Interview | OG Militant B


1人も逃さずに全員を楽しませたい

 東京を中心にDJとして活動するスペシャルディスクジョッキー、OG Militant B。ルーツであるレゲエ、滲み出る自信とブレない強さを根底に持つOGと今回聞き手を務めたDJのsoguraguraが出会ったのは、今から6年前のとあるローカルなパーティだった。音楽との出会いを通じ無限のロマンが交差する空間、パーティを支えるには欠かせない存在のDJが与える衝撃はたった一夜限りの瞬間でも人生観を変えてしまうほどのドラマティックな力がある。そんなDJのひとりにもかつて同じように味わった衝撃的な音楽体験があり、それを経て独自のグルーヴを見出し今日も人々を躍らせている。遍歴は異なれど、同世代で活躍するプレイヤーとしてsoguraguraがリスペクトを示すOG Militant Bに話を聞いた。

取材・写真 | soguragura | 2023年7月
文・構成 | yukinoise


――まずは自己紹介をお願いします。

 「Militant BのOGです。Militant Bっていうのは22歳くらいの頃、地元の幼馴染のKCと2人で始めたDJユニット名。どちらかというとDJよりビートメイクが好きなKCは、中学時代からずっと音楽の話をできるような相手でもあって、静岡から東京に来てからはそれぞれDJをやっていたんだけど、意外と共通点があることに気づいて、一緒にやったらおもしろいだろうな、って始めたんだよね。そう思った大きなきっかけがBlack Smoker Records主宰のパーティ・EL NINOで観たTHE HEAVYMANNERSのライヴ。俺はレゲエ、ダンスホールが好きでDJをやっていたんだけど、このHEAVYさん(秋本 “HEAVY” 武士)が率いるバンドを聴いてこれまでと全く別物の衝撃を受けて、次に行ったライブでHEAVYさんにKCと作ったミックステープを渡してさ。きっと自分たちのやっているレゲエのスタイルをわかってくれると思ってテープに電話番号を書いて渡したら、知り合いでもない俺らに、HEAVYさんが“俺らのライヴに来るならいつでも連絡しな”ってその場で連絡先を交換してくれて。そこから都内でのライヴは全部通ったね。THE HEAVYMANNERSもREBEL FAMILIAも」

――めちゃくちゃいい話ですね、だいたいいつ頃の出来事ですか?
 「23歳くらいの頃だから、2010年くらい。当時THE HEAVYMANNERSがたくさんライヴをやってたんだ」

――THE HEAVYMANNERSを観たときにOGさんはEL NINOに出演されたんですか?Black Smoker Recordsがすごい盛り上がっていた時代ですよね。
 「そのときのEL NINOには出てなくて。当時、渋谷asiaが盛り上がってた。中田ヤスタカやGOTH-TRADが出てたり、アンダーグラウンド、メインストリーム関係なく、パーティに毎週何百人も来てたくらい盛んだった。その中でHEAVYさんとも仲良くなって、東名阪ツアーに同行したり、THE HEAVYMANNERSの2ndアルバムでフィーチャーされてたラッパーのRUMIさんのライヴDJも俺がやるようになった」

――当時はどんなDJスタイルで回していたんですか?
 「1曲ずつB2Bすることもあれば、俺が30分くらい回すこともある。当時流行り出したダブステップや、D & B、ルーツレゲエにダンスホールも混ぜたり。RUMIさんのライヴDJをやっていたときはいろんな現場に行ったし、KCが地元に戻って1人で活動するようになってからは多いときだと月10本くらい出演していたと思う」

――めちゃくちゃやってますね、その頃はOGとしてレギュラー出演していたパーティはありましたか?
 「その頃に、RHYDAと吉祥寺のbar Cheekyで“FORMATION”っていうレギュラー・パーティを始めた。このパーティはマサ君(DJ Conomark)がやっていた“FOUNDATION”っていうパーティの枠が前身で、俺らが引き継いでやってた。もうひとつがLIL MOFO、Changsie、SUU-SUNとの4人でやっていた“PSYCHO RHYTHMIC”っていうパーティ。新宿のclub OPENでやる前、LIL MOFOが歌舞伎町のGaramで毎週か隔週でレギュラー・パーティをやっていたんだけど、そこに俺がゲストで出たことがあって。Changsieも同じパーティにゲストで出てたし、みんなとはほとんど同時期に知り合ったかな。PSYCHO RHYTHMICに対しては4人とも同じような気持ちでやってそうだなって集まったからパーティは2年くらい続いて、九州ツアーをやったり、ラストはDJ HIKARUさんを呼んだりしてた」

