも楽しみつつ、現在の妻Katy England、こちらもハイパー仕事できる超有名スタイリスト / アート・ディレクターで、やっぱり強くてかっこいい女性だ。ふにゃふにゃな先生をリードしてくれそうで安心なのだが(何目線なのだろう。舎弟目線です)、彼女に一目惚れの理由が「父親と同じタトゥーを入れていて運命を感じたから」なんだそうで、ちょっとズッコケるのであった。なんつーか、大丈夫すか。

 と、そんな非マッチョの急先鋒のようなBobby先生にそれでもマッチョなものを感じるのが“ドラッグ”についてである。おそらくしっかりと家庭を持ったことと、故Robert Young(ちなみに彼の描写も過剰なまでにホモエロティックである。少しだけ出自も紹介されており、本当に泣けて仕方がなかった。かっこよかったんですよ彼、ワイルドでいて繊細な感じが。ロバヤン!永遠なれ!涙)の件についても関係している気がするが、酷いバッド・トリップのレポートがありつつ、セラピーにもしっかり通って現在足を洗っているとはいえ、ドラッグを否定的に書いている箇所はゼロだ。「ロックンロールを理解するためにはドラッグをやらなくては二流どころか三流」というような発言もインタビューによくあり、幼い私はビビっていたわけだが(かわいいもんだ)。もっと後悔しろ!とも、抜きでもすばらしいものは作れるはずだ!(ちなみにDavid Bowieはドラッグは身も心も蝕まれるもので完全に無駄、と言っているわけだが、それは後発の人々にむけての教育的な何かだったのかもしれない)とも、ドラッグ文化そのものとはまったく縁のない、体験もない自分が言える立場にはない。『Screamadelica』を作り上げる上で多大な貢献をしたアシッドハウスはその名の通りでドラッグありきの音楽である。売れて調子に乗ったAndrew Innesにヤク売人のような真似をするなと苦言を呈するくせに、薬学の知識のある彼に安い費用でMDMAを作らせてライヴの来場者特典にしよう!と無邪気に提案して、Alan McGee(Creation Records)に呆れながら止められた、という逸話は笑いどころなのかなんなのかよくわからない。笑ったけど。

俺が育ったカルチャーでは、人、特に男はそういう『感情』について話さないものとされていた。状況がどうであれ、受け入れてやっていくしかないと。俺自身はその考え方、自助とストイシズムを強く信じている。

実際、俺の父はその好例だ。

出た!!! また父!!!

彼は医者から煙草と酒をやめなければ余命半年だと告げられた。父はすぐに断酒し、そのことを誰にも話さなかった。独力で、精神科も治療センターも彼には無縁だった。昔気質の男は厳格に育てられていた。俺はそれを尊敬している。

 ……しつこいようだが私は専門家でもなんでもないので分析することはしないが、ドラッグへの信頼とこの父親へのキツすぎる敬意は何か関係しているような気がする。昔気質の男というのは、昨今はトキシック・マスキュリニティ、つまり有害な男性性と呼ばれるものに当たるだろう。他者への加害として出てしまう場合もあれば、Robert(Gillespie | 父)のようなストイックすぎる自助努力は本人をも苦しめることにも繋がることもある。Robert(Young | ギター)も、黙って一人、内向きに籠ってしまう性格をしていたのではないかと想像出来る。Robert(Young | ギター)は失敗し、Robert(Gillespie | 父)は成功した。その差がどこにあるというのだろう。
 
 Bobby先生にとっての昔気質の男、これを諦めてしまうとロックンロールも、なんならホモエロティックも砂の城のごとく崩れ去るような気がして怖いんじゃないんですか?正直な話というか、変な話ですが、私も怖い、どうしたらいいのかよくわからないんですよね。先生はもう還暦も過ぎたし、こういったものと寝切る覚悟でいらっしゃる気がするのでいいですけど、私は第三の道について考え続けることにしますね。