"PSYCHO RHYTHMIC" 2015

club OPEN
club OPEN
――「PSYCHO RHYTHMIC」は毎回フライヤーもかっこよかったですよね。club OPENもすごく良い場所って聞いていて、東京に行った際にひとりで平日に遊びに行ったのを覚えています。4人とも同じ気持ちで集まったメンバーとのことですが、どういう気持ちが一致していたんですか?
 「やっぱりレゲエが好きっていう想いが一緒だったんじゃないかな。細かい好みはあれど、それぞれの思うレゲエ観があったね。年齢もみんな一緒だしさ。そういう人ってあまりいないし、音楽一緒にやろうよってなったのもMilitant Bくらいで。KCが東京を離れてからは、ひとりでもMilitant Bという名前を通じて自分でやっていこうとしてた」

――Militant Bという名前の由来は一体?
 「Militantはミリタリー的な、攻撃的な感じ。Bの意味は特にないけどレゲエでミリタントビートっていう表現もあるし、みんながそれぞれ感じてくれたらいい。名前負けしないサウンドを常に意識してるかな。当時、Militant Bとしては“DARGLIA”っていうパーティを中野heavysickでやったり、ミックスCDを出したりして、最初期は流通のノウハウもわからず、いろんな店に電話やメールを送ったこともあったね。録るにもパソコンすら持ってなかったから、一般的な家庭にあるラジカセ・コンポを使ってMDに録音、それを友達の家に行ってパソコンに流し込む。もっと遡ると高校の卒業パーティでのノベルティ用にA面KC、B面俺でMDに録ってテープで3、40本ひたすら家でダビングした。意外と音いいじゃんとか言いながら」

"DARGLIA" 2012

――たしかにその時代はみんなミニコンポ持ってましたもんね。中学生までテープで録音していたけど、途中でMDに変わったかも。
 「短命でもMDの登場はすごく革新的だったな。それまでは自分でレンタル・ショップに行って、テープにどれだけ録音できるか全部計算して、借りたCDの中から1曲ずつ録音して自分のお気に入りを作ってたじゃん?アルバムごと録っちゃうとA面とB面が切れないようにするのが難しかった。でも、MDでアルバム3枚くらい録音できるようになったときはすごく喜んでた。周りには早い奴だとMP3プレイヤーとか持ってたのにね」

――高校時代から今に繋がる面影があるようですが、そもそもDJを始めたきっかけは?
 「高校1年のときに行った静岡のクラブに、東京から来たDJたちがレコードを10箱くらい持ち込んで、めっちゃ盛り上げていたのに衝撃を受けたのがきっかけかな。レコードは買っていたし、自分もDJをやってみたいと思った。その頃はメインストリームのUSヒップホップを集めていて、KCは国内やUSアンダーグラウンドのヒップホップが好きだったんだけど、実際に人前で初めてDJをすることになった卒業パーティで、みんなヒップホップをかけるから自分は違うことをしたいと思ったんだよね。みんながヒップホップなら俺はレゲエ担当だな、って。そこからもともと好きだったレゲエのレコードをさらに買い始めるようになった」

――ヒップホップを経て、レゲエやダンスホールでDJをするようになってからはどんなアーティストが好きでした?
 「Sean Paulはヒーローだな、俺だけじゃなく全員好きだったはず。昨年末のパーティでも20年ぶりくらいに“Get Busy”のレコードをかけたときもめちゃくちゃ盛り上がって、やっぱみんな好きだなーって思った。あのときの光景が目に焼き付いてるもん。ビッグチューンだと使うのを躊躇することもあるだろうけど、ビッグチューンならではのインパクトも絶対にあるからさ、お客さんを惹きつけるエネルギーとしての使いかたやDJのスキルが大事。知らない曲をたくさんかけるのもかっこいいし、ディグ力やミックスのスキルももちろんだけど、みんなが知っている曲でも自分なりに惹きつけて一体感をもたらすパワーも大事なことだと思う」

――DJだからこそ作れる一晩のムードですね。東京で遊んでいるとクラブに若者がたくさんいますが、普段クラブで遊ばない若者にクラブ・ミュージックの楽しみかたや、DJのすごさやおもしろさを伝えられたらいいと思うんですよ。
 「空間を支配する方法や曲のセレクトとか、そういうおもしろさを教えてくれたのはDJ HIKARUさんだったな。予定調和だとつまらないし、ビッグチューンの話にも繋がるんだけど、こういうのがいいんでしょ?って提示するんじゃなくて、常に良い驚きを与えたい」

OG Militant B | Photo ©soguragura

――そういった中で脳裏にこびりつくような衝撃を受けたり、生涯の思い出に残っているパーティは何かありますか?
 「けっこう前だけど、神宮前 bonoboにCMTさんが出ていた回はマジでやばかったね。盛り上げかたとかミックスもすごく丁寧で、2~3時間やった最後にはフロアにいた全員がスタンディング・オベーションみたいに拍手した。いろんなやりかたで人の曲を繋げて、感動を味わせられるっていうのもDJのすごみだよね。だから特に自分のパーティでは毎回最高の瞬間を更新していくようにしてる」

――当時、ご自身のパーティ「PSYCHO RHYTHMIC」は平日に開催されていましたが、週末ではなく平日にパーティをやるヴァイタリティはどこから生まれてます?
 「平日には平日のおもしろさがあるんだよ。大箱のクラブから小さなDJバーまでそれぞれの場に色があって、平日だと遊びに来られる人も限られるけど、1人で10人分くらいエネルギーのある奴らが集まってるから、平日でもガンガンやれるんだよね。平日でも週末でもみんな音楽が大好きな奴らだし、もちろん俺も音楽とDJっていう行為が大好きだから」

――DJという行為に初めて楽しさを見出したのはいつ頃でした?
 「最初から楽しかったよ、初っ端から自信しかなかった」

――初めてすぐが一番楽しいのはもちろんですが、最初から自信たっぷりなのもOGさんらしくておもしろいところですね。普段はレゲエだけど、それ以外のスタイルでもプレイしたり、意外なメンツのパーティにブッキングされていたりするのもOGさんのおもしろいところだと思います。
 「何年か前にokadadaと知り合って、自分の知らなかった世界をおもしろがるようになったんだよね。似たような人だけで集まるのは簡単だし、間違いないことだけど、自分と違うものを持っている相手と一緒になるのは刺激的で楽しいし、お互いの表現を競い合うのもおもしろくて。ヒップホップやレゲエの現場を経てからできた新しい友達のおかげで、聴く音楽の幅がすごく広がって、昔は全然ハウスに興味なかったけど、CMTさんのDJで新しいアゲかたを知ってハウスへのリスペクトが深まったりしたし、okadadaと俺はプレイする曲もスタイルも違うけど、あらゆる曲をダンス・ミュージックとして捉えていて、最高のパーティをメイクすることを目指してるところが同じだと感じた。そういう人たちがおもしろがってくれて、とんでもないところにブッキングされることがあっても、それができるのはたぶん俺しかいないだろうし、俺もやってみたいと思ったね」

――ジャンルで固めすぎない懐の広さがOGさんのDJが唯一無二であるところかもしれませんね。
 「個々のDJが集まってパーティを作るとなると、必ず上げ下げの起承転結があって、初めはウォームアップしていったりとか、各DJの役割を考えてオーガナイザーはブッキングしていると思うんだ。いろんな音楽がかかる中で、関心を示さない人もいるかもしれないけど、俺はその1人すらも逃さずに全員を楽しませたい。ただアゲるだけならそう難しいことじゃなくて、現場での経験やいろんな曲からヴァイブスを吸収して、そこでゲットしたことからその後をどうするか抑揚をつけて実践できるのが良いDJだと思う。もちろん自分のプレイでも違ったな、って感じることもあって、タイミングとかも大事になるけど、そのバランスを使い分けるスキルは常に問われているものだし、それをうまく感じ取ってコントロールするのもDJの楽しさじゃないかな」

――1人も逃さずに楽しませる感じ、DJとして信頼感があります。都心での現場と地方のローカルな現場では、プレイをどうコントロールしてますか?
 「自分の住む東京以外の街でゲストDJとして呼ばれているときはけっこう考える。みんなが求めているものから外さないようにしつつ、パーティのコンセプトを理解して、今の自分がやりたいことも含めてフロアを最高の状態に持っていけるよう擦り合わせなきゃいけない。みんなの中にあるOGの完成されたイメージをぶち壊しながらも、さらにアゲていきたいよね」

――OGさんのイメージといえば、Instagramで日常に潜むラスタ・カラーを投稿されているのが印象的で気になってました。あのアカウントはどんなコンセプトで始まったんですか?
 「あれはMETAL RASTAとしての俺なりの遊び。今のところMETAL RASTAとして確認できてるのは相模原のBRON-KさんとWAXくんかな」