似た人にはこう言いたい。自分のなかの毒の井戸を認識し、その理由を切り離すんだ

必ずいつかは真正面からクソと向き合い、倒さなきゃいけなくなる。それだけは請け負える。

この本を書くことはきっとセラピーの一環なんですよね。時に音楽制作がそうであるように。頑張りましょう、一緒に……。

 歌詞は何を書けばいいのか途方に暮れたこと。プロデューサーやエンジニアが存在する意味がわからなかったこと。ライヴでは勢いでやれていたことがレコーディングではできなくてそれがトラウマになったこと。自信作が評価されなかったこと。ヘタ(悪いことじゃない)なガールズバンド(何も悪くない)フェチ(うーん)の有名男性MC(正直キモい)を横目に微妙な気持ちになったこと。素晴らしい仕事をする人物が性差別的なジョークを言ったこと。うまく嚙み合わずにヒーローとの共演が叶わなかったこと。それをヒーローに窘められたこと。謎の馬力だけが、ただあったこと。そして音楽が自分にとって、どうしても大きいこと。規模はまったく比較にならないし、時代も環境も国も違う、けれど、私もギターを持ってパンクに参加した日から今まで、Bobby先生と同じような体験をしてきたのだとわかったことは、この混迷の世を生きていく上でまた力になるのだろう。今はもう、私だけのもの、なんて全然思わない。たくさんの人がそれぞれの理由で、迷っていたり、くすぶっていたりするのを知っている。そういう人にBobby先生を紹介したかったし、生き残ったロックアイコンとか、一発屋みたいなイメージの人にも何か訴えてみたかったのだが、……やっぱり怪文書になってしまった。もっともっと、あそこが!ここが!って言いたいことは止まらないんですけど、最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

 最後にひとだけ。個人的に、とても印象深かった箇所を抜き書きして、筆を置きたく思います。

ある夏の日、8、9歳くらいの頃、俺はひとりでこの廃墟になった工場で遊んでいた。

『荒鷲の要塞』のクリント・イーストウッドになったつもりだったのかもしれない。俺は足を滑らせ、右足が大きなコンクリートの塊の間に挟まった。引っ張り出そうとすると、コンクリートから突き出ている錆びた鉄筋の先で太ももがざっくり切れた。自分は死ぬんだと思った。

初めて自分の体の尊厳が破られ、そのショックに俺はまったく対応できなかった。

13針を縫う怪我だった。医者は物静かでハンサムな男で、シドニー・ポワチエに似ていた。俺の状態を見て、彼は俺を落ち着かせ、よく手当てをしてくれたので、それで終わりだった。あの年齢で13針縫うのは大ごとだ。

数週間後、抜糸で病院に戻ると、今度は違う医者だった。『あの黒人のお医者さんがいい!あの人が好きなんだ!』と言ったのを覚えている。

ボビー・ギレスピー『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』■ 2022年7月20日(水)発売
ボビー・ギレスピー 著
『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』

萩原麻理 訳
イースト・プレス | 2,727円 + 税
A5判 | 384頁
ISBN 978-4-7816-2099-2

[目次]
| パート1 (1961-1977)
1 スプリングバーン育ち、それが俺だ
2 服はアーサー・ブラック、パンツはハイウエスト (ザ・マウントでのスクール・デイズ)
3 サイキック脱獄 (ジョニーを見た少年)
| パート2 (1977-1981)
4 見習いパンク
5 新たな宗教
6 文化革命
7 変容するイメージ、変容する意識
8 ファクトリーの連中 (刈り上げとカフカ)
| パート3 (1982-1985)
9 グラスゴー労働者階級のインダストリアル・ブルーズ
10 スカイブルーのヴォックス・ファントムの叫び
11 祖母がアシッド・ファクトリーで着けたサッシュ
12 ジーザスが歩く
13 十字軍
14 アンフェタミンをキメた革服の男たち
15 サイコキャンディ
16 スプラッシュ・ワン・ハプニング
17 エレクトリック・ボールルームの電撃 (脳天を割られ、鎖を外される)
| パート4 (1986-1991)
18 ソニックの花、ストロベリーの飛びだしナイフ
19 ブライトン・ロック
20 アシッド・ハウスを祝福せよ
21 オードリー・ウィザースプーンによる福音
22 ウォルサムストーでローデッド (リミクス / リモデル)
23 ボーイズ・オウン・ギャング
24 ハックニーのパラダイス
25 マルクスとマクラーレンの子どもたち
26 アンダーグラウンドがオーバーグラウンドに
27 レット・イット・スクリーマデリカ

ニイマリコ | Photo ©星野佑奈
Photo ©星野佑奈
ニイマリコ Mariko Nii
Official Site | Instagram | Twitter

広島県出身。2005年東京にてHOMMヨ結成、ギター / ヴォーカル担当。2020年よりソロ活動開始。2021年末1stソロ・アルバム『The Parallax View』発売。弾き語りライヴを中心にトークやエッセイ執筆、作詞、ジン製作など、闇雲に動いている。

| 『The Parallax View』特設サイト
https://www.trash-up.com/niimariko1/

ニイマリコ 'The Parallax View'■ 2021年12月1日(水)発売
ニイマリコ
『The Parallax View』

CD 2,500円 + 税
https://niiim.bandcamp.com/album/the-parallax-view

[収録曲]
01. 解体
02. アーリーサマー
03. 心臓抜き
04. A.N.G.E.L feat. 川本真琴
05. まるい窓
06. 呪詛
07. ワンダーウォール (album ver.)
08. 大人はわかってくれない
09. LILITH