――そんなOGさんが最近注目しているアーティストやジャンルは何かありますか?
 「共演するDJやアーティストたちは本当にみんな最高だし、レベルが高い。最近だとコロナ禍を経て若い人たちの力がすごくて、この前“FORMATION”にも出てもらった凸凹。っていうDJユニットのYAYA子と南ちゃんとか良かった。選曲やかけかたが異なるのも良い刺激になるし、先人たちのすごみは俺らもたくさん知ってるけど、若い人たちはもっと違う角度で攻めてくるからおもしろいな。経験で培われていくものって上の世代からだけのものじゃないから、俺が若者とやることでお互い刺激を受け合えたらいいな、と思ってる。年齢や世代は異なれど、DJというプレイヤー同士リスペクトしていると、そういう相互作用が起きるからさ」

――ダンス・ミュージックやクラブ・カルチャーって日本だとちょっと理解されづらい、マイノリティなカルチャーじゃないですか。だから、こうして人前で好きな音楽をかけたりミックスして色付ける人の話や考えを聞けるのは光栄で、このテキストを通じて不特定多数のマイノリティな音楽好きたちに届くと思うと嬉しいです。
 「人生の価値観が変わるくらいの現場にありつけたり、衝撃を受けたりするのもタイミング次第だけど、その初めの一歩を提供するのが俺らだよね」

――最近のクラブ・シーンで盛り上がっているヒップホップのパーティでも、メインのライヴだけじゃなくてDJもしっかり聴ける時間が作られていたり、ようやくおもしろいダンス・ミュージックに触れられるタイミングが生まれてきているような気もしていて。そういう機会で興味を持った若者たちの心を動かせるパワーのあるものが世に登場した瞬間に、カルチャーとしての芽が出ると思うんです。だからOGさんのような頼もしいDJがこれからもパーティを続けていけたら本望だし、衝撃的な音楽体験をさせられたら最高です。
 「自分も含め、若い時期はクールな遊びかたの判断がわからないし、理解できるタイミングも人それぞれだからさ、そのタイミングになるようなきっかけをパーティで作っていきたい。でも、そういう楽しみを知っているような人が踊ってくれるのは近い仲間だし、あたりまえじゃん。知らない奴をどれだけ楽しませられるかってなると、テンション上がるよね。だから俺は知らない人の前でDJするのが好きだね」

――自分のことを誰も知らない人たちの前でプレイするって、かつてTHE HEAVYMANERSのツアーに同行しながらMilitant Bとしてプレイする枠を作ってもらった話にも繋がりますね。その強烈な原体験から今のOGさんが出来上がってるわけなんで、ぜひ秋本さんにこのインタビューを送ってあげましょうよ。
 「まだその途中だけどね(笑)。今はもうあまり動いてないけど、6~7年前にMASTERED HISSNOISEっていうレーベルからミックステープ『Hawkeye Dub』(2016)をリリースしたんだけど、そのコメントをHEAVYさんに書いてもらったな。Militant Bとして最初に出した『Bad Man Wagon』(2011)っていうミックスCDの続編的なイメージで俺のルーツを全部収めていて、当時200本くらい作ったと思う」

――CORNER PRINTINGではカセットテープも作れるのでぜひ再発しましょう。次のミックスはDAILY DOSEからリリースされるとのことですが。
 「大阪の南堀江にDAILY DOSE quality stuffっていう古着屋があって、俺がだいたいいつも被ってるキャップはそこのだね。去年、一昨年の年末はお店の企画で俺のオープンラスト6時間やったりして。今年に入ってミックステープの話をもらって録ったのが次出る『HEAT TAPE』。ぜひチェックしてくれ」

――最後に伝えたいことなどがあれば一言お願いします。
 「パーティしようぜ」

OG Militant B Twitter | https://twitter.com/OG_MB
soguragura Instagram | https://www.instagram.com/so_guragura/

OG Militant B Regular Party

| FORMATION
東京 吉祥寺 bar Cheeky | 第3金曜日

| RAGGATRON
東京 新宿 club OPEN | 第5金曜日

| Bridge Wednesday
東京 新宿 DJ BAR Bridge | 第5水曜日

OG Militant B 'HEAT TAPE'■ 2023年8月23日(水)発売
OG Militant B
『HEAT TAPE』

https://dailydosequalitystuff.com/items/64df1a589025330034efb8e2

[販売店]
DAILY DOSE quality stuff (大阪・南堀江) | ISANDLA (大阪・心斎橋)

FORMATIONFORMATION

2023年10月20日(金)
東京 吉祥寺 bar Cheeky
23:00-
1,000円(税込)

出演
ABEEE / ALCI from NikkeiKyoudai / IRONSTONE / OG Militant B / RHYDA / snuc